#022 支配という名の愉悦。
「やったの、マドーさん?」
おれのうしろにいるアリシアが声をかけてきた。
「さあ、どうかな? 鎧騎士の方はもう動けないだろうけど、本体の六六六は相当にしぶといからな……」
巨人を倒したあとも緊張は切らさず、周囲の警戒を怠らない。
やつが”知識の雲”へのコンタクトを果たしたことで大きく能力を伸ばしたことは間違いないだろう。ならば、いまの一撃を耐えたとしても決して不思議ではない。
「みんな、戻ってこーい!」
コの字に閉じていた革の表紙を大きく開き、空に浮かんでいるファンネ……紙片を回収する。バラバラになったページが一斉におれの元へと帰還して、最後に表紙をパタンと閉じた。
「よし! 完全復活だ!」
【空中浮揚】で宙に浮かんだまま、なおも研究所の壁際に倒れ込んでいるコットスの様子をうかがう。
瞬間、胸の部分の張り出した防具がわずかに動いた。
そこから内部に隠れていたドミニオン・バイブルがいきなり飛び出してくる。
「うおおおおおおっ!」
雄叫びとともに四辺の角から【粒子光剣】を発振させ、自らは横方向に回転しながらおれの方へ斬りかかってきた。
「亀の怪獣みたいな動き方しやがって!」
迫る凶刃を【物理防壁】で受け止める。
光の刃はバリアによって大きく減衰され、表面にわずかなトゲとなって突き刺さった。
「無駄だよ。おれの魔法にお前が異様な耐性を示すように、互いの魔術は激しく打ち消し合う……。おれたちは根っこが同じものになったんだ」
「それがどうした!」
こちらの忠告などまるで意に介さず、六六六は止まることなく回転を続けた。
結果としてスパイクでシールドの側面を駆け抜けていくように、おれの横を通ってうしろへと飛び去っていく。
「逃げるつもりか!」
姿勢を動かして相手の行き先を目で追いかける。
空に浮かんだ青い魔導書はこちらの斜め前方に位置し、やつを中心とした三角形のもうひとつの頂点。そこにアリシアの姿があった。
――あいつめ、まさか!
敵の意識がおれではなく、女の子に向けられている。
狙いは最初からあっちか!
まともに組み合えば決着は長引く。そうなれば、独断で行動しているあいつは企てが公となり、現在の立場を失うだろう。ならば手っ取り早く人質をとってしまおうという魂胆か……。考えることがどこまでも自己中心的で利己的だな!
「策を持たぬまま、お前と正面からやり合うほど、わたしは無謀ではない! だが、その子をここに連れてきたのは間違いだったな! 人間を支配下に置くのがわたし本来の能力だ!」
得意気に悪魔めいたことを公言する自称、”人類への奉仕者”。これまでの発言を総じてみれば、どうやらこいつの役目は学院の管理者ではなく、不審者や反国家的な人物を監視する立場のようだ。だからこそ対暴徒鎮圧用の装備まで扱えるわけか……。
――なぜそんな物騒なやつが平和な学園にいるのかだって?
高度な学術機関には、往々にして変テコな思想に凝り固まる人間が出てくるものだ。そういった連中を影で取り締まっていたのが、六六六のお仕事というわけか……。うーん、そういう意味じゃこいつも少しかわいそうな存在だよな。
頭のネジが外れた人間をずっと相手にしていて、もういっそすべてを自分の支配下に置いてやれと考えてしまったのか……。
「この女もエレノア同様、わたしの思うまま動く人形にしてやる!」
狂気をはらんだような声で力強く宣言し、本の中程を大きく開いた。
そこから何本もの細いワイヤーコードがウネウネと伸びてくる。
――前言撤回だ! やっぱりこいつはもうおかしくなっている。
好きにさせてしまっては、この学院はおろか国家全体の危機だ。何としてでもここで食い止めてやる!
