六章
ハネット峠は軍事的、経済的に特に意味のある場所ではない。そもそも、厳しい寒さと痩せた大地ゆえに外敵も交易相手もいない北方の地域であるし、地形的にも小高い峠で特筆すべき点はない。
ただ、歴史的には大変意味のある土地だった。初代アイゼンルート王が北伐の際に、最後に戦ったのがこの地なのだ。敗走したように見せかけて敵をおびき寄せたアイゼンルート王は、峠を上りきったところで一気に反転。坂によって勢いを増した騎兵は長時間の行軍で疲弊していた北方の異民族の軍を一撃のもとに粉砕した。
この地での勝利がなければ、超大国アイルは背後を脅かされて中央に進出することは叶わず、そもそも超大国たりえなかっただろう。現在のほぼすべての国家がアイルが分裂してできたものであることを考えると、世界の勢力図は大きく変わっていたはずだ。
ゆえに、この地が決戦の地となるのは運命だったのかもしれない。
アイゼンルートと、世界のすべての国家の命運を決める決戦の火蓋が、今まさに切って落とされようとしていた。
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「いくらのろまな彼らでも、流石にこっちが王都に着くまでに間に合わない、なんてことはなかったね。まあ正直、今でも間に合ってるとは言い難いけど」
眼下に広がる国王軍の群れを見下ろしながら、僕は呟いた。今いるのは、ハネット峠の頂点。かつて北方の異民族を打倒した、初代アイゼンルートにならって峠の上に陣を敷いていた。騎兵が主戦力ではない僕の部隊では、ご先祖様ほどの決定力は出せないだろうが、それでも上の位置を確保できていることは大きい。天候は晴れ。絶好の戦日和だった。
国王の軍隊は峠の南側に、距離を取って陣を敷いている。木々は生えているものの、それほど密集しておらず、高さも高くないため、ここからなら相手の様子が手に取るようにわかる。峠からやや距離を取っているのは、こちらの強襲を警戒してだろう。
あるいは、峠の上を陣取った僕らに対して、攻めあぐねているのかもしれない。騎兵というのは、下り坂は勢いを出せるので有利だが、上り坂だとその機動力を生かしにくい。さらに、国王軍の相手は基本的にダルーニア軍であり、その戦場はナルダナ平原だ。馬も騎士も高低差の激しい地域は動きなれていない。山岳地帯ほど激しい高低差ではないが、それでも特に峠を上る際には機動力の低下は避けられない。
つまり、彼らは僕らより早くここに着いて、峠の上に陣を張るべきだったんだ。
「ま、あの手紙を出してからすぐに出発した、僕らの方が早いのは当たり前の話だけど」
有利な場所を確保させてもらった。当然彼らには、一旦退いて僕らが峠を降りるのを待つ、という選択肢もあるわけだが、彼らはその選択肢を取ることはできない。
一つ目の理由は騎士として一度も戦わずに逃げることが不名誉だと考えているからだ。その一度で壊滅させられるよりは逃げた方がましだと思うんだけど、即時撤退は士気が下がるというのだから、まったく難儀な軍隊だった。
もう一つの理由としては、騎士の機動力は攻める時にこそ発揮されるもので、撤退はむしろリスクが高いというものだ。
これは確かにその通りだ。撤退時に騎兵が先頭では他の隊との間が空きすぎるし、
だからと言って殿や中心ではその機動力は意味をなさない。歩兵よりも反転に時間がかかるということもあって、ひたすら攻めている場面でこそ輝く兵種であると言える。
もちろん騎兵単体で運用している場合はその限りではない。機動力は本来逃げる際にも有用に働くので、真っ先に騎兵だけ逃げることもできる。だが、それは彼らの“美学”に反するのだろう。歩兵を、仲間を見捨てて逃げるなど、彼らはできないらしい。もちろん、軍隊は多く残った方がいい。しかし、一部を切り捨ててより多くを生かす、という選択肢が取れないのは致命的だ。
もしもアイゼンルートが大国でなければ、こんな非効率的な運用の軍隊なんて、瞬く間に潰されているだろう。むしろ同規模でより効率的かつ柔軟な運用をしているダルーニアに、今の今まで致命的な敗北をしていないのが奇跡と言う他ない。
「こうして見ると敵ながら中々に壮観だなぁ。アイゼンルートが誇る騎兵と歩兵の混合軍、その数十万人。あれが全力なんてことは無いはずだけれど、それでも僕を除く王族五人のうち、四人があそこに集結しているわけだ。旗印を見る限り、いないのは長兄かな?あれは目の前の軍を破ったあとに、王城で決着をつけることになりそうだね」
たかが内乱ごときで王族が四人も出てくるのは大げさな気がしないでもないけど、そもそもこの国の王族は、僕を除いて揃いも揃って戦下手ばかりだ。一応戦術面では優れていると言われる現王にしたって、『王族にしては』とか、『歴代の王の中では』とかの括弧書きが付いた上での『優れている』という評価だ。
ならば、こんな小規模な反乱ぐらいは自分たちで処理して、国境沿いの警戒や王都の守護など、重要度の高い地域は臣下に任せるというのは、間違った判断ではないだろう。
……そんな思考の末にこの場に来ているのなら、だけど。実際のところは『騎士たる者人々の前に立って守らねばならない』という信念のみでこの場に来ているのだと思う。なぜなら、この国で唯一と言っていいほど戦術、戦略的に優れているへインズを連れてきているのだから。
僕は個人的にあの老人は嫌いだし、僕以下であるとは思っているけれど、それでもこの国の中では比較的マシな人材だと認識している。それを防衛に割いていない以上、防衛に主力を回しているという訳ではないのだろう。
内乱なんて他国から見たら攻め入るための絶好の隙だというのに、だ。まあ、それは内乱を起こした側の僕が言うことではないけれどね。
ついでに、騎兵を含む十万人も兵士を導入しているのも馬鹿としか言いようがない。こっちの兵の数は一万にも満たない。僕の虎の子の部隊が三百人と、ゴルディアがかき集めた九千人だけだ。いったい何と戦うつもりなのか。
「マジで敵多すぎじゃない?」
「……確かに。想定よりも、多い?」
僕の隣でナタリアとエミリアの姉妹が同じように首を傾げていた。事前に話していたのでは今の半分以下、三万から四万程度だろうという予想だった。これもかなり多めに見積もった結果だ。
「まあその方が長く、たくさん戦場を楽しめるからいいじゃないか。今日の僕らの作戦には、敵の数の多い少ないはあまり影響してこないし」
「そ、そうだよね!」
「……その通り、ですね」
答える声もどことなくぎこちない。彼女らにとっては初陣なのだから、それも仕方のないことかもしれない。
