#023 子供は思ったよりも早く、サンタの正体に気づいてる。
目の前ではマドーが魔法のシールドを展開し、巨人の攻撃を防ぎ続けている。
一見すると激しい攻防が繰り広げられているが、実際にはただの時間稼ぎだ。
どんなに強力な魔導機械であろうとも、ただの物理攻撃ではあの盾は貫けない。
というわけで、こちらとしてはそのあとの準備を整えるとしよう。
「アリシア、提案がある……」
少女の胸ポケットに折り畳まれた格好で身を潜めている、おれ。
紙一枚の心もとない姿だが、いまは本体であるマドーと情報、感覚をリンクさせているので能力は遜色ない。
「な、なにかな、ウスイさん?」
緊張した声色で女の子が問い返してくる。
おれはこれから起こることと、そのために用意しておく事柄を手短に伝えた。
「ほ、本当にそれで敵を倒せるの?」
話を聞いたアリシアが怪訝そうにつぶやく。
まあ、彼女にしてみれば本来の敵の姿は一瞬も目にしていない状況なので、とまどうのも当然か。
この条件下で確実に相手を罠にはめ込む方策と説明されてもな。
「ぼくはいいよ。それでウスイさんたちの力になれるのなら……」
え? い、いいのかよ!
頼んでおいてあれだが、実際にはかなりアホくさい内容だそ。
実にあっさりした返答。ちょっとあっけにとられていると、女の子は胸ポケットに入っていたおれをつかみ上げ、地面にそっと下ろした。な、なんで……?
「じゃあ、どうぞ……」
そう言ってスカート状の法衣の裾をまくり上げた。
どうして、下から入れようと考えたのか、これがわからない。
大胆すぎるアリシアの行動に、おれは真下から女の子を黙って見上げているしかなかった。
視界には自ら下半身を晒した少女の姿。ま、まあ、下腹部には黒のスパッツが履かれていたので、その点はちょっと安心した。これが下着だけだったら明らかな性犯罪の現場である。
「ウスイさん。早くしないと、マドーさんの戦いが終わっちゃう」
「お、おう……。そうだな」
なぜか女の子の方から急かされ、おれは【空中浮揚】で服の内側に昇っていった。
「お、お邪魔します……」
このあいさつもどうかと思うが、それ以外になんと答えていいのかわからなかった。
体をキレイにまっすぐ伸ばし、法衣と上半身の隙間に潜り込んでいく。
お腹の部分にピッタリと張り付いて体を固定した。
「ウスイさん、どうかな。苦しくない?」
「い、いや、ちょうどいい感じだ……」
「良かった。ここへ来るまでに結構、走り回っていたから汗臭かったらゴメンね」
おい、やめろ。そういう風に言われると逆に意識しちゃうだろ!
アリシアがひとつ息をするたび、服の布地と体の間に挟まれて言いようのない圧迫感に包まれる。緊張感からか、少女の素肌にはうっすらと汗が滲んでいた。湿り気が紙に染み込み、より一層の密着性を演出する。
――こ、これが、母の懐に抱かれるというやつか……。
異常な雰囲気におれの思考も段々とおかしくなっていった。
ついつい、五感をフルで働かせてしまいそうなる。そのとき、耳をつんざぐ雷鳴が周囲に響き渡った。どうやら、勝敗が決したようだな。しかし、あのドミニオン・バイブルと呼称された、青い魔導書はなお健在だろう。やつはおれたちの魔法では倒せない。だからこその献策であるのだ。
そのためにも、いま一度、少女に伝えておかねばならないことがある……。
「アリシア、準備はいいか?」
「う、うん、言われたとおり剣じゃなくて魔術杖に持ち替えたよ。でも、ウスイさん……」
「どうした?」
「本当にぼくなんかでいいの? 初期魔法ひとつもまともに扱えないのに……」
気弱に訴えてきた。本当に剣を持っていないと、ただの女の子だな。
「試験のときはちゃんと出来たじゃないか」
「あれはマドーさんが手を貸してくれたから……」
バレてた? まあ、気づくよな。普通は……。
それでも黙って喜んでくれたのか。本当に馬鹿だな、おれは。相手がどんな気持ちで自分の前に立っているのかさえ、ちっとも見極められない。こんなんじゃ、保護者どころか、近所のおっさんすら失格だ。
「すまなかった。アリシアを騙すような真似をして……」
「ううん、それはいいんだ。自分がお願いしたことなんだから。マドーさんたちは必死にぼくを助けてくれた……。でも、今回はちがう。失敗すれば、学園のみんなが危ない目に会うかもしれない。仮に成功してもウスイさんが……」
自分ひとりのときは後先顧みず行動するくせに、他人が絡むと先回りをして動く前からあれこれと考え込んでしまう。まったく、不器用な生き方をしているな。
それもこれも生まれ持った才能と、育まれた環境のせいか……。
「おいおい。おれのことなんて心配する必要はないぞ。記憶と経験はとっくにマドーと共有している。たとえ、この体が消えても獲得した個性はまったく損なわれる心配はないからな。なんだったら、【復活】で存在ごと灰の中からだって復活は可能だ」
「でも、やっぱり……ぼくが魔法を成功させられる可能性はないよ」
なおも腰が引けた感じで弱音を吐いてくる。
こうなってしまったのも、おれが中途半端な気持ちで彼女に手を貸してしまったからだ。
だったら、今度こそおれは神様から力を授けられた、なんちゃって魔法使いじゃなく、ひとりのおっさんとして女の子に助言を与えるときだ。
「アリシア、おれにはお前さんがうまく魔法を使えない原因がわかったぞ」