「よけろ、アリシア!」
少女の剣の腕ならば、迫りくるワイヤーをひと太刀で断ち切ることも不可能ではなかっただろう。だが、この時のアリシアは腰の鞘に剣を納めていた。
「もらった!」
ドミニオン・バイブルが会心の声で叫ぶ。同時にワイヤーが女の子の腹部へと一斉に突き刺さった。衝撃でアリシアの体がくの字に曲がっていく。
「アリシア!」
願いむなしく少女の体に深く食い込んだ敵の魔の手。うごめくたくさんの触手がグチャグチャという異音とともに彼女の胎をまさぐっていく。
「くくく……。人間の内側を侵食していく、この感じ。何度やっても飽きることはないな。特に若い女性の精神を我が物として染め上げていく瞬間の昂ぶり……。クセになる。さあ、お前もすぐに、わたしなしでは生きていけない体に作り変えてやるぞ」
恍惚とした雰囲気で歪んだ感情を赤裸々に吐露する一冊の魔導書。
その口ぶりは明らかに常軌を逸していた。
――こいつ、もしかして……。
嫌悪感が最悪の予想となって脳裏を走る。おそらく、こいつは何人もの人間をすでに殺めているかもしれない。エレノアに対する扱いの酷さ、アリシアへの躊躇ない攻撃。いずれも生命を軽んずる行為だ。
こうなったのはこいつが元から狂っていたのか、もしくは神の叡智に触れてしまったが故の堕落であるのか……。
え? オリジナルである、おれの性癖が原因。まっさかー………………あれぇ?
「お前が溜め込んだ負の感情と、その身に隠し持つ淫靡な劣情をいまわたしが開放してやろう。すべての人間性が露わとなった瞬間、人は自らの運命を他者に委ねてしまうのだ。さあ懺悔し後悔しろ、迷える子羊よ。救いはわたしの中にある……」
救済という名の洗脳を口にしながら、さらにワイヤーで相手を深く支配下に置こうとしているドミニオン・バイブル。攻撃を受けている女の子は片手でお腹を抑えながら、何かを必死にこらえている。だが、すぐに我慢できなくなって声を漏らした。
「…………くっ。あ、あは、あははは! やだ、くすぐったい! や、やめてよ!」
少女の意外な反応に饒舌だった魔導書の声が不意に途切れた。
なおも触手はアリシアの体をもてあそぶように動き続けている。
「ば、馬鹿な……。わたしの精神操作を受けて、なぜ笑っていられる? おかしい。すでに意識はこちらのコントロール下にあるはずだ。こ、こうなれば脳内を直接、探って……。ん? 『Dドライブ』……。『OTAKARAフォルダ』だと! この、機械的な構成とおっさんくさいタイトルはなんだ……?」
おっさんくさいは余計だろ!
無機物にまで容赦ないダメ出しを喰らい、思わず心が折れそうになる。
おっさんになるということは、この社会において否定的な存在と化してしまうことなのだろうか?
たとえ生まれ変わっても、心がおっさんなのは呪いと同じで変えようがないらしい。
「ど、どういうことだ? わたしはこの女の胎内を探っているのではないのか? お、おかしいぞ! こうなれば一度、引き上げて……」
思わぬ事態に六六六が伸ばしたワイヤーを引き上げようとする。触手自体は空間転移魔法を帯びていて、アリシアの服をすり抜けながら中に入り込んでいた。しかし、何かが邪魔をして服の裏地に引っかかり、容易には抜けそうにもない様子だった。
「なんだ? 何かが潜んでいるのか……」
さてと、もう十分に浸透を果たした感じだな。どんなに力を加えても相手が離れないという現実。これは物理的なだけではなく、術的にも融合を果たしている証拠だ。
「むむむむむっ! むーむーむー!」
アリシアの法衣の内側から不気味な唸り声が発せられる。
到底、聞くに耐えられない醜い豚が吠えているような印象だ。
あれが自分の分身であるとは決して認めたくない……。
「干渉しすぎて、魔術が発動しなくなったのか? まあ、見捨てるわけにもいかないし、このままじゃアリシアの服が破れてしまうか……。【瞬間移動】」
