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八章

「反乱、ですか?」

 魔術師と騎兵が激突するハネット峠より遠く東の地、ダルーニアの首都ダルセアで、一人の少女がその顔に驚きを浮かべていた。

少女の名は、ラニア・ゲシュビッツ。

魔術の国、ダルーニアの基準でも非常に優れた魔術の使い手であり、戦場指揮官としても類稀なる才を持つ少女だった。

それは、他の部下たちを差し置いて、彼女だけがこの場に呼ばれているということからもわかる。

彼女の眼前に座っているのは、対アイゼンルート戦線の司令官、イーサン・モノトロフだ。

 いわゆる軍の会議ではなく、ラニア個人に対して意見を求めるために、イーサンが呼んだ形になる。

 そこで伝えられたのは、隣国の国内事情。当然、今後の方針にも多大な影響がでるだろう。だから、自分が役に立つのか、という点を除けば、意見を聞くために呼ばれたということには違和感がない。だから、ラニアが首をかしげたのはそこではなく・・・

「アイゼンルートで、ですか?あの国は、騎士道という精神で上から下までまとまっているために、この大陸でも稀有な『国家反逆のない国』だと認識していたのですが」

 アイゼンルートという国に対して、反乱という言葉が使われることに違和感があった。

 そもそも、国家という人間の集合体において、“反乱がありえない”などというのはたわごとに過ぎない。

 人の不満や欲望は際限なく、時としてその矛先が国に向くこともある。

 だが、アイゼンルートという国は例外中の例外だった。

 まず、国民のほぼすべてが飢えることがない程度に肥沃な大地。それに加えて、騎士道という独自の考え方。

 主君に対して剣を抜く行為は騎士道に反するものだし、自分の欲望を優先するのもまた同じだ。そんな考え方を上から下まで、何百年と続けているのだから、反乱など起こりようがない。

「その認識は概ね正しい。だが、あの国にも反乱を起こすだけの理由がある者たちもいる」

「それは?」

「魔術師だ」

「ああ、なるほど」

 納得したようにうなずくラニア。

あの国の基本原理は『正義』である。弱気を助け強きを挫く。この場合の“弱き”とは国民であり、強きとは民衆を脅かす敵すべてである。

一見すると、非常に素晴らしい国のように思えるが、その一方で“敵”に対する攻撃は苛烈極まりない。それは、“騎士は国民の敵を討ち果たす者”という“常識”によって攻撃を行うからだ。

 敵を倒す。その行動に対して疑問を挟むこともなく、正当性を論じる余地すら存在しない。善悪の話ですらなく、敵を倒すのは当たり前だ、という価値観から徹底的な殲滅攻撃を実行する。

 それ故に、かの国において“敵”と認識されてしまったら、そこに待っているのは地獄だ。軍人だけでなく、一般人すら敵を打ち滅ぼそうと力を合わせて襲い掛かってくる。それがおかしいと感じるものは皆無であり、襲われている本人ですら「自分が生まれてきたことが間違いだった」という思考に至り、無抵抗のまま殺されることもあるくらいだ。

 排他的で、独善的。そんな古臭いあり方なのに、国力だけは高いのだから、厄介極まりない。

 ついでに言うなら、その主戦力たる騎兵の存在も厄介だ。

 軍隊全体としてならともかく、騎兵だけに限れば、彼らが自称している大陸一というのは誇張でも何でもない。規模、練度、そのどちらにおいてもずばぬけている。

 ダルーニアとアイゼンルートの国境の大半が平原であるという地形的な事情も加わり、未だに攻略できていないというのが現状だ。

 多くの国が戦時の主力を魔術師に移行しつつあるが、それでもまだまだ騎兵の影響力は無視しえない。

 いや、むしろその速度を以て魔術の発動を妨害しうる兵科として、再評価される流れもあるくらいだ。

 まあ、いずれにせよ平時のアイゼンルートの戦力は、時代遅れながらも依然強大であり、そこに付け入る隙があるというのなら、当然無視するわけにはいかない、のだが・・・

「私は、しばらく様子を見るべきだと思います」

「ふむ。何故だ?」

 理由を問うてくるイーサンに、ラニアははっきりとした口調で答えた。

「第一に、あの国の軍隊が簡単に負けるわけがありません。反乱の規模はそんなに大きくないようですし、手負いのところを狙おうとして、ほぼ無傷の騎兵隊を相手にするのは骨が折れます。そして第二に、」

