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 数週間が経過した。

 少女はぼんやりと本の中身を眺めていた。

 少女の周りの本たちは整理されて、確認済みの本とそうでない本できちんと区別されていた。

 少女は、流し見た本を閉じて、無造作にその辺へ投げつけた。そして、膝を抱えて、じっとうずくまってしまった。

 青年は、あまりこの部屋に来なくなった。時々本を見繕いに来て、散らかった本たちを整理し、そして目的の本を抱えて出ていった。少女が話しかけない限り、青年もこちらに話しかけることは無かった。

 少女は頭を深く自分の膝に埋めた。

 青年と女は元に戻る方法を探しているようだった。青年と女の進捗状態を少女は知らないでいた。順調に進んでいるのかもしれないし、難航しているのかもしれない。でも少女は、なんとなく、もう青年を元に戻す方法など見つからないのではと思っていた。

 少女がどれだけ本を探しても、目的の魔法は見つからなかった。そもそも、少女は魔法のことをよく知らず、本に書いてあることをただその通りに実践するだけだったので、そのままの目的の魔法が書かれていなければ、少女には役に立たない。

 少女は自分の頭の悪さが嫌になった。少女は自分の事が嫌になった。

 自分が、愚かで、惨めで、恥知らずの、薄汚れた存在に思えて、たまらず消えていなくなりたくなって、ただただ心臓のあたりを押さえて、延々と泣きじゃくるようになった。

 どうしてこんなことになったのだろうと、少女はずっと考えていた。自分が、この家で、魔法を覚えなければ、魔女が、こんなことを自分にしなければ、そもそも、家族の皆が、死ななければ、こんなことには……。

 そこまで考えそうになって、少女は頭を掻きむしって、無理矢理思考を止めた。

 少女は、頭を両手で強く抑え込んで、ぶるぶると震えていた。何も考えないようにしても、勝手に思考が流れ出した。

 ……どうして、私なのだろう。どうして、私が、こんなに酷い状況に巻き込まれなくてはいけないのだろう……こんなにどうしようもない状況で……人の人生を滅茶苦茶にして……人にひどく恨まれるようなことになって……私が何か悪いことをしたのだろうか……悪いことをしたからその報いを受けているのだろうか……少し前まではとても楽しい日々を過ごしていたのに……そもそも、あの人が、彼を探しにここまで来なければ……せめて、この島を、見つけられないでいてくれたら……あの人が、いなければ……私は……ずっと、ずっと。

 そこまで考えて、少女は、嗚咽を漏らして、涙を流して、胸が苦しくなった。

 自分の魂が、とても薄汚れてしまったように感じた。前までは、悪いことを考えず、他人の幸せを願って、誰にだって誇れるような生き方をしようと、胸を張って、真面目に生きていたのに。

 家族の事を思い出しそうになって、必死に心の中で押しとどめた。とても苦しかった。歯を食いしばって、唸って、辛そうにうずくまったままでいた。

 どうしてこんなことに。いつまでも、少女はそう考えずにいられなかった。


 また数週間が経過した。

 青年が部屋にやってきて、少女に報告をした。

 「元に戻る方法を見つけました」

 「……は?」

 少女はきょとんと青年を見詰めた。青年は平然と言葉を続けた。

 「いや、さすがに魔女の残した書物ですね。難解で自分たちの発見していない理論が山ほど書かれていました。理解するには骨が折れましたが、あの女もやはり天才ですから、うまいこと内容を把握することができました」

