#015 おっさんの話が長いのには理由がある。
「これは……。その、魔法の練習だよ」
振り返り、ごまかすような言い訳を口にした。
顔を上げたマリアベルは真剣な眼差しでさらに問いかけていく。
「今日の試験は無事に合格出来たのでしょう?」
「ど、どうして……それを」
「結果の如何に関わらず、わたくしにも連絡が来るよう手配をお願いしておりましたの。まずは合格、おめでとうアリシア」
なんと言うか用意周到だな。
「……ど、どうも、ありがとう」
ぎこちなくお礼を告げる。でも足元はすぐにここを出ていこうと、踵を浮かせていた。
「それでも、質問には答えていただけませんのね」
「べ、別にそういうわけじゃ……」
「いいのですわ。あなたが剣を携えてどこかへ行こうとしている。その場合は、かなりの危険を覚悟してのことなのでしょう?」
「……どうして、それを」
「一応、あなたのことはそれなりに存じていますわ。こちらの実家とも浅からぬ関係ですし……。ただ、何かわたくしにもお手伝い程度は出来ないのかしら?」
予期せぬ申し出にアリシアの表情が若干、とまどいを帯びる。
だが、すぐに気を取り直して答えを口にした。
「ありがとう、アリシア。でも、これからぼくがやろうとしていることに、他の子を巻き込むわけにはいかないんだ」
「そうですか……。まあ、いつもの独りよがりとは様子が違うようですわね」
「う、うるさいなあ、もう……」
やんわりと日々の行いを批判され、いつものように悪態をつく。
「わかりましたわ。これからあなたが何をしようとしているのか存じませんが、あとのことはわたくしたちがなんとかいたします」
「な、なんとかって?」
「この学院にはわたくしやカティアの家の関係者が少なくありませんわ。なにか変わった事件が起こったとしても、すべてアクシデントとして処理するように手を回します」
さり気に権力を誇示して見せる。ありがたい話だ。しかし、そこまで大事になるとは考えていなかった様子のアリシア。彼女は明らかに引いていた。
「ウ、ウスイさん。こんな時はどう答えたらいいの? ぼく、わからないよ」
ひっそりと小声でおれにアドバイスを求めてきた。そんなこと訊かれてもなあ……。女の子の同士のセンシティブな会話なんて、デリカシーの欠片もない単なるおっさんに理解できるはずもなかろう。
「ん? ああ、そうだな……。取りあえず、大げさに喜んでおけばいいんじゃないか?」
「な、なんだよ、それ……」
「いいから素直に感謝だけしておけ。本当に困った時、誰かに助けてもらえる人間は、どんなお土産を渡されても笑顔で受け取るやつだぞ」
「い、意味がわからない」
「だから言ってるだろ。考えるな、反応しろ。子供みたいに無邪気に笑え。誰かに怒りをぶつける時と同じくらい、熱を入れて相手に喜びを伝えろ。そうしたらいつか誰かが手を伸ばしてくれる……」
「ええええ?」
おれの乱暴すぎる助言に困惑しきりのアリシア。その様子を見て、相手が不思議そうに顔をのぞき込んできた。
「どうかいたしましたの? アリシアさん」
「あ! ううん、なんでもない……。あ、ありがとう、マリアベル! 心配してくれて」
「え? ええ……。べ、別にこれくらいのことは、わがカベンティール家の力を持ってすれば、じつにたやすいことですわ」
予想していなかった返答に少し頬を染めながら、得意げに語ってみせた。
意外とちょろいな、こいつ……。
いずれにせよ、これで多少の無茶をやってもアリシアが責任を問われる心配はなくなったわけだ。ならば、結構。
「悪いけど、もういくよ。いまはちょっと急いでいるんだ……ごめんね」
今度こそ部屋を出ていこうとして、扉に手をかける。
その背中にマリアベルがもう一度、呼びかけた。
「アリシアさん。よろしければ、またアレキサンダーと遊んでいただけますか?」
その問いかけは不意打ちになったのだろうか。
少しだけ笑顔を浮かべながら、マリアベルのいる方に振り向いた。
「猫と一緒ならいつでも大丈夫だよ」
「それはよかったですわ」
結論は結局、猫かわいいである。
扉を抜けて廊下に出る。
閉ざされた部屋のドアを背中にして、アリシアが大きく息を吐き出した。
「そんなに緊張するなよ。たかだが同じ年頃の女の子だろ」
「だ、だって、自分から他の子の部屋を訪れるなんていままでしたことないし……」
「まあ、おれもアリシアくらいの年には、女の子の部屋に入った経験なんてなかったけどな」