 一旦言葉を区切る。イーサンは頷き続きを促したが、ラニアと同じ結論に彼もたどり着いているようだった。

「もし仮に反乱軍の勝利で終わったとしたら、その後ろには他国の影響があることは確実です。アイゼンルートの南の連合ならばともかくダルーニアの東の国々の介入だとしたら、我々が攻め込んだ隙を突かれかねません」

 そもそも、一国同士で戦えば、すぐにでもアイゼンルートを滅ぼせる準備はできている。少なくともダルーニアの将校たちはそう考えていた。国力はすでに拮抗し、騎兵も魔術師も歩兵も使える分、取れる作戦行動の幅には絶対的な開きがある。たとえ戦術の機能しにくい平原が主戦場とはいえ、全面戦争となれば勝つのはダルーニアだろう。アイゼンルートの騎兵隊を攻略する術も、彼らはすでに見出していた。何しろ百年以上同じ戦術に頼る相手と戦い続けてきたのだ。工夫しない訳がない。

 だが、南の連合以外に憂いのないアイゼンルートと違い、ダルーニアは背後にも敵を抱えている。現在は小競り合い程度だが、それはその国家が南進と東進を優先しているからで、隙を見せればすぐにでも食われかねない。それほどまでに現在勢いのある国だった。

 故に、アイゼンルート攻略に集中することは難しく、あまり深くアイゼンルートに軍を進めてしまえば、東の国境や首都の守りが薄くなる結果につながる。

「とはいえ、もし他国が介入していた場合、アイゼンルートがその国の傀儡となるのもまた、無視しえない脅威だと思うが・・・?」

 イーサンの指摘はもっともだった。そうなればダルーニアは二正面作戦を取らざるを得なくなる。介入者が東か南かはわからないが、この近辺の国家であることは確かだろう。

「だからこその経過観察、です。東の介入なら、南と協力してアイゼンルートを取り、南の介入ならアイゼンルート内の残存勢力と呼応して南の勢力を追い出す、という形がベストかと」

 だから、ラニアはすでに策を考えていた。東の国家の西進は、南の連合にとっても脅威だ。だから、その橋頭堡となるアイゼンルートの傀儡化阻止に関しては利害が一致する。

 南の介入だった場合は、位置関係から東と協力はできない。アイゼンルートの傀儡化は、彼の国にとっては何の影響もないからだ。その場合は、アイゼンルート内の勢力と協力し、「国内を正常化する」という名目で力を貸す。国を取り返すことに成功すれば、アイゼンルート内でのダルーニアの影響力も強くなるだろう。もっとも、その場合は長年敵対してきたダルーニアと手を結ぶことを良しとするか、という問題も残っているが。

「いずれにせよ、今動くのは少々早計かと」

「だからと言ってのんびりもしていられんな」

「はい、状況が変化すればすぐにでも動けるような準備が必要かと」

 とはいえ、ラニアはそこまで急速に事態が動くとは思っていなかった。いくら他国の介入があったとしても、あの国の軍隊をすぐに圧倒できるとは思わない。すぐに決着がつくとしたら、それは王国軍の勝利の場合であって、その場合はナルダナ平原における戦闘が有利になるほどの影響は出ないだろう。

 それがラニアの見通しであり、おおよそすべての国家の予想だった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「我は、我が身を以て魔術の深淵へと至る者。我が血を贄に、その魔力を以て異界への鍵とせん」

 アルの口から、滅びの言葉が発せられる。代償魔術は規模の違いはあれど、行使するのは通常の魔術だ。

 アルが行使するのは召喚魔術。

 魔力によって世界を遮る壁を打ち破り、異界のものどもを招来する術。一般的な魔術師では、低級の精霊や小悪魔を呼び出すのが精いっぱいで、魔術に長けた国が魔術師を集め、国家単位で儀式を執り行ってはじめて戦場で役に立つような者を呼ぶことができる。