僕はむしろ興奮が勝って、緊張なんて少しもしなかったけど、それが普通じゃないことぐらいは理解している。
「それに、君らにとっても念願の敵だろう?あそこには、騎士がたくさんいるんだよ?流石に全滅させたら勝った後の建て直しがめんどくさいけど、殺しすぎなければどんな方法で殺したっていいよ。たとえ世界法に反していたとしても、もみ消してあげるから」
“騎士”という単語を耳にした彼女らの態度は激変した。動揺は鳴りを潜め、怒りと憎しみが顔を覆う。彼女らは、いや彼女らに限らず僕の部隊の人間は、その多くが騎士や貴族に対して強い恨みを持っている。その存在ゆえに迫害され、虐げられた人々。それを救い上げて使っているのが僕だった。
「そうだった、ぐちゃぐちゃに殺してやらないと気が済まないんだった」
「……あいつらは、殺す」
普段は感情の起伏が読み取りにくいエミリアも、珍しく怒りを露わにしていた。
他人を励ます、なんて僕にはできないけれど、こうして負の感情を煽るのは大得意だ。
「気合が入ってんのはいいけど、俺にも少しは残しといてくれよ?」
その時、僕らの背後から突然声が響いた。振り返った僕らを見てにっこりとほほ笑んでいるのは、まだ若い青年だった。若いと言っても、僕よりは流石に年上だけど。
年齢は十七歳程度。名前はシモン。浅黒い肌に、長身。黒色の縮れた髪は、この国では珍しいものだった。本人いわく、南方の血が入っているとのこと。この国では肌は白く、色素の薄い髪と瞳が一般的だから、彼の容姿はそれだけで差別の対象になったようだ。それに加えて特殊な才能も持っていることから迫害されていたところを、僕が拾った。
僕にとって容姿は良ければそれに越したことは無いが、そこまで気にすることではない。人種がどうとか肌の色がどうとかあまりに馬鹿らしい。ただ、王族とそれ以外という身分による差はなくなってもらっては困るけどね。それはあった方が僕にとって都合がいいものだから。
それに、“特殊な才能”に関しては、むしろないと困る。それがなければ僕もわざわざ助けたりしないしね。当然のことだ。
そこらの虫けらをわざわざ救ってやる理由などない。彼らは皆、虫けらよりはマシだと僕が判断したからこうして救い上げて部下にしている。
「っと、それでボス。準備は万全です、あとは開戦を待つばかりですね」
「そうかい、よくやったね」
「いえいえ、もったいなきお言葉です」
シモンにはあらかじめ仕込みを頼んでいた。わりと大がかりなものになったと思うけど、その分効果は絶大なはずだ。
「その開戦についてなのですが」
僕らの会話に、もう一人加わる人物がいた。僕の右腕の少女、アルフシュテイン。通称アルだ。彼女には僕の代理として、ありとあらゆる用事に奔走してもらっている。今も僕の部隊の視察と、ゴルディアとの連絡を頼んでいたはずだった。
「敵方からこのような文をもらいまして」
「ふみ?いったいなんだろうか、こんな時に」
まさか降伏勧告でもするつもりだろうか?そんなもの、文字通り死んでも応じるつもりはないんだけど。
そう思って手紙を開いてみると、そこに書かれていたのは、一応降伏勧告ではなかった。
「開戦前に一度話し合いの場を設けたいってさ。このタイミングでの話し合いなんて、十中八九降伏勧告か、和平交渉という名の降伏勧告かだろうけどね」
父上たちは勝利を確信していることだろう。十倍の戦力差にご自慢の騎兵まで持ち出しているのだから、当然と言えば当然だけど。ただ、それでもできることなら犠牲は少なくしたいはずだ。自分たちの兵士の消耗を抑えることも大事だろうけど、仮に僕らを全滅させたところでアイゼンルートという国にとっては、何のプラスにもならない。
僕とその直属の三百人はともかく、大貴族のゴルディアには開戦前に投降してほしいはずだ。ゴルディア本人は何らかの処罰を受けるだろうが、その配下の兵士と大貴族ハースロッド家の名は傷つけたくはないはずだ。
「降伏なんて、馬鹿らし。話し合いなんて出るだけ時間の無駄だよね。さっさと踏みつぶしちゃおーよ」
「……同意です。いかなる事情だろうと、こちらが戦争を止める理由にはなりませんから」
実に頼もしい限りだったけど、僕の考えは彼女たちとは少し違っていた。
「もちろん僕も降伏なんてするつもりはないけどね。ただ、話し合いの場には行こうと思うんだ」
「どうしてですか?」
「せっかくだから、この戦争を思いっきり楽しもうと思ってね。あっちから招待してくれているんだから、精いっぱい着飾ってダンスでも踊りに行こうかな、と」
頬が自然と笑みを形作るのを、自覚していても抑えれらない。
そんな僕を見て、部下たちは納得したようにうなずいていた。理解ある部下を持てて幸せだ。
舞踏会の会場には真っ赤な花を届けよう。まだ十二歳という若輩者だから、少々不作法だとしても、許してほしいところだ。
「誰か先に行って、僕が話し合いの席に着くことを承諾したと伝えてきてくれるかい?」
「それでは、私が行ってまいりましょう」
名乗り出たのはアルだった。
「よろしく頼むよ。ああ、お供として話し合いの場に同席してもらうから、伝え終わったらあっちで待っててくれるかい。それ以外にも、一つ役割があるしね」
「承知いたしました」
敵陣へ向かってかけていくアルの背中を見送りながら、僕はゆっくりと準備を始めた。
「いきなり殺し合いの予定だったけど、前哨戦を用意してくれるとは、なかなかいきな計らいだね」
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「陛下、ルクライン様は話し合いに応じるそうです」
「……そうか」
一方、アイゼンルート王国軍の陣地は、重苦しい雰囲気に包まれていた。
今から戦おうとしている相手は自国の王族であり、その配下も今まで肩を並べて敵国と戦ってきた仲間たちなのだ。気持ちが沈んでしまうのは当然と言えた。
それはなにもこの作戦本部だけに限った話ではなく、末端の兵士に至るまで、いや末端の兵士こそ暗い表情をしていた。
つい最近まで一緒に肩を並べて戦っていた仲間。死の恐怖に身を震わせ、それでも国のため、家族のため、恋人のため、それぞれ理由は違えど大切な何かのために一緒に戦っていたのだ。それが突然互いに刃を向け合い、殺しあう関係になってしまったのだ。士気が上がらないのも無理はないだろう。だが、仮にも誇り高い騎士の国、アイゼンルートの兵士なのだ。実際に戦いが始まったら、勇猛さを取り戻してくれると、指揮官たちは信頼していたのだが。
