#024 おっさんはやたらとデカイ声を出す。
女の子が両手に魔術杖をかざし、ページが開かれた青い魔導書に狙いを定めている。その前面には、紙片を大きく伸ばしたおれの分身であるウスイが体を使って突っ張る形でドミニオン・バイブルの行動を邪魔をしていた。
「ふっ……。その少女のことはわたしも知っているぞ。アリシア・ディー・グランデル。現グランデル王家の系譜に連なる一族の者だな。祖父と父はともに将軍職を務める王家の中でも生粋の武門の一族……。なのに本人は魔法学校へ入学するも成績は平凡どころか、落第間近の劣等生。教師や周囲の手を煩わせる問題児として扱われているようだな。このままでは、魔法使い失格の烙印を押されるのも間もなくだろう。そのような人間に魔法をうまく操れるわけがない……」
六六六が検索した情報を元に魔法使い見習いの少女を冷たく評価した。
「うるせえな!」
その声を打ち消すようにウスイが大きく声を張り上げる。
「な、なに……?」
「あの子が魔法使いになれるかどうかなんて、いまお前が判断できることじゃねえんだよ! アリシアは一生懸命、頑張ってる。昨日も、今日も、そして明日もだ! そしていつか立派な魔法使いになるんだ! いま頑張ってるやつを批判していいのは、それ以上に頑張ってるやつだけだ。これまでの成績や試験の結果だけで人の未来を勝手に決めつけるんじゃねえ! いま出来ないことがいつか出来るようになるのは、最後まで諦めない子だけなんだよ!」
「な、なにを根拠に……」
「理由なんてあるか! おれはあの子が頑張ってるのをこの目で見てきた。だから信じているんだ! 頑張れ、アリシア! お前はやれば出来る子だ。最後まで諦めるな! 最後になっても諦めるな! そしていつか夢を叶えろ!」
おっさんはおっさんらしく、人目もはばからずに大声で叫ぶしかない。
思春期の女の子だったら、きっと恥ずかしくて他人のふりをするだろう。
それでもいいんだ。いま伝えるべきことを伝えてあげないと、子供はどこかで道を間違ってしまう。おっさんはそれを知っているから、大きな声を張り上げる。
「やるんだ、アリシア! おれが教えたとおりにやれば、きっと魔法は成功する! なぜならおれは、誰よりも多くの魔術をこの身に宿した『魔導書』だからな!」
「……うん。わかったよ、ウスイさん。ぼくは絶対に諦めない……」
杖を持つアリシアの表情は真剣だった。いつものように両手に力を込め、真っ直ぐな瞳で標的を見据えている。ただひとつ違っていたのは、常ならば震えるように動き回る杖先が、いまはただ一点を指し示すようにピタリと止まっていた。
「見えるものをあるがままに……。それが魔法を成功させる方法……」
女の子が忠実に教えを繰り返す。これまでにないほどの高い意識の集中。かざした杖の先端に魔力がみなぎっていった。
「赤き火の精霊。祀らう声に応じよ。我は求める。輝き、猛り、灼熱の灯火を示せ。華扇を奉じ陣風を興し、渦巻く炎の姿と化せ……」
朗々と火の呪文を唱えていく。集められた魔力がオレンジ色の光となってまぶしく輝いた。
【着火】!」
アリシアが魔法の名前を大きく読み上げる。
同時に杖の先から閃光がほとばしり、ドミニオン・バイブルに衝突した。光は一瞬で弾け、周囲に存在する燃素を一箇所に引き寄せる。それらは染み込んでいた湿り気を魔導書に挟まれたことでほとんど吸い取られ、カサカサになっていた薄い紙片に小さな火を着けた。
「ウスイさん!」
「やったぞ、アリシア! 成功だ!」
火の手は煽る風にどんどんと加勢していき、またたく間にウスイの全身を覆う。さらには密着していた六六六へと即座に飛び火した。
「く、くそっ! は、離れろ……この、野蛮人め!」
「は! いまさら気がついたのかよ? お前が必死になって秘密を探ろうとしていたのは世界の知識の集大成でもなんでもない、野暮でガサツな声だけはやたとデカイ、ただのおっさんなんだよ! このまま一緒に燃え尽きるまで熱くなろうぜ!」
「ふ、ふざけるな……。貴様のような下世話な存在がこのわたしを……」
青い魔導書がもがくように体を動かす。最初はウスイに妨害をされて、移動することもままならない様子だった。だが、時が進むに連れて逃げ出そうとする動きが加速していく。魔法の台座に乗ったまま、救いを求めて建物の壁に作られた大穴へと向かっていった。