 だが代償魔術に関しては、少々事情が異なる。

 そもそも、人間より高位の存在が人間に力を貸すというのは、その魔力を欲することが理由だ。

 異界は魔力に溢れ、それ故にその魔力は多大な汚染にさらされている。一方、人間界の魔力は比較的純粋だ。それをかき集めて精霊との契約に使うことになる。

 だが、代償魔法は人ひとりの体を直接魔力に変換する。複数人の体からわずかに染み出た魔力の寄せ集めなどよりも、遥かに純度が高い。それを求め、より高位の魔族が近寄ってくることになる。

「この地に顕現せよ、魔界を統治するもの、その一欠片。公爵、“ウルゴメス”よ!!」

 高らかにその名を叫ぶ。魔界に君臨する王。その名もなき者に従い、魔界を治め、常にいがみ合っている者たち。死と屍に満ちた魔界において、それを積み重ねる側に君臨する者たち。

 ほとんどの人間が、その姿はおろか、名前すら知らぬままに生を終えるであろう、遥かに忘れ去られた者たち。

『ナンジ、ナニユエ、ワレヲ、ヨブノカ?』

 虚空から響いたその声は、あまりにも人間のものとはかけ離れていて判別しづらい。強大な魔物には、それだけ強大な力も付随する。公爵ともなれば、その声に込められた魔力だけで何千という生き物を殺すことができるほどだ。

「私は私の、いいえ、主の敵を討ち果たすために、我が血と魔力を贄にあなたの助力を望みます」

 常人ならばまともに聞くことのできないそれ。ともすれば一言で精神が崩壊しかねない言葉を、アルは判別し答えることができた。それはあちら側が人間のレベルに合わせているというのが大きい。彼らとの存在規模の違いを考えれば、人間など虫けらのようなものだが、それでも興味を抱かせるだけの魔力を、アルは有していた。

『ヨカロウ。ナンジガ、マリョクト、ソノイシ、タシカニ、ウケトッタ。ワズカバカリ、テヲ、カシテヤロウ』

 そう言って、一瞬魔公の気配が途絶えた。

 騎兵の群れは、もはや顔が判別できるほどに近づいている。

 アルの仲間は絶望に俯き、あるいは眼前に迫る有形の死におののいている。それもそのはず、ルクラインが率いる軍団はすべて魔術師だが、その大半はまだ子供と言って差し支えない年齢だった。すでにアイゼンルートにおける成人である15歳を迎えている者もいるが、それはあくまでも制度上の大人であって、高々10年程度しか生きていない少年少女に、自分の死を受け入れることなどできるはずもない。

 誰もが前を呆然と眺め、あるいは下を向く中、ただ一人アルだけは上に視線を向けていた。

 その彼女の視線の先で、音もなく空に亀裂が走った。峠の裾に展開する軍の全てを飲み込んでなお余りあるだけの巨大な割れ目だった。

 やや遅れて、それに気づいた敵兵が一瞬行軍を止めた。空を見上げる敵の姿に、アルの仲間たちも不審げに上へと視線を向け、驚愕に目を見開く。

 その裂け目から、何か巨大なものが姿を現していた。あまりに大きすぎて全容はわからない。何らかの生物の一部であるかのように見えるが、そもそもどの部分なのかが判別できない。その巨大な何かは、その場の全員の前で急速に落下してきていた。

 敵兵が再び動き始める。だがそれは、先ほどまでの秩序立った行軍とは似ても似つかない、狂乱した逃避だった。

 そんな騎士たちの姿を見るのは、多くの者にとって初めてだった。

 自分たちの剣に絶対の自信を持ち、仲間や民のためならば、どんな困難でも打ち勝ってみせると誓った者たち。そんな彼らを以てしても、“あれ”には太刀打ちできない。

 そもそもスケールが違いすぎる。たとえ剣を突き刺したとしても、“あれ”は蚊に刺された程度にすら感じないだろう。

 冷静なのは王を中心としたごく一部だけだった。他の騎士たちは何とかその脅威から逃れようと馬を走らせるが、どう見ても間に合っていない。

 王とその側近たちは、半ば諦観をにじませながら、それでも天に向かって剣を構えていた。逃げようとしても逃げられないのなら、せめて最後まで騎士らしく、戦って死のうということだろう。