「とはいえあの弟が、素直にこちらに従いますかねぇ?」
疑惑を口にしたのはアイゼンルート王家三男のギルバート・アイゼンルートだ。アイゼンルート家特有の金髪碧眼に、整った顔立ちは他の兄弟と共通している。口調もしぐさもどこか芝居じみていて、右目が隠れるように左右非対称に伸ばした前髪や腰まである後ろ髪と相まって、どこかきざったらしく感じる人物だ。
けれど、そんな態度とは裏腹に、騎士道を重んじ、いざという時には頼れる王子として、多くの騎士や国民から支持を受けている。しかし、本人は王位には興味がないようで、「僕よりは上の兄たちの方が相応しいでしょうからねぇ」と公言している。
そもそも、長男が継ぐことが当たり前になっているこの国では、王位継承権を巡っての争いなど、ほとんどないのだが。しいて言えばルクラインが反逆している、今まさにこの状況こそが何世代かぶりの王位継承争いと言えるのかも知れなかった。
「自分としても、あの子のことはさっぱりわかりませんからね。どうしてあんなに捻くれて育ってしまったのやら」
やれやれと肩をすくめるのは四男のイーニアス・アイゼンルートだ。まだ十二歳のルクラインを除けば、軒並み背の高いアイゼンルート家において、珍しく小柄な人物だ。金髪碧眼なのは相変わらずだが、彼は肩にかからない程度に髪を短く切っている。いつも優しげな笑みを浮かべた、穏やかな人柄の人物だが、戦場では先陣を切って突撃する勇敢さも併せ持っている。
「俺たちがまともに育っていることを考えると、教育のせいではないだろうな。へインズ殿が間違った教育を施すとも思えん。となるとあれは生まれつきか、一人母親が違うという環境によるものだと思うが……」
そう返したのは二男のスタリオン・アイゼンルート。ルクラインの初陣を切り上げさせて追い返した人物だが、彼の物言いにはどこか突き放すようなニュアンスが含まれていた。
スタリオンは根っからの騎士至上主義者であり、魔術に傾倒しているルクラインのことは、あまり好きではなかった。無論、騎士道精神にあふれたスタリオンのことだから、それを理由に露骨に態度を変えたり、排斥したりするようなことはなかったが、内心で彼の存在を疎ましく思うことは自分でも止めることができなかった。
同時になぜ騎士として生きるという当然のことができないのか、やきもきもしていた。
それらの感情は、彼ら兄弟と、その父アルバートが大なり小なり抱えているものだった。
アルバートにとって最愛の妻、その子らにとって愛すべき実の母を亡くした彼らは、以前に増して家族間のつながりを重視するようになっていた。そんな彼らが共有できる価値観というのが、騎士道精神であったのだ。
だが、仮にルクラインが今のような性格でなかったとしても、その価値観を共有するのは難しかったかもしれない。
ルクラインだけは母親が違うのだ。その母親もすでに死んでいるが、それでも彼の兄や父と同じ感情を彼が持つことができるかというと、難しいだろう。
そのことを皆理解しているからこそ、ある程度のことは見逃してきた、という側面もある。
けれど、今回ばかりは許すわけにはいかない。再三注意してきたにもかかわらず、アイゼンルートの王族としてあるまじき言動を繰り返してきたのだ。しかもそれが他国に知れることになってしまった。内々に処理することができなくなってしまったのだ。
「一応、降伏勧告はする。それで降伏するのなら、命だけは助けてやってもよい。その場合は、一生幽閉することになるやもしれんが。もし、降伏しないようであれば、戦場で切って捨てる。一切の容赦なく、な」
アルバートが静かに告げる。世間に一切出さないのなら、生かしてもよいと考えていた。もとは何があっても殺さなければならないと考えていたが、十二歳という年齢を考えれば、流石にそれはかわいそうだと、思い直した。それに、幼さゆえの思いつきで行動したが、今王国軍と対峙することになってことの大きさを実感し、反省している可能性もゼロではない。
実のところ、これはかなり甘い考えであって、普段のルクラインを知っているのなら、反省していることなどありえないし、降伏なんて彼の頭の片隅にすら存在しない単語であることは明白だ。
要するに、いくら勇敢で聡明な王と言われていようが、人の子であり、父であることにはかわりがないということだろう。王都の自室であれほど決意を込めたルクラインの殺害という行動を、ゼロに近いとはいえ回避する可能性を残すというのはそういうことだ。
だからこそ、三人の王子と、居並ぶ臣下のものたちは無言でうなずいた。それは、貴族たちの中で最も王に近い席に座っていたへインズも、例外ではない。
(ルクライン様、お願いですから降伏してください)
今ままで神に祈った経験などない彼だが、始めて神に祈らずにはいられなかった。
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敵陣に乗り込んだ僕を迎えたのは、誰を見ても辛気臭い顔をした兵士たちだった。せっかう今から、人の営みの中で最も楽しい行為が始まるというのに、そんなに落ち込んだ表情をしないで欲しい。まあ、他人の不幸にあてられてこっちまで気落ちするような、めんどくさい性格はしてないけどね。
それにテンション高く、笑いながら殺しあうような戦争なんてありえないことぐらいよく理解している。自分の価値観がいかに少数派かということぐらい理解している。それでもいつかは、そんな戦争をしてみたいものだ。
「ルクライン様、こちらにどうぞ」
思考が横に逸れていたせいか、その兵士に呼び掛けられるまで、人が近づいていたことに気づかなかった。危ない危ない。敵地でぼうっとするなんて、いくら命があっても足りないだろう。
「僕の従者が先に来ていたと思うけど、どこにいるかわかるかい?」
「はい。あちらでお待ちいただいておりますが」
そう言って、布を張って作られた、簡易な建物の内の一つを指し示す。それは王の寝所、作戦本部に次いで大きい来賓用の建物で、一応使者としての待遇を受けていることが分った。まあ普段から名誉を重んじ、だの正々堂々と、だの言っている彼らが、敵対勢力とはいえ使者を処刑するような真似ができるとは思っていなかったけれど。
「呼んできてくれるかい?今からの会合に、彼女も同席させるから」
「ですが……」
「ああ、彼女には連絡係を任せていたけど、僕らの軍の副官も兼ねてるんだ。だから、問題ないよ」
「……そういうことであれば」
彼女の身分について説明すると、兵士は納得したようにうなずいてアルを呼びに行った。
