一章
「ふぁーあ」
「あくびをしてる場合ではありませんぞ。ちゃんと授業に集中しなさい」
ある晴れた昼下がり、一人の少年が大きなあくびをして、それを咎められていた。
少年の歳は十二歳前後だろうか。肩口で切りそろえられた透き通るような金髪に、晴れ渡った空のような澄んだ碧眼。顔も非常に整っており、もう何年かすれば目の覚めるような美形に仕上がることだろう。今でも幼こそ残っているものの、その手の趣味の人ならば間違いなく好意を抱くことだろう。年の割にはやや鋭い瞳も、天使のような容貌の中にあっては、その鋭さも幾分か緩和されていた。
服装もまた、その容姿に似合ったものだった。絹で作られた上質な上下の洋服は、それだけで庶民なら数か月は優に暮らせるであろう高級品だ。赤を基調としてラインに黒をあしらったデザインは、少年が帝国に所縁の者である証左に他ならない。
一目で高級品とわかる椅子に腰かけ、机を挟んでマンツーマンで授業を受ける様子から、身分の高い貴族かなにかの息子だと思われる。
教育の重要性は少しずつ理解されてきてはいるものの、まだ民衆が気軽に受けられるほど身近な存在にはなっていない。それに民衆が教育を受けようと思ったら、村や町の識者のもとに出向くのが一般的だ。雇う余裕のあるものなど、この国では貴族か豪商ぐらいだろう。
「だって文化についてなんて退屈だよ。それよりもっと戦争の歴史とかを勉強したいよ」
へそを曲げて不機嫌そうな表情の少年だが、そんな表情すらもかわいらしく見えるのだから、容姿が優れているものが得をするというのは時代や国を問わない真理なのかもしれない。
「歴史に興味を持っていただけるのは結構ですが、文化もまた、国を構成する重要な要素ですぞ。今後の立場を考えれば、しっかりと学んでおくべきことかと」
けれど、それに怯んだ様子もない教師の男。初老の男性で、髪は少し薄くなってきてはいるものの、非常に精悍な顔つきをしている。厳めしい表情をしていることが多いため、気づかれないが、顔つき自体はどちらかというと温和なタイプだ。少年のものほどではないが、高級な正装に身を包んでいる。
彼が適当にあしらっているのは、偏にこのやり取りが何度となく繰り返されたものだからだ。
彼の教え子は非常に優秀だ。学習意欲に溢れ、今まで教えたことは決して忘れず、新しく教えたこともすぐに理解し吸収する。神童といっても決して過言ではない。
何しろまだ十二歳なのだ。将来が非常に楽しみな若者である。今後この国で大きな影響力を持つことになっても、何ら不思議はない。
けれど彼の意欲は、向かう先が非常に限られていた。戦争や軍隊に興味があることは同年代の子供としては何もおかしいことは無い。ましてこの国は長い歴史を誇る騎士の国だ。そういったかつての勇士の活躍を聞きたがるのは、おかしなことではないだろう。
加えて言うならば、少年は剣術に関しても非凡な才能を示しているらしい。いずれは本当に戦場で剣を振るい、功を上げることになるだろう。
だから、そんな彼が戦争に興味を持つこと自体はおかしくないのだ。
だが、その興味の向いている箇所が問題だった。
華やかな騎士の活躍。戦場で生まれた英雄譚。そういった部分ではなく、戦争の陰惨な部分に彼の興味は向いていた。
たとえば、世界法に大きく違反した捕虜の尋問および殺害だとか、無辜の民を巻き込んだ大虐殺や、味方ごと巻き込んでの魔術師による魔法の絨毯爆撃などなど。
少なくとも子供が喜ぶような出来事ではない。それどころか、大人でもできれば目を逸らしたいような事柄だ。
まあ、目を逸らしたくなるような現実に恐れず向き合っている、といえば聞こえはいい。
実際、そう言っている者もいくらかいるのも事実だ。あるいは単にませているだけだと。
しかし、その少年の教育係として、日々さまざまな勉強を直接教えている男性からしてみたら、それは楽観視が過ぎるというものだった。
確かに少年はまだ若い。言動のすべてを彼という人間に対する判断材料にするわけにはいかないのも事実だ。ただ単に、外部の情報に影響されただけと見るのが妥当なのは重々承知している。けれど、それでも少年の邪悪さはそのようなものではないと、理性ではなく感情の部分が訴えかけてくるのだ。
少年はそうした事例の話を聞いて、実に楽しげにしているのだ。
彼の頭脳で“そういった話を聞いて楽しそうにすること”がどういう意味なのか、理解できてないとは思えない。つまり、それほどまでに心惹かれているか、あえてそうした姿をほかの人間に見せつけているのか。
若干十二歳とはいえそれほどの神童なのだ。子供特有の、ある種の残酷な好奇心だけでそういった事柄に関心を寄せているようには、男性には到底思えなかった。
「それは確かにそうかもしれないけど……。まあ、いいや。また今度話をしてね」
「ええ、そうしましょうぞ」
何とか納得してくれたようで、机に置かれたこの国の文化についての本に向き合う少年に、ほっと安堵の溜息をもらす。
(いずれは解決しなければいかんだろうな)
彼がこの国を率いることは立場的にまずありえないだろう。それでも、今後彼の存在がこの国に少なからず影響を与えることは疑いようもない。
なればこそ、それが良い影響となるように祈ることしか、男性にはできなかった。