「馬鹿馬鹿しいですね」

 その姿に、アルはそう吐き捨てる。騎士らしく戦って死ぬ?なるほど確かに勇ましい死にざまだが、自らの死を前提とした行動に何の意味があるのか。それが何かのためになるのならともかく、逃げようとして死んでも、戦おうとして死んでもこの場では何の意味もない。“あれ”に人間の剣程度の傷をつけたところで、そこに意味など何もないのだ。

 ならば、最後まで自分が生きることのできる可能性を模索すべきだろう。『思考を止めた時点で、そいつは人間じゃなくてただの動物だよ』というのは彼女の主の言葉だが、まさしくその通りだと思う。逃げまとっている騎士たちは“死にたくない”といういかにも人らしい感情によって動いている。一方、“王たちは騎士道に従って”思考を止めて剣を構えているのだ。例えば、間に合う可能性にかけて逃げようだとか、そういった思考にはいきつかない。死を前にしてすら揺るがないイカレた精神構造。

もちろん、自分が英雄的な死に方をすることで生き残った者たちへ良い影響を与えようというのなら話は別だ。だが、そもそも彼の死にざまを見る味方はいない。彼の第二子はあれの範囲から外れているが、それだけ遠くにいるということは、どんな風に王がスクラップになったのかは見ることができないということ。

だから、その姿は疑う余地ない思考停止。

「その停滞した思考が、私たちを苦しめた」

 もしも、初代の王が魔術師と戦いで苦しめられたという事実から発生した魔術師差別を、誰かが断ち切っていれば、アルも、彼女の仲間も、今までこの国で生まれて、迫害されて、死んでいったすべての魔術師たちが、苦しまずに済んだというのに。

「あの方は、決して正義という訳ではないけれど。むしろ悪魔的な思考の持ち主だとわかっているけれど・・・」

 それでも私たちにとっては救世主だったのだと。国民を守るはずの騎士も、道を歩く普通の人も、あるいは上からすべてを見ているであろう神様だって助けてはくれなかったけれど。彼だけは、救いの手を差し伸べてくれたのだと。

「だから、私たちのためにも、彼のためにも。死んでください」

 その言葉と同時に、アイゼンルート王国軍の本隊は、この地上から完全に消滅した。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「ウルゴメスは、魔界の侯爵としては大変珍しいことに、魔術を使えない。どんな下級な者だろうと魔術が使える魔界において、それは致命的だと言っていい」

 ぶらぶらと歩きながら、僕は“そいつ”に話しかけていた。さっきの光景を思い出すと、自然と笑みが浮かぶのを抑えきれない。

「そんな彼が何故魔界で高い地位にいるのかというと、それはひとえにその大きさゆえだ。さっき体の一部が見えていたけど、あれは手でも足でもなく、指の一本。その先端部分の皮膚の一部分でしかないというのだから、驚きだよね。少なくともこの大陸、いやこの星よりは大きいんじゃないかな」

 場所は彼の軍の本陣。この場所から、王国軍が潰される様を笑いながら見ていたのは、ほんの少し前のこと。

 ああ、あれは本当に面白い見世物だった。逃げ惑うもの無駄に剣を構える者、あとは腰を抜かしてその場に座り込む者。ごくごく少数だけど、最後まで何とか逃げる術がないか思考している者。

 人らしい者も、畜生じみた者も。高貴な者も下賤な者も。強者も弱者も微塵の区別もなくそのまま押しつぶした。彼らにとっては自分たちは人で、僕にとって彼らはただの畜生だけど、“アレ”の前ではそんな認識の差異なんて何の意味も持たない。ただ、大地に染みを作るだけだ。

「ただの体の大きさも、そこまで行くとすごいよね。それだけを武器に、人間より遥かに強大な魔族を数百万体も従えてるっていうんだから」

 ほんの少し動くだけで、何千何万という生物が命を落とす。存在自体が殺戮兵器であり、これほど効率のいい殺しが他にあるだろうか。その在り方に憧れないと言えば嘘になる。まあ、僕としてはもう少し情緒の在る殺戮の方が好みだけど。

「……何故、私を助けた?」

 自分の思考に埋没していた僕に、話しかける声があった。そういえば、この場には僕ひとりじゃないんだった。

 わざわざ助けた人間の存在を忘れるなんて、我ながら抜けているが、それだけこいつに価値を認めていないということでもある。

「何故って、ただの自己満足だよ?自分の手で殺したいとか、一度死にかけた人間がどうなるのか見たいとか、あとは、自分の命よりも大切な人間が、何人も死ぬのを目の当たりにした人間がどんな表情をするのか見たい、とか。ただのそれだけだよ、お父さん。いや、“元”アイゼンルート国王、アルバート・フォン・アイゼンルート」

 少々芝居がかった言い回しなのは許してほしい。何せ記念すべき親殺しだ。どんな人間でも、実の両親を殺すことなんて人生で二回までしかできない。ましてや、そのうち一回はすでに失われているのだから、多少張り切っていても仕方がないだろう?

