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拙者、お客様は神様だと申したはず! ~令和のバイトリーダー、うっかり江戸で天下泰平(主に接客面で)を目指す~  作者: ストパー野郎
第一部 ~バイトリーダー、城下を騒がす! おもてなし改革と七転八倒の毎日~
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第四話 財布の紐を締め上げろ! ~鉄壁勘定奉行VSバイトリーダー、予算攻防戦の巻~

「相馬中村藩・第一回藩士団結祈願! 天下泰平春祭り! 炎の体育会系大運動会~汗と涙と友情のワンチームカーニバル~」の熱狂と興奮は、数日が経過してもなお、城下に心地よい余韻を残していた。藩士たちの顔には以前よりも笑顔が増え、普段あまり口を利かなかった部署の者同士が、運動会の武勇伝(あるいは失敗談)を肴に酒を酌み交わす姿が、城下の居酒屋でちらほら見受けられるようになった。


 武士たちの奥方衆も、「うちの旦那様があんなに張り切るなんて、初めて見ましたわ」「子供たちが、お父様が泥んこになって頑張っていたと大喜びで」などと、井戸端会議で噂しきりである。栗田謙信が目指した「組織活性化とコミュニティ・エンゲージメントの醸成」は、まず第一段階として、予想以上の大成功を収めたと言えよう。


「いやはや、栗田。先日の大運動会、実に見事な差配であった。領民たちも木戸銭なしであれだけの見世物を楽しめたと大変喜んでおったし、何より藩士たちの顔つきが変わった。まるで憑き物が落ちたようじゃ。お主の申しておった『ちーむびるでぃんぐ』とやらの効果、絶大じゃのう!」



 藩主・相馬昌胤は、運動会の数日後、城の本丸大書院で開かれた定例の評定の席で、満面の笑みで謙信を褒め称えた。他の家老たちも、運動会の意外なほどの盛り上がりと、その後の藩内の雰囲気の好転には感心しきりといった表情で、しきりに頷いている。中には、自身の活躍(あるいは珍プレー)を思い出して、口元を緩ませている者もいた。

「ははーっ! 身に余る光栄、恐悦至極に存じます! これもひとえに、殿の寛大なるご英断と、藩士皆様の血と汗と涙の結晶のごときご協力、そして何よりも、岩田先輩の不眠不休、献身的な『プロジェクトマネジメント・スーパーバイズ兼リスクヘッジ・コンサルティング』の賜物と、五体投地して感謝申し上げる次第でございます!」


 謙信は、まるで舞台役者のように大仰な身振りで、満面の笑みを湛え、深々と頭を下げる。その隣で、目安方次席として陪席していた岩田権左衛門は、「俺はただお前の無茶苦茶な要求に振り回され、不眠不休で胃薬を飲み続け、運動会当日は審判長として走り回り、挙げ句の果てには借り物競争で無理やり笑顔を強要され、腰と精神をやられただけだ…」と、般若のような顔に深い隈を刻み込みながら天を仰いだが、その悲痛な心の声は誰にも届かない。


「うむ。して、栗田。次は何を企んでおるのだ? その『ちーむびるでぃんぐ』の次は、まさか『藩士対抗歌合戦~のど自慢イン相馬中村城~』でも開くつもりではあるまいな? それもまた一興やもしれぬが、はっはっは!」昌胤は、腹を抱えて豪快に笑いながら、期待に目を爛々と輝かせている。どうやら藩主は、謙信の引き起こす「改革」という名の、予測不能なエンターテインメントをすっかり楽しみにしているようだった。


「滅相もございません! 歌合戦も大変魅力的な『チームビルディング・アクティビティ兼タレント発掘オーディション』ではございますが、次なる一手は、我が藩の持続可能な成長と万年の繁栄のための、より本質的かつ構造的な大改革、『藩財政超健全化プロジェクト・フェーズ2~聖域なきコスト構造改革と戦略的アセットアロケーションによるV字回復プラン、そして夢の藩士給与ベースアップ実現への道~』でございます!」


 謙信は、懐からおもむろに取り出した、前回よりもさらに分厚く、何やら細かな図表やグラフがびっしりと描き込まれた巨大な巻物――『相馬中村藩財政再建計画(決定稿案)~5ヵ年ローリングプラン・バージョン2.0・運動会成功記念デラックス改訂版・全十七章~』と、金泥で縁取られた墨痕たくましい(本人の強い思い込み)表題が踊っている――を、両手で恭しく広げ、朗々と高らかに宣言した。


 その言葉を聞いた瞬間、それまで和やかで、どこか浮かれたような雰囲気に包まれていた評定の間の空気が、まるで北国の厳冬の朝のように、ピシリと音を立てて凍りついた。特に、上座に鎮座する藩の財政を一手に握る絶対的な最高責任者、勘定奉行・渋沢監物しぶさわかもつの眉間には、ミシミシ、ギシギシと軋むような音を立てて、マリアナ海溝もかくやというほど深く、そして険しい皺が刻まれていくのが、その場にいた全ての者の目に、スローモーションのようにハッキリと見えた。



 渋沢監物。齢六十を三つ越え、先々代の藩主の頃より三十年以上、相馬中村藩の勘定方を一日も休むことなく務めてきた、藩財政の生き字引にして、最後の番人とも言える重鎮である。


