変人公爵様の愛情表現は少しおかしい
突然ですが、異性に付き纏われたらどうしますか?
A.迷惑だとはっきり伝える。
…そう。大抵の人はそう言うだろう。
「アリア。どうか僕と一緒になって下さい」
片膝をつき、花束を手にプロポーズ。傍から見れば幸せ一杯の感動的なシーン。……なはずなのだが、プロポーズをされたアリア・フェルセンバアムは眉間に皺を寄せ、苦虫を噛み潰したような顔で相手を見ている。
相手の名はヴェンハルト・クルッツェン。両親から家督を受け継いたばかりの公爵様だ。
公爵という肩書きがあれば、黙っていても女性が寄って来そうなものだが、このヴェンハルトに至っては女性は元より、同性である男性ですら距離を置く人物。
それは何故か…
まず、見た目からして問題。ボサボサの髪に無精髭。ヨレヨレのシャツの裾はだらしなくズボンからはみ出していて、身だしなみが全くなっていない。
これだけでも十分距離を取りたくなるが、この人は常日頃からおかしな行動を取ることが多く、世間からは変人だのキチガイだと揶揄され、社交の場ではいつも浮いた存在なのだ。
そんな者からの求婚が、まともなはずがない。
「…ヴェンハルト様…もしやと思いますが、私に死ねと仰いますの?」
ジロっと睨みつける先には、差し出された花束。それらは全て毒花。棘があるものや茎から出る液体に触れるだけでも、爛れたりするものもある。とてもプロポーズに使用する花ではない。
「まさかそんな!これは、毒を渡すほど貴女を信頼していると言う意味で…逆を取れば、毒を渡すほど貴女の事を想っていると言う意味合いもあるが…」
照れるように頬を薄らと染めて言うが、全く響かない。それどころか愛が重すぎる…
アリアは顔を覆いながら天を仰いだ。
ヴェンハルトとアリアの出会いは数ヶ月前。
──その日は天気が良く心地の良い日和だったので、アリアは木の実を採りに森へと向かった。何度も来ている慣れ親しんだ森なので、お供は付けずに一人でやって来ていた。
木苺や胡桃、ラズベリーなど籠に入れていく。時折、やって来たリスにお裾分けしながら楽しく摘んでいた。
籠が半分ぐらいになったところで、人の話し声が聞こえてきた。ボソボソ話しているのか、内容までは聞き取れない。
この森は比較的穏やかな動物しかいないので、人の出入りも多い。いつもなら誰か来たのか程度で気にも留めないが、この時は何故か気になり、声のする方へ足を進めた。
ガサッと草木を分けて行くと、一人の男性が真剣な表情で木を眺めているところに出くわした。
ボサボサの髪で無精髭を生やしたその人を見て、すぐに変人公爵のヴェンハルトだとすぐに分かった。
(一体何を…)
そう思っていると、ヴェンハルトは足元の土を躊躇なく口に運んだ。
「何しているんですか!?」
ギョッとしたアリアは、慌てて駆け寄り口から土を吐くように促した。
「早く吐いて!人が食べていいものじゃないでしょ!?」
「ちょ、落ち着いて…!」
「落ち着いてられるか!さっさと吐け!」
中々吐き出さないヴェンハルトの背中をバンバン叩くが頑なに吐き出そうとしない。痺れを切らしたアリアは腕を捲りあげ、自分の指をヴェンハルトの口へ…
「う゛うぉえ…!」
無理矢理吐かせ終え、やりきった感で一杯のアリアだったが、同時に正気にも戻った。
(ヤバァ)
いくら焦っていたからとはいえ、公爵様に対して暴言を吐きながら口に指を突っ込み、無理矢理吐かせるのはやり過ぎた。
打首?市中引き回し?投獄?一家離散!?
