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#008 ハイパーギリギリタイム!

 意味もなくバスルームの扉を前にしてたたずむ。

 アリシアのことが心配ではあったが、安易に声をかけるわけにもいかなかった。

 なぜなら、おれはまだ彼女の事情をよく知らないからだ。

 そんなわけで、ただボンヤリと過ごしていると唐突にドアが開いた。


「うおおっ!」


 必然、扉の前で待機していたおれは激しく吹き飛ばされる。

 壁際まで転がり、ようやく姿勢を安定させた。

 視界に映し出されたのは、バスルームからあふれ出した大量のもや

 腰から下は白い煙に覆われ、上半身には首にタオルをかけただけの背中が見える。

 

――やばい、こいつ。何も着けてない!

 

 急いで視覚をオフにする。このやり取り、これで何回目だよ?

 物音と気配で相手の様子を探る。しばらくゴソゴソと動いていたのは、体に付いた水滴をタオルで拭き取っているのだろう。ほどなくして、音が止んだ。そして何も聞こえなくなる。


「も、もういいかな?」


 いい加減、光学フィルターでも実装して、見えちゃいけない部分には謎の光で隠すようにするか……。

 明度と彩度を下げたまま、視覚をオンにする。薄ぼんやりと見えてくる室内。

 んー? アリシアの姿が見えない。


「また、どこかに行ったのか?」


 色調を元に戻した。まだ明るい日差しに恵まれた室内。ベットの上に白いシーツで包まれた謎のオブジェが存在している。


「ふて寝か? 行動は突飛でも、考えることは可愛らしいものだな」


 微笑ましさについこぼした。

 女の子は頭からシーツをかぶって、じっとしている。


「…………ごめんなさい」


 いきなり謝罪の言葉を口にした。


「なにがだ?」

「せっかく魔法を教えてくれたのに……。ぼく、うまく出来なかった」


 馬鹿だな……こいつは。

 ここは自分の部屋で、いるのはおれとお前のふたりだけだ。

 こんな時は遠慮せずに誰かのせいにすればいい。

 言い過ぎたと思ったら、あとで謝ればいいんだ……。でも、そんなことを言い合える友達すら、この子にはいなかった。だからひとりで帰ってきて、ひとりで泣くしかなかったのか……。


「なあ、アリシア」


 どう慰めたらいいのかわからない。でも、取りあえず声をかけてみる。

 ん……?

 だが、相手の反応はまるではかばかしくなかった。


「……おーい」


 続けて呼びかけるが、やはり返事はない。

 近づいてシーツの内側の様子をうかがう。かすかに聞こえてくる小さな寝息。


「子供かよ!」


 泣きながら帰ってきて、そのまま疲れて眠ってしまう。あまりにも情動的な女の子の行動に、おれは心の中で苦笑を禁じ得なかった。

 寝苦しいのか、ベットシーツからスッと足が伸びてきた。お風呂から上がったままの白く細い素足である。


「まったく、世話が焼けるな……」


 【空中浮揚レビテーション】で後方に移動し、シーツの端を咥えた。それを足元へ運ぼうとした瞬間。ふと、布の内側が気にかかる。

 誓って言うが覗いてはいない。視界の片隅で垣間見た程度だ。

 確信した。こいつ、履いてない……。


「やべえよ! やべえよ!」


 ついついテンションが高くなって叫んでしまった。

 すぐ近くには薄いベットシーツ一枚だけを体にまとい、まどろみに身を委ねている十代の少女。身じろぎひとつで見えてはいけないものが白日に曝されてしまうという状況。思わず我を忘れた。


「パ、パパパパパ、パンツ! パンツだ! ど、どこにあるんだ、パンツ? 早く履かせないと!」


 よく考えれば、ただの魔導書とは言え、いい年をした成人男性が女の子の部屋で血相を変えながら「パンツ! パンツ!」と、女子の下着を探している様子は変態以外の何者でもない。


