五章
魔術の起源には諸説あるが、初期の人間がすでに使用したと思われる形跡があることから、遅くとも人類の誕生と同時期には存在していたということが分っている。
人類以外に魔術を使える生物は、召喚魔法によって魔界から呼び出した生物以外には今のところ確認されていないが、すでにこの地上から姿を消したと言われる、ドラゴンやエルフといった生物は使用できたらしい。ただ、これらの生物はそもそもその存在が噂レベルのものであり、少なくとも研究として有意な資料にはドラゴンなどの存在を肯定するものはない。
ただ、人間以外の生物にも、その体内に魔力は存在しているようである。
そもそも、魔術というものは自身の体内に宿る魔力を、意思によって方向性を定め、この世界に何らかの影響として発現させるものである。この“意思と魔力を結びつける工程”が、うまく行えるのかが、魔力を使える者と使えない者の差であるとの見方が一般的である。
基本的にすべての生物に魔力は存在している。それは“魔術を使えない人間”も例外ではなく、様々な実験から魔力の存在は確認されている。にもかかわらず、魔術の行使をできる人間とできない人間がいるのは、魔力の存在を認識する能力と、それを世界に反映する能力に違いがあるからだと思われる。
多くの高位魔術師は、視覚や聴覚、嗅覚などで魔力の存在を認識できる。
それはそういった魔術師がそれだけ魔力との親和性が高いからだが、そこまで到達していない魔術師は、五感のようなはっきりとしたものではなく、あいまいではあるものの魔力の存在を認識しているようだ。ゆえに、魔力は持っているのに、それを行使できない人々は、魔力を認識する段階で躓いているのではないかとの見方もある。その場合、魔力を認識できないがゆえに、そこに意思を通すことができないのであろう。
また、魔力というものについては、最新の研究で非常に面白い仮説が立てられている。
それは、生物に限らずすべての物は魔力がその根本的な材料になっているのではないかというものだ。魔力は非常に概念的な存在であり、物ような硬さのある存在ではないと考えられていた。しかし、最近の実験で石などの生物以外の物にも魔力が微量ながら含まれていることが確認されている。
このことについて研究している者によると、生物により多くの魔力が見つかるのは、潜在意識に魔力が自動的に反応して外に漏れ出てているからで、同じ重さの中に含まれる魔力は本来生物と非生物では変わらないらしい。
にわかには信じがたい話だが、魔術を長時間無理に使用し続けると疲弊し、やがて死に至ることも、体の一部を削って使用していると考えれば納得がいくかもしれない。
また、より直接的にこの理論を補強するのは、代償魔術の存在だ。
代償魔術とは、体の一部、たいていの場合は血や指などを犠牲に強大な魔術を発現させるものだ。
悪魔と契約する類のものならともかく、炎を生み出すような基本的なものも、代償魔術と通常魔術ではその規模が大きく違うことを考えれば、“我々の体が魔力が物質になったもので構成されている”という考えも理解できる。すなわち、人体という形に凝縮されている魔力を解き放つのが、代償魔術であるということだ。その証拠に、代償魔術を使用した後、その代償となった血や肉片は跡形もなく消え失せている。
「なるほどなるほど。このあたりの根源的な魔術の実験は、ちゃんとした研究施設でやらないといけないから、勉強になるなぁ。今度の戦争で勝ったら、たくさん研究施設を建てよう」
一人でうなずきながら、僕は勝利の後のこの国の様子に思いを馳せた。
場所は謹慎場所として選ばれた、デロンというアイゼンルートの中でも辺境の領地にある屋敷だった。
デロンは北の国境付近にある小さな領地だ。人口も少なく、荒れた大地のために食糧生産もうまくいかない。これといった特産物もないために、誰も領主になりたがらず、役人が代理として管理している。その役人にしたって、中央から送られる際には『島流し』などと呼ばれるのだから、どれほど辺鄙な場所かわかるというものだ。
僕のいる屋敷だって、周囲の家よりは多少大きいものの、王都のそこそこの規模の商人の家よりも小さい。
王族がこんな場所にいるというのは異常以外の何ものでもないけれど、謹慎なのだから仕方ない。