見当違いな例を持ち出して場を和ませようと試みる。
冴えないおっさんは若い頃も当然、冴えない学生だったわけだし、当然だな。
あれ? もしかしておれって、転生して初めて女の子の部屋に入ったわけか……。
当の本人には、その自覚がまるで欠けているわけだが。
「なあ、アリシア……」
「なに?」
「……よかったな」
「な、なにがさ! いきなり変なこと言わないでよ、ウスイさん!」
おれの声に顔を赤らめて反応する。
どんなに表面で強がって見せても、中身はひとりの女の子だ。
友達が出来て嬉しくないはずはなかろう。
◇◇◇
外に出ると、日は大きく傾き始めていた。
時はまもなく夕暮れを迎える。
おれとアリシアは学生寮を出て、校舎の正面玄関付近へとたどり着いた。
念の為、【構成不可視】の魔法でアリシアの姿を隠しておく。敵の目を欺くと言うより、彼女を他人の目に触れさせたくなかったからだ。
「ウスイさん。ぼくはこれからどこに行けばいいのかな?」
出てきたはいいが、行動の指針が一向に示されず、女の子が困ったように問いかけてくる。
「ああ、それなんだがな。一応、目安は付けてある。【周辺検索】でこの辺の建物を片っ端から検索してみると、名前の判明しない場所が四件あった。どれも厳重に結界を張っているのだろう。その中のどれかだな」
「それでも四件……。手当たり次第に調べるの?」
「いや、そんな面倒なことはしない。ちょっと待っててくれ」
アリシアにそう答えて、ダウンロードを開始する。
しばらく待って、ようやく魔法を発動することが出来た。
「【魔力追跡】!」
魔力の動きを光の線として追いかけていく魔法。幾筋もの光線が校舎の入り口から無数に走っている。それらの大部分はもっとも人の往来が激しい学生寮とつながっていた。だが、そうした流れに逆らう一本の太い線が見つかる。
「ウスイさん、あれって?」
「間違いないな。一本だけなのにウソみたいな大きさの魔力。他とはちがって、すぐに人の少ない方に向かっている。おれの本体を抱えたまま移動した跡だな」
光は建物の間を通って、敷地の外れへと続いていた。
小高い丘の上に造られている学園。その中でもさらに坂道を登った場所にある小さな建物。目立つ光跡はそこまでつながっていた。
「あれか……。どういう場所か知っているか、アリシア?」
「えっと……。オリエンテーリングで案内された記憶があるよ。確か、ハウゼルクリスリング研究所。主任研究者のひとりがエレノア・クリスリング先生……」
「身内に実力者がいて、その縁故で引き立ててもらった感じか。隠れ家とするには最適かもな」
「じゃあ、あの中にマドーさんが?」
「ああ、可能性は大有りだ」
独立した外部の研究所なんて、他人が容易には入り込めない格好の秘密基地である。理由を付けて中で怪しい行動をするのは昔からのお約束だ。
「さっそく行こうか、ウスイさん」
「了解した。ただし……」
「ん? まだ何かあるの」
「ひとりじゃ無理だと思ったらすぐに撤退するんだ。あとは誰か偉い大人たちの判断に任せろ」
「でも、それだとマドーさんの存在が……」
おれの忠告に女の子は異議を唱えようとする。
もしかしたらプライドを傷つけてしまったのかもしれない。剣の腕だけは他に並ぶものがいないレベルで達人だからな。こちらとしては、だからこその線引きなのだ。
「おれの存在なんて、最後はいまのように紙切れ一枚残っていれば上等だ。だが、お前さんが傷つけば誰かが悲しむ。いいか、魔導書に隠された知識を守ることと、アリシアの安全を果たすこと。このふたつはおれ自身にとって同等なんだ。どちらかを実現するために、いずれかを犠牲にするなんて許さない……。この不始末の決着を付けるのはあくまでもおれ自らだ」
少し説教臭く言い含める。話が長いのはおっさんの悪い癖だ。
だけど、自分より若いやつを守るのがおっさんの責任だ。それが出来なかったら、なんのために長く生きてきたのか意味がわからない。
「ウスイさん、それが君のお願い?」
「命令だ。何よりもアリシア自身の命を大事にしてくれ」
「わ、わかったよ……」
いつもとは異なる雰囲気に、さすがのお転婆娘も素直に従った。
とは言え、そんな女の子の手を借りなければ局面の打開を果たせないのが、いまのおれの現状なのだ。口ほどにもない。
「それじゃあ、いくよ。ウスイさん」
「おう、よろしく頼むぜ」
迫る夕暮れを追いかけていくようにアリシアが駆け出した。