「……いや、そもそもなぜ貴様はこのようなことを……?」

 意外と冷静なのがつまらない。もっと取り乱すかと思っていたけれど、生まれる前から存在した思想を、疑問を挟むことすらなく受け入れて今まで生きてきたのだから、そんなものか。

 強い精神を、頑強な思考を築くという点で言えば、彼らのやり方は非常に優れている。そこに自分というものがないのだから、恐怖も絶望もない。だが、そこまで至っているのはごく少数だろう。例えば、目の前のこいつのような。

それに、その頑強さは兵士としては優れた資質だが、指揮官としては無用の長物でしかない。

 人間は思考をめぐらすからこそ人たり得る。考えることを止めた人間はもはや人じゃない。

 兵士が思考を止めるのは百歩譲って理解できる。戦場で優れた兵士というのは、人間ではなく、一振りの剣のようなあり方だからだ。あらゆる要因に左右される感情なんて不要だ。必要なのはただ淡々と剣を振り上げて振り下ろす動作のみ。それに命令が理解できるだけのほんの少しの脳みそがあればいい。

 勿論、そんな兵士は僕にとって面白くもないから、僕の部隊には一人もいないはずだけど。そもそも魔術師は思考無くしては魔術が使えないし。

 だけど、上に立つ人間がその有様ではいけない。騎士道とやらにかまけて、進化することを放棄した停滞者。こんなにもくだらない存在は他にない。その場に立ち止まって一体何ができる?

「さあ、なんでだと思う?」

 少しはその足りない頭で考えてみろ、と嘲笑する。こんな奴の血が半分ほど流れているというのは僕の最大の汚点だけど、肉体的な部分はともかく、精神的な部分はこんな奴とは似ても似つかないだろう。そもそも、見た目に関しても、そんなに似ていないけれど。

「……まさか、“あれ”のことを知っているのか?」

 この場合の“あれ”というのは、さっきの魔人ウルゴメスのことではないだろう。

「あれ?ああ、ひょっとして、僕の母親が実は事故死じゃなくて、お前が殺した、っていうことかい?」

「……知っていた、のか」

 驚愕に目を見開く父を、僕は冷めた目で見ていた。知っていたのか、だって?むしろ知らないと思っていたのかと、こっちから問いかけたい。

「当たり前だろう?あれで隠せているつもりだったのかい?」

「で、では」

「それが理由じゃないよ」

 まさか僕が復讐なんかで動くと、本気で思っているのだろうか。死んだ人間なんて、ただの肉の塊でしかない。生きている姿を見るのが楽しいのであって、それをぐちゃぐちゃにするのが面白いのであって、死んでしまったらおもちゃにすらならないじゃないか。

 僕以外の死体なんてどうでもいいことこの上ない。 ただの肉の塊に何らかの感情を抱くほど、変態じゃないんだ、僕は。

「ついでに言うと、お前がそうした理由も、すでに知っているよ」

「…………そう、だったのか」

 驚愕し口を噤む僕の父親。まあ、こいつは頑張って隠そうとしていたようだけど、周りがそれに同調してくれるとは限らない。何せ秘密が秘密だし、僕はその当事者だ。どうしても話したくなってしまうらしい。まったく、人間という生き物の口は軽すぎていけない。今後僕の秘密を漏らすような不届き物が出た場合は、物理的に口を縫い合わせることにしよう。人体に針を通す感触も、一回ぐらい味わっておくのも悪くないだろう。

