#026 子供が苦手な勉強を親が教えるのは無理。
「それでね、火の王サラマンデルについて詠唱中に表現される構文には何種類かあって、その中から正しいものを選ぶ問題なんだ」
「ふむふむ……」
「呪文のレベルによって、使う単語や用語の配置が変わってくるんだけど、そのルールが難しくて……」
「うーむ」
机の前で教科書を開き、問題点を訴える少女。
その脇に鎮座し、相づちを打っているおれ。
ここは学生寮のアリシアの部屋で、ただいま絶賛、試験勉強中なのである。
「おれが習っていたのとちがうな……」
世にいるお父さんたちが久方ぶりに子供の勉強を見た際、もっとも口にしそうなセリフをおれは臆面もなく口にした。
親としての見栄、体面、プライドを決して傷つけないギリギリの反応である。
だが、子どもたちはそんな大人の言い訳を意にも解さない。
「えー。呪文詠唱の構文問題なんて何百年も変わってないよ。マドーさんて、本当に魔術の専門家なの?」
ぐぬぬぬ……。
自分の半分も生きてない小娘からの冷たい視線。病気療養を理由に会社をやめた先輩が、アルバイト先で年下のバイトリーダーから投げつけられたという屈辱のセリフを思い出す。
「もー。本当に使えないんだから……」
やめろおおおおおっ! 思わず吐きそうになった。心の中の闇を。
「し、しょうがないだろ。おれは三百年も暗いダンジョンの奥にいたんだ。いまどきの魔術の教育内容なんて、知ってるわけがない」
「マドーさん。確かダンジョンで『おれは魔法を指導する書物で”魔導書”だから、アリシアが立派な魔法使いになる日まで、ずっと近くにいてやる』って言わなかった? 側にいるだけなら、ただの置物と変わらないよ」
ぐぎぎぎぎぎ……。
体が大きくなったら、それだけで大人になったと勘違いしている小娘風情が小賢しい。小さな頃は「パパ大好き! 大きくなったらパパのお嫁さんになる!」なんて言っていた娘が、ある日を境に自分が知らないアイドルグループや男性俳優の名前を口にし始め、父親などは学校の名前も知らないクラスメートと同列の扱いに落ちていく。そして、いつしかどこの馬の骨とも知らぬ輩に奪われてしまうのだ。
――憎い! この世の中のすべてが憎い!
などと、闇落ちの挙げ句に思わず世界を破滅へと誘う究極破壊魔法を口の端に乗せかかった時、ふとあることを思いついた。
「【爆轟終焉連鎖】……あ、いや。ちょっと、まてよ」
「どうかしたの、マドーさん?」
「いやいや、わからないことがあったら、それこそ教師にでも質問すればいいじゃないか? 例のエレノア先生はどうなったんだ」
エレノアというのは、アリシアが通う『王立ホワイトリリー魔術学院』の教師である。人造魔導書『ドミニオン・バイブル』のナンバー六六六に操られていたのをおれが救い出した、美人でスタイルが良くて、巨乳でいつも見せつけるようなパッツンパッツンの服を着ているセクシーな女教師である。事件の際に怪我をした箇所はおれが治癒魔法で治したので、何もなければいまも教鞭をとっているはずだが……。
「う、うん……。エレノア先生はいまも学校にいるよ」
「だったら、勉強を見てもらえよ。別にそれくらいは教師の仕事の範疇だろうし」
「でも、ぼくがそんな風に先生へ近づいたら、きっと変な噂を立てられちゃうよ……」
彼女にしては歯切れが悪く、言葉を濁らす。
あー……。つまりは、この国を統治する王家の血筋に連なるアリシアが、その立場を利用して特別な扱いを受けていると誤解されては困るわけか。
貴族ってのも色々と不便なものだな。この学校なんて、そもそもが青い血を持つ連中ばっかりなのに、その中でもこの子は飛び抜けて特別なんだな。
初めて会ったとき、「自分の実家にみんなが遠慮している」と語った言葉はウソではないというわけか……。
「まあ、それで手心を加えられたなんて思われたら大変だな」
「う、うん……。先生に迷惑はかけられないよ」
うーむ。これは困った。まあ最大の問題は細かいルールもよく知らずに、魔術の専門家ぶってるおれなんだけどな。
さて、他に何か妙案が……。ん?