おれが魔法を使うと、それまで抜けなかった六六六のワイヤーが急に宙を舞った。
たわんだ糸の先に絡んでいるのは一枚の紙片。
「し、死ぬかと思った……」
空中に躍り出たウスイが命からがらに声を絞り出す。
なぜだろう? いっそ死ねばいいのにという、嫉妬にも似た感情が心をよぎる。
理由はやつがアリシアの服の中に隠れていた際、そこで味わった体験と興奮。それが共感覚を通じてこちらにも伝わってきたからだ。まあいい。それについてはどうせやつの口から、あとでグダグダと説明するだろう。いまはとにかく相手のほうが先だ。
「な、なぜだ……? なぜ、お前がそのような場所にいる?」
コードの先につながる異分子を見て、驚いたように青い魔導書がつぶやく。
「……単純に予想していただけだ」
「な、なんだと?」
おれの返答に思いがけず訊き返してくる。
「最初に人を操っておれを襲い、次には人類が創り出したものを利用してこちらを抑え込もうとした。お前の発想はいつも誰かを利用することから始まっているんだ。だったら今度は、ここにいるただひとりの人間を狙うくらい、容易に見当がつく……」
強気に答えてみたが、実際には半信半疑であった。最悪、コットスが沈黙したあと、やつが逃げ出すパターンも考えていたのだ。そうなれば行き先は学校か学生寮、とにかく人の多い場所となる。そこで誰か別の犠牲者が選ばれたら事態はさらに深刻だったろう。
「ええい! わたしから離れろ! ま、待ち伏せしていたというのか?」
「さんざん人の中身をイジっておいて、随分つれない反応だな。せっかくひとつになれたんだ、どうせならこのまま地獄まで一緒にいこうぜ!」
「な、なに? 一体、なんのつもりだ、お前は!」
コネクトワイヤーを派手に振り回し、先端にまとわりついたウスイをどうにか振りほどこうと試みる。だが、複雑に絡み合ったコードは幾重にも相手の体を貫いており、絶対に外れようとはしなかった。
「よっしゃ、いくぜ!」
ドミニオン・バイブルは大きく本を開いたまま、触手のようなワイヤーを伸ばしている。その懐に向かって、ウスイが一気に飛び込んだ。勢いで青い魔導書のページが紙片をくわえたまま閉じられる。
「な、何をする! やめろ、わたしの中から出ていけ! そのような趣味はないぞ!」
勘違いした六六六が気色の悪いことを口走りながら、その場でのたうつ。
じたばたともがく姿は殺虫剤を浴びせられて死にかけの”G”だ……。
「おっけー、準備完了だ! さあ、ばっちこーい!」
ウスイの声がふたたび聞こえると同時に、閉ざされていた青い魔導書がもう一度、中心から大きく見開かれた。まるで伸び切った貝柱のように紙片を目一杯に広げ、ドミニオン・バイブルを無防備な状態で晒している。
「クソ! 目的はなんだ?」
「言っただろうが! 一緒に地獄へ落ちてもらうと!」
「なっ! ま、まさかお前は、自分もろともわたしに火をかけようとでもするつもりか……?」
身を賭した相手の行動に怯え、震えるような声を上げた。
「察しが早くて助かるな。お前にはなんとしてもここで消えてもらう!」
「ふ、ふふふ……。なんと、おろかな」
「は? いまなんて言った!」
「おろかと言ったのだ! わたしたちは互いに打ち消しあう存在。お前がどれほどの火属性魔法を使おうが、この体にはもはや焦げあとひとつ付けられないぞ!」
こちらの思惑を読み切って、勝ち誇るように言い放つ。
まったく厄介な存在だよ……だが!
「残念だったな……ここにはもうひとり魔法使いがいる」
ウスイが即座に敵の主張を覆す。その言葉を受けて、やつの注意がおれの方に向けられた。
「そっちじゃない……」
なおも続けられる意識の誘導。最後に六六六が見つめたのは、いま自分が目にしているものとまったく同じはずだ。
視界の中心には両手で魔術杖を握り、ドミニオン・バイブルに狙いを定めているアリシアの姿があった。




