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とある少女がいた。
少女は赤ん坊のころ、酷い戦争に巻き込まれた。
魔女が島に籠って、国は文明を発展させていった。文明を加速させるような大発見が相次ぎ、知能の優れた人間が目覚ましく活躍していったせいだった。
初めの内に大きな争いはなかった。ごく自然に国同士が結び付き、もしくは敵対しあい、部分の国々が統合されたり、また分かれていった。そのうち世界はそれぞれの勢力に分割され、それぞれがとてつもない速度で成長していった。発展に戸惑う人々は少なく、むしろ不気味なほどに希望に満ち溢れていていた。少なくとも、そういう明るい空気が世界の国々に満ちていた。
たったの数十年で不自然なほどに次々と技術革命に繋がる発見がなされ、それによってもたらされる恩恵を人々は柔軟に受け入れていった。海を隔てた国同士の距離はすぐに消えて、急激に増加していく人々が、世界中に散らばって充満した。
ある日突然、一つの小さな国同士の争いが起きた。それは本来何でもない規模の争いであったが、歪に固められていた均衡がはじけとび、世界全体を巻き込む大きな戦争を引き起こす絶妙な火種となった。一瞬にして異常な空気が世界全体を包み込み、世界中の全ての国が一つの戦争に巻き込まれた。急激な発展が五十年続いた後のことだった。
一定数の人間が争いに反対し、大半の人間が争いを肯定した。やることは、国が激しい攻撃を受け、甚大な被害が生じて、持ち直して、報復をする。大体その繰り返しだった。
戦争は苛烈になって一向に止む気配がなく、世界中で人々が大量に死んで、また生まれ落ちた。
この頃の世界の技術水準は、魔女の持つ水準程ではないにしろ、五十年前とは比較にもならない程発展しており、凄まじい勢いで地形が破壊され、人々が死に絶えていく戦争を、そうした技術が無理矢理に維持していた。
次々と物的、人的資源が生み出され、国は数世代分の新陳代謝を瞬間に繰り返していた。革新的な魔法技術がたくさん生み出され、画期的な戦術がそれに伴い考案され、多くの人間がそれに付き合った。
人々は戦うことに必死で、ただただ現状を繰り返すことで精一杯だった。人を殺すことや生命をつくりだすことと隣り合わせて、以前まではあった倫理観が崩壊している人間が多かった。
それでもいくらかの人間は、旧来の倫理観を持ち合わせて生活を続けていた。
少女の家族は、戦争に耐えかねて、平和な土地を探した。世界中を巻き込む戦争であっても、彼らには一つ見当があった。
彼らはある夜に、赤ん坊を連れて原始的で粗末な船を出した。何日も海の上を進んで、持ち込んだ食料が尽きかけて、ようやく目的の土地にたどり着いた。
彼らはそこで、居住地を築いた。年寄りの祖父母二人と、若い夫婦二人、それに赤ん坊一人の家族だった。
そこには、自給自足に十分な資源があった。気候も温暖で、動植物も豊富で、真水も十分にあった。そこは争いに巻き込まれることのない、静かな場所だった。
その島は、少なくとも確実に戦争とは程遠い場所にあった。
少女は、その島で家族としばらく平和に過ごした。
少女が赤ん坊のうちは、狭く急造りな家の中で、母親に乳を与えられながら、また父親や祖父母にあやしてもらって、育っていった。
少し大きくなって、物心がつくころには、少女は両親の手助けを申し出るようになっていた。母親や祖母のやっていることを真似て、できたボロボロの繕い物を家族に自慢して褒められた。
少女は簡単なことを母親たちから教えてもらうようになった。初めて料理を家族にふるまった時は、あまり良い顔をされなかったが、それでも努力してご飯をつくっていると、母の作るおいしい料理に近づいていった。
ちょっとした事ができるようになると、家族は嬉しそうに少女を褒めた。父親はたくましく大きな手で、母親はほっそりとした綺麗な手で、祖父母たちはしわくちゃで暖かい手で、少女の頭をよく撫でた。少女は頭をなでられると、嬉しそうに笑う。褒められた日は一層張り切って、自分のやることに励んだ。少女は飲み込みも早く、数ヶ月も経つと、てきぱきと自分に与えられた役割をこなすようになっていった。
そうして暮らしていくうちに、また一人赤ん坊が産まれた。赤ん坊は少女の弟だった。
その弟を出産する時は、彼女らは少し苦労した。母親の様子に皆がやきもきし、あれこれと手伝いに駆られて、やっと赤ん坊が産まれた時には、少女は皆と一緒にへとへとになっていた。
弟が生まれる前の、母親のお腹が膨れているときには、少女はよく弟に声をかけてやっていた。元気に育てだとか、歌を聞かせてやったりとか、それは他愛もない内容だった。
少女が実際に、ぎゃあぎゃあと叫んでいる産まれたばかりの赤ん坊を見てみると、何だか現実的でないような、少し不思議な気持ちがした。赤ん坊の手は小さく、少女はおそるおそる赤ん坊の手を握った。
