7
その後のある日、一人の女がこの島に辿り着いた。青年の関係者のようだった。少女はひどく驚いて、青年はじっと黙っていた。
その女は、朝に、少女たちの住む家の扉を叩いていた。少女が出ると、不機嫌そうで、しかしどこか緊張した面持ちで少女を見た。
最初、少女は何も言うことができないくらいに驚いていた。そんな少女に構わず、女がさっさと言葉を発した。
「アークを返して欲しい」
「え? あ、あの、もしかして、アークさんのお知り合いですか?」
女はイライラした様子で、少女を黙って見ていた。少女は、そんな女の様子を見て、戸惑いと怯えを感じた。
少女は、どうしていいかわからずまごついていたが、とりあえず、女を招き入れることに決めた。
「……あ、あの、とりあえず、家の中に、どうぞ……」
女は露骨に眉をひそめて、玄関から見える家の中を観察した。その様子は念入りなもので、それに込められた露骨な警戒心を少女は悟った。
「……どうしました? もしかして、誰かが来たんですか?」
青年が、話を聞きつけて、その場に顔を出した。女は、青年を見て驚いた。
「アーク!」
「……」
青年は眉を上げて、しばらく黙った後に、尋ねた。
「どちらさまですか? あいにく、僕には記憶が無いんです」
「はあ? 何を言っているんだ……。アーク! 今まで何をしていた! どうして私に連絡をしなかった!」
「だから、記憶がないんです。あなたが誰なのかすら、僕にはわからないんです」
「……」
女は呆然としているようだった。
「どうやらあなたは僕の関係者のようですが、どうして僕の場所がわかったんです? そもそも、どうやってこの島に入り込んできたんですか?」
女はじっと青年を見続けて、突然目を見開いた。
「……まさか、お前」
「……」
青年は露骨に顔をしかめた。
二人はしばらく黙りこんだ。
少女はこのやりとりをおろおろと眺めることしかできないでいたが、黙り込んだ二人を見て、話を切り出せるタイミングだと判断したのか、ようやく決心して二人に声をかけた。
「……あの、出来れば、家に上がって、話をしませんか? 事情が分からないままだと」
「黙れ」
女は憎悪の目で少女を見ていた。少女は固まって動けなかった。
「やめろ」
青年は忌々しげに女を見た。女は、少女から青年に視線を変えて、一転して懇願するような目で青年に訴えかけた。
しかし、青年はそれを無視した。女の様子を窺って、しばらく逡巡して、忌々しげに口を開いた。
「……セリアさんの言うとおりですね。今のままでは何もわからない。とりあえず、中に入って話をしましょう」
女は、暗い表情をして、青年をじっと見ていた。少女は、女の悪意にあてられて、怯えきった子供のように、目を見開いて、汗を流していた。
青年は、少女の腕をとって、家の中に構わず進んでいった。女は、慌てて、家の中を躊躇するように見回して、やがて思い切って入って二人の後をついて行った。
少女と青年は並んで座って、テーブルを挟んだその向かいに女は座っていた。
青年がこれまでの経緯をうまく女に話していた。少女は俯き加減で、青年の説明の補足を時折するくらいだった。
女は、じっと青年の話を聞いていた。青年の知っている少女の境遇と、今の青年の事情を知った。
話が終わって、三人はしばらく黙りこんでいた。青年は目をつぶって黙り込んで、少女は俯いたままだった。女は、それらを眺めてただ黙り込んでいた。
女が、言葉を発した。
「……お嬢さん。魔女のことは、どれくらい知っている?」
声をかけられた少女は肩を震わせて、おそるおそる女の方を見た。女は笑っていた。少女にとっては、ひどく恐ろしい感じのする笑いだった。
「……あまり、詳しいことは」
「魔女はね、人の心を持たない非道な存在だ。あれが私たちにしでかしたことは、お嬢さんは全く知らないんだろうね?」
「……一応知っています」
「はあ? 冗談だろう? でなければ、魔女の魔法を受け継ぐなどと頭のおかしいことをするはずが……ああ、いや、そうか……」
「……なんですか?」
「いや、順を追って説明しようか」
女は嫌悪感を隠そうともせず少女のことを見ていた。少女はその目つきを避けるようにまた俯いた。
青年は厳しい顔つきで女をにらんだ。
「そんな話をする必要はないでしょう。あなたが僕を連れ戻しにきたのなら、さっさとそれをすればいい」
少女は驚いて青年を見ようとしたが、女の目を怖がって身じろぐだけに留まった。
「……私は、お前たちが把握しきれていない事情を説明しようとしているだけだ。お前は記憶がないんだろう? なら黙っていろ」
女は青年を睨み返した。青年はなおも言いかえそうとしたが、何も言えずに女を睨んでいた。
女はしばらく青年とにらみ合っていたが、ふいに少女に声をかけた。
「なあ、お嬢さんも知りたいだろう。自分のしでかしたことを」
「え?」
困惑する少女を庇おうとして、青年が喋ろうとするが、それを遮るように女は続けた。
「少なくとも。お嬢さんはこの説明を聞く責任があるはずだ」
少女は何もわからないまま、ただ頷かされた。青年は、溜息をついた。
「まず大事なことをいうと、人は決して生き返らない。あたりまえの話なんだがね」
「え? あの、でも」
「これは証明されていることなんだ。理論的にね。お嬢さんには、理解できないだろうが」
女は心底少女を馬鹿にするような顔をしていた。少女は頭が真っ白になっていた。
「……不必要に怖がらせる言い方を」
「お前はしばらく黙っていろ」
女が指を青年に向けると、青年は口をつぐんでしまった。青年は苦々しい顔をした。
