chapter 1-1 森
数百年前から育てられた高樹が立ち並ぶ領主の森。
千枝に別れた緑の天蓋は薄い暁光を遮り、森は薄暗い。昨日の夜に降らされた雨により、森はじっとりと湿気を帯びていた。初夏とはいえ、鳥肌が立つほど冷たい空気が森の中に満ちている。森は全ての音を吸い込んだように、物音一つ発しない。
その中をねっとりと、白い霧が樹々に絡みつくように広がっていく。
――爆轟!
唐突に、樹木を揺さぶる炸裂音が森に響き渡り、霧の中から一人の男が跳びだして来た。
男――大人の男というにはやや若い、おそらく年の頃は二十二、三才だろう。
すらりと伸びた長身に、すっきりと短い黒髪、幼さを残した甘い横顔、物腰の柔らかさを感じさせる目許、だが美丈夫というよりは頼りない優男という印象だ。
男はふかふかな絨毯に似た苔の上を駆け抜けていく。
黒い防弾防護服に身を包み、腕に持つ一メトルを超える針のように細くて尖った刀身に、短い砲身の擲弾発射機が一体化された鎧刺し剣の禍々(まがまが)しい外見が、持ち主のおっとりした印象とは対照的だ。
霧の向こうを見通すように男は鋭い視線を周囲に配りながら、木の影から陰へと体を滑らせて行く。だが、俊敏な動きとは裏腹に、男の妙に強ばる肩の動きからは隠しきれない焦りを見取ることができる。
身を潜める木を変えることが十数回を数えた頃、一際大きな木の陰に入り体の動きを留める。
そのまま男は巨木の根元に腰を下ろし、地面に手をついて、胸を何度も大きく上下させる。赤みが差した頬より流れ落ちる汗からは、蓄積した疲労の多さを感じた。
(さっきの攻撃をかわしてから三分ってとこか。そろそろ次の攻撃がくるな……)
腰に装着した弾丸入れに右手を伸し、蒼い光沢を放つ薬莢を取り出した。男は自分を落ち着かせるように手のひらで弾を転がして弄ぶ。
(ふぅ、蒼石弾は残り一発か……、でもこいつに賭けるしかないんだよな……)
蒼石――蒼石は独特の蒼い光を発する、遺失技術により生みだされた物質だ。
蒼石は無機、有機質に関わらず全ての物質に精製可能である。雨も自然には降らず、地下資源が枯渇している『浮かぶ国』において人々の生活を支えているのは蒼石だ。ほぼ全ての食料、工業原材料は蒼石から精製されている。
また、蒼石を爆発物として使用する銃弾は強力な威力を誇っている。だが気軽に撃てるほど安価ではないため、普通は切り札として少数を所持するのみだ。
男は祈るように見つめながら、慎重な手付きで薬莢を発射機に込める。
そして深く、ゆっくりと、息を吸い込んだ。
(よし、勝負だ! こっちから誘い出してやる!)
迷いを断ち切るように拳を力強く握り締め、勢いよく立ち上がる。
濡れた苔によろめきながらも、見えぬ敵に逆襲すべく移動を再開する。
(――走れ走れ走れ!)
男はあたかも戦慄の絶対者に命令されているように脚の限界を超えて、草むらに燃え広がる火よりも早く走り出す。
(今度はどっちから来る?)
(右か? 左か?)
(まさか前から?)
男の視線は素早く動きまわり、敵の居場所を探っていく。
駆け出して二百メトル近くに達したとき、まとわりつく霧を切り裂きながら一陣の風が頭上に流れ込んだ。
彼は風の流れに誘われるままに顔を上げる。
その視線の先、梢のやや下の辺り――
(――見つけた!)
刹那、頭から爪先までが痺れるような殺意が男に突き刺さる。だが怯むことなく筒先を上げ、素早く照準を合わせた。そして迷うことなく引き金を引く。
「吹っ飛べ!」
必中を命じるように大きく叫んだ。
筒先から白い煙を引きながら飛び出していった弾丸が、巨木を直撃し微塵に爆ぜ裂く。
だが爆発が起る寸前、しなやかな曲線に恵まれた肢体が男の頭上を舞い抜けた。
(――外した!)