 若い頃、藩が天災と悪政(と噂される)により深刻な財政難に陥り、一時はお取り潰し寸前まで追い詰められたという地獄のような経験を持つ彼は、その苦い教訓から、「一文の銭も我が子の血肉と思い、一厘の無駄も天下の罪と知れ」を座右の銘とし、以来、徹底した緊縮財政と超が付くほどの倹約主義を、まるで宗教の戒律のように頑なに守り通してきた。その清廉潔白さ、質実剛健ぶりは藩内外に知れ渡る一方、その厳格すぎるほどの倹約ぶりと、いかなる新規の支出にも、たとえそれが藩主の意向であっても、断固として首を縦に振らない鉄壁の頑固さから、「鬼の渋沢」「相馬の動かぬ岩盤」「歩くそろばん(ただし割り勘はしない)」などと、畏怖と若干の揶揄を込めて恐れられ、煙たがられてもいた。


 その眼光の鋭さと、一切の妥協を許さぬ鋼のような意志は、藩主・昌胤でさえも時折「渋沢、ちと世知辛すぎぬか…もう少し夢のある話も聞いてやってはくれぬか…」と、遠回しに苦言を呈するほどであった。以前、謙信が納屋の整理や武器購入費の見直しなどで折衝し、ある程度の譲歩を引き出した勘定組頭・戸倉屋惣兵衛は、この渋沢の直属の部下であり、戸倉屋が謙信の奇抜な提案に一部耳を貸すようになったのも、実は渋沢が「あの目安方の軽輩、栗田とか申したか。近頃何かと小賢しい知恵を働かせ、城内を嗅ぎ回っておるようじゃ。少し泳がせて、一体何を仕出かすか、その手管を見極めてみよ。ただし、我が藩の財政の根幹を揺るがすような、分不相応な真似は断じて許さんぞ」と、裏で密かに釘を刺し、ある種のストレステストとして謙信の動きを黙認し、その報告を逐一受けていたからだという、まことしやかな噂もあった。


 その「鬼の渋沢」勘定奉行が、まるで能面のように一切の感情を消した無表情のまま、ゆっくりと、そして重々しく口を開いた。その声は、先日の運動会の喧騒が嘘のような静寂に包まれた評定の間に、低く、そして重く響き渡り、その場にいる全ての者の背筋をゾクリと凍らせるような、有無を言わせぬ冷たい威圧感を伴っていた。


「……目安方筆頭、栗田。先日の大運動会とやらの差配、見事であったと聞き及んでおりまする。藩士たちの士気が上がり、領民が喜んだことも結構なこと。じゃが、財政は遊びではござらんし、祭りでもない。ましてや『ふぇーず2』だの『ろーりんぐぷらん』だの『ぶいじかいふく』だの『べーすあっぷ』だの、異国の呪文か何か知らぬが、そのような戯言で、我が藩の長年にわたり積み重ねられてきた財政構造が、そう易々とどうにかなるものでもない。栗田、貴殿は元は足軽と聞き及ぶ。武士の、そして藩の財政の何たるか、その伝統と格式、そして何よりもその『重み』を、一体どこまでご存知かな?」


 他の家老たちが、固唾を飲んで両者の顔を交互に見守る中、謙信は、しかし、臆することなくスッと顔を上げ、渋沢奉行の鋭い、まるで値踏みするかのような視線を、真っ直ぐに受け止めた。


「渋沢奉行様。お言葉を返すようで誠に恐縮の極みではございますが、拙者は前世にて、日々数千、数万のお客様と直接金銭のやり取りをし、店舗の売上、原価、仕入れ、棚卸、在庫ロス、光熱費、水道費、通信費、広告宣伝費、減価償却費、そして何よりも重要な人件費を厳格に管理し、まさに一銭単位での利益を追求し、かつ、競合他店との熾烈なサバイバル競争環境下でのシビアな経営判断を、長年、それこそ血反吐を吐く思いで実践してまいりました。その血と汗と涙の経験から申し上げますれば、組織の規模の大小、あるいは武家か商家か、はたまたコンビニエンスストアか国家かの違いはあれど、健全な財政運営の基本原則、すなわち『収入キャッシュインを最大化し、支出キャッシュアウトを最小化し、限りある資産アセットを最も効率的に有効活用する』という一点に、何ら変わりはないと、拙者は確信しております!」


「前世…? 店舗…? こんびにえんすすとあ…? 栗田、貴殿は一体何を訳の分からぬことを、それも大真面目な顔で申しておるのだ? やはり、先の運動会で少々浮かれすぎ、調子に乗りすぎ、ついに頭の螺子ねじが数本まとめて緩んでしまったのではあるまいな? それとも、何か悪いものでも食したか?」渋沢は、眉一つ動かさず、まるで出来の悪い子供に言い聞かせるかのように、冷ややかに言い放つ。


「め、滅相もございません! 決して浮かれてなどおりませんし、腹も壊しておりません! 至って正気でございます! 拙者の申し上げたいのは、藩財政も一つの『事業経営』、あるいは『国家財政運営』のミニチュア版と捉え、徹底的な『見える化(現状の正確な把握と情報共有)』と『効率化(無駄の徹底排除とプロセスの最適化)』、そして『戦略的資源配分(選択と集中による投資効果の最大化)』を行うべきだ、ということでございます! こちらの『財政再建計画書・決定稿案』に、その具体的なアクションプランと、期待される効果(短期・中期・長期のKPIとKGIを含むロードマップ形式)を、誰にでも分かりやすく、詳細にまとめさせて頂きました!」