女は構わず続けた。
「そうだな、人を生き返らせることは、魔女にすらできないことだ。ましてや、寿命を超えられなかった魔女にはね」
「……」
「肉体の損傷ならいくらでも治せる。腕がちぎれていようが、頭の一部が削れていようがね」
「だが魂までを同じようにして治すことはできない。魂、わかるかい? 生物の魔法の素質の大元のことだ。これがないと、生物は魔法を使えないし、生きていけない」
「死とは肉体の生命活動の停止かつ肉体からの魂の剥離のことを示す。通常、生命活動の停止だけを死と呼ぶのは、魂の肉体への癒着が生命活動の停止と共に消えるからだ」
「一度剥離した魂を再び肉体に定着させることはできない。この結合力は物質的な由来だけでなく、時空間や因果的な要因を含むからだ」
「時間を戻せば結合力を取り戻すだろうが、そうでなければ戻ることはできない。こうしたことは、魔法の現象の影響範囲にも繋がることだが」
「話を戻すと、魂と肉体の結合力を取り戻すことは、魔女にだって決してできないことだ。なぜなら、肉体的な衰弱抜きで寿命によって死ぬということは、魂と肉体との結合力が弱まり、剥離するということだからだ。必然的に、それは肉体的な死をももたらす」
「もし魔女の魔法で肉体と魂との結合力を復活させることができるのであれば、魔女は今頃まだ生きて私たちに残虐な行為を行っているだろう」
「これはつまり、アークはこれまでに一度も死んだことが無いということだ。墜落時にも死んでいないし、魔女の魔法でなど生き返っていない。アークはまだ生きているのだから」
「私たちの国では、航空機への搭乗員のために、非常時用の複数の安全措置がある。その中の一つに、肉体を仮死状態にして、魂と肉体との結合力を無理矢理に保持するものがある。長くは持たないが、生命活動を先に擬似的に停止することで、肉体の損傷が魂の剥離を引き起こさないようにできる」
「その点で、お嬢さんがアークの肉体を治癒したのはアークの命を救ったともいえる。もっとも、お嬢さんが何もしなくとも、最低限の肉体の回復は自動的にされていただろうがね」
「そしてお嬢さんが呼ぶ蘇生魔法とやらは、アークの今の生存に何の寄与もしていない。このことはわかってもらえたかな?」
「ついでに言うと、その蘇生魔法は、人間に対する洗脳魔法であると推測できる」
「洗脳魔法とは、人の価値観を歪めてしまうものだ。これは一般的に、直接的な肉体への干渉はしないが、魂に干渉して、その歪めた魂によって人の脳に働きかける手法をとる。その方が洗脳を持続し、かつ決定的なものにするからだ。なにせ、歪みを完全に元に戻すことはできないから」
「魂の歪みは、魔法の心得のあるものなら見分けることができる。今、お嬢さんとアークにそうした歪みがみられる」
「記憶操作も価値観の操作も結局は同様の事象だ。思考の連想機能を弄るわけだね」
「お嬢さんがアークにどういった歪みを与えたのかはわからない。それはおそらく、魔法の実行者のその場での精神性によって決定される作りになっているのだろう」
「またそれはその魔法のアルゴリズムにもよる。実行者の精神状態を読み取って、目的に応じてそこから必要なパラメータ値を抽出し、アルゴリズムに適用するわけだね」
「魔女の洗脳魔法なら、とことん洗脳相手の都合を無視したアルゴリズムなんだろう」
「君は何を思ってアークに魔法をかけた? 純粋にアークの身を案じていただけかい? それとも、この実験を通して、君の都合のいい未来像を描いていたのではないのかい? その際に、寂しいだとか、孤独を嫌う気持ちがあったとしたら、洗脳魔法へ影響するかもしれないね」
「話を聞く限り、きっとその魔法は自分に都合のいい存在をつくるために開発された魔法だ。実行者の精神状態の深くまで読み込んで、とことん自分に都合のいい状態へと相手を洗脳するんだ。その際に、実行者が相手のそれまで培った人間性というものを尊重していないのであれば、記憶を操作することまでするのだろうが……」
女は青年をちらりと見た。青年はただ女を睨んでいた。
「もしかしたら、お嬢さんはそれなりに平和な頭をしているのかもしれない。アークの洗脳も、もしかしたら、軽微なものですんでいるのかもしれない。ただね……」
女は、茫然としている少女を、心底軽蔑するように、吐き捨てた。
「アークが、お嬢さんを慕っているのだとしたら、それは全て、お嬢さんの洗脳魔法によるものなんだよ。そのことは、しっかり理解してほしいね」
青年が、女に掴みかかろうとした。女がすぐに手をかざすと、青年の動きが止まった。
女は軽蔑の表情に嗜虐心をにじませた。
「それにね……この家、あちこちに、異臭がするんだ。気付いていないのかな?」
少女に顔を寄せて、自分の鼻をつまみながらニヤニヤと笑いながら喋りかけた。
「魔女の魔法には、傍迷惑な靄が付きまとう。それが意図して付属されているのか、そうでないのかはわからないが、多分、切り離せないものなんだろう。だから、せめて遠くに飛ばさないと魔法を使う時に面倒だ。でもきっと、お嬢さんには関知できないし、関係ないことなんだろうね。魔女としてもどうでもいいことだったんだと思う。きっと、死ぬ前に思いついて、いい加減にそこら辺の魔法に組み込んだんだ」
女は楽しそうに汚らわしそうに少女を見下した。
「この家に、靄が半端に飛び散っているんだよ。お嬢さんは気付けていないようだけどね。汚らしくて、とても気持ち悪いね。アークは、よく我慢していると思うよ」
少女は何も考えられないでいた。