僕が今何をしているかというと、本を読んでいた。さっきも言った通り何もない大地だ。ゴルディアや、僕の特別な部下たちがこっそり集めてくれた本を読む以外にすることなんて特にない。
僕の暴力的な欲求を満たしてくれるような存在も特にないし。僕の部下や、ここにもついてきているアルは壊すわけにはいかない。それに、彼ら彼女らは、壊すよりはその生き方を見ている方が楽しいと感じる、数少ない人間だった。
金の卵を産むガチョウを絞め殺すのがいかに愚かか、ということぐらいは理解しているつもりだ。まあ、絞め殺すこと自体に喜びを見出せるような状況になったら、容赦するつもりもないけど。
「ふわぁあ。それにしても、もうそろそろ何らかの動きがあってもいいころだと思うんだけれどね」
とはいえ、まったく動きがなかったわけではない。スタリオン以外の兄はすでに王都に帰ってきているようだし、あとは我が兄スタリオンがナルダナ平原から帰ってくるか、戦死するかを待つばかりだ。
兄にしては意外と粘っているようだが、物量が互角で兵種の相性はいいとはいえ、短期決戦ができなければ十分負けうる。そして何より指揮官はダルーニアの方が圧倒的に質が良い。とっくに敗走していてもおかしくないけれど、今回はまだ粘っているようだった。
まあ、それも時間の問題だ。もし万が一、奇跡が起こってスタリオンが勝利するようなことがあっても、結局は王都に帰ってくることになるのだから同じこと。
そんな風に物思いに耽っていると、にわかに部屋のドアの前が騒がしくなった。どうやら来客のようだ。その証拠に、すぐにノックの音が響いた。
「入っていいよ」
扉を開けて入ってきたのは三人の女の子だった。
そのうち一人はアル。彼女には物資(主に本)の調達や、各種連絡など、いわゆる雑用を多岐に渡って任せている。
当然疲労は溜まっているだろうが、そんな素振りは僕の前では少しも見せなかった。いい従者だ。
そんな彼女とともに入ってきたのは、茶髪のショートヘアーがおそろいの双子だった。
髪型も同じ。顔つきも体系も身長体重に至るまで、瓜二つな姉妹だった。
違うところと言えばほくろの位置の他には、表情くらいのものだろう。片やいたずら気に微笑んでいて、片やほぼ無表情にこちらを見ている。見た目にはほとんど違いはないはずなのに、表情一つで印象は大きく変わって見える。
彼女らに関しては、中身もその表情の違い通りだ。姉のナタリアの方は自分にとって盛り上がるようなことが大好きで、それは大抵の場合他人の不幸ということになる。小悪魔的な性格とでもいえばいいだろうか。僕とは結構気が合うんだけど、礼儀をわきまえていないのが玉にきずだ。一方、妹のエミリアは正反対の寡黙なタイプだ。中には何を考えているのか分らないと言って接触を避けるものもいるが、僕は根が真面目で扱いやすい駒だと認識している。
「ねーねーボスぅ。あたし退屈なんだけどー」
「……姉さん、やめなさい」
僕の方に近づいて来たかと思うと、突然しなだれかかってくるナタリアと、それを止めようとするエミリア。
ナタリアのこういう気安さはいつも通りだし、エミリアはエミリアで無表情で姉の袖を引っ張っているだけで、本気で止める気があるのかさっぱりわからない。
「もう少しで開戦のはずだからもうちょっと待ってよ、ナタリア。気が高ぶっているのは僕だって同じさ」
初陣では中途半端なところで水を差された。退屈を紛らわす手段として戦場を望んでいるナタリアよりも、僕の方がもっと切実に開戦の角笛が鳴るのを待ち望んでいる。
というよりも、ナタリアの場合は楽しければ戦争だろうと遊びだろうとなんでもいいのだろう。ただ直近の“お祭り”が、たまたま戦争だったというだけで。
まあ僕も“たくさん人が殺せて、面白い戦いができる”のなら戦争じゃなくても大歓迎なんだけど、そんな機会は戦争以外にないだろう。
「はーい。おとなしく待ってまーす」
そもそも僕に言ってもどうにもならないことぐらいはわかっていただろうに。ただその場で思ったことを口にしただけなんだろう。ひょっとしたら、僕に殺されるか殺されないか、ぎりぎりのスリルでも楽しんでいるのかもしれない。無論、今の立場なら殺されないと確信した上で。人によってはなめられてるとか、調子に乗ってると感じる態度だろうが、僕はそこまで嫌いじゃなかった。彼女は魔術師として優秀だったし、何より見ていて面白い。妹とのちぐはぐさもまた、僕が気に入っている点だ。