「なあ、アリシア……」
「なに? いい方法があるの?」
期待を込めたまなざしがこちらを見つめている。口が裂けても魔法で答えを教えてやるなんて言えなかった。短絡的な解決方法は結果として女の子を傷つける。前回の騒動でハッキリと学んだことだ。ならば……次の一手。
「友達に助けてもらおう!」
提案を聞いて、少女はあからさまに憮然とした表情を浮かべた。
そこまで嫌なのかよ……。
「ひどいや、マドーさん」
短く答えて、顔をそむける。あ、これまずいパターンのやつだな。
「ぼくに勉強を教えてくれる同級生なんているわけがないじゃないか。みんな遠巻きに眺めているだけなのに……」
「い、いや、でもひとりだけあっちの方から積極的に絡んできてくれる子がいるだろ?」
とある女子生徒を引き合いに出してみる。そうすると、アリシアの視線がこちらに戻ってきた。
「…………それって、マリアベルのこと?」
今度は頭を机の上に乗せ、お行儀悪く訊き返してくる。
もうね。態度からまるっきり、やる気がうかがえない。ちょっと甘やかすと、すぐこれだ……。基本、社交性が低くてワガママな典型的お嬢様気質なんだよな。見た目とちがって。
「そ、そんなにキライなのか、あいつのこと?」
おれが話題に上げた女の子はマリアベルと言って、アリシアとは同学年で同じ宿舎に暮らすという間柄だ。ふたりは顔を合わせれば、しょっちゅう言い争いをしている。
「いや、別に……。好きとか嫌いじゃなくて、会うといつの間にか喧嘩になってしまうだけだよ。きっと、マリアベルはぼくのことを敵だと思っているんだ……」
ふてくされたようにつぶやく。
喧嘩ねえ……。おれみたいなおっさんからしてみれば、この子たちの言い争いなんて、子猫がじゃれ合っているとしか思えないレベルなんだよな……。
人間同士がガチのぶつかり合いをする理由なんて、金か生命のふたつしかない。
プライドは結局、金で買えるからな。
「この間みたいに、自分から会いに行ってみればいいんじゃないか?」
「え! だ、だって、あのときは猫のアレキサンダーを返しにいくっていう用事があったから……」
提案に怯えるような反応を見せた。つくづく、コミュ障だよなあ……。
「だったら、今度は”勉強を教えて欲しい”って言えばいいじゃないか」
「そ、そんなの……。恥ずかしいよ」
うーむ。重症。
「だったら、おれが一緒についていってやろうか?」
「え?」
「また、おれがこっそり、どう対応したらいいのか教えてやるよ」
「でも、マドーさんのアドバイスってデリカシーがないからなあ……」
お前が言うんじゃねえ! デリカシーどころかデカ尻のくせしやがって!
おっと、これはセクハラだな。態度を慎もう……。
「と、とにかく、じっとしていても問題は解決しないぞ。ここは大胆に勇気を持って一歩、踏み込むのが大人への階段だ」
「う、うん……。言いたいことはわかるけど」
なおも二の足を踏み続ける少女。しかし、頭をあげて唇を軽く噛みしめると、表情を一変させた。
「わかったよ、ぼくも勇気を出す」
ようやくとおれの説得が通じた。手間暇がかかる分、素直に応じてもらえると逆に愛おしい。親バカなのは否定しないぞ。
「よく決心した。それでこそ、おれの教え子だ」
「でも、マドーさんを持っていくのはさすがにちょっと不自然だよ……」
「あー、うん。そ、そうだな。参考書にしてはおどろおどろしいものな、おれのデザインって」
「あの時みたいに、ウスイさんがついてきてくれることは出来ないの?」
女の子の提案に、すっかり忘れ去っていた自身の同胞を思い出す。
そういえば、あいつってどうしたんだっけ?