と同時に蒼石の蒼い輝きが男に向かって伸びていく。男は発射の反動に体勢を崩しながらも、精一杯の力で身をひるがえす。
直後、わき腹をかすめるように蒼い光が通り過ぎ、背後の苔に覆われた大地が抉られ、緑と茶の破片を周囲に撒き散らし容赦無く男の体を叩いていく。
男を飛び越えて背後に降り立った女は、首筋で綺麗に揃えられた血よりも濃い深紅の髪、身にまとう金属で補強された黒い防弾防護服、自分の身長と変らない柄に斧を取り付けた蒼い半月斧槍、三つの色の対比が鮮麗であった。
肩越しに男へ振り向けた顔には、大人の女性として成熟した優美な顔立ちの中に、やんちゃな少女のあどけなさと、堕落した天使の艶めかしさの二つの表情を両立させていた。
(――逃げなきゃ)
一秒、一瞬を惜しんで走り出す。
男を追いかけて、一発、二発と蒼い光が追い越していく。思わず振り向いた男の視界の真ん中を、常人には真似できない速さで距離を縮めてくる、殺意を纏った紅と黒と蒼の美しい修羅がいた。
「覇っ!」
女は魂魄の気合いのもとに跳躍を行い、一気に間合いを詰める。
そして舞うような麗しい旋回で、半月斧槍を水平になぎ払う。
男は鎧刺し剣を持ち上げ必死に躱そうとする。
金属のぶつかり合う、甲高い音が森の中に響き渡る。
「くっ!」
衝撃の大きさに男の顔が歪む。
遠心力の乗った槍の穂先を男は捌ききれず、一気に鍔元まで押し込まれる。そのまま女は強引に半月斧槍を振り抜き、男の体が宙に浮く。
一瞬、女の締まった桜色の口元がゆるみ、緋色の目がにやりと笑う。
「王手積み」
「えっ?」
吹き飛ばされた体が地面に落ちた瞬間、直径二メタル程の穴が生まれた。
(落とし穴!?)
足掻く間もなく体は穴の中に吸い込まれ、必死に伸ばされた手は空を切る。
男が穴に消えると同時に、皮袋が地面に落とされるような鈍い音と水面をたたく浅い水音が聞こえた。
「ぐっ――」
底に溜まった泥水が落下の衝撃を弱めたが、男の口から苦痛の声が漏れでる。
(くそ! 今日も完敗だ……)
泥水により急速に体の熱が冷やされていくと、嘘のように高揚感は去り、変わりに冷静さが取り戻されていく。
(大体、僕みたいな教師が、戦闘専門の認定者に勝てるわけがないんだよな……)
認定者は、生身で蒼石を使えるように体を強化され、絶大な力を得た者の総称である。
通常は精製して使用する蒼石を、認定者はそのまま体内に摂取することが出来る。そして、体の中に蓄積された蒼石を消費する事で、認定者は一時的に常人の数倍以上の筋力を発揮することが可能である。
また、用途に応じた様々な蒼石装置を併用すれば物理常識を捻じ曲げる現象――光弾の射出、分子結合の強制解除、肉体の再生力の促進など――を起こす事が可能だ。
圧倒的な戦闘力を持つ認定者に対する軍隊の戦術概念は、認定者一人に対し複数で対応するのが常識であり、一対一の状況になった時点で勝負はついている。したがって、男の感想は至ってまっとうなものであった。
地上では赤毛の女が、武器の傷を確かめるように軽く斜めに槍を一振りし、流れる手付きで武器を十分の一程に凝集して腰に巻かれたベルトに吊した。
一連の動作を終えると、女の表情が一気に緩んだ。
女は嬉しくて、楽しくて、たまらないと笑顔を隠さずに軽快な足取りで穴に近づいていく。
そして、穴の中を覗き込みながら、澄んだ声でとどめを刺す。
「いい格好だわね、ファン! お嬢様が無様なこの姿を御覧になったら、先生としての威厳が落ちて成績下がちゃうかもよ? そしたらロッシュの国を追い出すされちゃうかも?」
穴の中で頭から泥水をかぶっている男――ファン・ナバーロはロッシュ領主の令嬢を教える教師だった。
穴の底からは引きつった怒鳴り声が発せられる。
