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月夜の晩に  作者: 夜宵
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中編

「貴族の令嬢が学ぶべきは社交であり、知恵をもって男を制するものではない。

家を守り、子を(はぐく)み、影ながら夫を支える。 それが貴族の家に女として生まれた者の義務だ、そう言われたわ 」


 どんなに彼女が学びたいと思っても1人で出来る事には限りがある。機会を与えられる事すら彼女にとっては夢物語。それでも諦められずに父に想いを伝えては却下されこの場所に逃げ込む。そんなことの繰り返し。


「そろそろ諦めるべきなのかしら……。 父の示した道を辿って、父の示した場所へと辿り着く。 横道に逸れることも回り道をすることも許されず、ただただ真っ直ぐ……あの月から伸びる1本道を行くように…… 」


 知らない内にポロリと1粒涙が頬を伝う。膝に置いた手の甲に落ちた雫で自身の瞳から涙が溢れたのを知り、彼女は驚いていた。人前で涙を流すなんて……。溢れ落ちたのは1粒だけ。気付かれていないと良い、そう思いながら目を伏せた。


 彼女の涙を知ってか知らずか、2人の間に沈黙が流れる。寄せては返す波の音、岩打つ波の音、葉が擦れる音。彼女にとって不思議と沈黙が苦ではなかった。


「何だか勿体ないね 」


 先に口を開いたのはセルキーを名乗る男。心底残念そうにポツリと告げる。


「勿体ない、ですか? 」


 勿体ない。何が勿体ないと言うのか。彼女に思い当たる節はなくただひたすらに不思議だった。


「うん。 君はきっと賢い。それなのに機会を与えられず燻っている。 やる気の無いどこかの貴族のご子息が学ぶより君が学んだ方がきっとずっと世のため、人のためになる 」


「……そんなこと、初めて言われました 」


 男の言葉を理解し、飲み込んで、彼女はそう呆然と呟いた。彼の言葉が嬉しくて彼女は心のままに笑顔を浮かべていた。感情が顔に出ることを恥じて両手で顔を覆う。涙が滲んだ気がして目をぎゅっと力強く瞑ることで溢れる前に水気を散らした。


「……有難う、ございます 」


 声は震えなかっただろうか。

 初めてだった。彼女が自身の心に寄り添って貰えたのは。彼女の想いを認めて貰えたのは。否定もされず、無視もされず、無理矢理に蓋をされなかったのは、初めてだった。

 何も解決していないし、何かが変わったわけでもない。それでも彼女にとって理解を示された、それが途方もなく嬉しかった。


「君はもしも学ぶ機会が与えられたら何を学びたいんだい? 」


 優しく穏やかな声。躊躇すること無くどんどんと口から言葉が溢れていく。スルスルと心のままに。


「機会を頂けるのであれば何でも。 知らなかったことを知るのはとても楽しいですから。 政治に経済、情勢、薬草学、哲学、数学……学びたいことは沢山あって選べませんわ 」


「そっか 」


「ええ 」


 好きなことを話す彼女の表情(かお)はキラキラと輝いていた。


 どれくらいの時間話していたのだろうか。楽しい時間はあっという間に過ぎていく。いつもと同じように痺れを切らした護衛が姿を見せたのが視界に入る。近寄ってくることはないが、無言でそろそろ戻りますよ、と彼の目がそう告げていた。


「……もう帰らなくては 」


「ああ、そうだね。 もう遅い時間だからね 」


 シャラリと金属の擦れる音が聞こえる。きっと胸元から懐中時計でも取り出して時間を確認したのだろう。

 何だか彼と離れるのが名残惜しい気もする。もっと話していたい。後ろ髪を引かれつつも腰掛けていた岩から離れる。


「……また、会えるかしら? 」


「そうだね……うん、きっとまた会える 」


「それでは、また……お休みなさい 」


「ああ、また。 お休み、良い夢を 」


 来た時と同じようにサクサクと砂に足跡を付けながら海に背を向ける。また会えたら良いと思いつつも、きっともう会えないだろう事は分かっていた。どうしてまた会いたいと思ったのか、彼女には分からなかった。

 彼がどこの誰かは知らないが、彼と話して少し心が軽くなった。もしかしたらまだ諦めなくても良いのかもしれない。もう少しだけ粘ってみようか、そう思えた。


「……有難う 」


 小さな声は誰に届くこともなく月夜の闇に溶けて消えた。

 今夜此処に来る時はもう諦めなければいけないかもしれない、そう思っていた。私もデビュタントを終えて半年。そろそろ婚約者が決まる頃だろう。婚約者が決まれば、花嫁修行だ何だと相手の家の家格に合わせたマナーやら何やらを覚えなくてはいけない。1年もすれば結婚だ。

 今はまだ相手が決まっていない。相手が決まる前ならばまだ隣国に留学するチャンスはあるかもしれない。そんな期待を胸に(いえ)への道を歩く。コツコツと石畳を蹴る音は行きと違って少し弾んで聞こえた。

 (いえ)に戻れば明かりは殆ど落とされていて、既に家族は寝静まっているようだ。夜番の使用人たちがそっと出迎えてくれる。


 湯浴みをして寝支度を整える。明かりを消した室内を照らすのは月の光だけ。暗闇になれてきた目が室内の輪郭をぼんやりなぞる。

 今日は不思議な夜だった。自らをセルキーと名乗る男との短い逢瀬。初めて自身の想いを肯定してくれた彼との出逢いはもしかしたら夢だったのでは?そう思わずにはいられない。


「また会えるかしら…… 」


 ポツリと溢れた言葉は無意識で、彼女自身想いが口から溢れたことに気付いていなかった。思っていた以上に彼女自身疲れていたようで、睡魔はすぐに訪れた。


 カーテンの隙間から月だけが丸くなる彼女を見ていた。

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