廃村の攻防
≪…本当に、良かったのか?あいつら居た方がお前だって楽だろう?≫
明は、二人の気配が完全に消えるのを確認してから口を開いた。
「確かに、そうかもしれないけど…それじゃ、彼らを選んだ意味がなくなる…」
麻呼は、困ったように笑いながら明に視線を落す。
≪そうだけどなぁ…やっぱさあ≫
明は、心配そうに麻呼を見上げてそう言った。
彼は、出来るだけ麻呼の負担を減らそうとしているのだ。
「大丈夫だよ…絶対に、無理はしないから…それに、多分2人とも帰るなんて口だけできっと離れたところにいると思うから…」
麻呼は、明の気持ちが分かっているので彼を出来るだけ心配させないように、元気に笑って見せた。
≪そうだな、あいつら、自分たちが思っている以上にお前の事がかわいいみたいだからな≫
明は、いたずらっぽく笑いながら冗談半分でそう言った。
「別に、そう言うんじゃなよ。ただ、おばあちゃんによろしくって言われてるから、いろいろと気に掛けてくれてるだけだよ」
麻呼は、そう言って明に笑いかけた。
知らぬは、当人ばかりなりという言葉が明の脳裏を一瞬だけ過った。
≪…そうかもな(いや、あの愛娘を愛しむような眼差しをどうしてお前は気付かずにいられるんだ?)≫
明は、自分も時折そんな眼で麻呼を見ていることを棚に上げてそんな事を考えていた。
「じゃあ、もう少し先に行って見ようか…」
麻呼は、真剣な表情で道の先を睨みつけてそう言った。
≪先に進む前に、誰か呼んでからにしろ…お前と俺だけじゃこの先、心もとないから…≫
明は、先に進もうとした麻呼の服をつかんでそう言った。
「ああ、そうだね…」
麻呼は、納得したようにそう言って胸の前で印を結んだ。
「…珠鈎、翠月!」
麻呼が、二つの名を口にすると不機嫌そうに目を細めた2人の青年が麻呼の前に現れる。
一人は、髪の色も眼の色も明るい朱色をしており腰にはルビーのように赤い石と荘厳な長剣を携えている。もう一人は、見事な銀髪と銀の瞳をしており、腕に栗色の石がはめ込まれた銀の腕輪をはめている。
2人とも20歳前半の顔立ちと体躯をしており、動きやすそうな衣装に身を包んでいる。
≪おい、麻呼…≫
明は、目を瞬かせて二人の青年を見ながら麻呼に声を掛ける。
「あれ?…もしかして…すごく怒ってる?」
麻呼は、苦笑いを浮かべて二人の青年にそう尋ねる。
≪当たり前だ。俺たちすんげー心配してたんだぞ!もし、あれ以上、麻呼が危ない目に遭うようなら、麻呼に呼ばれなくてもあの大蛟をぎったんぎったんにしてやろうと思ってたんだからな!≫
珠鈎は、朱色の瞳を怒りで燃やしながら麻呼に詰め寄ってそう言った。
丁度そのとき、新たに建物の影からぞろぞろと大量の大蛟が這い出てきた。
「…では、あの大蛟は珠鈎に任せよう。その思いを思う存分ぶちまけておいで」
麻呼は、珠鈎の抗議に耳を傾けながら建物の影から這い出してくる蛟に視線を走らせて、珠鈎に満面の笑みを向けてそう言った。
≪え…お、俺は別にそんなつもりで言ったんじゃ…俺は、お前に…≫
珠鈎は、突然のことにそう口ごもりながら蛟と麻呼を交互に見やる。
≪プッ、こ、こりゃあ良い、珠鈎、しっかりやれよ!≫
明は、珠鈎の慌てぶりに堪えきれずにけらけらと楽しそうに笑いながらそう言った。
≪ち、ちっくしょー!≫
珠鈎は、満面の笑みを浮かべる麻呼と苦しそうに笑い転げている明をしばらくの間、困惑した表情で交互に見ていたが、しばらくすると、悔しそうに一言そう吼えて剣を片手に蛟たちに突っ込んで行った。
≪…おい、麻呼…≫
悔しそうに咆哮を上げながら大蛟をばったばったと切り倒していく珠鈎を微笑ましそうに見ている麻呼に明は、言いづらそうにそう声を掛ける。