「グエンさん! 弱い者を守るべき立場の貴方が、弱い者虐めをして喜んでるほうが、僕は心配です!」
裏返しにされて動けない陸亀のような体勢からファンは精一杯の抗議を試みる。
穴の縁に立って腰に手を当て、さも可笑しそうに見下ろしている女――グエンダ・カウルはロッシュの領主一家の護衛を担当する認定者である。
二人が仕えるロッシュは君主制国家『浮かぶ国』の東部に位置する国である。
『浮かぶ国』は空に浮かぶ円形な大陸である。その大きさは直径約一千五百キロメトル、大地の厚みが平均四百メトルにも及ぶ。
その歴史はおよそ五百年前に蒼石の力を使って大地から飛び立った時に始まる。
当初、『浮かぶ国』は滅亡の危機にあった。
大陸が地上を離れたことで気象は激変する。殆ど雨は降らなくなり、森や川は消失し、野生生物はほぼ絶滅し、多くの街は放棄され、人口は激減してしまった。
『浮かぶ国』がなんとか混乱を乗り切り、落着きを見せた始めた約四百年前、国土の復興を目的に形成された最古の領国の一つがロッシュであった。またロッシュは、自然のままでは大きな樹木が育ちにくい『浮かぶ国』の中で、自然木材を材料とした高級木工品の生産で有名だ。二人が居る森も、ロッシュ領主の居城を中心にして何代にも渡って造られてきた人工の森なのだ。
そのロッシュの城で教師の仕事を始めて一年ほどのファンだが、多くの使用人が働く城の中でも知らぬ者はいない有名人であった。それは今年十八歳になる領主令嬢が初々しい恋心をファンに抱いていたからであった。ファンも、男として可憐な女の子に思いを寄せられている事に悪い気はしないが、大国ロッシュのお姫様と結ばれると思うほど子供でもなかった。
また加えて、領主嫡男が整った顔立ちのグエンダに対して露骨な下心を持って雇用したのも城では有名な話であった。だがファンとは違い、グエンダが嫡男の劣情を好意的に受け取っているとはとても言えなかった。
「まぁまぁ、怒らない怒らない」
「……」
平然としたグエンダの態度に、ファンは悔しさのあまり言葉が出でこない。
お構いなしにグエンダは訓練の率直な感想を告げる。
「射撃は大分と上手くなったわね。最後は少し、ひやっとさせられたわ。でも他はダメダメだけどね」
そして、すらりとした手を穴の中へ差し出した。
この一年近くの間に、グエンダは訓練と称して嫌がるファンを無理矢理に引っ張り出して今朝のような実弾訓練を行うことが多々あった。そのお陰で、嫌々ながらにでも認定者と模擬戦闘を繰り返したファンの力はかなり上達していた。
自力では抜け出せないファンは差し出された手をひったくるようにつかみ取る。
「それで褒めるてるつもりですか?」
惨憺たる結果に、成長を実感できないファンは素直に喜べない。
グエンダは細身ながらも認定者を感じさせる強靱な力で、ファンを軽々と穴から引きずり揚げた。
引き上げられたファンは、嫌がらせのように何度も服装の乱れを直した。
「ところでグエンさん大丈夫ですか? 勝手に城の備品を使って大切な樹を何本も駄目にしちゃって……、また護衛部の隊長に怒られますよ?」
怒りが収まらないファンは口を尖らせて確認する。
グエンダの上官である食事の度に自慢の口ひげを整える初老の隊長は、怖いもの知らずのグエンダが苦手とする数少ない人間の一人だ。
「あー、この前にね、『お嬢様の御側にいるファン・ナバーロを鍛えることは、お嬢様の安全にも効果的であると、わたくしグエンダ・カウルは具申するものであります』って言ったら、あのおっさん『それならば遠慮は無用だ、存分にやってくれたまえ』って言ってたわよ」
おどけた調子で自慢の口ひげを撫でるしぐさを真似て、平然と言ってのけた。
「それで最近、訓練が増えたんですね……」
