15
五月になって、ゴールデンウィークに入った初日、ぼくは再び久瀬さんに連れ出された。
また、あの洋館に行くらしい。
これまでも久瀬さんとは休日に外出することはよくあった。棺桶少女を探すために、町のあちこちを歩き回った。放課後にも寄り道をしたりしたけど、棺桶少女に会うことはできなかった。
「このままだらだら歩き続けても非効率よね。ならいっそ、あの建物のなかを捜索するのもひとつの手だと思うのよ」
「棺桶少女ってあの洋館に住んでるの?」
伝説的な存在がベッドですやすや眠っているというのは、なんだか違和感がありすぎる。
「さあ、どうかしら。でも棺桶少女はまだ幼いから、他に帰るような場所はないと思うのよ」
「家にいたらいたで怖いけど」
「夜中に会うよりは平気でしょ」
「久瀬さんは入ったことあるの?」
「ないわね。何度か考えたことはあるけど、ひとりだとやっぱり踏ん切りがつかなかったのよ」
「勝手に入ってはいけないんじゃないの?」
あの建物の所有権がどこにあるのかはわからないけど、たぶん勝手に入るのは違法だと思う。
「あれは地元の役所が管理しているはずよ。だから大丈夫よ」
「大丈夫じゃないよね」
もし監視カメラなんかが設置されていたら、逮捕されてしまうかもしれない。
「細かいことは気にしないの。どうせわたしたちだけじゃないんだから」
「どういうこと?」
「行ってみればわかるわ」
そんな会話をしながら訪れた洋館。
その周囲には、ぼくたちの身長を遥かに越える鉄柵が四方を取り囲んでいる。入り口は完全に閉まっているし、柵も乗り越えることなんて出来そうにない。
「たぶん、どこかには入り口があるはずよ」
久瀬さんはそう言って鉄柵に沿って裏側に回る。
すると、そこには鉄柵が歪められて、大人でも入れるくらいのスペースが生まれていた。
「だろうと思ったわ」
久瀬さんはするりと中に入り、ぼくを手招きした。
不法侵入じゃないのかなと思ったけれど、ここまで来て逃げ帰るわけにもいかない。一通りチェックした限り、監視カメラもなさそう。ぼくは体を横にして、鉄柵の間をすり抜けた。
「さて、問題はここからよね」
建物に近づきながら、久瀬さんは言った。
「さすがに建物の中に入るのは難しそうね。鍵もかかっているだろうし」
正面には裏口のドアがあって、そのノブに久瀬さんは手をかけた。ガチャガチャと回してみても、ドアが開くことはなかった。
「窓からというわけにもいかないわよね。大きな音もするだろうし」
この洋館の窓ガラスは至るところが壊れていた。ガムテープで補修された跡があるので、壊れたのは結構最近のことらしい。壁なんかを良く見ると傷なんかもたくさんあることがわかる。
「これって誰かのイタズラかな?」
ぼくは壁を触りながら、独り言のように言った。
「イタズラというより、抗議の意思の表れてといった方がいいでしょうね」
「抗議?」
「ええ。この洋館を潰そうとする過激派がこの町にはいるのよ」
久瀬さんによると、この建物を巡っていま、町は二つにわかれているという。
この洋館を残すか、それとも取り壊すか、それが争点らしい。
「役所の人間なんかは、この建物を重要文化財みたいなものにして、観光客を集めようとしているの。でも町の人間はそれを嫌がっている。表面上は耐震工事に金がかかるなんて言ってるけど、本音としてはやっぱり怖いのよ。この建物があり続ければ、きっと棺桶少女は消えることはない。逆に、この建物させなければ棺桶少女はいなくなると一部の住民は信じてるのよ」
「だから、建物を傷つけたんだね」
「みじめよね。そもそもこの建物がなくなれば棺桶少女がいなくなるという保証はどこにもないのよ。帰る場所を失った結果、かえって発生確率が上がるかもしれない。本音を隠しているぶん、冷静さを失っているのよ」
「そうかな。もし本当に冷静じゃないなら、この建物はとっくに壊されているんじゃないかな」
この建物には傷が多くあるけれど、それでも原型は保っている。本気で壊そうと思えばもっと派手なやり方はいくらでもあるはずなのに。
「そこまでやる必要がないからよ。抵抗する意思を示し続ければ、いずれこの建物も限界を迎えるもの。過激派にとっては大規模な改修を阻止すればいいだけなのだから」
そう言った直後、久瀬さんは唇に人差し指を当てた。静かに、ということらしい。
「誰かいるわ」
小声でそう言うと、壁に張り付くようにして、正面玄関の方を見た。
そこには一人のお婆さんが立っていた。杖をついたまま、洋館の方をじっと見上げている。
「なにしてるんだろう?ずっと建物を見上げてるけど」
「少なくとも、過激派には見えないわね」
久瀬さんは目を細めると、身を乗り出すようにしてお婆さんを眺めた。
「もしかしたらあのお婆さん、生存者かもしれないわね」
「生存者?」
「あの地震を生き延びた人間のことよ」
この地域は津波で一度壊滅状態になり、深交のあった人魚が彼らの代わりをつとめるようになった。
とはいえ、この町の全ての人間が死んだわけではない。外に出掛けていた人もいれば、津波に流された上で生還した人もいる。
「生存者はこの建物に愛着があるの。なぜならあの地震でも倒壊しなかったからよ。この町で再起する際のシンボルとしても価値があったと言われているわ」
確かにお婆さんの顔は穏やかで、この町の人の一部が抱いているという憎しみのような感情は感じられなかった。
「ああいうふうにこの建物を必要としている人もいるのよ。この町の人間はそれに気づくべきよね」
しばらく建物を見続けた後、お婆さんはゆっくりとその場を立ち去った。
お婆さんの遠ざかる背中を見ながら、ぼくは思った。
あの日、お婆さんはいったい何をしていたのだろうと。




