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拙者、お客様は神様だと申したはず! ~令和のバイトリーダー、うっかり江戸で天下泰平(主に接客面で)を目指す~  作者: ストパー野郎
第一部 ~バイトリーダー、城下を騒がす! おもてなし改革と七転八倒の毎日~
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幕間6:鬼の渋沢、若かりし頃 ~財政再建、涙と算盤の日々~

 

 序章:鬼の貌、その奥に


 相馬中村藩の評定の間。今日もまた、目安方筆頭・栗田謙信の、突拍子もない提案が嵐を巻き起こしている。


「ですから、渋沢奉行様!この『藩士才能開花・ドリームジャンボ宝くじ制度』こそが、埋もれた人財を発掘し、一攫千金の夢と共に藩の財政をも潤す、一石何鳥もの起死回生策なのでございます!」

 目をキラキラと輝かせ、身振り手振りを交えて熱弁する謙信に対し、勘定奉行・渋沢監物 は、眉間の皺を一層深くし、まるで出来の悪い虫でも見るかのような冷徹な視線を向けていた。


「…たわけたことを。そのような射幸心を煽るだけの愚策に、藩の大事な銭を一文たりとも出すわけにはいかん」

 いつものように、渋沢の一言で謙信の夢想は一蹴される。


評定の間に集う他の家老たちも、固唾を飲んで「鬼の渋沢」の顔色を窺うばかりだ。彼の厳格さと倹約主義は、藩内で知らぬ者はいない 。


 だが、その鉄仮面のような表情の奥で、渋沢は何を思うのか。彼は、ただ頑迷なだけの老人なのだろうか。それとも…。


 ふと、謙信の熱弁の向こうに、遠い昔の、ある風景が渋沢の脳裏をよぎった。それは、彼がまだ「鬼」と呼ばれる前の、青く、そして痛みを伴う記憶であった。



 第一部:若き算盤侍、絶望の淵に立つ


 渋沢監物が、まだ若く、名を渋沢慎之助と名乗っていた頃。彼は、算術の才を見込まれ、意気揚々と相馬中村藩の勘定方へと出仕した。藩の財政を預かり、民の暮らしを豊かにする。そんな青雲の志を胸に抱いていた。


 しかし、彼が目の当たりにしたのは、想像を絶する藩財政の惨状であった。先々代藩主の時代の放漫経営、度重なる天災、そして幕府からの無理難題な普請命令。藩庫は実質的に空であり、帳簿には赤黒い数字が、まるで民の血涙のように滲んでいた。


「これは…一体どういうことだ…これでは、藩は…民は…!」

 若き慎之助は、夜ごと帳簿と睨み合い、そのあまりの惨状に、何度も筆を握りしめたまま夜を明かした。


彼は、上役や同僚に、この危機的状況を訴え、抜本的な財政改革の必要性を説いた。だが、返ってくるのは、「若造が、何を生意気な」「これは長年の慣例じゃ」「波風を立てるでない」といった、冷たい言葉と、事なかれ主義の厚い壁ばかりであった。


 ある年の冬、凶作が藩を襲った。年貢は激減し、領内には飢えた民が溢れ、疫病も発生した。慎之助は、なけなしの藩の備蓄米を放出し、薬草を手配し、民の救済に奔走しようとした。しかし、彼の前に立ちはだかったのは、藩の上層部の無理解と、そして何よりも、どうにもならぬ「銭の壁」であった。


「慎之助、気持ちは分かるが、これ以上は無理じゃ。備蓄米も、薬草も、もはや底をついておる。あとは、民の力と、天の采配に任せるしかない…」

 当時の勘定奉行は、疲弊しきった顔で、そう力なく告げた。


(天の采配だと…?見殺しにするというのか…!?)


 慎之助は、凍てつくような寒さの中、痩せこけた顔で、ただひたすらに助けを求める領民たちの姿を、なすすべもなく見ているしかなかった。幼い子供が、母親の腕の中で冷たくなっていくのを、彼はただ、歯を食いしばって見つめていた。その時、彼の心の中で、何かが音を立てて砕け散った。そして同時に、鋼のような、冷たい決意が固まったのだ。


(二度と…二度とこのような悲劇を繰り返させてはならぬ。そのためならば、わしは鬼にでもなろう。たとえ、どれほど人に疎まれ、憎まれようとも、この藩の財政を立て直し、民の暮らしを守り抜く。それが、わしの生涯を賭けた、唯一の道じゃ…!)