「何?」
麻呼は、不思議そうに明を見下ろした。
すると、明は、難しい顔をして器用に前足でもう一人の青年を差していた。
麻呼は、その青年に視線を向けてハッと息を呑んだ。銀髪の青年が麻呼を鋭く睨みつけていたのだ。
「…翠月…いけない、忘れてた…あの様子じゃかなり怒ってるよね…」
麻呼は、腕組をして麻呼を見つめたまま微動だにしない翠月を見て軽い溜息をついた。
≪…当たり前だ…お前の式の中であいつが一番過保護なのはお前だって知ってるだろう…まあ、お前の身を案じての事なんだろうが、少々過保護すぎるんだよなあ≫
明は、少々厭きれた口調でそう言って溜め息を漏らした。
『…翠月…怒ってる?』
麻呼は、恐る恐る翠月に声を掛ける。
≪…その名で呼ぶな…お前の付けた名を呼べ…≫
翠月は、不機嫌そうな顔をより一層顰めてそう言った。
「う…茨彗、その…」
麻呼は、困った様に翠月を見ながら彼を何とか宥めようとする。
≪翠月…あまり、麻呼を責めるな、麻呼も…≫
明は、困り果てている麻呼に見かねてそう口を挟む。
≪お前は、黙っていろ!≫
しかし、そんな明も翠月の一喝で黙り込んでしまった。
≪…なぜ、もっと早く俺たちを呼ばない!…何のために俺たちがお前の側に控えているか…お前は知っているだろう?≫
翠月は、先ほどとは違って気遣うような眼差しで麻呼を見てそう言った。
「ごめん…茨彗たちに余計な心配をさせちゃったね」
麻呼は、翠月に済まなそうに笑い掛けながらそう言って謝罪する。
≪……全く、お前は小姑か?麻呼だってもうガキじゃねーんだし、そうほいほいお前たちに頼ってばかりはいられねーんだよ…お前も、麻呼の式ならそれくらい察してやれ…≫
明は、翠月の一喝にもめげる事無く翠月にそう言い聞かせる。
≪お前に言われずともそれくらい分かっている!≫
翠月は、明を鋭く睨みつけてそう言った。
「2人とも喧嘩は駄目だよ…」
麻呼は、そう言って慌てて2人を宥めようとする。
≪…分かった≫
翠月は、戸惑う麻呼を一瞥してから不機嫌そうにそう言った。
≪ふん、俺とこいつとじゃ、喧嘩にもなりゃしねーよ≫
明は、ふんぞり返って偉そうにそう言った。
「明!それ以上は許さないよ」
麻呼は、明をキッと睨みつけてそう叱り付けた。
≪そうよ!これ以上、麻呼を困らせたら私が許さないんだから…全く、これだから男ってのは…≫
厭きれた声でそう言って現れたのは鴻劉よりも一つか二つほど年上の少女だった。
少女の衣装は、作り的には鴻劉たちとそう変わらないが動きやすいようにか膝が見え隠れするくらいのスカートを着ていた。
髪は、高い位置でかわいく二つに結んで、髪の色は、少し薄い紫。瞳は、まるで紫水晶のような色をしており両耳に黄色い石のピアスをしている。
「螢峯…どうして…」
麻呼は、驚きの余り眼をぱちくりさせて新たに現れた少女を見つめる。
≪麻呼が心配だったから様子を見に来たの…≫
螢峯は、無邪気に笑いながら麻呼に向き直ってそう言った。
≪…全く、じゃじゃ馬娘が…≫
明は、非難の瞳を螢峯に向けながら出来るだけ小声でボソリとそう言った。
≪何か言った?ア・キ・ラ?≫
螢峯は、そんな明の言葉を逃さず聞きとがめて薄く微笑みながら威圧的にそう尋ねた。
≪い、いや、何にも…≫
明は、引きつった笑いを浮かべて首を勢い良く左右に振ってそう言った。
「…螢峯…ありがとう、でも、大丈夫だから、心配しないで」
麻呼は、2人の様子を見て可笑しそうにクスクスと笑ってそう言った。
≪…麻呼、こんな男どもなんかより私の方が何倍も頼りになるわよ!…だから、絶対に無理だけはしないで…≫
螢峯は、心配そうな瞳で麻呼を見上げて、冷え切った手で麻呼の頬にそっと触れながらそう言った。
