6
「うん。似合ってますよ。格好いいですね」
少女は、自分の作った服を着る青年の姿を見て言った。15着目の服だった。
「相変わらず、よくできてますね」
シンプルな色合いとデザインで統一された上下服で、着心地もよかった。青年にとっても野暮ったくなく、余計な装飾もなく、好感の持てる服だった。
「アークさんの部屋にもう数着別のをしまっておきましたので、見るのを楽しみにしててくださいね」
少女はにこにこしながら、アークを見ていた。
結構な数の服を溜めこんできた青年は少女から視線をそらして、話題も変えた。
「それでは今日は、僕が撒き散らしたゴミの清掃に行ってきます」
「そんな言い方をしないでください。気をつけてくださいね。やっぱり、私もついていった方がいいでしょうか?」
「いえ、効率的にいきましょう。僕がもろもろ確認と片づけをして、その後でセリアさんに魔法を使ってまとめて消していただきます」
「私も、もう少し役に立つ魔法を覚えていればよかったですね」
「でも、人の手でできることですから。セリアさんは魔法の調査をお願いします」
「……そうですね。それでは、道中に危険はないでしょうけど、気をつけていってくださいね。はい、これお弁当です」
「え、ええ」
青年は航空機の墜落現場に一人で向かって行った。現場はこの家から離れた場所にある。散らばった破片の範囲からしても、片付けと確認に結構な時間がかかるだろうと少女は予想した。
少女は青年の姿が見えなくなるまで見送った後、青年の航空機が墜落した経緯について、少し考えた。
航空機の破片に、微かに不自然なものの形跡を少女は感じた。なんらかの魔法に干渉されたものだと少女は感じたが、具体的にそれがどういったものであるかはわからなかった。
誰かに攻撃されたのだろうか。しかし、いくら考えても少女にはよくわからない。
青年の身内の人間に連絡ができればいいのだが、どの国の人間であるかの繋がりも見えない。少女がざっと現場を見た限りでは、それを示すようなものは見当たらなかった。それどころか、元がなんであるかの区別さえつかないものばかりの状況だった。
やはり、治療魔法方面のアプローチをするしかないと、少女は結論付けた。青年の記憶を取り戻すために尽力するべきだと。
少女は家に戻り、本を漁った。手当たり次第に本を手に取りそれを睨んでいたが、ふと、航空機という響きに少女の頭が囚われた。
少女は航空機の存在を知っていた。両親たちにきかされていたので、それがどういうものかも知っていた。
しかし、知っているだけで、実物を見たことなどなかった。初めて見たのが破片の山で、少女は少し残念な気持ちになった。
青年は、どうして航空機に乗っていたのだろうと、少女はまた考えた。
航空機の操縦をどうやってしていたのだろうか。どれくらいの速さで飛んでいるのだろうか。実際に飛んでみたときの気分はどれほどのものだろうか。青年のいるところは、どれだけ技術が進んでいるのだろうか。その国にはどんな人たちと物があるのだろうか。
少女は、この島以外のことをよく知らない。そもそもこの島のことだってあまり知らない。
両親たちにきいたこと以外に、少女は物を知らない。両親たちに教わっていないことはなにも知らない。
両親たちの話をきいても、少女はその実物を知らない。この島以外にある物や生物、文化などを少女は一切経験したことがない。両親たちの話に出てきたものを、想像するしか今までできなかったし、それが全てだと少女は勝手に思っていた。
少女は少しむずむずした。無性に家族に会いたくなったし、青年と話がしたくなったし、どこか遠くに行きたくもなった。
少女は段々と膨れ上がる好奇心を抑え込んで、魔法の調査に集中した。集中するために、後で当たり障りのないところを青年にきいてみようと頭の隅のメモに書いておいた。
日が暮れる前に今日の分の片づけを終えて青年は家に帰ってきた。大分くたびれた様子で帰ってきた青年に少女は心配そうに声をかけたが、さすがに疲れたとのことだった。やはり自分も行けば良かったと少し後悔した。
食事をした後、少女は青年の隣に座って、青年の腕をつまんで見上げた。
「航空機って、どんなのですか?」