 「……」

 「まだ試していませんが、いくつか実験を通して、効果を確実な物にしたら、すぐに僕の頭は元に戻れるでしょう」

 「……」

 「しかし魔女は凄まじいですね。あれほどの知識体系をどうしたら人間が持てるのか……魔女はもしかしたら、人間以上の何かだったのかもしれませんね」

 「……」

 「あの女の怪我を治しました」

 「え?」

 「簡単な治癒魔法なら僕にもできます。まあ、手順通りに仕草をするだけですから、当然ですけど」

 「……」

 「今日明日中には、魔法の確証を得られるでしょう。そうしたら、僕の頭は、事故以前のものに戻ります」

 「……」

 「本当によろしいんですか?」

 「え?」

 「僕の頭を元に戻しても。元に戻ったら、きっと僕はあの女と一緒に、国へ帰ることになりますから」

 「え……と、あの人の、怪我を治しても、大丈夫なんですか」

 「大丈夫ですよ。あの女の目的は、僕を連れ戻すことですから。もうあなたに危害を加えることはないです」

 「いえ……そうでは、なくて……」

 「あいつも魔女の持つ魔法には興味があるでしょうが……早いところ国へ帰らないといけませんからね。僕もそれに付き合わないといけない」

 「言っていることが……滅茶苦茶ですよ……だって、国に帰りたくないって……」

 「……ああ、あのときは見苦しい嘘をつきました。そうでもしないと、この島に居続けられないだろうと思ったんです。でももう、あいつが来た時点で、手遅れだったんですね」

 「……」

 「……本当にお世話になりました。あなたがいなければ、僕はここで野垂れ死んでいたかもしれない。元の頭に戻っても、このご恩は絶対に忘れません」

 「……そんな」

 「ああ、そろそろ行かないと。今日はこれから、あの女の魔法の実験に付き合わないといけないんです」

 「……大丈夫ですか?」

 「え? 何がですか?」

 「だって……いえ、何でも、ないで、す」

 「……じゃあ、また明日」

 「……」

 だって、あの人に洗脳されるかもしれないじゃないか。私が使った魔法で、また洗脳させられてしまうかもしれない。

 そもそも、青年の態度があまりにあっさりしすぎではないのか。あれだけ用心深かった青年が、あっさりと女の怪我を治して、魔女の魔法についての情報を提供して、実験に付き合ってあげたりするだろうかと、少女は、思った。

 実は、もうすでに、あの人から洗脳を受けているのではないのかと、少女は思った。

 手足の動かない体で、どうにか青年の意思に干渉する術を持っていたのではないのかと少女は思った。

 今の青年の言動は洗脳を受けてのもので、今青年が向かったのは更にその洗脳を強固にするためのものではないのかと少女は思った。

 青年の頭を元に戻す方法がそんな簡単に見つかるだろうかと、少女は思った。

 人間の魂の歪みを治すことは難しいことだと、自分で言ってたのに。

 私がどれだけ探しても見つからなかった物を、どうしてあの人が?

 少女の頭は混沌として、体がよろけて倒れそうになった。尻もちをつくかのように座り込んで、少女はそのままじっと考え込んでいた。

 「もう一度、魔法をかければ……」

 もう遅い。女の怪我は治った。出し抜くことは難しいだろう。

 「なにか、他に、魔法は……」

 今まで興味の無かった魔法を思い出そうとした。人を殺す魔法なら、この家にたくさんある。

 そこまで考えて、少女は、気持ち悪くなって、胃の中の内容物を、残らず、床にぶちまけてしまった。口の中が酸っぱくて、少女は、息を荒く吐きながら、涙をぼろぼろとこぼしていた。

 「うううう……」

 少女は、自分がとても醜く思えて、悲しくて苦しくなった。

 「お母さん……おばあちゃん……」

 少女はずっと泣いていた。


 それから数日して、青年は女と一緒に国へ帰ることになった。

 青年は自分の頭が元に戻ったことを少女に報告して、すぐにでも帰らなくてはいけないことを少女に告げた。青年は、少女が罪悪感に囚われていることを気にして、自分は少女を感謝こそすれ恨んでなどいないし、少女が青年の事を気に病むことはないのだと、とても優しく伝えた。

 「ですが、やはり僕は国に帰らないといけません。アイリスの手伝いをしたいので……」

 「……アイリス?」

 少女は薄汚れた目つきで青年に問い返した。

 「ああ、彼女のことですよ。アイリスって言う名前なんです」

 「……」

 「アイリスだけではありません。兄や両親、他の人の為にも、帰らないといけない」

 「……」

 「随分と心配をかけてしまったことと思います。このご時世、情勢も次々と変化していきますから……一刻も早く帰国して、自分のなすべきことをしないと……」

 「……自分の、なすべき、こと?」

 「そうです。大事なことです。この気持をしばらく忘れていましたが……」

 「……」

 少女はじっとりと青年を睨んだ。青年は、柔らかく少女にほほ笑んだ。

 「何度も言いましたが、気に病むことはないんです。こうして、元に戻れたのですから……問題ありません」

 「……」

 少女は、ぐっと力強く自分の服の裾を握りしめた。

 「ああ、そうそう」

 青年は唐突に紙の束を自分の荷物から取り出すと、それを少女に手渡した。

 少女は受け取って、それをしばらく眺めた。

 「これって……」

 「前に、プレゼントするといったまま、結局渡せずにいたものです。せめて帰る前には渡しておこうと思いまして……」

 青年は微笑した。

 少女は、その紙に描かれた絵を眺めていた。

 それは青年が少女のために描いた絵で、いろいろな航空機や動物の絵が、十枚程度にわたって、丁寧に描かれていた。少女にとって、やけに懐かしく思えて、少女の紙を握る手が震えて、ぎゅっと握りしめる力が強くなった。