「【物体捕捉サーチング・オブジェクト】!」


 部屋の内部を捜索し、それっぽい家具を探す。

 すぐに見つかった。壁際に造られているクローゼット。その中に引き出しがふたつ入ったチェストがある。


「そこか! 【開封オープン・シール】!」


 おれの魔法にクローゼットの両扉が内側から勢いよく開いた。

 風に揺れるハンガーにかけられた衣服。その下にパステル調の小さなチェストが置かれている。


「こ、この中に下着が……」


 まるで本当のダンジョンで宝箱を見つけたときのように、おれの鼓動はバクバクと脈打っていた。いやまあ、お宝発見には違いないのだが……。


「あ、引き出しには【開封オープン・シール】が効かないのか……」


 しょうがなくチェストの上に移動し、赤茶けた硬い革の表紙を引き出しの隙間にねじ込む。


「ぐぬぬぬぬっ……。おりゃああ!」


 テコの原理で引き出しを思いっきり押し出した。勢いが付きすぎて棚がチェスト本体から外れる。たちまち床の上に広がる色とりどりの下着の数々。


「あわわわわっ! し、しまった、力が強すぎた。まあ、しょうがないか……」


 緊急事態であると自らに言い聞かせ、眼下に広がる神秘のお花畑におれは舞い降りた。散乱した下着の中から適当に一枚を選び、少女の足元へ急ぎ戻る。


「う、動くなよ。絶対に動くなよ! いま動いたら、すべてがおしまいだからな!」


 眠る少女にそう語りかけながら足首に下着を通す。

 反対側を大きく引っ張り、もう片方の足を目指した。


「なんでこんなに小さいんだよ! うまく履かせられないだろ!」


 もはや口にしていることは、まごうことなき変質者である。

 とは言え、眠っている女の子に黙って下着を装着するという倒錯した行為。それになんの感情も湧かなかったのか、と訊かれれば返事に困る。

 危うい劣情を振りほどくように無心で下着を引っ張り上げる。必然的にシーツの内側へ潜り込んでいく格好となった。


「ん? なんだ……」


 完全に暗がりへと身を移した途端。アリシアが不意に寝返りを打った。


「うおおっ!」


 下半身の動きに巻き込まれ、おれは女の子の太ももに挟まれる格好となった。

 細いくせに締め付ける力が半端ない。


「ぐぬぬぬぬ……」


 股の間をズリズリして、背中の方に抜け出す。

 視界はまったく見えないが、状況はなんとなくわかった。おれのすぐ近くには女の子のおしりがある。探るようにパンツのゴム部分を咥え、懸命に引き上げていく。

 ようやくと腰の部分まで下着を履かせた時、またアリシアが姿勢を変えた。

 おれの体に今度は少女のおしりが激しくのしかかる。


「ぐえ……。お、おもい」


 意識をなくした人の体は想像以上に重い。それが小さな本に過ぎないおれの表紙を圧迫したのだ。正直、死にそう……。


「はあはあ……。もういやだ」


 命からがらにシーツの内側から抜け出す。とにかくパンツを履かせるというミッションはなんとか遂行できた。あとはブラを着けるのみだが……。


「パンツの百倍、むずかしそうだな」


 ベットから床下に移動し、まずは散らばる肌着を一箇所に拾い集めた。どのような経緯があったとしても少女がふたたび目を覚ました時、自分の下着が床一面に散乱している様子はいかなる言い訳も通じそうにないからだ。

 すべてを棚に戻し、そこから一枚のブラを選び出す。肩紐を表紙で咥えながら、女の子のそばへと戻ってきた。


「ブラなんて、外し方はわかっても着け方なんて知らないぞ?」


 絶望的な思いにとらわれていると、またしてもアリシアが動く。

 今度は息苦しいのか、腕を払って胸を隠していたシーツをめくろうとしている。


「とぉっ!」


 無機物とは思えないほど機敏な動きでおれは勢いよくジャンプした。

 本の中程を大きく開き、相手の胸を覆い隠すように上半身へ飛び込む。


「ダ、ダメだぞ! 一度でもショートケーキのイチゴがポロリしたら、この物語はおしまいだ!」


 興奮しすぎて、自分でも何を言っているのかよくわからない。

 とにかくおれはレイティングを守るため、全力で目の前の乳房にしがみついた。

 見た目には上半身裸のまま、開いた本で胸元を隠している、ちょっとエッチなグラビアアイドルの構図である。

 おれが邪魔なのか、アリシアは繰り返し姿勢を変えていく。そのたびにおれは振り落とされまいと、薄いページを利用して胸を鷲づかみにした。

 これが人間だったら、すでに立派な性犯罪者である。魔導書だから無罪というわけではないが……。


 ◇◇◇


 日は暮れて、窓の外では気の早い星たちが瞬き始めている。


「……あれ?」


 目を開けた女の子が不思議そうな表情を浮かべた。


「やっと起きたか……」


 おれは真上にいる少女へそっと呼びかける。

 声に驚いたアリシアが慌てて体を起こし、枕がある方を向いた。


「マドーさん?」

「どうだ? 少しは気分が落ち着いたか」

「ぼく、いつの間に……」

「いいんだ。悲しい時や悔しい時はいくらでも泣け。それを受け止めてやるのも大人の務めだ」


 彼女はおれを枕にしてずっと眠っていた。

 まあ油断したらつかまって、そのまま頭の下に敷かれただけだが。

 これぞまさしくピロートーク。


「これ、マドーさんが?」


 身に着けられた上下のランジェリーを確認し、問いかけてくる。


「ん? あ、まあな……」


 否定するのもおかしいと思い、おれは素直に答えた。


「み、見てないし! 触れてもいないぞ! 多分……」

「え? ああ、別にそんなことは気にしないよ、ぼくは」


 そこは気にしろ。お前のためだぞ。

 暗がりの中、微妙な空気が流れる。

 静寂を破って、部屋の扉をノックする乾いた音が響いた。

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