ありとあやゆる罰を思い浮かべ、熱くなっていた熱は一気に冷た。その代わり、全身の血を抜かれたように真っ白になっていた。
「えっと…お身体もご無事の様ですし、私はこれで…」
涙目になってむせているヴェンハルトを置いて、静かにその場から姿を消そうとしたが「待ちなさい」と案の定肩を掴まれた。
「随分と手荒い治療法だね…危うく胃が飛び出るかと思ったよ」
「まったく」と息を吐きながら髪をあげると、端麗な顔立ちをした人物が現れた。琥珀色の綺麗な瞳に目元のホクロが艶っぽさを強調してくる。
(ほぉ~…これはまた…)
これだけの器量を持っているのに勿体ない。率直な感想だった。
「こちらも驚かせてしまったようだし、今回はお互いに手打ちにいたしましょう?」
ニッコリと微笑みながら有難い提案をしてくれる。断る理由はないと、二つ返事で承知した。
どうやら、土を食べていたのはこの土地の土壌を知るためだったらしい。そう、この人は名の知れた学者様なのだ。この国では変人扱いだが、他国ではまだ変わり者程度で落ち着いている。
ヴェンハルト曰く「その土地を知るには食べた方が早い」と訳の分からない理屈を言われた。
まあ、学者様の考えている事を凡人が分かるはずもない。
「ところで、名を聞くのを忘れていたね。僕の名は……まあ、そこら辺はご存知でしょう?」
「…アリア・フェルセンバアムと申します。ヴェンハルト様の噂は兼ねがね…」
「ふはっ!どんな噂なのか是非知りたいとこだね」
子供のように笑う人だ…
「──で?この手は何でしょうか?」
先程からずっとヴェンハルトに手を握られて、手を離そうにも結構な力で握られていて振りほどけない。
「ああ、こうしていないと逃げられてしまいそうだったんでね」
逃げたくなるような事をする気なのか?
アリアは顔を歪めて、嫌悪感を全面に出して警戒している。
「ははっ、やはり君はいい…」
「は?」
「初対面の者の口に躊躇なく指を突っ込む所や、僕の事を知っていて尚、人として見てくれている。そんな君に惚れた」
「・・・は?」
「僕と結婚してくれませんか?」
「はぁぁぁぁ!?!?!?」
これが始まり…
***
それからヴェンハルトの執拗な付き纏いが始まった。
何処で情報を知り得るのか、アリアが行く先々には必ず現れては愛の言葉を繰り返し、求婚してくる。例え、アリアが買い物中だろうと食事中だろうとお構い無し。
神出鬼没で空気の読めない学者様。そんな人と結婚なんて…そんなの…
「最高すぎる…!」
枕に顔を埋めながらベッドに転がった。
この様子を見てわかるように、アリアは学者ヴェンハルトの数少ないファン。
世間では頭がおかしいだの変人だの言われているが、学者としての能力は本物で、アリアは陰ながら尊敬していた。
そんな人と知り合いになる所か、初対面でプロポーズを受けるなんてまさに青天の霹靂。
「まったく…意固地になっていないで、早くお返事を返してあげたら如何です?」
子供のように喜びを全身で表現するアリアに、冷たい視線を向けるのは侍女のクララ。幼い頃から一緒で一番近くでアリアを見てきた人物。だからこそ、アリアの事を一番よく知る人物でもある。
「だってさぁ…プロポーズって大事でしょ?人生の分岐点よ?その大事な一瞬ぐらいは、ちゃんとしてもらいたいじゃない」
不貞腐れたように頬を膨らませて枕を抱きしめているアリアを、クララは呆れた表情で見下ろしていた。
「何を今更……貴女が好意を抱いている方が誰なのかお忘れですか?あのヴェンハルト様ですよ?常識が通用しない方だと貴女がよくご存じのはずですが?ああ、恋は盲目と言いますからね。都合のいいように変換されてましたか?」
随分な言いぐさだが、間違った事は言っていない。