「え! ほ、本当に……?」
にわかには信じがたいと思ったのか、返事にはかすかな疑念が含まれていた。
「おれが知っている話だ。異世界のすぐれた剣豪である『ミヤモト・タケシ』によれば、達人と呼ばれる人たちはたとえ稽古であっても、目の前にまだ見ぬ強敵の姿を思い描く。これは”見立て”と言って、常に心を鍛えようとする武道における精神性の現れだ」
「う……うん!」
さすがは武闘派。この手に話題には思ったよりも食いつきがいい。
「アリシアの場合もこれと同じだ。お前さんが意識を集中すると勝手に剣先が揺れるのは、自然のうちに見えない敵を意識して攻撃を避けようと身構えているからだよ」
「そ、そうなのかな……?」
なんとなく半信半疑であるが、ここは強引に押し切る。
「だが、魔術の発動はちがう。目には見えない魔力の元を集め、目に見える対象に向かって魔法を放つんだ。そこにまぼろしが介在する必要はない。アリシア、目に見えるものを正しく見通せ。あるがままに受け止めろ。ただそれだけできっと魔法は成功する」
「見えるものをあるがままに……」
偉そうに語っているが、ネタの八割は前世で愛読していた某格闘漫画の受け売りである。おれがアレンジしたのは魔法に関する部分だけ。とにかく魔力を集中して相手にぶつける。魔術の発動とは極限すればこれに尽きるのだ。
「アリシア、もう見えない誰かの態度や聞こえてもいない他人の声に惑わされるな。お前はいい子だよ。おれにはわかる」
おれが本当に教えてあげなければいけなかったのは、彼女の優れている部分を素直に認め、もっと自信が持てるようにしてあげることだった。
そうすれば、きっとおれの手助けなんかなくたって、魔法は成功していただろう。
「うん……ありがとう、ウスイさ……」
つぶやく声が急に途切れた。
「よけろ、アリシア!」
マドーの叫びが聞こえてくる。
その瞬間、服を透過して何本ものコネクトワイヤーがおれの体に深く食い込んだ。
思ったとおりだな。追い詰められた状況で素早く人間を支配するには、硬い骨に守られている頭部を避け、柔らかい腹部から侵入するしかない。やってきたコードをまるごと受け入れて、容易には解れないよう何重にも体を通す。
「…………くっ。あ、あは、あははは! やだ、くすぐったい! や、やめてよ!」
法衣の内側でワイヤーをまさぐる激しい動き。女の子がたまらずに声を上げた。
そして、ドミニオン・バイブルの触手がおれの記憶領域に侵入してくる。
ちょうどいい、魔術的にもしっかり融合しておこう。これで簡単には抜けないはずだ。
ようやくすべての作業が完了した。あとは【瞬間移動】でここから出ていくだけとなる。
さあて、いざ脱出! ………………あ、あれ?
魔法が発動しない。よく考えてみれば、やつと魔術的に深くつながるということは、互いの魔法を打ち消し合う特性をより強固にしてしまうのだ。このままでは、ここから抜け出すのは難しい。いまさらながらの結論に頭が空っぽとなる。
為すすべなく時を過ごしていると、いきなりワイヤーコードが強く引っ張られた。
「い、痛い痛い痛い! たた、助けて、マドオォォォッ!」
【壁抜け穴】でなんとか布地をすり抜けようとしたが、どうしても魔法がうまく働かない。やっぱり相手と深く干渉しすぎた影響が出ているのだ。
トレーナーに貼り付いたアニメのカエルよろしく身じろぎしていると、唐突に体が空中に浮かび出た。
「し、死ぬかと思った……」
――マドーの方で術を使ってくれたのか、助かったあ!
そして、視界をコードの発生元である青い魔導書に移した。
六六六は突如、現れたおれの姿を確認して、あっけにとられている。
ここがチャンスだ! 我を忘れてコネクトワイヤーを振り回す相手に向かい、開かれたページを目掛けて飛び込んでいく。
◇◇◇
これがドミニオン・バイブルの内部か……。やっぱりマドーと似ているな。
ん? ここにあるピクチャーファイルはなんだ……。
何人もの女性の顔写真。そのうちのいくつかにはバツ印が付けられていた。
そして、印を付けられた一枚にエレノアを見つける。こいつ、まさか……。
さらにまだキレイなままのファイルには、マリアベルやカティアの顔写真もあった。
「やっぱり、こいつを残しておいてはダメだ。いつか、アリシアにも不幸を及ぼす……」
ここに至っておれたちは覚悟を決めた。手はず通りにやつを葬る。
そのために何を犠牲にしてもだ……。
「おっけー、準備完了だ! さあ、ばっちこーい!」
内側から体を伸ばし、青い魔導書を無理やり開かせる。
これで用意は整った。互いの組織に深く干渉して魔力の発動を阻害する。
こちらが魔術を展開できないのと同様に、相手の対抗魔法を封じる。いまのおれたちは、ちょっとした火の気さえあれば簡単に燃え上がってしまう、ただの古ぼけた書物だ。それこそ、【着火】のような初級魔法でもまったく問題ない。
なおもドミニオン・バイブル六六六は不敵な笑い声を発しながら強気な姿勢を崩さない。こちらの考えなど、とっくにお見通しだと言わんばかりに口上を続けている。
だがな、おれたちにはもうひとり仲間がいる。
いまはまだまだ未熟だが、いつかは立派な魔法使いになれる素質を持った女の子だ……。
「残念だったな……ここにはもうひとり魔法使いがいる」
視界には両手で魔法杖を構えて、こちらを見据えているアリシアの姿が映った。