幾分目を輝かす少女を見下ろしながら、青年は首を傾げて、不思議そうな顔をした。
「突然どうしたんですか?」
「いえ、ちょっと興味があって……何かお話を聞ければなって。どんなのです? やっぱり、凄いんでしょう?」
「……いや。凄くは……ない、ですかね?」
「ええ? いやいやだって……物が空を飛ぶんですよ? ほらほら、凄いでしょ? 凄くないですか?」
人差し指を滑空させる少女を青年は困ったように見た。
「はあ、まあそうですね……」
「……いや、何かお話があれば聞きたいなって……航空機にまつわるお話を何でも……何かはあるでしょ? 何かは……」
少女は指をいじりつつ、上目遣いでちらちらと隣の青年を窺った。
青年は頭をかいて、目を泳がせた。
「……何を話せばいいんでしょうか? 僕、記憶、ありませんし」
「今の記憶にある限りのどんなお話だって良いんです。それだって私の知らないことですから」
少女は目を輝かして青年を見たが、青年の反応は気の無いものだった。
「……いやあ。本当に、つまらない話しか知りませんよ」
「例え些細なことでも、私は興味があります」
「うーん、でもなぁ……」
「でもってなんですかぁ……」
「うーん……」
「……」
少女はふくれっつらをした。
「……もう、どうして、話してくれないんですか? こうなったら、今後のアークさんのごはんが減っちゃうかもですね……」
「ええ? そんなのなしですよ……」
「アークさんのお腹がすくのはなしじゃありません」
「……」
「ま、まあ冗談ですけど……」
「……」
「……」
煮え切らない青年の脇腹をかるくつつきながら、少女は拗ねたように青年から視線を外して、髪をいじり始めた。しかし時折、期待を込めた目付きを青年に寄こしながら、少女はずっと黙っていた。
青年はその様子に複雑な気持ちを抱きつつ、とりあえず黙り返していた。
しばらく二人はそうしていたが、ふと少女がおそるおそる青年に話しかけた。
「……あの、私無神経ですか……? もしかしてこれ、嫌な話題でしたか……?」
「いや、ええと……」
「……でしたら、その、ごめんなさい……。もう無理にききません……」
少女はしょんぼりと落ち込んだ様子で目を伏せていた。
「あ、いや、そういう訳ではないんです。全然。嫌な話題ではありません」
慌てて青年は弁解をはじめた。
「ただ、単純に退屈させるのが嫌だったんです。だって、楽しく話せるものでもないと思うので……」
「そうなんですか? 空を航るって、もうすでに楽しげじゃないですか……?」
「名前ほど大したものでもないんですよ。でかいし、うるさいし、飛ぶだけなら鳥も飛びますし。むしろ鳥のほうがすごいですね。小さくて、静かで……」
「そうですか? まあ、そう仰るのなら……」
少女は自分の足元をなんとなく見ながら答えた。足をぶらぶらと揺らしていた。
なんとなく沈黙が続いて、青年はなんとも困った顔をしていた。
俯く少女に、青年は機嫌をとることにした。
「……そうだ。絵ですよ」
「……?」
「絵なら描けますよ。実物に近いのが。僕が覚えている限りで構わないのなら」
「……絵って、アークさん、絵がかけるんですか?」
少女はちらりと青年の方を見た。
「本業の人ほど上手くないと思いますけど。絵画についての知識があるんです。多分、習ったことがあるんでしょうね。ええと……」
青年は近くにあったペンを探し出して、簡単に動物の絵を紙に描き出した。その絵は単純ながらもうまく対象の特徴を捉えていた。
「わあ……上手! 上手ですよアークさん!」
青年の手から受け取った絵を見て、少女はあっさり元気になっていた。
青年はほっとしたように調子よく話を続けた。
「時間をかければもっと精密に描けますよ。自分で言うのも何ですが、うまいですよ。ほんとに。航空機にもいろいろあると思いますが、三日くらいあれば大体は描けます」
少女はキラキラとした目で青年を見た。
「描いてもらってもいいんですか?」
「ええ、もちろん」
「ありがとうございます、アークさん!」
少女は上機嫌になって足をバタバタ動かして、青年の描いた動物の絵を熱心に眺めていた。青年は少女の様子を見ながら、器用にペンを指でくるくると回していた。