確かドミニオン・バイブルを葬る際、相手とともに火を着けて……。
あ。燃え尽きたままだった。
「ちょっとまってろ。いま、復活させる……」
我ながら冷たいにも程があるが、まあ色々あったからな。
「【復活】!」
蘇生魔法を発動させると、机の上にキラキラとした灰が集まってくる。
一箇所に集まった小さな灰の山は魔力の高まりによって、ひときわ強く輝いた。
光が薄らいでいく。静寂の中、まぶしさに邪魔された視界が元に戻ると、そこに一枚の紙片が横たわっていた。
「アリシア、頑張れー! おれはいつまでも信じているぞ!」
開口一番、やたらとデカイだけの声を出す。
「あー……。その下り、もうだいぶ前に終わってるからな?」
「へ? あ、あれ? ここ、どこだよ!」
気がついた分身体である”ウスイ”が驚いたように尋ねてくる。
こいつの記憶はかなり以前の時点で止まっているのだ。
「ここはアリシアの部屋だ。あの日の事件からもう一週間以上が過ぎているぞ」
「え? どゆこと? 六六六との戦いはどうなったんだよ」
うーん。口頭でグダグダ説明するのは面倒だな。
おれは本の中程を大きく開いて、ウスイを招き入れる格好をする。
「さっさと情報を同期しろ。その方が早い」
「お、おう……。了解だ」
器用に机の上を移動してウスイがおれのところへやってくる。
ページを間に挟んで本を閉じた。緑色の光る走査線が上から下へと降りていく。
同期完了。本の内側から、紙片が抜け出していく。
「よっこい庄一っと……」
いちいちおっさんくさい言い回しがおれの神経をイラッとさせる。
基本、同じようなものであるはずなのに、ウイスのほうがなんとなくお調子者な性格をしているのだ。軽いからか?
「ふう……。まあ、色々とここまでの間に何があったのかは理解した。ところでさ……」
「ん? どうした」
「おれの扱い、ひどくね?」
う……。そう責められると返す言葉がない。燃え尽きるまで敵を追い込み、自らを犠牲にして勝利のキッカケを作ってくれた。なのに、ここに来るまですっかり忘れ去られていたのだ。
「正直わるかった。でも、おかげでこれからもアリシアと一緒にいられるんだ。それでよしとしようぜ」
「まあ、しょうがないか……。で、これからマリアベルのところへいくのか?」
しぶしぶ納得したウスイが女の子に向き直り、これからのことを訊いた。
「うん……。い、一応はそのつもりだよ……」
答える少女の歯切れは悪い。いまひとつ踏ん切りがついていないのだ。
「ようし、じゃあさっさと向かおう。大丈夫だよ。おれがまたいい感じでうまくまとめてやるさ」
怖気づくアリシアを明るく励ます。根拠薄弱でも強気に振る舞うウスイの姿は見ようによっては頼もしい。彼女もそう感じたのか、椅子から立ち上がって出かける用意を整えた。
「そうだね……。ウスイさんがそう言ってくれるのなら、ぼくも少しは安心かな」
「任せておけ、それじゃちょっといってくる。留守番よろしく頼むぜ、マドー」
女の子が教科書とノートを脇に抱え、胸ポケットにウスイを畳み込む。
「ま、せいぜい頑張ってくれ。ここで朗報を期待している」
部屋を出ていくふたりを見送りながら、小さく声をかけた。
「いってくるね、マドーさん」
最後にアリシアが返事をして扉の外へと姿を消した。
ひとり部屋に残ったおれは、ひとつ大きく息をする。
「なんだか、いいところをウスイにかっさらわれた印象だが、まあよかろう……」
うまくいけば評価は山分け、失敗すれば満を持して次におれが力を発揮すればいい。
――ふふふ、まあせいぜいおれのために頑張ってくれ、ウスイくん……。
木に登って手を伸ばし、果実を採りにいくのは子供の発想である。
大人は熟した木の実が落ちてくるのを枝の下で待つだけだ。
なんて、悪の親玉っぽい思考でひとりきりになる寂しさを必死に慰めた。