彼に説明したことは、一応事実だった。まあ実際には副官を任せられるような人間が他にいないというだけの話なのだけれどね。
僕の周りにいる人間と言えば、虎視眈々と漁夫の利を狙っているゴルディアに、性格に難しかない三百人の部下。後は有象無象のゴルディアの部下しかいない。
もちろん部下たちの信頼と忠誠は得ているつもりだけど、それと軍全体のことを任せるかどうかというのはまた別の話だ。
結果、重要な案件は常にアルに任せることになってしまっている。アルは絶対に裏切らないと確信しているからこそだが、流石に負担をかけすぎているという気がしないでもない。
まあ、彼女のことは大好きだし、だからこそ彼女が苦しむ顔を見るのは大好きなので、現状を変えるつもりは特にないけれど。
それに、万が一ここで殺されそうになったりした場合に生きてい帰ってこれる可能性が一番高いのは、僕を除けばアルだろう。いや、多少の犠牲を厭わなければ、アルは僕よりも確実にこの拠点を脱出できるだろう。
そんな彼女を手駒に加えられているのは僥倖と言う他ない。もし彼女がいなければ、この蜂起は、今よりももう何年か後、僕がもっと力をつけてからになっていただろうし、それでは世界の情勢によっては今のようにうまくいかなかった可能性もある。
「それにしても、相変わらず歩兵と騎兵ばかりの軍隊だなぁ」
視界に移るのは鎧を着こみ剣や槍を抱えた兵士ばかり。
剣術と槍術に重きを置く彼らは、魔術以外で最も有効範囲の広い武器である弓すら使うのをためらう。
攻撃可能な距離の差は、騎兵の突進力で無理やり補う考えなのだ。
遠距離攻撃など軟弱だというのが彼らの考えのようだが、名誉と伝統だけで戦争に勝てるわけなどないのだ。無論、それらが末端の兵士の士気の向上という点においては重要だということも理解しているが。
彼らの理屈では、遠距離攻撃専門の部隊など配備しなくても、騎兵がその突破力によってある程度カバーできるということらしい。要するに距離が問題なら、その距離を一瞬で詰めれる騎兵が代替になるということだ。
もちろんそんなわけがないのは他国なら子供でも知っているようなことだ。今のは地形をまるっきり無視した考えであるし、歩兵を前面に配備して弓で援護するという作戦が取れない時点で、騎兵がすべての兵種のカバーができるという考えがただの幻想であることがわかる。
気が付けば、そんな愚か者どもの集まりの入り口付近までたどり着いていた。
ああ、いけない。また自分の考えに没頭しかけていた。今回は周囲への警戒を忘れるほどではなかったけれど、どうにも僕は自分の思考に没入してしまう癖があるようだ。
入り口の幌をくぐって、中に入る。
その瞬間、それまで為されていた会話はぴたりと止み、部屋中の視線が突き刺さった。長机の奥に父上、近い位置に兄上たち。それ以外に重鎮たちが座り、こちらを見ている。その視線の多くは、忌々しげなものだ。
分っているとも。周辺諸国との関係がそこまでよろしくない今、反乱なんて起こした僕が憎くてたまらないんだろう?だからといって、ストレートにその憎しみをぶつけるわけにはいかない相手だから、そんな風ににらんでいるんだ。
「よくものこのことやってきたな……!」
「そっちが呼び出したんでしょう、兄上?」
とはいえ、それが許される立場のものもいる。僕の兄と、そして父だった。
二男のスタリオンが苛立ちを大量に含んだ口調で僕に話しかける。それに対する僕の言葉には精いっぱいの侮蔑を載せてあった。
怒りは冷静な判断を失わせる。それが役に立つ場合もあるだろうけど、少なくともこの場では足を引っ張るだけだ。だから僕は相手の怒りを引き出すような物言いを、あえてしていた。それは相手から譲歩を引き出すことのできる可能性と引き換えのものだけど、そもそも僕はまともな話し合いをしようとはしていないからその点は関係ない。
彼らはここを交渉のテーブルだと考えているのだろうけど、僕にとってはこの場所も戦場も何の違いもない。いやこの場所に限らず、僕がいて他の誰かがいるのならば、その場所は戦場であり処刑場だ。気に入らない人間は殺す。気に入った人間はいたぶってから殺す。
自分で言うのもなんだけど、そもそも僕と交渉しようというのが間違いなんだ。たとえ
どんな条件を出されようと、こっちは全力で戦争を楽しむつもりでいるというのに。
「おまえは!自分の立場が分っているのか?」
「立場だって?わかっているに決まっているだろ。今更何を言っているんだ、この馬鹿は」
思ったことを素直に口に出すと、スタリオンは怒りで顔を真っ赤に染めた。そこで露骨に自分の感情を露わにするから馬鹿だというのに。
交渉するつもりなら、自身の感情や思惑は極力隠すようにするのが常識だ。そうしなければ簡単に弱みを見つけれられ、そこを突かれることになる。
「で、そんなくだらない話をするためにわざわざ“僕ら”を呼んだんですか?」
ちょうどアルが入ってくるところだったので、“僕ら”を強調して言う。
実際、僕もアルも忙しい身で、今回の会合を利用してより戦争を楽しむ方法を思いつかなかったら、無視して開戦していただろう。
「互いに、言葉には気をつけろ。この場には、両勢力の代表として居るのだ」
父の言葉に、頭を下げるスタリオン。僕はそれを冷ややかなまなざしで見ていた。
「ぐ、貴様……!」
蔑むような僕の視線に激昂しかかったスタリオンは、父の言葉を思い出したのか、慌てて口をつむいだ。
「それで、単刀直入に言うが。ルクライン、今この場で降伏する気はないか?もしそうするなら、命は助けてやろうと思うが」
こちらに問いかけてくる現王。控えめに言って、論外だった。そんなバカなことをするはずがない。命は助けてやるなんて本気で信じる馬鹿はいないし、仮にその点を無視したとしても、なんでわざわざこいつらの言うことを聞かないといけないのか。
要するに、僕の父は二つのことを未だに理解していないのだ。
一つは今有利な立場なのがどちらであるのかということ。彼らは自分こそが優位に立っていると欠片も疑っていない、いやそもそも僕らに劣勢に追い込まれる可能性というものが想像できないのだろう。それだけ自分たちの騎兵隊に絶対の信頼を置いているということだ。そう思うのは勝手だが、これからすぐに現実を思い知ることになる。
二つ目はそんな説得程度で、僕が考えを変えると思っていること。というより、未だに僕を説得しようと考えていること。十二年も僕を間近で見てきて、まだ話しの通じる人間だと信じているところが、僕にはひどく滑稽に見える。