 謙信は、恭しく巻物を渋沢奉行に差し出した。渋沢は、胡散臭そうな、そして若干うんざりしたような目でそれを受け取り、まるで虫でも払うかのように、ぞんざいにパラパラと目を通し始めた。巻物には、謙信がここ数日、目安方執務室に文字通り寝泊まりし、大量の鼻紙と墨と筆を消費しながら作成した「相馬中村藩現状の財政構造分析(バランスシート、損益計算書、キャッシュフロー計算書もどき、及びクロスSWOT分析とTOWSマトリクス)」「勘定科目別コスト構造図解(パレート図、Zチャート、移動年計グラフ、ABC分析結果を駆使)」「慢性的な歳入不足の根本原因究明とそれに対する具体的かつ即効性のある対策アクションプラン一覧」「藩内に死蔵されている遊休資産リスト(写真、いえ絵図付き)とその多角的有効活用法提案」「新規財源確保のためのブルーオーシャン戦略アイデア集(それぞれのアイデアについて、実現可能性度、期待収益額、投資回収期間、リスク分析、及び費用対効果評価付き)」などが、これまた手書きの緻密なグラフや、美しい(と本人は思っている)カラー図解、そして何故か所々に、権左衛門をモデルにしたと思われる四コマ漫画(主に謙信の無茶ぶりに権左衛門が苦悩する内容)まで交えて、びっしりと、それこそ読む気が失せるほど詳細に書き込まれていた。


「……ふん。見た目は大層なものだが、中身は相変わらず絵空事と、どこかの物知り顔の若造が聞きかじったような、耳慣れぬ言葉の羅列に過ぎんな。例えば、この『遊休資産の戦略的現金化による財政インパクトの早期創出とキャッシュフロー改善』などと、大層な見出しが踊っておるが、具体的に何をどうするつもりじゃ。まさか、藩の由緒ある備品や、先祖伝来の土地建物を、町人や他藩の者にまで勝手に売り払うとでも申すか。それは、我が藩の歴史と伝統を土足で踏みにじる、断じて許されざる背任行為であり、不敬の極みであろうが!」渋沢は、巻物の一点を、まるで虫でも見つけたかのように指さし、その声には明らかに怒りの色が混じり始めていた。


「とんでもございません! 横領や背任、ましてや不敬など、天地神明に誓って、毛頭ございません! 拙者がまずご提案いたしますのは、あくまで第一のステップ、いわば『実験的試行』として、城内各部署に長年眠っている『不要不急の物品』、すなわち『死蔵されたデッドストック資産』を徹底的に洗い出し、それを『藩内限定リサイクルオークション~お宝発見!掘り出し物ザックザク!もったいない精神発揚!エコ&エコノミーフェスティバル~』と銘打った一大イベントにかけ、藩内での有効活用と再利用を促進することでございます! 例えば、長年使われず、倉庫の隅で埃をかぶっている古くなった武具や、修繕が必要な農具、流行遅れとなったり、持ち主がいなくなったりした調度品などを、それを必要としている他の部署や、あるいは希望する藩士、さらには事前に厳格な審査を経た上で許可を得た領民に、適正かつ公正な競争入札により安価で払い下げ、その売上を藩の貴重な雑収入に充てるのでございます! これにより、物品の有効活用による『廃棄コストの大幅な削減』と、わずかながらでも『新たな歳入源の確保』、そして何よりも、藩士や領民の皆様に『物の価値を再認識し、大切にする心を育む機会の創出』という、一石三鳥、いや、教育的効果まで含めれば一石四鳥の素晴らしい効果が見込めます!」


「オークション…だと? 物を売買するのは、利に聡い卑しき商人のすること。武士が、それも禄を食む藩が率先して、そのような市場いちばのような、銭の匂いのする真似をしろと、このわしに堂々と言い放つか。栗田、お主、武士の矜持というものを、一体どこへ置き忘れてきたのだ!」渋沢は、吐き捨てるように言った。その言葉には、清貧を旨とする武士としての強い自負と、金銭を露骨に追い求めることへの、生理的とも言える深い嫌悪感が、ありありと滲んでいた。


「渋沢奉行様! どうか、その古きお考えを、今こそ改めていただきたいのでございます! これは単なる銭儲けのための物品売買ではございません! 限りある我が藩の『貴重な資源の最適再配分』と、持続可能で豊かな社会を実現するための『循環型経済システムの構築』という、極めて崇高かつ先進的な『新しい時代の藩経営戦略』なのでございます! さらに、このオークションで得た貴重な収益の一部を、例えば先の運動会のような『藩士向け福利厚生充実予算』や、あるいは『領民向け生活インフラ整備緊急対策費用』などに戦略的に充当すれば、藩士や領民の皆様の藩に対する満足度エンゲージメントとロイヤルティも飛躍的に向上し、結果として藩全体の生産性の向上や、治安の維持向上にも繋がり、まさに『Win-Win-Winのトリプル・ハッピー・スパイラル・ポジティブ・フィードバックループ』が、我が相馬中村藩に生まれ出でるのでございます!」


 謙信は、まるで歌舞伎役者のように、右手を高々と掲げ、左手で巻物を指し示し、目をカッと見開き、朗々と、そして自信に満ち溢れた声で熱弁をふるう。そのあまりの熱量と、次から次へと、まるで泉のように湧き出てくる、意味は半分も分からないが何やら凄そうな効果を予感させる横文字の奔流に、鉄壁を誇った渋沢勘定奉行だけでなく、評定の間にいた他の年配の家老たちも、もはやあっけに取られ、開いた口が塞がらず、ただただ呆然と謙信の顔を見つめるばかりであった。


 しばしの、まるで時間が止まったかのような重い沈黙の後、渋沢が、まるで奥歯に挟まった小骨でも吐き出すかのように、苦々しげに、しかしどこか諦めたような声で、重い口を開いた。