 「あなたと過ごした日々は楽しかった。それは間違いの無いことだと思うんです。僕は、あなたの作るご飯も、あなたの作る服も、あなたと一緒にいる時間も大好きでした。だから、どんな事情にせよ、良かったですよ。この島に来られて」

 少女は暗い目をして、辛そうに歯を食いしばって、ひたすら感情がほどけそうになるのを我慢した。

 「そろそろ外に出ましょう。アイリスが待っていますから」

 青年と少女は、外に出た。そこでは、女と女が乗ってきていた航空機があった。

 女は、青年の姿を確認すると、さっさと青年の手を引いて、航空機に乗り込もうとした。

 「待ってくれよ。まだちゃんとお別れの挨拶をしていないんだ」

 「ああ、そうかい」

 女の少女を見る目つきは、極めて無関心なものだった。女は一瞬だけ少女を目に入れてから、すぐに青年へ視線を移すと、早く済ませろよと言い残して一人航空機に乗り込んでいった。

 少女は、じっと俯いていた。

 少女は、ずっと考えていた。

 「……セリアさん。いろいろありましたが、お世話になりました」

 「……」

 少女は、力無く青年を見返した。

 「達者でいてください。この島にいれば、安全だとは思いますが」

 「……」

 「……」

 「アークさん」

 少女が不意に声を出した。青年は少し驚いて、少女に優しく微笑んだ。

 「なんでしょう」

 「……」

 少女は、葛藤している様子だった。無様に震えて、自分の服の裾を限界まで握りしめていた。

 青年は、それをじっと見ていた。

 「……どうか」

 少女は、振り絞ったような声で言った。

 「どうか、お元気で」

 少女は、歯を食いしばっていた。

 「ずっと、元気で、暮らしてください。どうか、幸せに、幸せに……」

 それ以上、少女は言葉が出ないようだった。青年は、それを悲しそうに見ていた。

 青年と女は、島を離れていった。


 少女はずっと立ちすくんでいた。

 辺りは静かで、時折風が吹いて、ざわざわとした音がするくらいだった。

 「達者で……」

 少女は、息苦しくなって、全身の血が冷たくなって、吐きそうなくらいに気持ち悪くなって、これらをどうにかして、抑えようとしていた。

 「これから……これから……」

 これから、どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう……。

 少女は、吐いた。地面に吐しゃ物が落ちて、ケホケホと何度もえずいた。

 頭の中で色々なことが渦巻いていた。女の顔、青年の様子、自分のしでかしたこと、考えたこと、笑う青年の顔、無関心な女の顔、汚い吐しゃ物、魔女のこと、手足が変に曲がった女の姿、冷徹な青年の様子、笑う青年の顔、楽しく話した光景、女の話、今までの事、これからのこと、グルグルと、少女の頭の中に、そんな光景が、浮かびあがっては沈んでいった。

 少女の息がとてつもなく荒くなって、目から涙がこぼれて、動悸が激しくなっていった。

 「……うああ、ああ、ああああ」

 少女はいきなり走りだした。手足を必死に動かして、森の中を進んでいった。

 何時間も走って、地面に躓いて転んで、また立ちあがって、それでも少女は、何かに追われるように、必死に、走って行った。

 走り続けて、やがて少女にとって、なじみ深いはずの場所に近づいてきた。古い記憶に見覚えのあるような光景が続き、弟を探索した時に見たはずの風景を抜けて、少女は、必死にそこへ向かった。