自分で言うのもおかしな話だと思うけど、僕なんて一目で異常者とわかるような言動の人間だと思うけど。もちろんそれなりに体裁を取り繕ってはいたけれど、ごまかせないくらい、いろいろやらかしていた。
その場で湧き上がった衝動を、無理やり抑え込むぐらいなら、すぐに行動に移すのが僕のやり方だった。たとえその結果どんな事態になろうとも、だ。
だから彼らも僕がどんな思考の持ち主なのか、ある程度は把握しているはずだ。
にも関わらず、僕にそんな提案をしてくるというのは一体どんな思考回路をしてるんだろうか。
少なくとも僕が、僕のような人間に会ったなら、会話など無駄だと判断して、即座に排除しようとするだろう。
僕は基本的に馬鹿は嫌いだ。見ているだけで不快になる。だから、彼らの目を覚ましてやることにした。
「まっぴらごめんだね、父上。いや、愚王アルバート。あなたのような下等な人間にも、あなたよりも遥かに程度の低い兄たちにも、従うつもりなんてさらさらないよ。騎士なんてくだらないものに固執するのなら、わざわざ戦場に出てこないで王都で“騎士ごっこ”
でもやってればいいのに。そうすればこんなところで僕に負けて恥をさらすようなことにならずに済んだんじゃない?」
彼らが信じている騎士道と、それを補強する主従関係そして騎士そのものを徹底的に侮辱してやる。話の途中の時点で、周囲の人間が軒並み殺気立った。
僕の兄なんて感情的なスタリオンは当然だけど、三男四男のギルバートとイーニアスですら剣に手をかけている。
父は年の功というべきか、流石に冷静で、周囲の臣下や兄たちをなだめようとしていた。
とはいえそれも表面上のことで、瞳の奥に怒りの炎が渦巻いているのが見える。
だから僕は、それをさらに燃え上がらせてやることにした。
意識を肩に集中させる。
あらかじめ変化させ、皮膚の下に埋め込んで隠していた、骨を拡張した硬質の触手が、過たずギルバートとイーニアスの首を刈り取った。
皮膚を、肉を、筋を、骨を切り裂く微かな感触が伝わってきた。それに遅れて、ボトリと音を立てて二人分の首が落ち、断面から勢いよく血が噴き出す。さあこれで真っ赤な花畑の完成だ。
「…………え?」
もらした声は誰のものだっただろうか。まあ、どうでもいい。
「あはははは!ご自慢の剣に手をかけていたのに、魔術に負けるなんて!一体君たちが何百年と積み上げてきたものは何だったんだろうね!あははははは!」
僕の魔術が、変質魔術というものがどういうものか理解できていれば、少なくとも警戒するぐらいはできただろうに!
それに、少なくともスタリオンは僕が魔術を使っている姿を目撃しているはずなのだ。
おおかたスタリオンが「怪しげな術を使っていた」程度にしか報告していなかったのだろう。
まったく、馬鹿は殺しやすくてその点では助かる。
「ルクライン!!貴様ぁ!!」
突然目の前で行われた殺戮の驚愕からいち早く立ち直ったのは、意外にも愚兄スタリオンだった。
いや、別に意外でも何でもないか。だってスタリオンは別に冷静さを取り戻した訳ではない。ただ単に、怒りというより大きな感情で、驚愕を塗りつぶしただけだ。
その証拠に、がむしゃらに剣を抜き放って今にもこちらに切りかかろうとしている。
「騎士が一時の感情に任せて人を切ったりしてもいいの?」
そう言葉をぶつけてやると、冷や水を浴びせられたかのように、スタリオンはたたらを踏んだ。
“仇討”も騎士の行動としては美徳とされているけれど、世界条約においては非戦闘時の殺害は重大な違反行為だ。仮に相手が先に条約を破ったとしても、捕まえてきちんとした手続きにのっとって裁かなければならない。
ただでさえ頭の悪いスタリオンは、肯定と否定が頭の中でこんがらがってすぐには動けないだろう。
「今すぐこいつを捕えろ!世界条約違反ですぐに裁きを下してやる!」
だからこそ、激昂していてもある程度は冷静な思考を残していた父が、最も早く適切な回答を出していた。
「残念ながら遅いんだけどね。アル?」
「はい、準備は完了しています」
今の今まで僕が前面に出て話していたのは、撤退の準備をしているアルに注意を向けさせないためだった。僕の背後にいる彼女は、彼らの位置からではとても見えにくいだろう。
従者まで魔術を使えるなんて彼らは想定していないだろうけど、一応の措置だ。
複雑な文様の書かれている紙に血を一滴垂らすと、アルの傍にいる僕は、次第に視界がゆがみ始めた。
「逃がすな!捕えろ!」
珍しく大声を上げる父。その声に、父の部下たちも慌てて剣を抜き始めるが、もう間に合わない。
実際のところ、スタリオンの行動が一番正解に近かったのだ。
感情に任せて切り捨てていた方が、現状よりは遥かにましだった。それはあくまで結果論というやつだけれどね。
「じゃあね、みんな。次は戦場で殺しあおうよ。
憤怒のあまり、元の顔が分らないぐらいに顔を歪めた父と兄を眺めながら、僕とアルはその場から消え去った。
あー。楽しかった。
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「あいつ!絶対に許さない!俺は弟たちの敵討ちをしないと気が済まん!」
すでにその姿を消したルクラインたちに、騎士たちはなすすべもなく、沈黙が満ちていた。
その沈黙を打ち破ったのは、スタリオンだった。
彼はルクラインに対しては複雑な感情を抱いていたが、他の兄弟や父に対しては、敬愛の情を抱いていた。
彼は自分がそこまで頭がよくないことを自覚していたから、自分よりも賢い弟たちを尊敬していたし、自分よりも頭が良く、騎士道を重んじ、剣の実力も高いという、彼にとって完璧に近い父や兄を尊敬していた。
だからこそ、その弟たちを殺したルクラインのことは許せなかった。
「そのとおりです!」
「いくらルクライン様と言えど、限度がありますな!」
そんな彼の素直な感情の発露が周囲に伝播したのか、皆が怒りの声を上げる。
ルクラインは徹底的に馬鹿にしていたが、スタリオンの実直さを慕う人間は多い。
特に今は、誰もが突然の悲劇に呆然としていたために、この場で今後の指針となれるのは、彼以外にはいなかっただろう。
「……皆の者、直ちに出陣の準備をせよ。速やかにルクラインを討ち果たし、ギルバートとイーニアスの仇を討つ」
冷静な王の声が、再びその場に沈黙をもたらした。その場にいた者全員が、その声が震えていることに気づいていた。最愛の息子を二人も失って、その悲しみと怒りは計り知れない。
けれど臣下の前だから、努めてそういった感情を見せないようにしているのだ。