「……なんなら、航空機じゃなくいろんな動物の絵を描いてもいいんですよ?」
「動物かぁ……動物もいいですねぇ。きっと、世界には私が見たこともない動物がたくさんいるんでしょうねぇ……」
「……まあ、それも追加で描いておきます」
青年は、笑った。
この島には防壁が張られている。魔女の時代から残っている魔法で、文字通りの壁ではなく、フィルターのような機能を持つものだった。
通過する生物や非生物に込められた害意を読みとって、悪意を感じ取れられたらそれを弾き飛ばすようにしていた。それは大小関係なく全てのものに適用される。
少女は、寝る前の日課を行っていた。島の防壁を維持するための作業で、魔女のメモに書かれていたことだった。
少女が魔法を習うようになってから、この防壁の効果はまだ発揮されていない。それでも少女は、生真面目にこの日課を続けていた。
この作業に必要な工程に、害意の判定部分の調整がある。これは、魔法実行者の精神性によって決定される。
魔法実行者とはこの場合は少女のことで、害意の定義を明確にこの実行者が思い浮かべることが必要になる。例えば少女は、この島や島にある存在を破壊する目的の物だけを弾くようにし、それ以外の物がこの島に侵入することを許可している。渡り鳥だとか、島への漂着物などは、この島に問題なく入ることができる。
この島を目的としない流れ弾も、この島に問題なく入ることができる。だから、青年が乗っていた航空機もこの島に入ることができた。
この魔法は、実行者の匙加減によってその効果範囲を大きく変えることができる。全てを寄せ付けない防壁を張ることも、逆に全てを許可する防壁も、もしくは特定の人物だけ許可しない防壁ですら張ることができる。
少女は、害意の判定を思い浮かべるとき、いつも憂鬱になった。この島で平和に暮らしていたから実感はないが、外に蔓延する悪意を意識する度に、漠然とした不安が少女を包んだ。
ここが平和なのは、魔女のおかげだ。魔女はとても酷いことをしていたようだが、少女にとっては、今までに家族と平和に暮らせる場と、これからも家族と平和に暮らせる可能性をくれた存在だった。だから、あまり魔女のことを悪く思うことができない。家族が戻ってからも、魔法を研鑽して、できるだけ魔女の願いを叶えてやりたいと思っている。
いずれ、弟を見つけ、家族を生き返らせて、その後を家族と一緒にまた暮らしたい。その為に必要なものが、段々とそろってきた。
少女は暗い夜空を仰いだ。昔はよく星を見ていたが、いつしかそれをしなくなっていた。久しぶりに見る星たちは相変わらず綺麗に見えた。
星には命が宿るときいたことがある。
昔、祖母が話をしたことがある。人々は大地から生まれ、やがて星に返る。気高い魂を持つ人ほど、ひと際美しく輝いてみえるのだそうだ。
気高い魂とは何なのかと、少女は祖母に訊いた。すると祖母は穏やかに笑いながら、少女に人の善性を説いた。
この世界には辛いことがたくさんある。お腹が空いて、誰かに殴られて、馬鹿にされて、裏切られて、どうしようもなく人は惨めな気持ちになることがある。
そんなときは、人は悪いことを考えてしまいがちだ。自分の心を誤魔化して、他人を平気で傷つけるようになる。自分の持っていた善性を捨ててしまう。
それでも、善性を決して捨ててはいけないと、祖母は少女に話した。どんなに苦しくとも、人は他人を思いやって生きなければならない。最期の時まで自分の持つ善性を貫ければ、その輝かしい魂を後世の人々がきっと認めてくれる。そして、認めてくれた人々の心の中で、明るく暖かい勇気として、ずっと生きていけるのだ。
少女はしばらく突っ立って星を見続けてから、家の前に戻った。
家には明かりがついていて、青年がまだそこにいることを示していた。あたりまえのことだが、なぜか少女には少し感慨深いことだった。
青年の記憶が戻る兆しはない。しかし、それも魔法を調査していけばいつかどうにかなるだろうと少女はなんとなく思っている。その時は、きっと青年も自分の国に帰るのだろう。青年がどういう境遇なのかは知らないが、外に出て平和に暮らせるとも思えない。
少女は、家の扉をくぐった。