「螢峯…分かってるよ。ごめんね?螢峯にまでこんなに心配掛けて…」
麻呼は、頬に添えられた冷たい手を自分の手で包み込んで申し訳無さそうに笑いながらそう言った。
≪ううん、麻呼は謝らなくていいの…只、とっても心配なの…麻呼が、未砂みたいに遠くに行っちゃいそうで…すごく怖いの…≫
螢峯は、潤んだ瞳で麻呼を見上げて涙を堪えるような口調でそう言った。
「螢峯…大丈夫、君たちを置いてさっさと死ぬなんてことは無いから…そのためにうんと強くなるから…」
麻呼は、口元に優しい微笑を浮かべて幼子をあやすように螢峯の頭をポンポンと優しく叩いてそう言った。
≪全く、あのじゃじゃ馬娘が…いきなりやってくるなり言いたい放題言いやがって…≫
明は、今度こそ螢峯に聞こえない様にさっきより声を抑えてそう言った。
≪全く、螢峯の奴…麻呼を困らせたら許さないと言っときながら自分が一番困らせてるじゃないか…≫
翠月は、少々厭きれ気味の顔で2人の様子を見ながらけして誰にも聞こえないような声でそう愚痴った。
≪おい、麻呼…そろそろ珠鈎の方もばてて来た頃じゃないか?≫
明は、麻呼の隣の腰を下ろして何食わぬ顔で麻呼を見上げてそう言った。
「ああ、そうだね、珠鈎ばかりにやらせてはかわいそうだ…」
麻呼は、そう言って表情を引き締めて暴れまわっている珠鈎に視線を向ける。
≪麻呼!私も手伝う!≫
螢峯は、ぐいっと涙を拭って力強くそう言った。
「分かった…螢峯、茨彗!まずは、出てきた蛟を一掃する!この蛟たちは、霊力を糧にしているから霊力には強いが神力には弱い、初めから飛ばしていくよ!」
麻呼は、真剣な表情で2人を交互に見ながらそう説明した。
≪麻呼!お前は、しばらく休んでいろ…さっきまでの戦いで予想以上に霊力を消費している。その状態で神力を使うのは危険だ…ここは、俺と螢峯がやる!行くぞ、螢峯…≫
翠月は、鋭い目つきでそう言って蛟の群れへと突っ込んで行った。
≪明!しっかり麻呼の事、護りなさいよ!≫
螢峯は、明に命令するような口調でそう言って翠月の後を追って蛟の群れへと突っ込んで行った。
≪あ、あいつは…一体俺の事なんだと思ってやがんだ…≫
明は、困惑した様子で駆けて行く螢峯の背中を見ていた。
「さあ、なんて思ってるかは分からないけど、明の事を大分、認めたみたいだね…」
麻呼は、最初少し驚いたようだったが、しばらくすると、嬉しそうに笑ってそう言った。
≪…翠月はまだ、俺がお前の側にいることが気にいらねぇみたいだけどな…≫
明は、大きな溜め息をつきながら蛟をばったばったとなぎ倒していく翠月を眺めてそう言った。
「気に入らなくても、多少は、認めてくれてるんじゃないの?」
麻呼は、明の隣にしゃがみこんで3人の闘いっぷりを眺めながらそう言った。
≪どうして、そう思うんだ?≫
明は、麻呼の方に顔を向けながら怪訝そうに眉を顰めてそう尋ねる。
「だって、以前だったら、絶対に螢峯を残して行ってたもの…それだけでも、翠月にしては、大きな進歩だと思うけど?」
麻呼は、視線だけを明に向けながら飄々とそう答える。
≪…そう言われればそうだな…≫
明は、少し考え込んでから妙に納得したような口調でそう言った。
それから5分ほどで出現していた蛟は、翠月たちによって一掃された。
「みんな、お疲れ様、3人とも怪我とかしてない?」
麻呼は、戻ってきた3人に心配そうにそう尋ねた。
≪うん、大丈夫!まだまだやれるよ≫
螢峯は、元気に笑いながらそう言った。
≪先に進むんだろ?だったら少し急ごうぜ、帰るのが遅くなるぞ…≫
珠鈎は、剣を鞘に収めながらそう尋ねてくる。
「いや、今、これ以上奥に進むのは得策と言えない…」
