九章
背の低い草の生えた草原を、僕は颯爽と歩いていた。先の戦いの跡は遥か後方。あれだけ盛大に殺しあって、その上あらゆる楔から解放されたのだから、自然と足取りも軽くなろうというもの。おそらく今までの人生で最も機嫌がいい瞬間だろう。
抜けるような青空も、僕の新たな門出を祝福してくれているかのようだった。
「残るはあと二人か。正直、そんなに楽しめる戦には、ならないだろうね」
僕の言葉に、少し前を歩いていたアルが意外そうにこちらを振り返った。
「そうなのですか?てっきり第一王子、“アイゼンルートの全き剣”との戦いを楽しみにしておられるものかと」
大層な二つ名の兄だが、それに見合うだけの実力がある……と、少なくとも多くの者は評価しているようだ。さっき処分した僕の父、“欠け無き楯”と合わせて、“アイゼンルートの無縫の守護”なんてこれまた大層な名前が付けられたりしていた。まあ、その片方はすでに敗北しこの世を去ったわけで、そんな称号に今更何の意味もないわけだけど。
ただ、歴代最高の騎士であり王、なんて言われていた割には大したことなかった父と違い、僕の一番上の兄は確かに優れた剣だった。
そう、騎士としてでも人間としてでもなく、“剣”として優れている。騎士道だなんだと言いつくろったところで、剣はしょせん人殺しの道具に過ぎない。だったら僕がうまく使ってあげようと、そう思っていた。
「確かにそれも楽しみだったんだけどね。もっと面白いことを思いついたから、そっちにしようと思って」
アルはそれで納得したようにうなずいたが、別に僕の考えが理解できたわけじゃないんだろう。アルにとっては、僕が言うことならばどんなことであれとりあえず受け入れるのが当たり前というだけの話だ。部下としては扱いやすいことこの上ないが、見ていて少しつまらなく感じてしまうのも事実。まあ、だからと言って逆らうようなら殺したくなってしまうだろうから、今のままが僕にとっても彼女にとってもいいのかもしれない。
それに表面的な部分はともかく、心の内ではある程度ちゃんと思考をめぐらせているというのも理解はしている。
「えぇー。あいつぶっ殺すの、割と楽しみだったんだけどなー」
「姉さん、言葉づかいには、もう少し気を付けて……」
そんなアルと正反対の反応を示すのは、エミリアとナタリアの姉妹。いや、正確には姉のナタリアだ。エミリアは相変わらず、止める気があるのか分らない無表情で、姉の袖を引っ張っている。
この二人に関しては、先の戦いでのアルに次ぐ功労者。多少の自由な言動は笑って許すつもりだ。
彼女たちの魔術は、とても貴重である。反転魔術には多くの可能性があるし、何より面白い戦場を作り上げるのに適した力だ。
先ほどは“硬さ”を反転させたけど、彼女たちが反転させることができるのは何もそれだけじゃない。さっきみたいに儀式を行わなければ影響を及ぼす範囲は狭いけれど、その効果は絶大だ。文字通り戦況をひっくり返すだけの力をもっている。
僕の使う変質魔術も使い手は結構少ないし、彼女らの反転魔術も使える者は限られる。シモンの空間魔術も貴重だし、アルの代償魔術に至っては、一つの時代に一人いれば多い方、というぐらい希少価値の高いものだ。それが、魔術が最も迫害されている国に集うというのも、面白い話だった。いや、ひょっとするとこの国は優秀な魔術師を多く輩出する血筋の者が多いのかもしれない。今まで魔術が徹底的に排除されてきたから、誰も気が付かなかっただけで。
「そういえば、シモンはどこに行ったのですか?」
ここにいない主力の一人について、アルが僕に尋ねた。
「前方の索敵に行かせてるんだ。シモンの魔術はそういうのに適してるからね。まあ頭に血の上ったスタリオンが、伏兵を潜ませるような策を思いつくとは思えないけど」
