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一学期はあっという間に過ぎていった。ぼくは相変わらずまともな友達ができないまま、夏休みに突入した。
夏休みには毎年、お父さんの実家に行くのが決まりだったはず。少なくとも、お父さんはそう言っている。
ぼくの記憶にも夏の暑い日、どこか違う場所に家族で遊びに行ったような思い出が残っている。ただそこにいる親戚の顔はぼやけていて、どういう人なのかはわからない。
今年は実家には帰れないかもしれないな、とお父さんは言っていた。仕事が忙しいわけでも、こっちに来てお父さんの実家が遠くなったからでもなくて、お母さんの様子がいまだにおかしいからだ。
妊娠がわかってからのお母さんは、やっぱり頻繁に体調を崩していた。病院での検査では異常はなかったし、風邪とかも引いてないのに、なんとなくの不調が続いている。
ずっと寝込んでいる、というわけじゃない。悪くなるのは時々で、普通の生活も十分にはできている。料理などの家事は平気でこなしているから、ぼくとお父さんが困ることはあまりない。
これも出産するまでの辛抱だ、とお父さんは言っていた。お父さんはお母さんの不調がいまも妊娠の影響だと信じているようだった。実際にそうなのかもしれない。普通に考えればその可能性が一番高いのは、ぼくにもわかる。
だから、お父さんは子供が産まれる秋くらいまでは静かにさせてあげたいと考えていた。夏休みの旅行も行かずに、今年はゆっくりと自宅で過ごすのだと。
「直人には悪いとは思うけど、お母さんのためだからな」
「うん、わかった」
「爺ちゃんや婆ちゃんは寂しがるかもしれないけどな」
お父さんの言う親戚はいま、ぼくの頭にはない。寂しがる誰かを想像することも出来ないから、寂しいとか会いたいとかいう感情も全然浮かんでこない。
「そう言えば、お母さんの実家はどうなってるの?」
「実家?」
「後で預けられた親戚の家のことだけど」
ぼくはお母さんの実家には行ったことがない。これははっきりと覚えている。見たことがないという記憶は、他のなによりも鮮明だった。
「実は、お父さんもよくわからないんだ」
「え、そうなの?でもこの前、お母さん親戚のこと言ってたよね」
預けられた先では、かなり気を使われたと、そう言っていたはずだ。だからお父さんとの間ではいろんな会話をしているとばかり思っていた。
「お母さんと出会ったのは大学に入ってからで、それまでのことはよく知らないんだよ。お母さんがあの地震の被害に遭った町の人だっていうのも、だいぶ後になってから聞いたんだ」
「じゃあ結婚するとき、お母さんの実家には挨拶には行かなかったの?」
「行かなかった。それでいいとお母さんが言ったんだ」
「どうしてだろう?」
「もしかしたら、親戚の人に嫌なことをされたのかもしれない。もしくは」
「何?」
「お母さんは施設にいたんじゃないかと、お父さんは思うんだ」
施設。身寄りのない子供を預かる場所。ぼくにはなぜか、その光景をはっきりと思い浮かべることが出来た。そしてその中に、なぜか自分の姿を見つけ出そうとしてしまった。ぼくは軽く頭を振った。そこにぼくがいるはずがない。
だってぼくはここにいるから。佐伯直人としてお父さんと話している。
「施設で育ったことが悪いわけでは、もちろんないんだ。あのときはそんな子供、他にもいくらでもいたはずたから。でも、お母さんにとってはあまり表にしたくないことなのかもしれない」
「恥ずかしいのかな」
「どうだろうな。なるべく過去を見ないようにしていたら、それが普通になったのかもしれないな」
その気持ちはわからなくもなかった。お母さんはそのときまだ子供だった。怖いことに目をつむるのも仕方のないことなのかもしれない。
「でも、こっちで子供が産まれれば、お母さんも変わるかもしれない。この町の歴史を背負った子供とともに、お母さんも成長する。そのとき、お母さんははじめて苦しかったときのことを気楽に話せるようになるのかもしれない」
「家族四人で?」
「うん。海辺を散歩しながら、交互に過去の話をするのも悪くないな。父さんにも言ってないことはたくさんあるから、お母さんは驚くかもしれないな」
そう言ってお父さんはぼくの頭を撫でた。