指揮官が動揺すれば、下の者にも影響がでる。
こんな事態にあっても、アルバートはまさしく王であった。
「かしこまりました」
「直ちに用意いたします」
だからこそ、臣下も粛々とその命令に応える。
怒りはゆっくりと内心で燃え上がらせる。悲しむのはすべてが終わってからでいい。たとえどんな感情を抱いていても、するべきことはただ一つ。
今はただ、一刻も早くかの怨敵を討ち取るのだ。
「我らアイゼンルート騎士の総力を以て、奴を、ルクライン・アイゼンルートとその取り巻き共を討ち滅ぼせ……!」
「「応っ!」」
こうして王国軍は、決して引くことのできない戦争を開始した。
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「よっと。首尾よく帰ってこれたね」
「そうですね。シモン様の術式符もうまく機能したようですし」
僕とアルは、転移魔術で陣地へと戻ってきていた。
エミリアとナタリア、そしてシモンは突然現れた人影に一瞬身構えたが、それが僕らだとすぐに気づいて緊張を解いた。
「俺の符は正常に機能しましたか。そいつは良かった」
符というのは、今まさに敵陣から脱出するときに使った紙のことだ。
そもそも、アルの得意とする魔術は転移魔術ではない。物体の移動に関する魔術が得意なのは、シモンの方だ。
そのシモンの術式を紙に封じて、魔力を込めれば誰でも使えるようにしたのが、先ほどの符ということになる。
とはいえ、まだまだ開発途中の技術であり、そのテストの一環として、今回使用した。
もし仮に失敗していたら、ひたすら周囲を切り刻みながら力ずくで突破することになっていた。
正直そっちの方が好みの展開だけど、肝心の開戦後に相手の数があまりにも減っているのは興ざめだから、何とか我慢した。
最近の僕は我慢のしすぎだと思うんだ。せっかくめんどくさい大人や兄たちの束縛から逃れられたというのに。まあ、それもあと少しの辛抱だけどね。
「はい、確かに機能はしたのですが……。現状では必要な魔力が多すぎて、汎用的に使えるとは言い難いですね」
「うっ、そうか……。もうちょっと頑張らないとなぁ」
落ち込んだ様子のシモン。確かに今の符では、使えるのはアルなどの一部の魔術師に限られるだろう。
だが、そもそも転移魔術のような複雑な術式を一枚の紙で発動させる技術そのものが今までにない発明であって、現段階でうまくいかないのは仕方がない。
発案者は僕で、実用化のために研究しているのはシモンだった。
「まあ、この国を支配できたら魔術の研究と、魔術の才がある人間の教育のための施設は作るつもりだから、本格的な開発はそれからになると思うよ。今のところはこの出来で十分、十分」
僕の言葉にシモンがそっと胸を撫で下ろしたのがわかった。
開発が進まないのを咎められると思っていたんだろうか。機嫌が悪くない限り、全力で僕に尽くしている人間を殺すようなことはしないんだけどなぁ。
僕の機嫌は現在すごくいい。今までの人生で最高と言っても過言ではない。
だから、殺される心配なんて不要だ。
「おや、その血はどうしたんですか!ルクライン様!?お怪我はありませんか!?」
兄二人分の返り血を浴びている僕の姿を見て、ゴルディアは声を上げた。
ゴルディアは私兵の準備をしていたのだろう。たった今僕らの陣に入ってきたところだ。
一応、敵との会合に出ることは言っておいたが、そこでどうするかまでは伝えていなかった。
「うん?ああ、これはただの返り血だよ。ギルバートとイーニアスのね」
僕が何を言っているのか、すぐには理解できない様子のゴルディアだったが、次第に顔を驚愕にゆがませた。
「な、本当ですか!?」
「なんで嘘をつかなきゃいけないんだい?」
「そんなことをしては、統治権の正当性が失われ、他国に付け入る隙を――――――」
「で、それが何か問題かい?」
疑問に首を傾げてやると、再び理解できない、という表情を浮かべるゴルディア。
「いいですか、現在この国は南の連合、東のダルーニアが虎視眈々とこちらの隙を窺っている状態なのですよ!ただでさえ内乱で隙を作ったところに、大義名分まで与えてしまっては――――――――」
「『周辺諸国から孤立して、袋叩きに遭いかねない』かい?」
ゴルディアは無言でうなずいた。僕を見る視線には、『理解できているのに、どうしてこんなことを』という非難が込められているように感じられる。
確かに、内乱だけならアイゼンルート一国の問題として処理できるだろう。まあ、この隙に他国が侵略してくることはあるかもしれないが、それはあくまで“他国の侵略”であって、戦後に非難されるのはその敵国になる。
だが、僕らが世界法を犯してしまった今となっては、仮に僕らが王位を簒奪しても、そのことを理由に僕らの正当性を認めない国家も出てくるだろう。
特にダルーニアと南部の連合は隣接国として、正当な政治がおこなわれるように、という名目でこちらに介入してくることも考えられる。
それどころか、『王が世界の法を犯すような国は即刻打倒すべきだ』という論調になっても仕方がない。
だからゴルディアの懸念、それ自体は間違っていない。むしろ非常に冷静な思考だと言える。
だが、そもそもの前提が大きく間違っているのだ。
「隙を与える?孤立する?周囲から攻撃を受ける?なるほど、その通りだろうね。で、それのどこが問題なんだい?」
絶句しているゴルディアの目を見据えて、言葉を続ける。
「まさか、君も僕が常々戦争したいと言っているのを、ただのポーズか何かと思っていたのかい?だとしたら、君もあいつらと変わらないということだね。周辺国に袋叩き?面白そうじゃないか。歴史に名前が載るような大規模戦争を体験できるなんて、考えるだけで心が躍るよ。いったい何人死ぬのかな?とても楽しみだ」
まるで狂人を見るかのような、怯えの混じった目をこちらに向けるゴルディア。
ああ、本当に僕がどんな人間か理解できていなかったのか。今更そんな目をするというのは、つまりそういうことだ。
父や兄、その臣下たちよりは幾分かましだと思っていたけれど、気のせいだったようだ。
「だ、だが。そんな戦争をしても勝ち目なんて……」
「まだ、わからないのかい?勝ち目なんてどうだっていいんだよ。戦争が楽しいから戦争をする。ただそれだけなのに、どうして理解できないんだい?」
もちろん、負けるぐらいなら勝った方がいい。だが、それは本質ではない。
戦争をすること、その中で大勢人が死に、それを眺め、時に自分で手を下す。
命というものが路傍の石のように価値を失う地獄。