「あの、そのことなのですが……」
僕が現状を嫌っていない、むしろ楽しんでいることに気づいているアルは、その邪魔をしないように、控えめに僕に声をかけた。
「先ほど現地の者から連絡がありまして、スタリオン様は敗走なさったそうです」
「え、マジで?」
「そうか。で、戦場の推移はどんな感じだったんだい?その辺りのことは何か聞いていないかい?」
ナタリアは驚いているようだったが、僕にとっては予想通りの結末だった。ただ、問題はどんな風に兄が敗北したかだ。その経過が面白そうだというのも当然あるが、それに加えてアイゼンルートの基盤が揺らぐような負け方をしていないかも重要だ。
場合によっては今すぐ王位を簒奪して、そのままダルーニアを叩きにいかなければならないかもしれない。
「時間を稼がれてから広域魔法により大きな被害を受けたことが敗走の理由のようです。ただ、壊滅するまでには至らず、戦力の減少により援軍なしでは勝利が難しくなった、ということによる撤退のようです。そのため、ダルーニア軍も追撃は適当なところで切り上げ、深追いはしてこなかったそうです」
「ふーん。要するにいつものナルダナ平原戦の顛末だったってことか」
あまりに泥沼化している上に、補充拠点が両軍ともに近くにあるために、よほど大きな勝利でなければ戦争を決定付ける結果にはならない。そのため、どちらかが不利になった時点でその軍は引き揚げ、優勢になった側も被害の増加を恐れて深追いはしない。何度となく繰り返されたナルダナ平原における光景だった。
両国とも、戦争をしているにも関わらず消耗をひどく恐れているのだ。
消耗を減らそうとするのは当たり前なのだが、時に戦争自体の勝敗よりも、消耗を抑えることを意識しているようにすら思える時がある。勝ちよりも消耗を抑えることが重要なら、いっそのこと和平条約でも結んで戦争を止めればいいのに、と思わなくもないが、今までの因縁がそれを許さないようだ。
「……そのよう、ですね。……これなら、そこまで焦る必要はない、かと」
エミリアの考えも僕と同じようだった。急激にアイゼンルート軍の戦力が増えることはない。それこそ、魔術師でも導入すれば一気に戦力の底上げができるだろうけど、それができないのが今の王家だ。だが、
「焦る必要はないけど、急ぐ理由はあるよ」
「そうなんですか?」
僕の言葉に疑問符を頭に浮かべる三人。まあ、その理由の内の一つは、彼女らには縁のないものだから、思い浮かばないのも無理はない。いや、ナタリアはどうかな?彼女なら僕の気持ちも少しはわかるのかもしれない。
「まず、せっかく城に集まっている兄たちが、またバラバラになってしまったら、殲滅が面倒だということ。まあ、これに関しては絶対という訳じゃない。ただ、この国を落とした後にもいろいろ楽しいことがあるのに、この国だけに関わっているのももったいないじゃないか」
もちろん、兄や父との戦争も、それはそれで楽しみにしている。というより、僕がこれから起こる戦いを楽しみに思わないことなど、未来永劫ないだろう。短期決戦だろうが長期戦だろうが、泥沼な戦争だろが一方的な戦争だろうが。たとえ負け戦だったとしても、楽しめる自身がある。
しかし、その“楽しみ”にも差があるのも事実だ。で、アイゼンルート王国の乗っ取りは、僕の今後経験する戦争の中でも特につまらない方向に寄ったものになると確信している。だって、馬鹿の大軍を質で圧倒するだけのものだ。そこに作戦の介在する余地は少なく、ただ単に、“想定してないものには対処できない”という当たり前の事実が現王たちを殺していく。
だから、僕はさっさと片付けて次の戦争に行きたいという思いも抱えていた。
「そしてもう一つは、早く戦争の興奮を味わいたいというものだよ」
もう一つの理由は、一見一つ目の理由と矛盾しているように思えるだろう。
けれど、少なくとも僕にとっては、それは矛盾してなどいなかった。
戦争全体で見れば確かにつまらないものになるのだろうけど、だからと言ってこの手で人を殺す興奮までなくなるわけじゃない。それとこれとは別の話だ。