「貴女がグズグズしていると、いずれ他の方に奪われてしまいますよ?」
不吉な言葉を残してクララは部屋を出て行った。
それでも世間でのヴェンハルトの評判を知っているからか、アリアは焦る事はしなかった。
***
ある日、街中の一角にガヤガヤと騒がしい人だかりが現れた。その中央にはアリアが茫然としたまま、目の前で膝をつく男を見つめていた。
アリアに愛の言葉を伝える男性……そんな者は一人しかいない。ヴェンハルトだが、その装いはいつもとは全く違っていた。
手には真っ赤なバラを持ち、ボサボサの髪は綺麗に整えられて無精ひげもない。服装もしっかりと正装してあり、その隠されていた美しさに周りの者達は驚愕を通り越して茫然としている。
アリアも、これは夢か幻なのでは?と目の前で起こっている現実に茫然としていた。
「アリア?」
ヴェンハルトの言葉で正気に戻ったアリアが、差し出されているバラの花束に手を伸ばしかけたその時――
「ヴェンハルト公爵様」
振り返ると、そこにはどこかの令嬢が微笑みながらこちらへやって来た。
「わたくし、以前よりヴェンハルト様の事をお慕いしておりましたの」
頬を染め、上目遣いで女の武器を最大限に発揮しながらヴェンハルトの胸に縋りついた。ヴェンハルトは眉を歪めて令嬢から離れようとするが、簡単には離れない。
アリアは何が起こっているのか分からず、あ然としている。
そんな事をしていると「待った!」「私の方が!」と続々と自分の方がヴェンハルトに相応しいという令嬢が現れてきた。こうなってしまうと、辺りはもう収拾がつかない。
そのうち衛兵まで来る騒ぎとなってしまい、アリアは返事を返す事が出来ぬまま屋敷へと戻った。
***
「ほら、言わんこっちゃない」
一部始終話を聞いたクララは最早、呆れを通り越して怒っているようだった。
あんな艶美な女性に言い寄られたら、どんな男でも気を許してしまう。それが例え気難しいヴェンハルトだとしても…
アリアは目に涙を溜めながら「もう駄目だ」と完全に気落ちしている。そんなアリアナを見たクララは溜息を吐きながら抱きしめている枕を取り上げた。
「いい加減にしなさい!湿っぽい!」
「だって…」
「まったく、私の主は面倒臭いお方ですねぇ。いいですか?今まで見向きもしなかったのに、素顔を晒したら手のひらを返したように言い寄って来るような愚か者をヴェンハルト様が惹かれると?貴女の尊敬するお方はそんなことも分からぬほど阿呆ですか?」
そう言われると…
「心配しなくとも、そのような愚か者はすぐに現実を思い知る事になると思いますよ?」
ニヤッと不敵な笑みを浮かべ、アリアにシャンとするように言った。
その言葉の意味を知ることになるのは数日後──
ヴェンハルトに言い寄っていた令嬢達が次々に離れていき、遂にヴェンハルトの周りには前と同様に近寄る者はいなくなった。
「一体どうして…?」
不思議に思いながら訊ねると、ヴェンハルトは憔悴しきった顔で教えてくれた。
「どいつもこいつも、僕の外見と肩書で言い寄って来たに過ぎないからね。だから、言ってやったんだ」
「なんて?」
「僕の為に死ねる?って」
「は?」
クスクス楽しそうに笑っているが、そんなの本気にする者はいないだろう。口約束なんていくらでも出来る。その場さえ凌げば後はどうにでもなると考える者がほどんどだ。
現にその通りだったらしく、即答で「はい」という者が多く出た。そこで、ヴェンハルトは毒薬を用意した。
「じゃあ、その覚悟を僕の目の前で示してもらおうか」
そこまでされれば、大半の令嬢は顔色を失い「冗談じゃない!」「狂ってる!」と暴言を吐いてその場を去って行った。しかし、中には諦めきれずに再び訪れてくる者も多かった。
「一度高みを望んだものは、中々に諦めが悪いものだ…」
疲れたように呟いた。