麻呼は、真剣な顔で村の奥に続く道を睨みつけた。
≪だが、まだ、ここに来た目的を果たせていないのだろう?≫
翠月は、辺りに敵が潜んでいないか注意深く見渡しながらそう尋ねる。
「問題はそこなんだよね、この村にあの子がいるのは間違いないとして、この村の何処に居るのかが分かってないから…」
麻呼は、困り果てた様子で頭を抱えて考え込む。
≪ねえ、麻呼、あの子って誰?≫
螢峯は、不思議そうに麻呼の顔を覗き込んでそう尋ねてきた。
「ああ、実はね、昨日の夜に…」
麻呼は、昨日の夜に見た夢の事についてすべてを話した。
≪ほー、それじゃあ、その幽霊を捜してここまで来たのか?≫
珠鈎は、2、3度頷きながら感心するような口調でそう言った。
「うん、あんなに必死な顔で“助けて”なんて言われたから気になっちゃって…」
麻呼は、うーんと唸ってまだいい方法が無いかと考えている。
≪…だったら、この村をお前の霊力で満たせば良い、そうすれば、その霊が何処にいるか、すぐに分かるだろう…≫
翠月は、頭を抱えて考え込む麻呼を見下ろして飄々とそう言った。
「え?でも、そんなことしたら、またあの蛟が出てきちゃうよ?」
麻呼は、急に顔を上げて翠月をまじまじと見つめてそう尋ねる。
≪麻呼、お前は何のために俺たちがここに、お前のそばに居ると思ってるんだ?お前を護るためだろう?≫
明は、不敵に笑いながら驚いて眼を見開いている麻呼にそう答えた。
「…明……珠鈎、茨彗、螢峯!3人に頼みがある!」
麻呼は、しばらくの間、明を呆然と見つめていたが、しばらくすると、自信に満ちた顔で四人を見てそう言った。
≪何だ?≫
翠月は、麻呼の頼みが何なのか聞かずとも分かっているだろうにわざとそう聞き返す。
「私は、今から、霊力をマックスにしてあの子を探すから霊力に釣られてでてくる蛟の処理をお願い!」
麻呼は、真剣な表情できびきびと指示を出す。
≪俺は?≫
明は、不思議そうに麻呼を見上げてそう尋ねる。
「明は、3人の間を抜けてくる奴を頼むよ…多分、さっきより数が多いと思うから…」
麻呼は、明に視線を落として優しく微笑みながらそう言った。
≪おう、任せとけ!≫
明は、楽しそうにそう笑って元気に返事をした。
「じゃあ、行くよ…」
麻呼は、そう言って静かに眼を閉じる。
すると、その次の瞬間から麻呼を取り巻く空気が彼女の霊力を帯びてすごいスピードで周りに広がる。
≪来るぞ、抜かるなよ!≫
翠月は、真剣な表情でそう言って数歩麻呼の前にでる。
すると、建物の影からぞろぞろと大量の蛟が躍り出てくる。
数で言えば、先ほど彼らが闘った数の3倍ほどだろう。
≪全く、良くこうもぞろぞろと出てこれるもんだな…≫
珠鈎は、剣を鞘から引き抜きながら厭きれた口調で溜め息交じりにそう言った。
≪麻呼には指一本、いえ、髪の毛一筋も触れさせないわよ!≫
螢峯は、気合一杯にそう言って両手を蛟に据える。
すると、神気を帯びた白い光が蛟目掛けてまっすぐに落ちてくる。
その光に打ち抜かれた蛟は、けたたましい奇声を最後に灰と化す。
≪さすが、雷将…と言ったところかな…≫
明は、螢峯の白雷を受け、灰となって崩れていく蛟を眺めながら感心したようにそう言った。
≪俺だって螢峯には負けないぜ!≫
珠鈎は、声高らかにそう言って剣を片手に持ち替えて右手に灯っていた深紅の炎を蛟目掛けて投げつけた。
≪珠鈎、あまり飛ばしすぎるな…≫
翠月は、あまり気に止めていないような口振りでそう忠告する。
≪ふん、お前の命令なんか聞くかよ!≫
珠鈎は、不敵に笑いながらそう言って再び深紅の炎を蛟に投げつける。
≪翠月!あんたこそ、ぼさっとしてないで手伝いなさいよ!≫