産後しばらくして、赤ん坊も落ち着いたころ、少女は母親に、赤ん坊を抱かせて欲しいとよくせがんだ。母親が大事そうに赤ん坊をよこすと、少女は寝ている赤ん坊が起きないように、そっと抱きとめた。赤ん坊の顔をのぞくと、赤ん坊は何も知らない顔ですやすやと眠っていた。
少女はそうやって、腕に体温と重みを感じながら、赤ん坊の無防備な寝顔を見るのが、とても好きだった。
少女の弟が物心つくぐらいに、祖父母が死んだ。原因不明の病だった。最初に祖母がその病にかかり、祖母の看病をしていた祖父にうつって、あっという間に二人とも死んだ。
次に両親が同じ病気で死んだ。祖父母の看病をした際に同じくうつっていたようで、祖父母が死んだ後に症状が現れて、夫婦そろって寝込むようになった。少女は懸命に彼らの看病をしたが、その甲斐なく、二人は最期まで子供たちの心配をしながら死んでいった。
少女は祖父母と両親の墓を見ながら呆然としていた。隣にはぐずっている弟が、少女の服の袖をぎゅっと掴んでいた。
少女は小さな弟と共に取り残された。少女は事態の理解に苦労していた。
立ちすくんでいる少女の横で、弟の泣き声がひと際大きく響いた。
それに気付いた少女が、自失から立ち直って慌てて弟をあやした。
しばらくはそのまま家で暮らした。家にあった食べ物を二人で分けて食べた。食卓は二人だけの静かなものだった。時折、弟が泣きだすのを少女が泣きやませていた。
少女は日中、家の近くで食べられるものを探していたが、見知ったものが見つからなかった。父親や祖父はよく両手いっぱいに食べ物を持って帰ってきたが、辺りに食べ物のありそうな場所はなかった。
そのうち家にある食べ物が少なくなってきた。その辺に生えている植物を拾って食べようとしたが、大抵が食べられたものではなかった。
少女はとりあえず家を出て遠くへ行くことにした。もしかしたら、道中に果物が成っている場所を見つけられるかもしれないと少女は考えた。ぐずる弟の手をひいて、よく知らない島の中をあてもなく歩き回った。
家を出てから、弟はいつまでもぐずぐずと泣いていた。両親と祖父母の名前を呼びながら、一向に泣きやむ気配が無かった。
少女は辛抱強く弟を慰めた。少女自身も、ふと気を緩めると泣きわめいてしまいそうだった。
それでも、弟を慰めている間は気丈でいられた。不安をじっと抑え込んで、大丈夫だよと弟に優しい言葉を掛けた。
弟の頭を撫でながら、少女は弟の顔をじっと見た。弟は、ぐしゃぐしゃに顔をしかめて、あふれ出る涙を必死にぬぐっていた。
少女は弟の頭を優しく撫でた。弟は泣くことにいっぱいでされるがままに撫でられていた。
歩き回っているうちに、辺りが暗くなってきた。元いた場所から大分離れた場所に来ていた。歩いているだけだと言うのに、疲れて息切れがおさまらなかった。
暗いところを歩きまわって道に迷うのが怖かったので、そこらにある木の側で一晩を過ごすことにした。気温が暖かいのが、幸いだった。
少女がここで休もうと言うと、弟がその場にへたり込むようにして座り込んだ。少女も、同じように座り込んだ。空は曇り、日は落ちかけていて、周囲は暗く、近くの弟の姿でさえ少女には朧にしか見えなかった。
しばらく座り込んだまま、二人は黙りこんでいた。弟の方は、もう口のきく元気もないようで、そのまま眠ってしまいそうになっていた。
唐突に弟のお腹がなった。少女は家から持ち出した少ない食料をとりだし、それを弟にやった。のろのろと弟はそれを受け取り、力無く端っこを口に含んだ。目を閉じかけて、おしゃぶりのように食べ物を噛んでいた。
少女はそのまま弟を寝かせてあげようかと思ったが、それでも食べ物はちゃんと食べさせようと、それを千切って、口の中に運んでやった。
自分で食べようと弟はむずかるようにそれを嫌がったが、眠気に負けて、その内なすがままに食べさせてもらった。
食べ終えるころには眠る寸前で、少女は持ってきた袋で枕を作って、そこに頭をのせてやって弟を寝かせた。背中をとんとんと優しく叩きながら、弟が完全に眠り込んだのを確認すると、少女は自分の分の食糧を取りだし、静かに食べ始めた。
少女の父親はとてもたくましい人だった。力持ちで、重い物をあっさりと持ち運び、豪快に笑って子供たちの相手をしてくれた。母親はとても穏やかな人だった。いつもにこにこと笑っていて、少女に繕いものを教えてくれて、弟は、よく母親に甘えていた。祖父はとても厳格でしっかりとした人だった。弟がやんちゃなことをすると厳しく叱り、でも弟が祖父たちの手助けをすると祖父は嬉しそうに弟を褒めてくれた。祖母は、物知りで、たくさんの面白いことを子供たちに聞かせてくれた。少女と弟は、寝る前にその話を聞くことが、毎日の大切な日課だった。ときには、皆が話に加わって、皆の若いころの話や、両親の馴れ初めの話や、父親のちょっとした冒険の話について、盛り上がった。とても、楽しい話ばかりだった。ろうそくの小さな灯かりの中で、眠くなるまでそんな話を皆でしていた。
少女は、いつの間にか寝ていた。
朝、少女が目覚めると、弟の姿が見当たらなかった。血の気がさっと失せて、少女は慌てて周辺を捜した。しかし、弟が見つかることはなかった。