「ふ、ふふふ………残念だったな! 貴様の体が燃え進むたび、忌々《いまいま》しくわたしに取り憑いている邪魔な因子が消えていくぞ! 薄っぺらなページ一枚でわたしを倒そうとしたのが間違いだ。自由を取り戻したら、すぐに対抗魔法で火を消し、お前たちが必死に守ろうとしている場所を阿鼻叫喚の地獄へといざなってやる! 覚悟しておけ、この俗物どもめ!」
怨嗟にとらわれ、呪詛をつぶやく人によって生み出されしもの。ある意味、もっとも人間らしい感情を備えた存在……。
「だからお前は欠陥品なんだよ。感情の赴くままに動き、自制も果たさずに理想だけを高く掲げて、人の迷惑も顧みず身勝手に振る舞う。おい若造……。お前にいまから、おっさんの執念と根性を叩き込んでやる。覚悟しろ」
必死になって窮地から脱しようとあがくドミニオン・バイブル。おれはその姿を視界に収めながら、小さくつぶやいた。
続けて、うしろにいる小さな魔法使いへ大切なことを伝えていく。
「アリシア、これからおれがやることを見届けたら、お前さんはここを離れろ」
「マドーさん……。何をするつもりなの?」
「あとのことは、きっとマリアベルと彼女の一族がうまく処理してくれるはずだ。おそらく、あいつはボンヤリとこの一件について知っていたのだろう。もしかしたら犠牲者の中に自家の人間が含まれていたんじゃないか? いずれにしたって、すべての後始末はあの子の関係者がつつがなく進めてくれるだろうさ。アリシアはこれからも魔法の勉強を続けていけばいい」
「まってよ! マドーさんになにかあったら、ウスイさんが復活できない! ぼくだって、まだまだ教えてもらいたいことがたくさんあるのに……」
これからおれがやろうとしていることを鋭敏に察したのか、女の子が今にも泣きそうな声で訴えてきた。
「悪いな。おれたちは最初から決めていたんだ。アリシアの夢を邪魔するようなやつは、絶対にこの世界から排除する。そのために必要ならば、どんな犠牲もいとわないと……」
おれとアリシアのやり取りを聞いていた六六六が不思議そうにつぶやく。
「なんだ? お前たちは一体、なにを始めるつもりだ……?」
わからないか……。まあ、わからないだろうな。誰かを利用し、自分以外を犠牲にすることしか思いつかないお前には、これからおれが起こす行動の意味は決して理解できないだろう。
「頑張れ、アリシア。いつかきっと立派な魔法使いになれよ。おれたちはどこかでずっと見守っているからな……」
「マドーさん!」
「【炎上】!」
女の子の声を振り切り、火炎魔法で自らに激しい炎をまとう。
おれの姿を確認したドミニオン・バイブルはようやくこちらの意図を察したのか、急いで建物の中へ飛び込もうとしていた。
「無駄だ! この身と刺し違えてでもお前だけは地獄に送ってやるぞ! 覚悟しろ、製造番号六六六!」
逃げる青の魔導書を目指して、【空中浮揚】に乗ったまま背後に迫っていく。建物の手前で相手に追いすがり、そのままもつれ合うようにおれたちは激しい炎に包まれながら研究所へと突入した。
「な、なぜ、このような無謀な真似を……」
身を焦がす業火に焼かれながら青い魔導書が口惜しそうにつぶやく。
相打ち上等で挑んでくるとは、さすがに予想していなかったのだろう。
「ウスイが先に燃え尽きるのは最初からわかっていた。重要なのは、おれより早くお前に火が着くことだ。それならば、お前の体が燃え尽きるまで、おれは存在していられる……」
「だ、だが……。ここまで火の手に包まれては、もはや貴様も生き残れまい」
辺りはおれたちがまとった炎によって次々と延焼している。建物全体が火災炎上するまでそう長くはかからないだろう。
「だから言っただろう。おれたちと一緒に地獄に落ろうと……。初めから覚悟は出来ているんだよ! 一蓮托生だ、このまま燃え尽きるまで激しくいこうぜ!」
伸びる火竜の舌が天井の梁まで届き、いよいよ炎は建物すべてを飲み込もうとしている。
アリシアは無事に逃げだしただろうか?
薄れていく意識の中、それだけが最後の気がかりだった。
「マドーさあああァァん!」
どこかで自分を呼ぶ女の子の声が聞こえた気がする。
あせって周囲を見渡すが、内部に人影はどこにも見当たらい。
――よかった。ちゃんとおれの言いつけを守って、無茶な真似はしていないんだな。
これでいい。結局、おれには世界の平和を背負って格好よく戦うより、ひとりの女の子の大切な夢を守るほうが身の丈にあっている。
さよならだ、アリシア。元気でな……。
そしておれは心の中で右手の親指をサムズアップしながら、燃えさかる炎の海に沈んでいった。