「……まあ、良い。その『おーくしょん』とかいう、訳の分からん催し、一度だけ、本当に一度だけ、試験的にやってみるが良い。ただし、売買するのはあくまで藩内の者、及び事前に厳格な審査を経た上で、わしが許可した領民に限る。そして、その結果の一部始終を、一厘たりとも誤魔化すことなく、詳細かつ正確にわしに報告すること。それで、お主の言うような馬鹿げた効果が、万に一つも見られねば、二度とそのような戯言を口にすることも、その妙な絵図だらけの巻物をわしの前に突き出すことも、未来永劫許さんぞ。分かったな、栗田」


 渋沢は、意外にもあっさりと(ただし、山のような条件と、最後の釘を深々と打ち込むような念押し付きで)謙信の提案を許可した。おそらく、あまりにも突飛で常識外れな提案ゆえに、どうせ大失敗して恥をかき、二度と生意気な口を利けなくなるだろうと高を括ったか、あるいは、万が一、本当に万が一、謙信の言う「何か」が起こるかもしれないという、僅かな、ほんの僅かな好奇心と、そして長年藩財政の重圧に耐えてきた男の、藁にもすがりたいような微かな期待が芽生えたのかもしれない。


「ははーっ! ありがたき幸せ! お認めいただき、心より感謝申し上げます! 必ずや、奉行様のご期待を遥かに、それこそ天元突破するほど上回る『素晴らしい成果グレート・リザルト』と『感動のエモーショナル・タイフーン』を、この栗田謙信、責任を持ってお目にかけます!」


 謙信は、計画の第一歩が、予想以上にスムーズに(本人はそう思っている)認められたことに、内心で「ヨッシャアアア!」と魂の雄叫びを上げながら、床に額がゴツンと音を立ててぶつかるほど深々と、そして何度も頭を下げたのだった。



 かくして、「栗田謙信プロデュース! 第一回相馬中村藩・お宝発見!藩内限定リサイクルオークション~掘り出し物ザックザク!もったいない精神発揚!エコ&エコノミーフェスティバル~」が、評定での許可からわずか十日後という、藩の役所仕事としては前代未聞の驚異的なスピードで、城下の練兵場に隣接する広場で開催される運びとなった。


 この日のために、謙信は権左衛門と目安方の若い衆――大運動会を通じて、いつの間にか謙信の熱狂的な信奉者となり、「栗田組長!」(なぜかそう呼ばれている)のためなら火の中水の中、と目を輝かせるようになっていた、田中新兵衛、結城小平太ら数名の足軽や徒士たち――を「オークション実行委員会・特殊部隊(自称)」として組織し、城内の各部署の納屋や蔵、果ては忘れ去られた物置の奥の奥、天井裏から床下まで、文字通りローラー作戦と家宅捜索(もちろん許可は取っている、はず)で徹底的に捜索。


「これは使えますぞ、組長! まだまだ現役バリバリです!」「組長! こちらには磨けば光る逸品が! リノベーション対象案件です!」「組長! これは…うーん、素材として分解すれば再利用可能かと!」「組長! これは…さすがにただの塵芥ちりあくた…いや、待てよ、何かの肥料になるやもしれませんぞ!」と、例の5S活動で一度は整理されたはずの場所から、さらに多くの「秘蔵のお宝(と謙信が固く信じ、若い衆もそう洗脳されつつあるもの)」を、まるでトレジャーハンターか盗掘団のように、次から次へと意気揚々と発掘してきた。


 出品リストには、錆びついてもはや原型を留めぬ槍や刀の残骸、虫に食われ穴だらけの無惨な甲冑の部品、雨漏りでシミだらけの破れた陣幕や幟旗、見事にひび割れたまま放置された大量の茶碗や皿、脚が三本しかない机や背もたれのない椅子、おびただしい量の書き損じの反故紙の束(これは謙信が「アイデア発想用ブレインストーミング・ペーパーとして最適! まさにSDGs(エスディージーズ:持続可能な開発目標)の精神です!」と熱く力説)、そして何故か前回よりもさらに増量された、カチカチに乾燥し凶器にすらなりそうな干し柿や、開封厳禁と言わんばかりの強烈な異臭を放つ年代物の古漬けの巨大な樽など、およそ「お宝」とは到底言い難く、むしろ「藩の黒歴史・負の遺産大博覧会」とでも呼ぶのが相応しいような、凄まじい品々が、広場狭しと山のように積み上げられていた。


「栗田…本当に、本気で、心の底から、こんなガラクタの山…いや、もはや産業廃棄物の集積場のようなものが売れると、そう信じているのか…? むしろ、これを処分するための人件費と焼却費用がかさむだけで、大赤字になるのではないかと、俺は心配で心配で、ここ数日、夜もまともに眠れんのだが…」権左衛門は、目の前に広がる絶望的な光景を前に、頭痛と目眩と吐き気をこらえるようにこめかみと腹を押さえながら、深々と、そして心の底から絶望的なため息をついた。


「権左衛門殿、ご心配はご無用! 『価値とは、固定されたものではなく、相対的なもの、そして創造されるもの』なのでございます! ある人にとっては全く価値のない不用品、いえ、ゴミ同然のものであっても、別の人にとっては、喉から手が出るほど欲しい、人生を変えるほどの『オンリーワンの逸品』かもしれないのでございます! その『潜在的価値ポテンシャル・バリュー』を白日の下に晒し、必要としている『運命のお客様』へと、感動と共にお届けし、繋ぎ合わせるのが、このオークションの、そして我々目安方『ドリームチーム』の崇高なる使命なのでございます! いわば、『価値の再定義と創造による、新たな市場開拓とマッチングビジネス・イノベーション』です!」