ファンは聞きたくもない真実に体から力が抜けて、腰から地面に座り込んだ。
「そういうことよ、理解できた?」
グエンダは、劇の筋書きをばらすように、意地悪く得意げに笑った。
ファンとグエンダ、教師と認定者、愚直と奔放という違和感を感じる組み合わせの二人である。しかし、ほとんどの城の使用人達が祖父の代以前からロッシュ家に仕えている中で、短期の契約によって城で働くファンとグエンダは、数少ない部外者だ。しかも、純粋と不純の違いはあるが、仕える主の想いのお陰で他の使用人から煙たがられる二人であった。
(まったく……、根は悪い人ではないんだけどな……)
その中でグエンダは四つ年下のファンを弟のように思い、世話を焼いて可愛がっていた。彼女が「グエン」と愛称で呼ぶのを許しているのも城ではファンだけである。色々と理由をつけては引きずり回し、上からの目線で物をゆう困った存在だが、その明るい性格には日頃から助けられているファンであった。
ファンは、まだ肩を震わせながら笑っているグエンダを、呆れたように見上げながら言う。
「でも、あんまり派手に――」
と、そのとき上空をつんざく爆音が森に響き渡りファンの声を掻き消した。
ずいぶんと明るくなった東の空を、衝撃波で森を揺らしながら、何かが飛び去っていくのがはっきりと感じられる。
追いかけるように二人の視線が重なり合い、梢の向こうを仰ぎ見た。
「今の音……、もしかして空中浮遊車ですか?」
体を起こしながら、初めて聞く音にファンが自信なさそうに質問した。
「間違いないわね。それにしても、ご領主様はずいぶんとお早いお帰りよね」
「……確か、予定では今週末まで皇都で皇王家の方と謁見されると聞いていましたが……。しかも、この様な早朝にお帰りになるなんて……」
ファンは首を傾げながら疑問を口にした。
皇王家は大陸が空に飛び立って以来、『浮かぶ国』の全土に君臨する支配者である。
蒼石を含む遺失技術を独占している皇王家は『浮かぶ国』の中心地、皇都から支配を行っている。国土の大部分は臣下の貴族に領地として分け与えていた。各領地には高度な自治が認められている一方で、厳しい義務が課せられていた。民衆から見れば同じ支配層の住人だが、高位の貴族になればなるほど皇王家との力の差を痛感している
そして空中浮遊車に代表される、蒼石を使った機械の運用には皇王家の許可と多額の費用が必要であり、日常での使用は限定される。その点を考えれば、乗客は皇都に出かけている、ロッシュ現領主のロサーノ・ドン・ロッシュ可能性が非常に高かった。
何事かと心配そうに眉をひそめるファンだが、グエンダの気になる点は違っていた。
「まったく、空中浮遊車? 雨はこんなに降らすし。ほんと、ご領主様はちょっと贅沢し過ぎじゃない?」
グエンダは地面を蹴り飛ばし、きつい調子で空の向こうに食ってかかる。
万能に思われがちな認定者だが、一つ大きな問題点がある。
それは認定者の力を維持するために多量の蒼石が必要な点だ。
認定者が本来の能力を発揮するためには、日頃から高額な蒼石錠剤を摂取し、蒼石を体に蓄積しておく必要があるからだ。軍では費用削減のために一部の人員を除き、貴族間の紛争などの非常時に必要な人数を臨時雇用するのが一般的だった。公的機関に所属しない在野の認定者の多くは武器・装具と同じく、錠剤の費用にも頭を痛めている。
グエンダもロッシュ家に仕える今はともかく、認定者になって日が浅いころは日々のやり繰りにも苦労してきた。そのため、ロッシュ家の無駄と思った贅沢には批判的であった。
(グエンさんの気持ちもわからなくはないけど……)
ファンはそんなグエンダに目を向けながら、複雑な表情を浮かべた。