それに、初陣は非常に中途半端な形で終わってしまった。だからこそ、次の戦いは全力で楽しみたい。
この手で、あるいはこの僕の魔法で、生きているものを大勢薙ぎ払い、ただの肉塊と血だまりに変えるのは、想像しただけで今から興奮を禁じ得ない。
だから早く開戦したい。たとえ戦争そのものがつまらなったとしても、虐殺行為自体は大変楽しめるはずだから。
「だから、僕らも動くとしようか。ナタリアとエミリアは他の隊員に準備を促してくれるかい?」
「……了解、です」
「らじゃっす」
「リアには相変わらず手間をかけさせるけど、ゴルディアに開戦が近いことを伝えてきてね」
「かしこまりました」
「僕は国王へ向けた手紙でも書くことにするよ」
きちんと宣戦布告してから挑むことにしよう。それは作戦上の理由もあるけれど、何より奇襲ですべてを終わらせるなんてもったいない。
「さあ、果たして兄上たちはどれぐらい僕を楽しませてくれるんだろうか」
正直あんまり期待はしていないけど。それでもできるだけ僕を楽しませてほしいと、僕の命令を実行し始める部下たちを横目に願った。
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「陛下、お手紙が届いておりますが」
「ふむ、こちらに持って来い」
場所はアイゼンルート王国の王都、その中心に位置するアイゼンルート城の国王の執務室。
現在この国を治める、アルバート・フォン・アイゼンルートは、いつものように内政や外交、軍隊の編成等に頭を悩ませていた。
戦争は極端に激化することこそないものの、緩やかに激しさを増しており、その隙を南方の連合国家が絶えず窺っている。
幸いにも、大きな飢饉等は起こっていないため、戦争継続が難しくなるような事態には陥っていないが、とはいえ楽観視もできない。国の財政を軍事費が圧迫しているのは、否定できない事実だった。
そんな悩み事をいくつも抱える王のもとに、従者の一人が一通の手紙を持ってきた。封が王族のみしか所持していない特殊なものでされているため、彼の子の誰かの手紙ということになる。
「はて、しかし上の四人は今王城にいて、わざわざ手紙を出す必要はないはずだが……」
首を傾げる国王。とすれば、この手紙に心当たりは一人しかいない。
「ルクラインか……」
王は大きくため息をついた。初陣を経験すればおとなしくなるのではないか、という考えが甘かったことは、すでに彼自身がはっきりと理解していた。
その程度ではどうにもならないくらい、ルクラインの異常性が深刻だということだ。
ただ、そのことを理解したアルバートも、手紙に書かれている内容までは想像もつかなかったようだ。
「ふむ、…………何?」
手紙を読み進めるにつれて、アルバートの表情はいぶかしげなものとなり、次いで怒りで真っ赤に染まった。
『親愛なる父上様。いい加減あなたの時代遅れなやり方にもうんざりしてきたので、この辺りで反旗をひるがえすことに致します。この手紙を送ってすぐに王都に向かって進軍いたしますので、開戦はハネット峠になるかと思います。まあ、あなたがあまりにもたもたしすぎて、僕の軍に王城まで進軍された場合にはその限りではありませんが。ただの反抗期だと思っていると、痛い目を見ることになるかと思うので、相応の準備をしてくることを推奨いたします。まあ、たとえ全軍で来てもあなたごときに負ける気はさらさらないのですが。それでは良い戦争を。 ルクラインより』
以上が、手紙の内容だった。慇懃無礼のお手本のような、随所に散りばめられた侮蔑と明らかに相手を見下していることが分る言葉選びが、読む者の怒りを喚起するだろう。
普段は厳しくも温厚なアルバートも、実の息子にここまでコケにされたとあっては、我慢がならないのだろう。怒りに目を血走らせていた。
「今すぐ、へインズを呼んで参れ!!」
「か、かしこまりました」
アルバートの大声にびくりとしながらも、すぐにその命令を実行するために慌てて部屋を出て行った。
「あのバカ息子め!」
激昂して部屋を歩き回るアルバート。あまりにイライラが収まらないのか、時折腰の剣に手をかけてもいた。だが、それも次第に落ち着いてくる。もともとが冷静な性格だからか、怒りもそこまで持続しないのだ。
(わしは、どうすべきだろうか?)