再び訪れてきた者達には、屋敷の地下室に招待した。
そこには、数年かけて集めた生物の標本や臓器を催した模型が沢山置かれていた。全て研究の一環として集めた物で、違法なものは何一つないが、温室育ちの令嬢には刺激が強かった。気絶する者や吐き気をもよおす者が多数出た。その為、その親達からの通報が相次ぎ、立ち入り検査まで行われたとヴェンハルトが噴気していた。
「まあ、これで粗方片付いたんでね。怪我の功名ってところかな」
それでも、またこういった事があっては面倒だと、ヴェンハルトは「将来的には公爵という肩書を返上し、人目の付かない静かな土地に家族水入らずで過ごすつもりだ」と公に宣言した。
貴族としての優雅で華やかな生活を失ってまで愛する者について行く。そんなの普通の令嬢は耐えられないだろう。多分、この言葉が一番効く。
「勿論、アリアが嫌ならそんな事はしない。僕はアリアがいればそれでいいからね」
そう微笑むと、膝を折った。
「アリア、君が好きだ。私と結婚してください」
花束ではなく、手には銀色に光る指輪が握られていた。
アリアは熱くなる目頭を誤魔化すように、ヴェンハルトに抱き着いた。
「はい」
ようやく言えた。安堵と嬉しさで、堪えていた涙が溢れ出る。
背後からパチパチパチパチと拍手する音が聞こえる。振り返ると、クララとヴェンハルトの執事が「やっとか」とか「随分拗らせてくれましたね」と文句を言いながらも祝福してくれている。
「は?どういうこと?」
何故、クララとヴェンハルトの執事が一緒にいるの…?
「おや?君はアリアに伝えていないのか?」
「はい。色々と詮索されるのが嫌なので」
「あはは、それは賢明な判断だ」
「は!?なになになに!?どういうこと!?」
完全に置いてきぼりのアリアが詰め寄るとヴェンハルトの執事、シュテファンが一歩前に出て一言
「わたくしとクララは、結婚を前提にお付き合いさせて頂いております」
「は?」
「シュテファンからは付き合ったその日に連絡を貰ったんだけどね。まあそんな訳で、アリアが僕のファンだと言うことは知っていたよ」
「はぁぁぁぁぁ!?!?!?」
衝撃的な告白にキッとクララを睨みつけた。クララはフィッと顔を背けて素知らぬ顔を決め込んでいる。
「ああ、勘違いしないで欲しいが、その話は君と出会ってしばらくしてから聞いたんだ。君の名に覚えがあってね。シュテファンに聞いたら、彼女がお世話になっている屋敷の者だと言うんで、つい…ね」
口元を吊り上げて言っている時点で、詫び入れる態度では無い。
本音を言わせて貰えれば、腹の底から声を出して怒り狂いたい。こんなの、完全に私は道化だと言われているようなもの。正装してプロポーズしてきたのも、クララの進言があっての事。
けど、この二人の言葉がなかったら、いつまで経っても一方通行のままだったかもしれない。それこそ、もっと拗らせて手遅れになっていたかもしれない。そう思うと、怒るに怒れない…
「アリアお嬢様はまず、ご自分の気持ちを素直に伝える事を学びなさい」
「はい…」
「旦那様は女性の気持ちを理解することを学んだ方が宜しいですね」
「うむ…」
アリアはクララに、ヴェンハルトはシュテファンにそれぞれ小言を貰った。
アリアとヴェンハルトはお互いに顔を見合わせ、クスッと微笑み合った。
***
その後──
ヴェンハルトの評判は相変わらずで、令嬢達を払い除けたやり方も相まって、変人公爵からサイコパス公爵へと進化を遂げていた。
その婚約者のアリアも、物好きだの被虐嗜好者だの言われているが、まったく気にならない。
「アリア」
そう優しく名を呼び、手を差し伸べてくれる人がいる。それだけで十分。
今日もこの人の手を取り、二人で『人を愛すること』について考えていこう。