それが楽しく仕方ないから、こうして戦争をしているというのに。
「で、僕が理解できない君は、一体どうするんだい?今から王国軍に投降してみるかい?二人も王子を失った彼らが、素直にそれを受け入れてくれるかどうか。僕の首でも手土産にすれば、受け入れてくれるかもしれないよ?」
ゴルディアは額に汗を浮かべて考えていたが、やがて結論が出たのか、いつも通り笑みを浮かべた。まあ、多少表情が引きつってはいたが。
「そんなことするわけないでしょう?私とあなたは同志なのですから」
頭の中では今の時点で裏切ることのメリットとデメリットを秤に乗せていただろうに、それをあまり感じさせない演技は見事だった。
僕が彼の反逆計画に気が付いていなければ、あるいは騙されたかもしれない。もっとも僕の場合は、彼がどれほど信頼のおける人物だろうと処分するつもりだから、極めて無駄な演技力だけれど。
「そいつは良かった。じゃあ、もうしばらくしたら出陣だから、準備してきてくれるかい」
「ええ、かしこまりました」
足早に去ろうとするゴルディア。そのまま見送ろうとした僕だけど、一つ確認し忘れていることを思い出した。
「ああ、そうだ」
「何でしょうか?」
「この前言ったように、君の部隊は前線に出る必要はないから。僕らが囲まれないようにしてくれればそれで十分だ」
「……かしこまりました」
何か言いたげな雰囲気だったが、結局無言のまま彼はこの場を後にした。峠の麓の森で待機させている、自分の軍隊のところへ戻ったのだろう。
互いの軍の役割については、以前話し合っていた。まあ、その時点では議論は平行線のまま終わったんだけど。
ゴルディアは両軍がきちんと連携して動くべきだ、と主張していた。その際、全体の指揮官は数の多いゴルディアが受け持つとも。
要するに、この国家転覆計画の主導権を握り、そのまま転覆後の実権もなし崩し的に握ろうという算段なのだろう。
数千規模のゴルディアの本隊に比べて、僕の戦力はわずかに三百。外からどちらが主力に見えるかなど、言うまでもない。
だが、いざ戦端が開かれれば、その常識が容易に覆るだろうと、僕は確信している。
物量だけで優劣を決めていた時代とは、まったく異なる戦争の在り方を、人々は目撃することになるだろうと。
だからゴルディアの思惑は、何の意味もなさない。
僕の率いる三百の手駒が、誰の目にもわかる形で戦場を支配し、その力でこの国を統治することになる。
「さて、それじゃあ僕らも開戦の準備をしようか」
僕はゆっくりと歩き出した。後ろにはアルたちが付き従う。眼下には、開戦の準備をする王国軍の姿がうっすらと見えた。
「雑魚は雑魚なりに、精々楽しませておくれよ」
そう呟いてその場を後にした。
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開戦の準備、と言っても僕らにはそこまで準備が必要なことは無い。
騎士のように馬に乗ったり、剣や鎧をまとうこともないからだ。
全員がゆったりとした赤色のローブを着ている。武器は一切持っていない。そんな人間が三百人。それが僕の唯一の手駒だった。
戦況を有利にする仕掛けはいくつか準備してあるけれど、それに関してはすでに確認済みで、今更どうこうするようなものは無い。
だから僕がすべきことは、僕のかわいい駒たちのコンディションの確認と、叱咤激励ぐらいだった。
特殊な能力を持っているとはいえ、彼らの多くはまだ二十歳にもなっていない。
それは、この国では彼らは迫害の対象となっているからで、多くの者が大人になるまで生きられない。
当然、そんな年齢では戦争を経験したことがある者などほとんどいない。国民として勘定されていない彼らは、兵士として戦場に赴くことなどできないからだ。
だから、初めての殺し合いに怖気づいてしまうかもしれない。だが、そんな風では困るのだ。僕みたいに殺しを楽しめ、とまでは言わないけど、最低限他人を殺すことをためらわない程度には、常識を捨てて欲しい。
戦場での恐れや躊躇いは、そのまま死につながる。人数の少ない僕らにとって、一人の死はそのまま敗北に繋がりかねない。
だが、たった一人でそれらの感情に打ち勝つには、戦場で長い時間を過ごすか、僕のように狂ってしまうしかない。
だから、今から彼ら三百人の前で話すのだ。
怒りと憎悪の剣を握れば、殺しをためらうことは無いだろう。
自信と優越感の鎧を着こめば、戦場を恐れることは無いだろう。
それらの感情を熾し、焚き付け、燃え上がらせる。そのために言葉を紡ぐ。今の僕に求められているのは、そういった話術だった。
黙ったまま歩を進めて、小高く盛り上がった場所に立つ。振り返れば、王国軍が開戦の準備をしているのが見えるだろう。
三百人の部下たちは、黙ってその場に待機していた。それは、アルに伝えるように頼んでいた、僕の指示だったけど、それにしても珍しい光景だ。
よくも悪くも個性的な面々が揃った僕の部下たちが、これほど静かにしているのは初めてだ。
いつも騒がしい双子の姉、ナタリアですら黙りこくっているのだから、異常と言う他ない。戦場に来る前には、あんなにも退屈だと騒いでいたというのに。さっき声をかけた時には騎士たちへの殺意を露わにしていたというのに、今はそれすらも忘れてしまったかのようだ。
これだから人間はわからない。彼女たちの感情はこんな緊張程度で忘れてしまえるようなものではないだろうに、目の前の死と闘争の気配の前ではそれすらも引っ込んでしまうものらしい。
この場で緊張していないのは、僕以外にはアルだけだった。彼女も今回が初陣だが、戦場以外での殺人の経験はある。だから、結局は経験の問題なのだろう。初めて人を殺したにもかかわらず、楽しい以外の感情が出てこないのが一般的な感情回路ではないことは、理解しているとも。
そもそも彼ら彼女らは人を殺すことに拒否感を覚える、極めてまっとうな神経の持ち主だ。その気があれば、魔術を使って自身に降りかかる災厄を振り払うことはできたかもしれない。
魔術師というだけでこの国で迫害され続けた者たち。それを拾い上げ組織化したのが僕の部下の正体だ。
絶え間ない暴力に命を失いかけた者がいた。顔を知られてしまって、どこに行っても食料を買えず、餓死しかけた者もいた。貴族に生まれていながら、その魔術の才のせいで家を追放されて乞食に身をやつした者もいた。珍しい存在として見世物にされ、物好きなやつに性的に略取された続けた者もいた。実験動物のように傷をつけられ、未だに指を数本失っている者もいた。
