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津波  作者: パプリカ
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忠告されておきながらなんだけど、ぼくはそのまま図書室に向かった。他にすることがないのは変わらないし、こういうことはなるべく本人に聞いた方がいいと思った。


久瀬さんの姿はすぐに見つかった。端の方で一人で本を読んでいた。他にも本を読んでいる人はいたけれど、みんな久瀬さんからは距離を取っていた。


ぼくは久瀬さんの隣に座った。不可能そうな顔でこちらを見た久瀬さんだったけれど、ぼくだと気づくとその表情が少し柔らかくなった。


「あら、佐伯くんじゃない。こんなところにどうしたの?」

「もちろん、読書しにきたんだけど」

「なら、最初に座るのはおかしいわよね。まずは本を選ぶべきしゃないかしら」


言われてみたら確かにそうだった。久瀬さんを見つけて反射的に座ってしまったけれど、図書室はおしゃべりをするところじゃない。


ぼくは本棚のところに行った。お昼休みはもう半分くらいは過ぎているので、じっくりと文章を読むことはできそうになかったので、動物の図鑑を手に取った。


「動物が好きなの?」


元の席に戻ると、久瀬さんが言った。


「うん、前の家では猫を飼ってたんだ」

「どんな?」

「雑種かな。家に迷いこんで来た野良猫だったんだよ」

「いまは飼ってないの?」

「こっちに来る前に死んじゃったんだ。野良猫だったから、うちに来た時点でもうおばあちゃんだったのかもしれない」


そう言いながらぼくは久瀬さんの本を覗き込むようにした。


「久瀬さんはなんの本を読んでるの?」

久瀬さんはぼくに本の表紙を見せた。それは偉い人の伝記だった。


「久瀬さんは伝記が好きなんだ」

「別にそういうわけじゃないわ。読めればなんでもいいのよ」

「じゃあ、どんな本が好きなの?」

「だから読めればなんでもいいのよ。わたしは文字を追うことが趣味なの」

「ふーん、珍しいね。じゃあ久瀬さんはいつも図書室で過ごしてるの?」

「静かなところが好きなの。クラスにいると男子がギャーギャーと騒ぐでしょ。ああいう人種とは一緒にはいられないもの」


周りから変な目で見られているから教室には居づらいのかもしれない、とぼくは思った。でもそれは口にしてはいけないこと。


とくに虐待されているの、なんてことは間違っても聞いちゃいけない。


それでも気になるのは確かなので、ぼくは久瀬さんの顔を間近から観察した。虐待されているならどこかに傷痕があるんじゃないかと思った。

久瀬さんの皮膚はとても綺麗で、黒くなっているようなところも見当たらなかった。


「何?」


不可解そうな顔をする久瀬さん。ぼくは慌てて顔を離した。


「いや別に、なんでもないよ。肌がきれいだなと思っただけで」

「人魚の血が混ざっているからそれも当然よ」


当然なのかどうかはぼくにはわからなかったけれど、そこを追求しても仕方がないと思った。


「そういえば、この前の話は本当なのかな」

「もちろん事実よ。やっぱりあなたも興味があるのね」


興味があるかないかで言ったらあることは間違いがなかったので、ぼくは否定はしなかった。


「その様子だと、棺桶少女を探すのを手伝ってくれるということよね。助かるわ」

「そう決めたわけではないんだけど」

「なら、休みの日もずっと部屋にこもってるつもり?家にいてばかりだと、親も心配するわよ」


そうかもしれない。ぼくはお母さんのことがいろいろ気になるけれど、お母さんからしたらぼくの友達関係がどうなるか不安に思っているのかもしれない。


「散歩くらいの気持ちで付き合ってくれればそれでいいのよ。なにもかしこまる必要なんてないんだから」

「探すといっても、そんな簡単じゃないよね」


ぼくはあれから棺桶少女には出会ってはいない。棺桶少女に会う素質、なんてもはないと思う。


「そんな頻繁に遭遇していたらありがたみもないでしょ。たまに会えるから特別な意味を持つのよ」

「いつ出るか、予測はできないんだよね」

「そうね。地震が起こった日の前後が一番みたいだけど、もう過ぎちゃったし。あとはやっぱり夜中よね。そういう存在って昼間はあまり出ないでしょ」


ぼくが棺桶少女に出会ったのも確かに夜だった。

でも、あの日はたまたま迷子になっただけで、夜中に出歩くなんてことは難しい。

両親に間違いなく怒られるし、こっそり抜け出したとしても警察に注意される。


「真っ暗になるのを待たなくてもいいんじゃないかしら。この国には逢魔が時という言葉もあるし」

「逢魔が時?」

「夕方のご飯前くらいかしら。不思議なものに遭遇する時間帯と言われているわ」

「歩き回れる時間帯でもないけど」

「もう、細かいことばかりね。ここは図書室なんだから本を読んだらどうなの」


ぼくたちは小声で話していたけれど、それでも静かな空間では他の人にも聞こえたかもしれない。そう思って周りを見渡してみると、誰もこちらは見てはいなかった。


「誰にも聞こえてないみたいだね」

「不特定多数の人が訪れる図書館とは違い、学校の図書室はある程度の会話なら許されているのよ」


そういう意味じゃなくて、ぼくとしては内容が聞かれることを恐れていたのだけれど。


「それで、母親のほうはどうなの?体調に変化はあった?」

「べつにないよ。どうして?」

「地元に戻ってきたのなら、人魚だったときの記憶に心を揺さぶられ、目覚めが起こっても不思議ではないと思ったのよ」


目覚め、というのは人魚としての自覚らしい。

久瀬さんはぼくのお母さんが人魚であることを決めつけているようだった。


「お母さんは地震を経験しただけで、人魚だとは限らないけれど」

「海には行った?」


ぼくは首を振った。こちらに来て家族でどこかに出かけたというのは外食くらいで、海のほうには一切に近づいてはいない。


「なら、連れていってみたらどうかしら」

「お母さんを海に?」

「そうすれば、嫌でも感じるものがあるはずよ。違う?」


ぼくはべつにそんなことは望んではいない。お母さんが人魚として目覚めることが良いことだとも思わなかった。


「あなたの母親がどうであるにせよ、この町に戻ってきたならいずれ過去に向き合う必要がある。いつまでも逃げ続けることなんてできないわよね」


お母さんがいま、どんな思いで生活をしているのかぼくは知らない。表面上はなんの変化がなくても、心のなかでは葛藤しているのかもしれない。


自分ひとりでどうもできないなら、家族が支えるしかない。ぼくとお父さんがお母さんの気持ちを理解して、寄り添わないといけない。


そのためには何かのきっかけが必要?


いつまでも放置をしていると、お母さんはひとりで全部抱え込んでしまうかもしれない。ぼくたちが知らない間に心がどんどんど疲れてしまうのかもしれない。


人魚かどうか、それを抜きにしてもお母さんの過去はぼくとお父さんにとっても重要な意味を持つ。


「長年この町を離れていたなら、その衝動は突然来るはずよ。それに気づいたときはすでに手遅れになっている可能性が高いわね。無理に本能をおさえないほうが、本人のためかもしれないけれど」


ぼくの血は何色だろうとふと思った。人魚の血が何色かなんて、さっぱりわからないのだけれど。

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