妾腹の子とはいえ、彼の言うことを全く聞かないとはいえ、それでも大切な息子なのだ。王としての自分と父としての自分が対立する。それでも冷静に思考し、結論は出た。出てしまった。
「いったい、どうなさったのですか!?」
「…………」
落ち着いてはいるがいつもとは違う雰囲気の王に、へインズは尋ねた。それに、無言で差し出すアルバート。読み進めるにつれて、へインズの顔も驚愕にゆがんでいった。
「これは、まさか。いくらルクライン様といえども、このようなことをなさるとは」
現実が受け入れられない様子のへインズだったが、誰よりもルクラインの書いた文字を目にしてきた彼は、その手紙が本人の直筆であることがすぐにわかった。
ルクラインがこのような手紙を送ってくることは、へインズは予想していなかった。が、そもそもルクラインは、常に人の予想を悪い意味で裏切るような言動の少年だった。
こうなった今となっては、彼の行動として特に違和感はない。とはいえ、早急に対処しなければならない問題であるのは確かなのだが。
「一刻も早く手を打たなくてはいけないでしょうな。この騒動が長引けば、民の不安をあおることにもなり、西と南の毒蛇に噛みつかれる隙を与えることにもなりかねません」
アルバートはゆっくりとうなずいた。その瞳には決意の色が見える。
「あやつとて、一人で挙兵したわけではあるまい。奴に協力している貴族を早くあぶりだすことが必要だ。そして、奴に関しては……」
そこで、口ごもった。いかに普段毅然とした態度の王であっても、その先を口にするのは覚悟が必要だったようだ。
「……奴に関しては、戦場で討ち取ることとする。もし、生きて捕えた場合には、反逆者として、公開処刑とするものとする」
「陛下!?それは――――――」
「申すな。むしろ遅かったぐらいなのだ。もっと早く決断できていたら、このような事態を招かずにすんだ」
へインズは、王の言葉の奥に深い苦悩が潜んでいることに気づいた。どのように育ったとしても、ルクラインは王の子なのだ。たとえどのような事情であれ、自分の子供を手にかけることに、苦悩しない親などいないだろう。まして、ルクラインの母は、ルクラインを産んだ後に早くしてなくなっている。へインズは、王が彼女に必ずルクラインを立派に育てると誓ったという話も耳にしたことがあった。
そのような子を、自ら殺すという決断。簡単にできるものではない。へインズにも想像もつかないような葛藤の末に出されたものなのだろう。だからこそ、これ以上の反論はせず、ただへインズの仕える王を、全力で支えようと心に誓った。
「かしこまりました。これ以上は言いますまい。わたしが、反逆に加担した貴族の割り出しをいたしましょう。陛下は、挙兵の支度を」
「ああ。感謝する」
「もったいなきお言葉」
短い言葉のやり取り。ただ、だからこそそこには絶対の信頼関係がある。
王はへインズがその貴族ではないことを確信しているし、へインズも疑われるとは微塵も思っていない。誰が反逆者であるかわからない現状では、今まで協力してこのアイゼンルートを治めてきたこの二人の絆だけが、唯一信頼できるものだった。
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「まさかあのゴルディアの若当主がとはな」
へインズは自室で一人呟いた。王にはすでに報告してある。
『筆頭貴族、ハースロッド家が当主、ゴルディア・ハースロットの軍が今回の反逆の中核である』と。