「うん。僕の母が実は人間ではなくて、それを知ったお前が事故に見せかけて殺した、ということは、とっくの昔に知ってたよ」

 そう、僕の実の母親は人間ではないらしい。ダルーニアが僕の父、アルバートを殺すために招来し、送り込んだ魔物。それが母親の正体だ。だが、その母は契約を忘れて父と恋に落ちた。まあ、その辺りのロマンスは正直どうでもいい。側室に収まり、僕を生んだ時点で正体が発覚。そのまま殺されたらしい。

「その復讐だって?くだらない。母親なんて“所詮血が繋がっているだけ”じゃないか。僕にとっては、僕以外の人間はすべて等価だよ」

 全員、何の価値もないという意味でだけど。例外は精々アルぐらいだ。彼女だけは替えの聞かない貴重な駒であり、命を落とすまで観察していたい特殊な対象だ。

「ああ、そういう意味では僕の母を殺されたことに思うところがないわけじゃないよ。魔物と正面から戦いたかったし、それに実の親を手にかける機会は人生で二回しかないんだから。」

 親殺し。この国に限らずあらゆる場所で禁忌とされているけれど、だからこそやってみたいと思ってしまうのは普通の感覚だろう。タブーを犯したがるのは人間の業だ。半分とはいえ僕も人間なのだから、同じような感性を持っていても不思議ではないだろう。

「では、なぜこのようなことをしたのだ……?」

 いよいよ僕が反乱を起こす理由がわからないのか、首をかしげている。散々僕が言っていることが理解できないのだろうか?いや、こいつに言うのは初めてだっけ?まあ、どうでもいいか。

「なぜって?面白いからに決まってるよ。それ以外の理由はないし、必要でもないだろう?」

「面白い、だと?反逆がか?」

「いいや、この手で人を殺めるのが」

 絶句するアルバート。この反応も今更だ。そもそも、僕がどんな嗜好の人間なのかはうすうす気が付いていただろうに、どうしてもその事実から目を逸らしたかったのか。

「そんな理由で、このような事態を引き起こしたのか!?」

「このような、って?」

「我が同胞を幾人も殺したことだ!それに、この国の戦力は大幅に落ちた。すぐに周辺諸国が飢えた獣のように群がってくることになる!」

 大声を上げるアルバート。そんな風に言わなくても、重々承知しているよ。少なくともこいつよりは大局的な物の見方ができているとは思っているし。

「まず第一に、そもそも騎士きみたちが居なくても、何も問題はないよ。君たちを一方的に蹂躙した僕らがこの国を守ることになるんだから、以前よりむしろ強くなったんじゃないかな、この国の守りは」

 彼らは自分たちの価値を、そしてこの国の歴史の重みとやらを信じて疑わないが、僕たち魔術師にとっては、それらは何の意味も持たない。騎士なんていなくても自分たちの身は守れるし。まあ、他の国民なんて守るつもりは毛頭ないから、“国を”守るかは怪しいところではあるけれど。

「それに、周囲の国が襲ってくる?素晴らしいじゃないか」

「……なに!?」

 いよいよ理解できない者を見るような視線を強めるアルバート。もはや同じ人間とすら思われていないようだが、それは肉体的な意味でも半分ぐらい事実だし、何より僕もこいつと同じ人間だとは思っていない。僕は人間で、こいつも含めその他は全員畜生だ。

「周りの国が群がってくるんだろう?そこらじゅうで戦争ができるし、どこに行ってもこの手でたくさん殺して歩ける。こんなに素晴らしいことが他にあると思うかい?劣勢?絶体絶命?結構じゃないか。その分多く殺せるということだろう」

「貴様は、……狂っている」

「今更すぎるね。こんなことになるのが嫌だったのなら、母を殺した時に僕も一緒に葬っておけばよかったのに」

 本当に、なぜそうしなかったのか僕には理解できない。自分の血が通った子供というのは、そんなに大切に思えるものなんだろうか。性欲すらまだ存在しない僕には、その辺りの感情は理解できない。

 けれど、家族というものに特別な感情がない僕は、きっと子供が生まれたとしても、いずれこの手で殺めることになるだろう。自分の血が通っていようと、そこらの人間おもちゃと何も変わらないのだから。