 謙信は、オークションの司会進行役兼呼び込み兼盛り上げ役兼サクラ(もちろん自ら買って出た)として、どこからか調達してきた、前回よりもさらに派手さを増した手作りの羽織(古着の鮮やかな振袖を無理やりリメイクし、金色の折り紙で作った星と月の飾りを、これでもかと縫い付けたもの。背中には「お客様は神様です!」の金文字刺繍入り)を身にまとい、竹筒で作ったメガホン(先端に朝顔の花のように和紙のラッパが取り付けられている)を片手に、異様なほどのハイテンションでやる気満々であった。


 オークション開始時刻の半刻(一時間)も前から、広場には噂を聞きつけた藩士やその家族、そして多くの領民たちが、まるで江戸の大きな祭りにでも来たかのように続々と集まり始め、山と積まれた出品物を興味津々に品定めしたり、冷やかしたり、顔を見合わせて苦笑したりと、早くも大変な賑わいを見せていた。


 謙信は、目安方の若い衆(田中新兵衛、結城小平太ら)と共に、威勢の良い掛け声で客寄せをし、一つ一つの出品物の「隠された魅力と驚異のセールスポイント(その多くは謙信の妄想とこじつけで構成されている)」を、身振り手振りを交え、面白おかしく解説して回った。


「さあさあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 本日限りの大盤振る舞い! 千載一遇のビッグチャンス! こちらの錆びついて刃こぼれした槍、ただの槍ではございませんぞ! なんと、あの伝説の剣豪・宮本武蔵が若い頃に愛用した槍の穂先の…隣に置いてあったかもしれないという、大変由緒正しい(かもしれない)逸品でございます! これを研ぎ直し、玄関に飾れば、悪霊退散、家内安全、商売繁盛間違いなし! 畑のイノシシも一突きで撃退可能! 庭の草むしりにも便利! お値段なんと、お客様への日頃の感謝を込めて、驚きの銅銭一文からスタートでございます!」


「そこの目鼻立ちの整った美しい奥様、お目が高い! こちらの無残にもひび割れたお茶碗、ただのひびではございません! この複雑かつ芸術的なひび割れこそが『景色』でございます! まさに侘び寂びの境地、禅の精神の結晶! このお茶碗でお茶を点てれば、あなたも今日から茶道の免許皆伝!…になれるかもしれませんし、なれないかもしれません! 世界に一つだけの限定一個、早い者勝ち! さあ、いくらから参りましょう!」


 謙信の、もはや詐欺スレスレ、いや完全にアウトかもしれない巧みなのか強引なのか判別不能な立て板に水の口上と、時折飛び出す「本日限定!店長号泣!赤字覚悟の出血大サービス!」「買わなきゃ絶対損損!今買わねば一生後悔先に立たず、後悔先に立たねば立つ瀬がない!」といった、どこかで聞いたような、しかし妙に耳に残る煽り文句に、集まった人々は、最初は半信半疑、あるいは完全に馬鹿にしていたものの、次第にその独特の熱気と胡散臭い魅力に引き込まれ、会場のボルテージは、まるで真夏の気温のようにぐんぐんと上がっていった。


 いよいよオークションが始まると、予想通り、いや予想を遥かに超えた珍事と奇跡(?)の連続であった。


 錆びついてもはや武器としての価値を失った槍や刀は、村の腕の良い鍛冶屋が「鉄の質は悪くない。溶かして農具や包丁に打ち直せば、素晴らしいものができるやもしれん」と、素材としての価値を見出し、予想以上の値段で次々と落札されていった。


 虫食いだらけの甲冑の一部も、「子供の五月人形の飾りにちょうど良い」「これは先祖伝来の鎧の一部にそっくりだ! 修理して復元したい!」といった理由で、子沢山の貧乏武士や、歴史ロマンを求める風変わりな商家の主人などが、目を輝かせて競り落とした。雨漏りでシミだらけの破れた陣幕や幟旗は、畑の雨よけや日よけ、あるいは子供たちの秘密基地の材料として、農民たちの間で飛ぶように売れ、あっという間に売り切れた。


 圧巻中の圧巻だったのは、謙信が「これはかの有名な絵師、狩野永徳が若かりし頃に描いたとされる、門外不出の幻の屏風の…下絵の、さらにそのまた下絵に使われたかもしれないという、大変貴重な反故紙でございます!(もちろん、謙信が昨日、自分の書き損じの巻物を適当に丸めてシミをつけただけの大嘘)」と言って出品した、納屋の隅から大量に出てきた、ただの汚れた古い和紙の束が、書道家としても名高い隠居した元家老に「むぅ…確かに、この紙の質感、墨の乗り具合には、尋常ならざる気品と霊気が感じられる…これは何かの天啓、運命の出会いやもしれん…!」という、常人には理解不能な深い理由で、目を剥くような、それこそ藩の年間予算の足しになるのではないかと思われるほどの高値で落札されたことだった。謙信自身も、その思わぬ展開には、口をパクパクさせながら冷や汗をダラダラと流し、内心「や、やりすぎた…! さすがにこれはまずいのでは…!?」と、本気で震えていた。


 そして、最大の懸案事項であった、もはや化石と化したカチカチの干し柿と、開封すれば半径百メートル以内の生物が卒倒すると噂される強烈な異臭を放つ年代物の古漬けの巨大な樽。