確かに皇王家から空中浮遊車を借り受けることは、ロッシュの基準で考えても安くない費用が発生する。事実、貴族の矜持のために城の周囲に広がる広大な森を維持し、継続的に蒼石を使って雨を降らしているロッシュ家は、その莫大な費用のために低迷していた時期がある。
(でも、ロッシュは今順調なんだから少しくらい贅沢しても問題ないと思うんだけどな……)
娘には甘いと言われるロサーノだが、近年のロッシュの状況は彼の指導のもとで大きく変わっていた。
まだ怒りが収まらないグエンダを、宥めるようにファンは言う。
「いいですか? ロサーノ様はしっかりと統治されてますよ。それに今年も落ちた島が多かったんで、昨年と比べても我が国ロッシュへの食料供給量は五%増、平均市場価格は九%減。工業物資に関しても――」
雨も自然には降らず、地下資源が枯渇している『浮かぶ国』において人々の生活を支えているのは蒼石だ。武器だけでなく、ほぼ全ての食料、工業原材料は蒼石から精製されている。
その蒼石は地上に落ちた島から採取される。
島――『浮かぶ国』では周囲を漂う大小様々な岩塊を島と呼ぶ。
島の元の姿は『浮かぶ国』が大地に在った時、周囲に存在していた貴族の屋敷や研究施設である。それが『浮かぶ国』が周囲の土地を粉々に割って大地を離れる際に、建物に存在した蒼石設備を核として岩盤ごと大陸に引きずられて一緒に空を漂う事になったのだ。
島は小さい物で周囲百メトル、最大級では周囲数十キロメトルを超えるものもある。
島は例外なく蒼石を貯蔵し、大きさに比例して貯蔵されている蒼石の量は増大する。
落ちた島から回収された蒼石は一度国に集められ、税として皇王家へ上納されたり、物資の生産に使われる。つまり、落下する島の数や大きさは蒼石の採取量に直接影響し、そのまま国の景気動向をも左右するのだ。
その為、島の取り扱いに関しては厳格な法が皇王家により制定されている。貴族同士の争いごとには無関心な皇王家も、島や蒼石に関係する違反には厳しく対応を行い、重大な罪を犯した貴族が取り潰されたこともあった。
何度も練習した報告書を読み上げる官僚のような内容に、グエンダはうんざりと、乱暴に手を振りかざしてファンの言葉を妨げた。
「はいはい、管理局のお役人みたいな話は結構よ」
「僕は一年足らずで、そのお役人になるんですけどね!」
ファンは得意げにそう言と、十歳の男の子のよう無邪気に胸を張った。
諸島管理局、通称「管理局」。島の牽引を許された領国にのみ存在する機関である。
その名の通り蒼石の採取源である島と、蒼石採取量と密接に連携する国の経済の二つを管理する機関だ。
全ての島は常に各国の諸島管理局により観測されており、皇王家の定める法に基づいて処理される。島は領地内で一定の高度を切ると地表に蒼石の力を使って牽引される。地上に落とされた島は入札により決定した認定者達が敵対的存在を掃討し、安全が確保されると管理局により残された蒼石が採取される仕組みである。
(そうだよ、後一年! 一年で推薦が貰えるんだ……)
ずたずたにされた自尊心を取戻すかのようにファンは拳を握りしめた。
管理局には、その国の才能に溢れた優秀な人材が集められており、その席を希望する者は多い。そのため、管理局で働くには優秀であること以外の要素――有力者の推薦も時には必要であった。ミリアム専属の講師契約の中には、不備なく二年間の契約終了後にロッシュとして管理局へ推薦するという項目があった。
輝かしい未来を想像して目尻を下げるファンを見て、グエンダは新しい悪戯を思いついた子供みたいな笑みを浮かべ、彼の真正面に回り込む。
「グエンさん?」
不安を感じて身構えるファンの首に手を回し、認定者の力で強引に引き寄せる。
それから背伸びをし、耳元にとがった唇をよせた。
「ねぇ、ほんとに役人になっちゃうのぉ?」