「もう完全な手遅れだけどね。この国が、この大陸が、この世界が。地獄に成り果てるのを見ていてよ。せっかくあの世っていう特等席を用意してあげるんだからさ」

 そう言葉を投げかけて、僕は手を振り上げる。その先端はすでに鋭利な刃を持つ触手上に変質している。

「き、さまぁぁぁぁっ!!」

 何とか拘束を振りほどこうとするが、まったくほどける様子はない。それが何故なのか、こいつには理解できないんだろう。魔術的な拘束の存在など、知っているはずもない。仮に知っていたとしても、魔術を学ぶことを放棄しているこいつには、一生かかっても解けることは無い。

 激昂する父の様子を見ても、僕の不機嫌は治るどころか増すばかりだった。今取り乱しているのも、自分の命が惜しいからではなく、この国を守れなくなることを恐れているからで、さらに言うなら、騎士としての役目を果たせなくなることが耐えられないからだ。

「精々あの世でいかに自分たちが間違っていたか、反省会でもするといいよ。せっかくお前の息子も何人か送ってあるんだし。民を守れず、仲間を守れず息子も守れず。自分の命すら守れない。反省点だらけだね、お前の人生は」

 これでこの国の守護者を気取っていたんだから、笑える話だ。ついでに言うと、周りのの国も見る目がない。こんな奴に“アイゼンルートの盾”なんて大仰なあだ名をつけて恐れていたんだから。

「貴様だけは、あの世からよみがえって来てでも、殺してやる!」

「そういうの何て言うか知ってる?負け犬の遠吠えっていうんだよ。畜生のお前にピッタリじゃないか?」

 そう言って、振り下ろした手をそのまま振り下ろした。最初で最後の親殺しには、特に何の感慨もなかった。残念。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 目の前の光景に、誰もが言葉を失っていた。あの偉容を誇った大陸最強の騎兵隊。自分たちの上に立ち、迫害し続けてきた悪の根源。それが跡形もなく消え去ってしまったということに、すぐには理解が追いつかない。

 彼らは自分の主の力を信じてはいた。あの双子や、空間を操る青年の実力が魔術師として非凡なものであるということも。けれどそれでも、彼らは王国軍に勝てるとは思えなかったのだ。それほどまでに、明確な上下関係を刷り込まれていた。ルクラインの演説で一時は勝てる気になっていたが、その威圧感を前にすると、足が止まってしまって、逃げることすら叶わない。

 そんな存在が、あまりにあっさりと倒されてしまった。彼らの眼前で繰り広げられたのは、もはや戦いなどではなく、一方的な蹂躙に他ならない。ただの一撃ですべてを葬り去ったのだ。力量差などという話ですらなく、もはや生物としての格が余りに違いすぎる。

 今までの蹂躙され、搾取される立場から、蹂躙し、搾取する側へと反転した。そのことを理解するにつれて、一人、また一人と笑みを浮かべ、ついには暗い笑い声の大合唱になった。自分たちを虐げる存在がなくなったのだ。もう二度と、魔術師というだけで迫害され、殺されるような事態にはならないだろう。こんなに愉快なことがあるだろうか!

「まだ、終わりじゃありませんよ。まだ第二王子が残っていますし、何より王城には第一王子が残っています」

 そんな喜びに水を差したのは、アルの冷静な声だった。あれだけのことを成したのに、そこにはほとんど何の感情も含まれていない。彼女にとっては、ただ彼の命令に従ったに過ぎないのだ。それは彼女にとって全てといっても過言ではないほどに重要な事項だが、同時に日常的に行っていること。ただのお使いも、千人万人規模での殺戮も、それが彼の命令だというのならそこには何の区別もない。

 別に罪悪感を覚えないという訳ではない。それに、彼女の主のように殺すのが好きなわけではない。ただ、それらの諸々を考慮したところで、彼の命令に背くほどの理由にはなり得ないというだけの話だ。

 彼は何より考えるのを止めた人間を嫌う。それはアルも同じで、ゆえにただ彼に従うことはしない。たとえ結果的に無条件に彼の命令を受け入れたように見えても、頭の中ではその是非を問い続けている。その一方で、無条件忠誠を彼に誓っているのだから、いかにもルクラインの好みそうな精神構造の複雑さだった。彼の言うことには絶対服従。だが、それが本当に正しいのか絶えず思考を動かす。たとえ彼の指示が間違ったものだと判断しても、そこで行動を変えるようなことは無い。“間違っている”と認識しながら、間違っている行為を実行するだけだ。