 それからの慎之助は、変わった。一切の私情を捨て、ただひたすらに藩財政の規律と倹約を追求した。無駄な支出には、たとえそれが藩主の意向であっても断固として反対し、不正や怠慢を見つければ、容赦なく断罪した。その厳しさ故に、彼は「鬼の渋沢」と恐れられるようになったが、彼の心の中には、常にあの冬の日の、凍えるような絶望と、そして守りきれなかった命への、深い悔恨の念が刻み込まれていた。



 第二部:日々の算盤、そして密かなる安らぎ


 長い年月が流れ、渋沢監物は、相馬中村藩の勘定奉行として、その辣腕を振るい続けていた。彼の厳格な財政運営は、確かに藩の財政を破綻から救い、ある程度の安定をもたらした。しかし、その代償として、藩内にはどこか息苦しい、活気のない空気が漂い、藩士たちの心もまた、日々の困窮と将来への不安で、重く沈んでいるように見えた。


 渋沢自身も、そのことを痛いほど感じてはいた。しかし、一度緩めた財布の紐を、再び締めることの難しさを、彼は誰よりも知っていた。だからこそ、彼は「鬼」であり続けなければならなかったのだ。


 そんな彼の、張り詰めた日々に、ささやかな、しかし何物にも代えがたい安らぎを与えてくれる存在がいた。それは、彼の目に入れても痛くないほど溺愛している、まだ五つになる幼い孫娘、小夜であった。


 小夜は、利発で、好奇心旺盛で、そして何よりも、祖父である渋沢に、屈託のない笑顔で懐いてくる、天使のような存在だった。渋沢は、どれほど藩務で疲れ果て、心がささくれ立っていても、小夜の「じいじ、おかえりなさい!」という愛らしい声と、小さな手が自分の大きな指をぎゅっと握る温もりを感じるだけで、全ての苦労が報われるような気がした。


 ある日、渋沢は、珍しく早く仕事を終え、城下の玩具屋に立ち寄った。小夜の誕生日が近いことを思い出し、何か贈り物をと考えたのだ。しかし、普段、銭の計算と睨めっこばかりしている彼にとって、子供の玩具を選ぶというのは、あまりにも難解な、そしてどこか気恥ずかしい行為であった。


 店先には、色とりどりの手毬や、精巧な作りのからくり人形、そして何やら異国の言葉が書かれた絵本のようなものまで並んでいる。


(ふむ…小夜は、一体どんなものを喜ぶのだろうか…こんな派手なものは、かえって教育に悪いのではないか…いや、しかし、たまには子供らしいものを…)


 渋沢は、腕を組み、眉間に皺を寄せ、まるで国家予算の配分でも決めるかのように、真剣な顔で玩具を一つ一つ吟味し始めた。その、あまりにも場違いな、そして威圧感のある風貌に、店の主人は恐縮しきり、他の客は遠巻きに様子を窺っている。


 結局、一刻(二時間)近くも悩んだ末、渋沢が選んだのは、素朴な木の温もりが感じられる、小さな兎の形をした起き上がり小法師と、そして、色鮮やかな美しい千代紙の束であった。


「…これで、小夜も少しは、女児らしい遊びを覚えるであろうか…」


 渋沢は、誰に言うともなくそう呟き、少しだけ顔を赤らめながら、そそくさと店を後にした。その背中は、いつもの「鬼の渋沢」ではなく、ただの、孫娘を想う一人の優しい祖父のそれであった。



 第三部:目安方の風、鬼の心をも揺るがすか


 そんな渋沢の、長年変わることのなかった日常と、そして頑ななまでに守り通してきた信念に、ある日、突如として、栗田謙信という、まさに規格外の「嵐」が吹き込んできた。


 謙信の提唱する改革案は、そのどれもが、渋沢の理解と常識を遥かに超えたものであった。「藩士大運動会」、「藩内リサイクルオークション」、そして「江戸アンテナショップ『相馬屋』開設」。渋沢は、その一つ一つに、眉を吊り上げ、声を荒らげ、そして時には怒髪天を衝く勢いで猛反対した。それは、彼の長年の経験と、苦労して築き上げてきた藩財政の規律を、根底から覆しかねない、危険極まりない戯言としか思えなかったからだ。


 しかし、現実は、渋沢の予想を、ことごとく、そして心地よいほどに(いや、むしろ不快なほどに)裏切り続けた。


 あの馬鹿げた運動会は、確かに藩士たちの間に奇妙な一体感を生み、彼らの顔に笑顔を取り戻させた。あのガラクタ市同然のオークションは、予想を遥かに超える収益を上げ、藩庫をほんの少しだけ潤した。そして、あの無謀としか思えぬ江戸の店もまた、赤字続きとはいえ、相馬藩の名を江戸に広め、新たな商いの可能性を、確かに示し始めていた。


 渋沢は、混乱した。そして、内心、密かに動揺していた。自分の信じてきた道は、本当に正しかったのだろうか。倹約と規律だけが、本当に藩を救う唯一の道だったのだろうか。あの栗田という若造の、常識外れで、破天荒で、しかしどこか人の心を掴んで離さない不思議なやり方の中にこそ、あるいは、この停滞しきった藩を蘇らせる、新しい「何か」が隠されているのではないだろうか…。