吐息のかかる至近距離で、わざとひそめた声で耳元に囁いた。
「えっ?」
回された手を振りほどき、一歩後ずさったファンは、思ったよりも間近にある誘うように婀娜っぽい唇に戸惑い、思わず視線を顔ごとそらした。
笑いを噛み殺して目を見つめながら言う。
「ふふっ、これ位で顔を赤くするなんて可愛いわねー」
「――――っ」
ファンも顔が火照っているのが自分でも解るだけになにも言い返せない。
意地悪く肩を震わせながら笑いをこらえてグエンダはさらに続ける。
「やれやれ、相変わらず女の扱いが駄目よね。そんなのであと一年もお嬢様をお守りできる?」
「認定者なんか嫌いだ……」
「管理局の役人なんて、ろくでもないわよ」
目尻に涙を浮かべながら、ぼそりと呟く(つぶや)ファンに、グエンダは涼しい顔で即座に言い返した。
(やっぱり僕には認定者の人がよく理解できないよ……)
『浮かぶ国』に無くてはならない認定者だが、その多くは賭け事を楽しむかのように、派手に稼ぎ、派手に使い、そして若くして命を落とす。実際、認定者の生き方は羨望の眼差しで見られると共に必要以上に関わりたくない人種として、一般の民衆から見られているのも確かであった。
ファンは四年前に事故で両親を亡くしている。その経験から彼は安定した生活を強く望んでいた。ファンにしてみれば認定者は短期間で楽に稼ぎたい愚か者に過ぎなかった。
それでも一矢報いようと質問を投げかけた。
「『天に浮かぶ月は手に届かぬが故に美しく、地に落ちた島は手に入るが故に貴重である』って言葉を知らないんですか?」
「なによそれ?」
きょとんとするグエンダにお構いなしにファンは続ける。
「古くからロッシュに伝わる戒めの言葉です。『美しくても手に入らないものに憧れるよりも、格好悪くても身近にあるものが生きていく上では大切である』、人生や恋を語る際によく使われる言葉です。簡単に言えば、『夢ばかり見てないで、現実を見ろ』って意味です。グエンさんにはぴったりな言葉ですね!」
ふむふむと腕を組みながらファンの故事の解説を聞いていたグエンダだが、何かを思いついたように小気味よく手を打った。
「えーと……月がミリアムお嬢様ってことよね、それなら島は…………あたし!?」
「ち、違います!」
「じゃあ、誰なのよ? 例の幼なじみ?」
にひひと下品な笑みを浮かべるグエンダは、まだまだファンをからかい足りないようだ。
(エレナか……。もう二ヶ月も会ってないよな……)
頭の中に故郷で母親と二人で宿屋を営む幼馴染みの姿が浮ぶ。
最後に会ったとき、肩を超える豊かな金髪を一つに束ね、生まれつきの気の強さを示す切れ長の瞳に涙を浮かべて、会えなくて寂しいと文句を言っていた、彼女の姿が脳裏を掠める。
苦笑いと溜め息を飲み込み、恋人と断言できない幼馴染みの姿を振り払うかのように頭を左右に振り、話を変える。
「そんなことより、そろそろ城に戻ったほうがよくありませんか? ロサーノ様のご帰還の理由も気になりますし、何よりお腹が空きましたよ」
ファンは小腹の辺りをさすりながら片目をつぶり、無理におどけて見せた。
「了解! おしゃべりは帰りの馬の上でもできるしね。さあ、片付けるから鎧刺し剣返して。壊してないでしょうね?」
「壊してません!」
グエンダはファンから剣を受け取り、確かめるように軽く一振りして凝集すると、腰のベルトに差し込んだ。
「さあ、城まで競争よ! 負けたら――」
「もう、勘弁してください……」
いつの間にかすっかり霧が晴れて明るくなった中、馬を繋いである森のはずれへと急ぐ二人であった。
初めて書いてる小説ですので、ペースが全く解りません……
誤字脱字、おかしな表現等がありましたら、ご指摘を頂けると嬉しいです。