 しばらく行ったところで、少女は立ち止まった。

 膝に手をつけて、激しく息を出し入れして、汗を流しながら、少女は、そこにあるはずの物を探した。

 辺りを見回して、必死の形相で、少女は、自分の家族の墓を探した。

 しかし、どれだけ探しても、そこに建てたはずの墓は見つからず、ただ平らな地面があるのみだった。

 少女は、息を荒く吐きながら、泣きだしそうな表情になって、そこら辺の地面に飛びついた。

 そして道具も使わずに、自分の手で地面の土を掘りだしていった。必死に土を掴んで、どけて、その下にあるはずのものを見つけようとしていた。

 「……助けて」

 どれほど掘っても、土をどけても、何も見つからなかった。

 「助けて、助けて、助けて、助けて」

 それでも少女は一心不乱に地面を掘り続けた。指に血がにじんで、腕がぶるぶると痙攣しても、少女は止めなかった。

 「助けて、お母さん、おばあちゃん、助けて、助けて!」

 少女は地面を必死で掘った。手で掻きわけて、奥へ奥へと掘り進んでいった。

 「助けて! 助けて! おばあちゃん! おばあちゃん! お母さん! お父さん!」

 しかし何もみつからなかった。

 「助けて! 助けて! 助けて! 誰か、誰か! 助けて!」

 腕が動かなくなった。そのまま、少女の体は、へたり込んで、地面に沈み込むように、動かなくなった。

 「うううううううううううう」

 少女は、涙を流しながら、いつまでも唸っていた。

 少女の掘った暗い穴の底には何もなかった。


 少女は一点を見続けていた。

 青年が島を出てから数週間後、少女は、青年の部屋を片付けていた。といっても、その部屋は綺麗に使われていて、青年の物もあまり残っていなかったから、そう片づける物もなかった。

 少女は、部屋の真ん中で、立ちすくんでいた。

 少女は、青年から貰った絵を手に持っていた。それをじっと眺めていた。

 少女は、長いことそれを眺めていた。しばらく眺めて、それを破ろうと両手に力を込めた。

 しかし、破くのをやめた。それを元にあった場所に置いた。

 少女は、無表情にそのまま立ちすくんでいた。


 いきなり、玄関の扉を叩く音がした。


 少女は、のろのろと玄関の方を向いた。再び叩く音がしている。

 少女は、しばらくぼうっとしていたが、叩く音が一向にやむ気配が無いので、少女は反射的に玄関の方へ向かった。

 玄関の扉を開けると、青年が立っていた。

 少女は、目を少し見開いて青年を眺めていた。

 青年は、緊張した顔をして、説明した。

 「また戻ってきてすみません。でも、ここしか行く場所が無かったんです。というのもですね、僕のいた国で酷い内乱が発生してしまいまして、それが国を滅ぼすような深刻な内乱だったんです。

 内乱を引き起こしたのは彼女です。彼女と僕があの国へ戻った時には状況は最悪となっていました。仇敵の策によって彼女の立場と僕の立場はかなり悪いものへと変わっていました。

 だから、一か八か内乱を引き起こしたんです。これ以上状況が悪くなる前に、現状の戦力で一気に首を取ろうとしたんです。ですが、これがかなり大きな騒ぎになってしまいまして……なにせ、多くの人間を巻き込んで、対立して、内乱が発生してしまいましたからね。信じられない規模の争いとなって、結果的に国自体を滅ぼすことになってしまいました。

 僕を連れ戻した彼女もきっと死んでしまったでしょう。僕の家族も皆死んでしまいました。国のほとんどの人間も死んでしまいました。もう僕に行き場はありません。

 ですから、どうか、ここに住まわせていただきたいと、お願いしに来たのですが……」

 少女はしばらく青年を見詰めた。表情は無かった。

 少女は、静かに泣いた。穴から染み出るように涙を落していた。ぽたぽたと頬を伝って、地面に次々と涙の跡が溜まった。

 「……あの」

 青年の呼びかけにも反応せず、少女は涙を流し続けて、力なく俯いた。青年からは、その顔を窺えなかった。

 青年が、おずおずと少女に手を差し出した。

 「……そうだ。これから、いろいろな物を見に、外へ行きませんか? あなたが見たことのない動物や景色、街並みなんかも。知っている限りは、僕が案内しますよ」

 青年は精一杯、少女に声をかけた。

 「……また、僕にご飯を作ってください。僕と、話をしてください。僕にわがままを言ってください。笑った顔を見せてください。幸せそうな顔をしてください。泣かないでください。悲しそうな顔をしないでください。どうか、また……」

 青年はそこで、言葉を止めた。そして押し黙った。


 長い時間が過ぎて、少女が、両手を伸ばした。

 少女は、青年の手をそっと両手で抱え込んで、自分の体に引き寄せた。


 青年が少女の顔を見ようとした。しかし、少女は、俯いたままだった。

 青年の手に、ぽたぽたと涙が当たった。少女の手は震えながら、青年の手を弱弱しく握っていた。

 青年は、逡巡して、少女の手を引っぱった。

 「……行きましょう。大丈夫。きっと、これからは……」


 青年に連れられて、少女は歩き出した。

 その行く先も、わからないままで。


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