 これはさすがに誰も手を挙げないかと思われたが、謙信が「この干し柿は、かの武田信玄公が川中島の合戦前夜に食し、見事勝利を収めたという、伝説の『ウイニング・スーパーエナジー・レーション』! 一粒食べれば百人力、試験にも恋にも戦にも必ず勝てる! この古漬けは、かの水戸光圀公が諸国漫遊の折、健康長寿とボケ防止のために毎日欠かさず食したと伝わる『究極のアンチエイジング・メディカル・デトックス・フード』! 体内のあらゆる毒素を排出し、不老長寿、ボケ封じも夢じゃない!さあ、健康と勝利を手に入れたい方は今すぐ!」と、歴史上の偉人の名を(前回以上に勝手に、そして大胆に)利用し、もはや薬事法違反スレスレの、無茶苦茶な効能を大声で、そして涙ながらに(演技で)謳ったところ、健康オタクの隠居老人や、病弱な家族の平癒を願う者、あるいは単に「面白いから一応買っておくか」という物好きな者などが興味本位で数名手を挙げ、驚くほど安値(それでも売れないよりは遥かにマシ)ではあったが、なんとか全て売り切ることができた。後日、干し柿を無理やり食べた者が、あまりの硬さに歯を数本折り、古漬けの樽を開封した家の周囲から、数日間人が寄り付かなくなったという都市伝説のような噂も流れたが、それはまた別の、あまり語り継ぎたくない話である。


 オークション終了後、目安方の若い衆が、算盤と指を駆使し、三日三晩かけて(というのは嘘で、半日ほどで)集計した売上金は、謙信の最も楽観的な予想すら遥かに上回る、驚くべき額(といっても、藩の年間予算を劇的に潤すほどではないが、臨時収入としては破格の、無視できない規模)に達していた。


 何よりも、多くの藩士や領民が、普段は手に入らないような品物あるいはただのガラクタを格安で手に入れられたことに大いに満足し、会場は終始、和やかで活気のある、そしてどこかおかしな笑いに包まれていた。中には、「こんな面白い催しは生まれて初めてだ!」「栗田殿は天才だ!」「是非とも毎月開催してくれ!」という熱狂的な声も多く聞かれ、謙信はすっかり町の人気者になっていた。


「渋沢奉行様! ご覧ください! これが今回の『藩内限定リサイクルオークション~お宝発見!エコ&エコノミーフェスティバル~』の輝かしい成果でございます!」


 謙信は、ずっしりと重い千両箱(もちろん中身は主に銅銭だが)数個と、前回よりもさらに分厚く、詳細なグラフと分析、そして「次回開催に向けた改善提案と収益倍増計画」まで盛り込まれた売上報告書を手に、渋沢勘定奉行の元へ、運動会の後のような、いやそれ以上の達成感と心地よい疲労感を全身ににじませながらも、意気揚々と、そして誇らしげに報告に赴いた。


 渋沢は、報告書にじっくりと、それこそ一字一句見逃すまいという真剣な眼差しで目を通し、千両箱の中身を厳しい目で検分し、そしてオークションの異常なまでの盛況ぶりと領民の熱狂的な喜びの声を、他の複数の役人からも詳細に伝え聞くと、これまでに見せたことのないような、深く、長く、そしてどこか万感の思いが込められたような溜息を、一つ、また一つとついた。


「……栗田。お主は、やはり…わしの想像を遥かに超えた、得体の知れん男じゃ。わしには、ただのガラクタ市、いや、ゴミの叩き売りにしか見えなんだ品々が、お主の手にかかると、こうも化けるものなのか……。まあ、領民たちが喜び、これだけの銭が藩庫に入ったという事実は、認めねばなるまい。


 今回は、お主の手腕と、その…その奇抜な発想に、素直に感服したとだけ言っておこう。だがな、栗田。くれぐれも調子に乗って、藩の由緒正しい備品や、ましてや土地、建物などを、勝手に売りさばくような真似だけは、今後一切許さんからな。今度こそ、本当に釘を刺しておくぞ。良いな!」


 渋沢の言葉は相変わらず厳しかったが、その声のトーンには、ほんのわずかながら、これまでの氷のような冷たさとは異なる、ある種の驚嘆と、そしてあるいは「こやつ、本当に我が藩の救世主となるやもしれん…」というような、複雑で、しかしどこか温かい感情が隠されているように、謙信にはハッキリと感じられた。それは、長年藩財政の重圧に一人で耐え、戦い続けてきた老武士の、ほんの僅かな、しかし確かな変化の兆しなのかもしれなかった。



「藩内限定リサイクルオークション」の予想外の大成功で、大きな自信と、そして何よりも「やればできる!不可能はない!」という確かな手応えを掴んだ謙信は、渋沢勘定奉行に対し、もはや遠慮のかけらもなく、間髪入れずに次なる「本格的かつ持続可能な財源確保戦略」を提案した。


「渋沢奉行様! 先日のオークションの成功は、あくまで『小手調べ』、いわば壮大なる改革プロジェクトの『華麗なるアペタイザー』に過ぎません! 次なる一手こそ、我が藩の歳入構造を根底から、それこそ天と地がひっくり返るほどダイナミックに変革し得る、本格的かつ戦略的な『メインディッシュ』、『藩内未利用資源の戦略的フル活用による持続的歳入増加プロジェクト~森の恵みを藩の力に!そして目指せ黒字化日本一!~』でございます!」


「未利用資源…だと? 我が相馬中村藩に、そのような打ち出の小槌か、あるいは金の卵を産む鶏のような、都合の良いものが、まだゴロゴロと眠っているとでも申すか。栗田、お主は夢でも見ておるのか、それともついに本格的に暑さにやられたか」渋沢は、眉間の皺こそ少し浅くなったものの、相変わらず心の底から懐疑的な目を崩さない。