螢峯は、とめどなく蛟に稲妻を落しながら叱り付けるようにそう言った。
≪全く、あのわがまま娘が…≫
翠月は、大きな溜め息をついて蛟の群れを鋭く睨みつけて口内で短く呪文を唱えた。
すると、触れてもいないのに蛟の体が灰と化していく。
≪ほー、呪文だけで神気をここまで操れるようになったのか…こいつは、俺の出る幕は無いかな?≫
明は、3人の闘いっぷりをまじまじと見ながら感心するようにそう言った。
しかし、そんな明の背後には一際大きな蛟が音も無く迫っていた。
≪!明!後ろ!≫
螢峯は、明の後ろの巨大な蛟を見てまるで悲鳴のようにそう言った。
≪…螢峯、心配ない。あれくらい奴には、赤子も同然だからな…≫
翠月は、面白く無さそうにそう言って新たに口内で呪文を詠唱する。
≪…悪いが、何人にもこいつの邪魔はさせない…≫
明が、一言そう言うと背後に迫っていた大蛟の体が不思議な色の炎に包まれた。
大蛟は苦しそうに一言奇声を上げて灰となった。
≪すげー、俺、初めて見た…あれが、狐火か?≫
珠鈎は、蛟の体を取り巻く炎を眺めて感嘆の声を上げた。
「明、もういいよ…」
それまで、静かに眼を閉じていた麻呼が静かな声でそう言った。
≪分かったのか?≫
明は、麻呼の方に首を向けて確認するようにそう尋ねた。
「うん。後は、準備を整えて夜に再挑戦する…」
麻呼は、明に優しく笑いながらそう言った。
しかしその声は、今までに無いほど真剣なものだった。
≪じゃあ、とりあえずここに用は無くなったのか?≫
明は、ゆっくりと腰を上げながらそう尋ねてくる。
「うん、まあね、後は帰ってから必要なものをそろえるだけだよ」
麻呼は、そう言ってまだ蛟たちとの激しい攻防を繰り広げている翠月たちに視線を向ける。
「もういいよ!一旦引こう!」
麻呼が、大きな声でそういうのとほとんど同時に麻呼の体が、地面から離れる。
「翠月…びっくりするじゃない。何か一言、言ってからにしてよね」
麻呼は、言葉ほど驚いていないような口振りで自分の体を抱えている翠月を非難する。
≪…もうここに用は、無いんだ。次に俺がとる行動が、お前になら分かっていたはずだ≫
翠月は、全く悪びれる様子も無く正面を向いたまますごいスピードで疾走しながらそう言った。
「…そりゃあ、まあ、予想はしていたけど…」
麻呼は、どんどん見えなくなるF村を眺めてそう言った。
≪なら…問題は無いだろ?…≫
翠月は、完全に村が見えなくなった山道の途中で徐々にスピードを落としてそう尋ねる。
「う…で、でも、やっぱり、多少驚くから一言、名前を呼ぶなりしてほしいんだけど…」
麻呼は、翠月に抱えられるような体制のままでそう言った。
≪では、次から気をつけよう…≫
翠月は、感情のこもっていない声でそう言って麻呼を地面に下ろす。
≪麻呼、これからどうするの?≫
螢峯は、麻呼と翠月の間に割り込むようにしてそう尋ねた。
「とりあえずは、道具をそろえなきゃいけないから一度、涼子のとこに戻るよ」
麻呼は、そう言ってくるりときびすを返して歩き出す。
≪夜にまた来るの?≫
螢峯は、麻呼の隣に並んで歩きながら麻呼を見上げてそう尋ねる。
「うん、早くあの子を助けてあげないと、すごく怖がってるから…」
麻呼は、困った様に笑いながらそう言った。
螢峯は、そんな麻呼を見上げて、嬉しそうな楽しそうな笑みを浮かべて、心の中で、がんばってねと呟いたのだった。
混乱するといけないので注釈
翠月=茨彗です。
翠月というのは役職名のようなもので従来呼んでいる名前は皆役職の名前であって彼らを指し示す個人名ではありません。
茨彗は、麻呼が彼のためにつけた彼だけの名前です。
茨彗は、特にこの名前に思い入れがあるため麻呼にはこの名前で呼ばれたがります。