 だが、その複雑な感情は、他人には到底理解しがたい、ねじまがったものであるのも確かな事実。少なくとも、今彼女の周囲にいる者の中に、彼女の内面を少しでも理解できる者はいなかった。

 彼女に向ける目線は、皆一様に畏怖がこもっている。それは、ともすればルクラインに対して向けているのと遜色ない、自分の理解の範疇を遥かに超えるバケモノに対して向けられるものだった。

 たとえ恩人の命令だろうと、自分の身を削り数万もの人間の虐殺など、できるほどの精神を彼らは持ち合わせていなかった。たとえその相手が今まで自分たちを迫害し続けていたものだろうと、あれほどの蹂躙を許容することはできなかった。仮に王国軍が健在ならば、どんな方法でもあいつらを殲滅してくれと、アルやルクラインにすがっていたのだろうに。

 だからと言って、彼女の行為を糾弾するようなものは一人も現れない。もしもあの力が自分に向くようなことがあればと、そんな思いに囚われてしまえば、彼らには逆らうという選択肢はなくなってしまう。

 要するに小心者なのだ。虐殺など許されないと、そう思っていないとどこかの誰かに責められる気がして。だからと言って直接糾弾して自分に矛先が向こうものなら、と考えるとその恐怖で動けなくなる。

 ルクラインにしてみれば“実に人間らしい感情だ”ということになるのだろうが、アルにとっては嫌悪の対象でしかない。まさしくそんな精神だからこそ、あんな連中に虐げられてきたのだ。かつて彼らの様に無様だったアルにとっては、自分の醜悪な過去を見せつけられているようで気分が悪い。

「早く根絶やしにしないと、意味がありません。騎士道とやらは、少しでも再起の可能性を残すと、瞬く間に復活してしまうものですから」

 “仲間の仇を討つ”“残された自分たちの責務を果たす”。今度はそんな大義名分で、よりいっそう魔術師を迫害し始めることだろう。だから、その神輿となる第一王子と第二王子は何としても討たなければならなかった。

 そんなアルの言葉に、魔術師たちは少しずつ我を取り戻し始めた。その原動力は、奇しくも第二王子と同じく、怒りだった。自分たちが今までされてきたことを思い出したのだろう。彼らが虐殺に感じていた忌避感とは、所詮その程度で忘れてしまえる程度のものだった。常識という鎖に縛られているだけであって、その拘束を上回る感情の前ではあっさり掻き消えてしまう。

(その程度のものならば、いっそ捨ててしまえばいいのに)

 すでに“それ”を捨てているアルには、そう思えてしまう。まともな感性では、大量殺戮に耐えられないというのなら、まともではなくなってしまえばいい。

ルクラインの下にいる以上、求められるのは何かを守るための戦いなどではなく、ただただ彼の命令のままに殺すことだ。たとえ何の意味もない殺戮でも、彼が命じたのなら嬉々として行わなければならない。だからと言って、唯々諾々と従っていては気を悪くするのだから、非常に付き合うのが難しい人物であると言える。

常識云々について話すのなら、一番常識から程遠い位置にいるのはルクラインだった。だが、そんな彼でもなければこの国で魔術師を救うことなどできなかっただろう。

「今、立ち止まってしまえば、何のために立ち上がったのか分らなくなります。虐げられ続ける人生を払拭したいと、そう思ったからこそ戦うと決めたのでしょう?ならば、こんなところで立ち止まっている場合ではないはずです」

 小さく、落ち着いた声だったが、それは確実に彼らの間に浸透した。何のために戦うと決めたのか、何のためにここにいるのか、それを完全に思い出した。

 そもそも、一瞬とはいえ忘れられるような軽い感情ではないだろうとアルは思ってしまうが、それを口には出さない。

 目の前の恐怖や怒りに我を忘れてしまい、より大きな感情でそれらを塗りつぶしていく。それが人間らしさだと、少なくともルクラインはそう思っているし、アルにとっても、常に揺らがない騎士たちよりは、目の前の魔術師たちの方がよっぽど人間らしく思える。

「総員、自分と、魔術師と、主の未来のために、進軍を再開しましょう」

 わずか百人程度。けれど一国の軍隊を打ち破れる集団の鬨の声が、辺りに響き渡った。 

 


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