王にルクラインの反逆の話を聞かされてから、さほど時間はかからなかった。なぜなら、ゴルディアはそのことを隠すどころかへインズ他、すべての貴族に書簡で知らせてきたのだ。
裏から協力しようという態度では全くない。
確かに、ルクラインが敗北した後に調べられれば、いずれ発覚する事実かもしれない。
けれど、仮にも大貴族のハースロッド家の当主なのだ。名前を伏せていれば国内外への影響を考えて、処刑だけは免れるような結末もありえたかもしれない。
だが自分から名乗ってしまってはそれも不可能だ。
そこまでするというのは、何としてでも現王を打倒したいのか。あるいはルクラインの勝利を確信していて、アイゼンルートの転覆が成功したときの地位を確保するためか。
騎士として、戦略家としても名高いゴルディアが、彼我の戦力差を知らないとは思えない。
いくら大貴族とはいえ一つの貴族家の兵と、ルクライン一人で王国軍のすべてを相手にできるわけがない。
まして、妾腹の子として民衆にすら知られているルクラインでは、民衆から反乱の意思のあるものを募ろうにも、そう大きな影響は望めないだろう。
そもそも、この国の治安は安定していて、王家に反旗をひるがえすような民が、そう大勢いるとは思えなかった。
とすれば貴族や騎士の中に、他に反逆者が隠れているのかと思ったが、そういうわけでもないようだった。今のところ、ルクラインに組しているとみられるものはゴルディアだけだ。
他国を招き入れての戦争という愚を犯したのかとも思ったが、そんな過ちを犯す人間でもないし、国境付近にも今のところ動きはない。
『ゴルディア殿も、まだまだ若いのにもう血迷ったのか』と言う貴族もいるが、へインズはそうは思えなかった。先日会ったゴルディアは、普段と変わらず精悍で、しっかりとした若者のままだった。
そもそも貴族の間では、“ゴルディアがルクラインを担ぎ上げた”という見方が大半だが、へインズはそうは思っていなかった。
王から見せられた手紙のこともあるが、ルクラインという奇才の少年がいくらゴルディアにとはいえ、唯々諾々と従っている様は想像もつかない。むしろ、ゴルディアの方がルクラインに騙されている可能性が高いのではないかとすら思っていた。
「ただ、それにしても今回の反乱は理解できない」
へインズの知る限り、ルクラインは言動に数々の問題はあれど、その才能だけは本物だった。ゴルディアと同じように、彼も明確な彼我の戦力差を見逃して無謀な戦いを挑むような人間ではない。
であれば、勝算があってのことなのだろう。しかし、その勝算の根拠がなんなのかが分らない。二人がいくら優れた戦略家であっても、それで覆せるような戦力差ではない。強烈な毒を持つ虫であっても、その毒が全身に回ってもなお死ぬことがないくらい巨大な体躯の獣の前では、相打ちすらとることはできないのだ。
まして、彼らが相手にするのは大陸最強の騎馬隊である。多少の小細工はそのまま踏みつぶして終わりだろう。
「ともあれ、悩んでばかりいるわけにもいくまいな」
少しでも早く準備をしなければ。まかり間違っても王都を戦火に巻き込むわけにはいかないのだ。それは騎士としての沽券に関わる。ならば、ルクラインの思惑にまんまと乗るようで少々不安だが、開戦はハネット峠ということになるだろう。
「急がなければ、それすらも叶わなくなる」
我ら騎士は守護者なのだ。たとえ敵が誰であれ、民衆を脅かす者は排除しなければならない。たとえそれがかつての教え子であっても。へインズは、そう自分に言い聞かせた。