つまるところ、一応王族だった僕に対する扱いというのは極めて温いものであって、仮に魔術師という事実が判明した時点で幽閉されたとしても、この国の一般的な魔術師の扱いに比べると遥かにマシと言える。
騎士道が聞いてあきれる有様だが、これはそもそもそういう価値観で育てられたのだから仕方がないのだろう。要するに、彼らの騎士道で守るべき対象に、僕らは入っていないのだ。
ただ、そんな事情があるからといって、彼らを助けるために僕が動いているわけではない。
あくまで僕の目的は、戦争や殺し合いを目いっぱい楽しむことであって、誰かを救いたいという感情など欠片も存在しない。むしろ、普段の僕なら迫害されている魔術師たちを見てげらげら笑っていることだろう。
ただ、彼らは駒として非常に優秀だ。少人数でもきちんと運用すれば、簡単に戦況をひっくり返す力を持っているのに、どうして使おうとしないのか。小さいころから僕には不思議で仕方なかった。
こっそり城を抜け出しては、彼らのような人間をかき集めていたのはそのためだった。
だから、彼らがこのままでは困るのだ。僕のように平然と人を殺し、むしろそれを楽しむような人間性こそ望ましい。
だから、僕は彼らの前で口を開いた。
「人間の価値っていうのは、どうやって決まると思う?地位や名誉?馬鹿馬鹿しい。剣術の腕前?論外だね。頭の良さ?まあ、前の選択肢よりはマシだけど、それでも納得には程遠いよね。なのに、彼らはそんなくだらないあれこれで人間の価値を決めているんだ。“いかに騎士らしいか”が彼らの全てなんだ」
要するに、騎士らしく生まれて、騎士らしく学業と剣の鍛錬に励み、騎士らしく民を守って死んでいく。その価値観の下に踏みつぶされて、悲鳴を上げている者たちの存在など、気にも留めない。いや、そもそも彼らの価値観の中では、僕ら魔術師は人ではない。邪悪な術を操る人外なのだから、当然彼らの守護する対象にはなりえない。ただそれだけの話だった。
僕の言葉に、騎士への怒りを露わにする僕の部下たち。彼らがその価値観にどれほど苦しめられてきたかを考えれば、当然の反応だ。むしろ、怒りに顔を歪めてはいても声を出してはいないだけ、彼らは冷静だと言えるかもしれない。
「だけど、果たして彼らの考えが本当に正しいと思うかい?」
魔術師は迫害されて当たり前、という価値観はこの国全土に広がっている。
そして、その考えは当の魔術師たちとて同じだ。自分たちが迫害されるという状況が、当たり前であるかのような価値観を植え付けられている。けれど、この場にいるのはある程度その呪縛に抗った者たちだ。でなければ僕が差し伸べた救いの手を、掴むことさえしなかっただろう。だからこそ、彼らには見込みがある。その身を縛る常識という名の鎖を千切ることができるだろうという見込みが。
「そんな訳がないだろう?自称最強の騎兵隊らしいけど、どれだけ優れた剣術の達人も、戦場じゃそこらの一兵卒と大差ない。精々一人か二人切り殺して死ぬような存在が、その武力をもって自分たちが最強で最も価値のある存在だって?笑わせるよね」
王国軍の暴力に怯えて、今までの凄惨な現実を受け入れるしかなかったというのなら、まずはその暴力を貶めてやる。自分たちがどれほどちっぽけなものに怯えていた臆病者だったのかを、認識させてやるのが第一歩だ。
「僕らは違う。魔術をもってすれば、一度に十人、百人、千人ぐらい屠るのなんてわけない。彼らの振りかざす騎士という名の暴力が人間の価値だというのなら、僕らは彼らの千倍の価値がある人間だ。さらに言うのなら、彼らのそれは後天的に身に着けたものだけど、僕らの力は生まれ持ったものだ」
僕が提示する新たな価値基準は、振るえる暴力の強さだ。その基準の前では、生まれた時から何人もの人間を殺すことができる僕らは至高の存在であり、高々一人切り殺して終わりの剣術なんかを信奉している騎士は、虫けら程度の価値しか持たない。
一見無茶苦茶な価値観ではあるけれど、ある種の正当性は持っている。生物として純粋に強いものが上に立つのは、当たり前だ。どれほど地位のある貴族といえども、動物に食い殺されるようでは生物としての格は低い。
どんな生物も死んでしまっては元も子もない。ならば、相手の生殺与奪権を握ることができる、生物として強いものこそが、上に立つのが自然な構図だろう、という話だ。
勿論、僕自身がそんな考えを信じ込んでいる訳ではない。どれほど強大な個人の力でも、無数の群衆の前では無力となることもあるからだ。たとえ一人で千人の人間を殺せる人間がいたとしても、そいつは一万の人の群れには勝てない。
ただ、この暴力至上主義の考え方は、僕の部下達にとっては大変都合がいいものに思えるだろう。
魔術の発動に時間がかかるため、今まで逆らおうとしても逆らえなかった、もしくは権力や地位、身分なんてものがほんとに価値があると信じ込まされて、逆らおうとすらしてこなかった彼らに、本当に強いのは自分たちであり、権力も地位も身分も、持つべきなのは自分たちだと思わせる。
「生まれた瞬間から彼らより遥かに上の存在である僕らが、どうして彼らに虐げられなくてはならない?上に立つべき僕らが迫害され、大して価値のない彼らが優遇される。今のこの国は決定的に間違っている」
事実として、この国以外では魔術師の地位というものは非常に高い。貴重で強大な力を持っている人間をあろうことか迫害しようなどと考えるのは、世界でもこの国ぐらいだろう。
「間違いは正さなければならない!虫けら以下の彼らを容易く踏みつぶして、僕らが僕らとして正当な位置に居られるような、そんな国を作ろうじゃないか!」
上がる歓声。僕の言葉すらかき消すように、彼らの喜びと怒りと憎しみのこもった、言葉にならない声が辺りに響き渡った。
「さあ、彼らに今までの過ちの罪と罰を突き付けに行こう。徹底的に蹂躙して、二度と騎士道などという言葉を発することができないようにしてやろうじゃないか。なぁに、不安に思うことは無いさ。彼らはしょせん虫けらだ。剣を振り回すことしか能のない愚か者たちに、暴力のなんたるかを徹底的に教え込んで、そのまま地獄へ叩き込んでやろう」
再び上がる歓声。自分たちが彼らより遥かに上の存在で、彼らはただの虫けらで。その虫けらに今の今まで迫害されていて。そんな事実、いや“事実と信じ込まされたもの”が彼らにもたらした心の剣と鎧は、もはや戦争への恐怖程度では揺らぐことはない。
彼らの叫びがある程度収まるのを見計らって、僕は口を開いた。
「さあ、開戦だ。僕らの力をもって、彼らの全てを否定しに行こう」