「はい! 夢ではございません、厳然たる『揺るぎなきファクト(事実)』、そして『無限の可能性を秘めたブルーオーシャン』でございます! 例えば、我が藩の領内に広がる、あの雄大にして壮麗なる藩有林! 現在、その大部分が適切な管理もされず、下草は伸び放題、木々は密集し、昼なお暗く、獣の巣窟と化し、荒れ放題になっている箇所も少なくないと聞き及びます。


 ここに、最新の林業技術と経営ノウハウ(もちろん拙者の前世の記憶と独自のアレンジによるものですが)を導入し、計画的に人の手を入れ、適切な間伐を行い、その貴重な間伐材を、ただの薪として二束三文で近隣の村に払い下げるのではなく、高度に加工して『高付加価値オリジナルブランド製品』を生み出し、それを江戸や京、大坂、さらには長崎出島を通じて海外の市場にまで、戦略的かつアグレッシブに販売するのでございます!」


「間伐材を…加工して売る? たかが木の切れ端、あるいは薪にするくらいしか使い道はあるまい。良くて下駄の材料か、せいぜい子供の玩具くらいにしかなるまい。それを、わざわざ遠い江戸や京、ましてや異国にまで運ぶ手間と費用を考えれば、どう考えても大赤字、骨折り損のくたびれ儲けになるのが関の山じゃ。そんな馬鹿げた絵空事に、藩の大事な予算は、それこそ一厘たりとも出せんぞ、栗田」


「いいえ、渋沢奉行様! 断じて否! 間伐材とて、侮るなかれ! 現代の…いえ、拙者の持つ革新的な知恵と不屈のチャレンジ精神、そして何よりも『お客様に喜びと感動をお届けしたい』という熱いパッションさえあれば、ただの木の切れ端が、まさに『金のなる木』、ドル箱…いえ、『藩財政を救う千両箱』へと華麗なる変身を遂げるのでございます!


 例えば、良質な広葉樹の木材は、腕の良い職人に加工させれば、美しい木目と温もりを活かした高級家具、精巧な指物細工、あるいは芸術的な木彫りの置物などが作れます! また、子供たちが安全に、そして創造性を育みながら遊べる、知育効果の高い組木細工の動物パズルや、温かみのある積み木なども開発できます! これらを『相馬藩謹製・森のめぐみプレミアムブランド~職人の技と自然の恵みが生んだ奇跡の逸品~』として、江戸の富裕層や、審美眼の高い京の公家衆、あるいは海外の王侯貴族にまで売り込めば、新たな、そして極めて収益性の高い特産品となり、莫大な利益を藩にもたらす可能性を秘めているのです! また、質の劣る木材や、間伐の際に出る大量の枝葉は、効率的な製法で高品質な木炭に加工すれば、江戸の町では冬場の高級燃料として、あるいは料亭の調理用燃料として高値で取引されます!


  さらに、計画的な間伐と植林を組み合わせた持続可能な森林経営を行うことで、森林の健全な育成を促し、豊かな水源を涵養し、土砂災害を未然に防止し、ひいては下流の農業生産性の向上や、河川の生態系保全にも大きく貢献するという、『一石五鳥』、いや『一石五十鳥』の、まさに『サステナブル(持続可能)でエコロジカル(環境配慮型)な循環型林業イノベーション・エコシステムモデル』の構築なのでございます!」


 謙信は、いつの間にか目安方執務室の壁一面に貼り付けていた、自作の巨大な「相馬中村藩・藩有林フル活用による多角的経済波及効果シミュレーション・未来予想図(極めて楽観的かつ希望的観測をふんだんに盛り込んだマインドマップ形式のポンチ絵)」と、「間伐材ハイグレード・高付加価値化加工製品アイデアスケッチ集(なぜか北欧スカンジナビアモダンデザイン風の、シンプルかつ洗練された家具や、日本の伝統美と融合した斬新なデザインの玩具の絵が、プロのデザイナーも顔負けのタッチで所狭しと並んでいる)」を、興奮のあまり目を血走らせながら、渋沢奉行の目の前にドン、ドン、ドンと叩きつけるように広げ、再び堰を切ったように、いや、もはや決壊したダムのように、ノンストップで熱弁をふるった。


 渋沢は、しばらく無言で、眉間に刻まれた宇宙一深いのではないかと思われるほどの皺をさらに寄せながら、謙信の提示した、現実離れしているが何やら妙な説得力と迫力だけはある奇妙な資料の数々を、まるで解読不能な古代の呪詛でも睨むかのように、あるいは猛獣でも見るかのように、凝視していたが、やがて、全ての気力を使い果たしたかのように、深く、そして重いため息と共に、ぽつり、ぽつりと、絞り出すように言った。


「……木炭か。確かに、江戸の町では冬場の良質な紀州備長炭などの需要が高いと聞く。木工品も、お主の描いたような、奇妙だがどこか目を引く絵のようなものが、本当に、寸分違わず作れるというのであれば、あるいは物好きな数寄者や、南蛮渡りの物好きなどに、法外な値段で売れるやもしれん……。栗田、お主、まさかとは思うが、山仕事や森林経営、あるいは木工細工やデザインに、それほどまでに詳しいのか? まるで、その道の専門の職人か、異国の学者でもあるかのようではないか」