 特に、あの疫病騒ぎの際の、謙信の献身的な働きぶりと、その的確な(ように見えた)対策の数々は、渋沢の心を大きく揺さぶった。表向きは「そのような対策に銭は出せん!」と頑なな態度を崩さなかった渋沢だったが、裏では、謙信が必要とする薬草や食料が、最低限ではあるが、何とか現場に届くよう、勘定組頭の戸倉屋に、それとなく指示を出していたのだ。それは、彼なりの、藩と民を思う「正義」と、そして、あの若造の持つ得体の知れない「可能性」への、ほんの僅かな賭けであったのかもしれない。


 そして、疫病が終息し、領民たちが謙信を「守り神」と称え、心からの笑顔で感謝する光景を目の当たりにした時、渋沢は、自らの執務室で、一人、窓の外を眺めながら、誰にも見せることのない、深い、深いため息をついた。その表情は、いつもの「鬼」のそれではなく、何か大きなものに打ちのめされ、そして同時に、何か新しいものへの、戸惑いに満ちた眼差しをたたえていた。


(栗田謙信…あの男は、一体何者なのだ…? わしの、三十年以上にわたる信念と苦労を、いとも容易く、そしてあっけらかんと、まるで子供の砂遊びのように、かき乱し、そして変えていこうとしておる…これが、時代の変化というものなのか…? それとも、ただの、一時の…まやかしなのか…?)



 終章:算盤と心、そのはざまで


 栗田謙信が、次に打ち出したのは、これまでのどんな改革よりも壮大で、そして渋沢にとっては悪夢のような「教育改革案」であった 。藩校の大改革、寺子屋への支援、そして何よりも、身分に関わらず全ての子供たちに等しく教育の機会を与えるという、まさに相馬中村藩の根幹を揺るがしかねない提案。


 渋沢は、もちろん、いつものように、そして今回ばかりは本気で、猛反対した。財政的な懸念は言うまでもない。しかし、それ以上に、彼が恐れたのは、この改革がもたらすであろう、あまりにも急激な「変化」そのものであったのかもしれない。長年守り通してきた秩序が、価値観が、そして彼自身の存在意義すらもが、あの若造によって、根底から覆されてしまうのではないかという、本能的な恐怖。


「…教育への投資が、藩の未来にとって重要であることは、この渋沢とて百も承知。じゃが、今の我が藩に、そのような夢物語にうつつを抜かす余裕など、微塵もありはせん!まずは足元を固めることこそが肝要じゃ!」

 評定の場で、渋沢は声を荒らげた。


 しかし、その夜。渋沢は、自邸の書斎で、一人、帳簿ではなく、孫娘の小夜が、最近寺子屋で習い始めたという、拙い文字で書かれた手習いの手本を、じっと見つめていた。そこには、「花」「鳥」「風」「月」といった、素朴だが美しい文字が、一生懸命に、そして楽しそうに並んでいた。


 ふと、小夜が、あの栗田謙信が作ったという、奇妙な動物の組木パズル「かぴばら」に夢中になり、目をキラキラと輝かせながら、あれこれと試行錯誤し、そしてついに完成させた時の、あの満面の、誇らしげな笑顔を思い出した。あの時、小夜は、確かに何かを「学び」、そして「成長」していた。


(…あるいは…あの栗田の若造の言うことにも、一理…いや、万に一つくらいは、真実があるのかもしれんのう…新しい時代の学びとは、わしの知るものとは、全く異なるものなのかもしれん…そして、この小夜のような子供たちが、新しい知識と、広い視野を得て、この藩の未来を、わしらのような古狸とは違う、新しい形で担っていくというのなら…それもまた、一つの…)


 渋沢は、そこまで考えると、慌ててその感傷的な思考を打ち消すかのように、力なく頭を振った。そして、再び厳しい「鬼の渋沢」の仮面をつけ、算盤を手に取り、黙々と、そしていつものように、藩の財政という、重く、そして果てしない戦いへと戻っていくのであった。


 しかし、その心の中には、これまでにない、ほんの僅かな、しかし確かな揺らぎと、そして未来への、複雑な、しかしどこか温かい予感が、確かに芽生え始めていた。栗田謙信という、得体の知れない「嵐」がもたらした風は、鉄壁を誇った「鬼の渋沢」の心にもまた、小さな、しかし消えない波紋を広げつつあったのかもしれない。


(渋沢勘定奉行:「鬼の渋沢、若かりし頃 ~財政再建、涙と算盤の日々~」 これにて一旦、幕)

鬼の目にも涙ってやつですかね。


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