肉屋のお嬢様
具体的な地名は出していないので好きに解釈していただいて結構ですが、イメージは北海道です。
しくじった、葉子はそう思った。
次のバスが来るのは3時間後。その他の交通機関はない。ネットで見つけたパワースポットの青い泉は観る価値はあったとは思うが、余りにも交通の便が悪い。どおりで観光客がいないわけである。いや、本来であればバスには悠々間に合っていたはずなのだ。なのに何故?……美しい景色を愉しみながら煙管で煙草を喫んでいるうちに時間が溶けて無くなってしまったのだ――そう思っても後の祭り。
さて、本土よりはマシとは言え炎天下の何もない場所でこれから3時間どうしようか、と眉で八の字を作っていたところ、遠くから音が聞こえてきた――小さな音だが、間違いない、自動車のエンジン音だ。
「僥倖!」
足元に置いた大きなドラムバッグの肩紐を片手に持ち、もう片方の手で派手な帽子を持ちながら、路側帯に出て大きく両腕を振った。一か八か。
「おーい!」「おーい!」「おーい!」
幸いなことに、向こうからやってきた車は葉子を認識して停まってくれた。
葉子は固唾を飲んだ。その車があまりにも場違いだったからだ。漆黒のロールス・ロイス ファントム――新車価格6000万円は下らない超がつく高級車である。その運転席から顔を出したのは、意外なことにフワフワした感じの若い女性だった。
「どうかしました?」
葉子とそう歳も変わらないであろう女性は、おっとりと声をかける。超高級車に物怖じしつつも葉子は胸を張って丁寧な口調で懇願した。
「バスに乗り遅れてしまいまして、可能であれば駅迄乗せていただけないでしょうか。」
女性は即答した。
「いいわよ、丁度そっちの方へ行くところだから。助手席に乗って。」
葉子は女性の気が変わらないうちに大慌てで乗り込んだ。
車内の女性は、黒いドレスを上品に着こなしていた。車の加速度を感じながら、葉子は運転手に尋ねた。
「これからパーティか何か?……無論、差し支えがあれば無視して。」
「ええ、ちょっとしたパーティよ。」
「そう。」
彼女は葉子に興味を持ったようで、運転しながら話しかけた。
「ねえ、貴女内地の人なんでしょう?」
「……首都圏から来た。私の名は葉子。夏休みの観光旅行中だ。」
女性は前を見たまま微笑み、葉子に尋ねた。
「北国はどう?」
「最高。美味しいものは沢山、向こうより暑さはだいぶマシ、景色は美しい、そして何より、住人は貴女のように皆優しい。思い付きで来て良かった。」
「ふうん。随分楽しんでいるのね。どんなものを食べたの?」
「海の幸とスイーツがメイン。」
女性はぴくりと眉を動かし、再び葉子に尋ねた。
「お肉は食べていないかしら。羊肉の焼肉だとか、豚の炭火焼きの丼とか。」
「そう言えば肉類はあまり……嫌いではないのだが。」
「それは勿体無いわね。北国は酪農王国。食肉も最高品質よ。」
「随分お肉を推すな。」
女性は胸を張って応えた。
「私の実家、肉屋なの。そうだわ!貴女もパーティに来たらいいわ。肉料理がいっぱい食べられるわよ。」
「いいの?私みたいな部外者が。」
「私が一言声をかければ多分大丈夫よ。」
「だがフォーマルな場所にこの格好は……」
葉子は今の服装を顧みた。カラフルな縞模様の帽子を被り、白いチャイナシャツに白いチノパン、足は派手な色のスニーカーだ。パーティに参加するような格好ではない。
「ホテルでパーティをするのだけれど、大きなホテルだから貸衣装もあるわ。」
その時、葉子の腹の虫が鳴った。二人は思わず吹き出した。
「ではお言葉に甘えて……」
それから二人は色々なことを話した。女性は北国一の食肉加工会社の令嬢であること。これから行くパーティは先代社長である彼女の祖父を「偲ぶ会」であると言うこと。葉子は兵器のデザイナーをしていること。自身が煙管喫煙者であることと煙管を布教する動画を配信していること。この北国で清楚な美少女や小説家と蛸焼き屋の夫婦など個性的な人々に出会ったこと……
さて、しばらくして亡霊の名を持つ高級車は真新しい新幹線駅を通り過ぎ、海辺の巨大なリゾートホテルに入って行った。そして、葉子は貸衣装屋に案内され、あれよあれよと言ううちに黒いスーツを身に纏っていた。
「葉子はさっきの民族衣装みたいな服も良かったけれど、スーツも凛々しくていいわね。」
もうすっかり古くからの友人であるかのように打ち解けた社長令嬢は、葉子のフォーマルな格好を見てそう評した。
「葉子が着替えている間に話はつけておいたから。立食パーティだから気楽にね。」
そして「先代社長を偲ぶ会」が幕を開けた。そこで、葉子は意外な人物を見かけてしまった。
「お嬢様が四捨五入して億の自動車を乗りこなす家……こういうこともあって当然か……」
そこには、先代社長との思い出と今後の我が国の展望を交えて挨拶をする代議士の姿があった。
「矢張り大物のパーティには代議士が呼ばれるか……」
どうするか、葉子は困惑した。正直、完全プライベートの夏休み中ということもあり、こういったお偉いさんと関わるのは面倒だ。だが一方で、国家安全保障を生業としている身として、与党の代議士に挨拶の一つもしないのは余りにも不義理だ。もしその事が上司にバレたら……考えるだに恐ろしい。
葉子は深呼吸をし、観念して頃合いを見て代議士である老年女性に挨拶をした。
「初めまして、樹議員。私、安全保障デザイナーの銀葉子と申します。センセイにはいつもお世話になっております。」
何をどうお世話になったか分からないが、まあ確実にお世話になっているだろう。
葉子の言葉を聞いて、樹議員はにっこりと上品に微笑んだ。
「そう。お互いに頑張りましょうね。名刺をあげるから何かあったら遠慮なく相談して頂戴な。」
秘書から名刺を渡された。ほんの数十秒のことであったが、葉子は生きた心地がしなかった。
「嫌なことは早く忘れて、ここからは思いっきり食べよう。」
立食パーティの料理は、流石肉屋の法事だけのことはあって、どれもこれも肉、肉、肉……肉尽くしだった。
尋常でない密度の肉が詰まったパテ・ド・カンパーニュに始まり、ピンクペッパーの香るブランド豚のソテー、見たこともないような太さのソーセージ、とろけるようなローストビーフ、巨大な豚の丸焼き、濃厚な味付けのビーフストロガノフ、北国名物のちょっと変わった味付けの唐揚げ、職人の握る肉寿司、山わさびの利いた牛トロ丼……メニューの極一部を列挙しただけでもこの有様である。肉食女子の葉子は当然、ガツガツとこれらの肉料理を頬張った。
やがて満腹になった葉子は、令嬢にお礼を言った。
「ありがとう。やっぱり、北国は肉料理も最高。」
「うふふ、それが分かってもらえて嬉しいわ。」
「もし首都圏に来る事があったら、お礼がしたい。また会いたい。」
「私も。向こうのことは詳しくないから、その時は案内してね。」
こうして、葉子は今日もまた北国に新たな友人を作ったのであった。
【了】
お読みいただきありがとうございました。
葉子さんのモデルはアニメ「雲のように風のように」の江葉です。外見の一部をオマージュさせていただきました。
青い泉のモデルは斜里郡清里町の「神の子池」です。
リゾートホテルのモデルは小樽のグランドパークホテルです。