「め、滅相もございません! せ、専門知識など、恐れ多い! 拙者はただ、ただ、前世にて『DIY(でぃー・あい・わい:Do It Yourselfの略で、自分で何かを作ったり修繕したりするという意味です、はい)』という、まあ、日曜大工のような、あるいは夏休みの自由工作のような、本当にささやかな、取るに足りない趣味が、ほんの少々、ごくごく僅かにあっただけでございまして…その時に、たまたま雑誌や、いんたーねっととかいう、遠くの情報を瞬時に手に入れられる魔法の箱のようなもので、聞きかじったり、見よう見まねで試したりした知識の、本当にごく一部の断片が、今こうして、何かの天啓か、あるいは神仏のお導きか、我が藩の、そして奉行様のお役に、ほんの少しでも立てればと…ただそれだけで…」謙信は、額に滝のような脂汗をにじませ、顔を真っ赤にしながら、しどろもどろに、そして必死に弁解する。


「でぃー・あい・わい…? いんたーねっと…? またしても妙チキりんな、聞いたこともない言葉を言いおるわ。お主の前世とやらは、一体どれだけ多趣味で、どれだけ進んだ国だったのじゃ。もはや想像もつかんわ。……まあ、良い。一度、藩内の山仕事に長けた古老や、腕利きの宮大工、代々続く指物師の家系などを集め、お主の言う、その…『間伐材高付加価値化戦略的活用プロジェクト』とやらの実現可能性について、具体的に、そして徹底的に検討させてみようではないか。ただし、これもあくまで試験的なものじゃ。いきなり江戸で大店おおだなを出すなどという、大それたことは金輪際許さんぞ。まずは、ごく少量、試作品を作り、その出来栄え、品質、そして何よりも採算性を、このわしが、この鬼の渋沢が、厳しく、そして公正に吟味する。良いな、大きな期待は、金輪際するでないぞ、栗田」


 渋沢は、ぶっきらぼうに、そしてまるで疲れ果てたようにそう言いながらも、謙信の持参したスケッチ集の「組木細工の愛らしい動物パズル」や「寄木細工の精緻で美しい小物入れ」のページを、心なしか時間をかけて、そしてどこか優しい、温かい眼差しで、熱心に見つめているように見えた。あるいは、彼には溺愛してやまない、目に入れても痛くないほど可愛い幼い孫でもいて、その子の喜ぶ顔を、ふと、ほんの一瞬だけ思い浮かべていたのかもしれない、と謙信は密かに、そして少しだけ温かい、そして大きな希望を感じさせる気持ちで思った。



 こうして、栗田謙信の「財政健全化プロジェクト・フェーズ2~聖域なきコスト構造改革と戦略的投資によるV字回復プラン、そして夢の藩士給与ベースアップ実現への道~」は、渋沢監物勘定奉行という、相馬中村藩で最も高く、最も分厚く、そして最も手強い鉄壁に阻まれながらも、時に奇策、時に粘り腰、そして常に諦めない前向きな「お客様(藩と領民、そして時には奉行様自身も)第一主義」の精神で、少しずつ、しかし確実に、その困難な道のりを駒一つずつ進めていくのだった。


 藩の財政という、最も固く、最も重要で、そして最もデリケートな岩盤に、現代知識と不屈の精神という名のダイヤモンドドリルで、小さな、しかし確実な、そして希望に満ちた穴を開け始めた謙信。その穴が、やがて藩全体を揺るがし、新しい豊かさと活力の風を吹き込む大きな風穴となるのか、それとも、ただの小さな、取るに足りないひび割れのまま、歴史の闇の彼方に埋もれてしまうのか。それはまだ、神ならぬ身の誰にも分からない。


 しかし、謙信の目には、すでに次なる、そしてさらに壮大で困難な改革のターゲット――長年放置され、硬直化しきった藩の「教育システム」と、旧態依然とした前時代的な「人材育成戦略」の抜本的刷新――が、まるで漆黒の夜空に燦然と輝く北極星のように、ハッキリと、そして揺るぎない確信を持って、力強く映っているのであった。


「ふふふ…渋沢勘定奉行様との『予算獲得ネゴシエーション・ラウンド2』は、まだまだ序章、プロローグに過ぎませんぞ! 我が相馬中村藩を、真の意味で『ラーニング・オーガニゼーション(学習し、進化し、成長し続ける組織)』へとドラスティックに変革させ、全藩士、いや、幼子から年寄りまで、全領民の『内に秘めた無限のポテンシャルを最大限に引き出し、開花させ、そして自己実現をサポートする』ことこそ、この栗田謙信に課せられた、真の、そして最もエキサイティングな天命なのでございます! そのためにはまず、意識改革のための『全藩士対象・自己啓発セミナー&モチベーションアップ研修合宿』の開催から…! 合言葉は『Yes, We Can!(やればできる!)』でございます!」


 目安方執務室で、一人そんなことをブツブツと、そして時折ニヤニヤと怪しげに呟きながら、新たな、そしてさらに周囲を混乱と熱狂の渦に(本人は善意で)巻き込みそうな、壮大な企画書作成に没頭する謙信の姿を、岩田権左衛門は、「こいつは本当に、寝食を忘れて働くということを知らんのか…? そのうち過労でぶっ倒れるぞ…いや、むしろ一度くらい倒れてくれた方が、俺の胃袋と心臓には、よっぽど優しいのかもしれんのだが…」と、本気で呆れ果てた表情と、尊敬の念と、そしてほんの一抹の、いや、かなりの恐怖が複雑にない交ぜになった、何とも言えない、形容しがたい眼差しで見守るのであった。相馬中村藩の明日は、相変わらず予測不能、波乱万丈、そして何やら少しだけ、面白くなりそうな予感に満ちているのであった。

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