第二王子、スタリオンに対する評価は、僕と世間のものでは正反対のように見えて、その実似通っている。スタリオンに対するこの国の人間の評価は『質実剛健』『実直』『まっすぐなお方』なんかだけど、要するに直情的な馬鹿、ということだろう。
むしろ、父の死を見てこちらに突撃してこなかったのが意外なくらいだ。その場合は、僕が直接戦おうかと思っていたんだけど。
「仮に伏兵が居たって大丈夫っしょ。あたしらならちょちょいのちょいでやっつけて……」
そう言いかけたナタリアの首にすっと、腕を変化させ2メートルほどに伸ばし、その先端を刃にしたものを押し当てる。アルは微動だにせず。エミリアは瞬間的に警戒を露わにし、魔術の発動の準備をしている。
「たとえば」
「ひっ!」
「たとえば、こんな風に不意を突かれた場合魔術では剣と違って対応が遅れることになる。用心するに越したことは無いよ?」
にっこりと笑って刃を引くと、ナタリアはふーっと大きく息を吐いた。
「ちょっ、ちょっと。脅かさないでよ!」
強気に振る舞ってはいるが、完全な虚勢だ。額から汗が滴っているし、表情も普段よりこわばっている。
ああ、本当にかわいらしい。今すぐにでも皮膚を切り裂き、臓腑を抉り出してその悲鳴を聞きたくなるけど、それはまだ早い。まだ彼女たちには使い道があるのだから、その衝動は抑えなければならない。他人から抑えられていた間は、そんな境遇に殺意すら湧いたけれど、自分で抑制する行為には、楽しさすら感じるのだから、やはり自由とはすばらしいものだ。
「まあ、何かあったらシモンがすぐに戻ってくるだろうから、今のところは大丈夫、ということだろうね」
勿論、シモンが捕えられるなり、殺されるなりすればその限りではないけれど、そんな心配は欠片もしていなかった。彼の魔術が逃走に向いているということもあるし、そもそも今の王国軍に彼を捕えられる技量も余裕もないだろうと思う。
もっとも、もし仮にシモンが捕えられているとしたら、それはそれで僕にとって都合がいい。それだけ、まだ王国軍の戦力が充実しているということであり、僕が思っていた以上に“楽しめる”国だということだからだ。
「まあ、期待するだけ無駄だろうけどね」
僕の言葉に、姉妹とアルが首をかしげるけれど、僕はなんでもないよ、という風に首を横に振った。まあ、この国に期待するだけ無駄だろう。教育の制御と思考の矯正の影響力はすさまじいもので、この国には僕の兄たちや父のような、つまらない人間以外しか存在していない。そもそも指導者や教育者が、心の底から騎士道に染まっているのだから、それより下の者にそれ以外の考えなんて生まれるはずもない。仮にそんな異端が生まれたとしても、無理やり騎士道に染められてしまうだろうし、もしそうならなかったら、アイゼンルートというこの国で生きていくことは非常に困難だ。
僕だって、魔術の才能と王子という身分がなければ、そうなっていたのかもしれない。まあ、僕のことだから、魔法が使えないなら単に剣で人殺しを楽しんでいただけかもしれないけど。
そんな風に思考をめぐらせていると、不意に視界の端の空間がゆがんだように見えた。
「よっと。シモン、ただいま帰還しました。ところで、今俺の話をしてませんでしたか?」
それは見間違いではなかったようで、何もない空間からシモンが姿を現した。
「うん、もうそろそろ戻ってくるだろうってね。ところで、この先の様子はどうだった?」
それにしても、シモンの魔術も常識の埒外の力だ。距離を無視し、地形を無視するその魔術は、戦場においては突出した汎用性を誇る。
情報の伝達、兵や物資の輸送、敵指揮官の暗殺までなんでもこなせる。それだけに、味方としては非常に使いやすい駒で、同時に敵になったらこの上なく厄介な駒だ。だけど僕は、シモンに関しては恩を売ったり、恐怖を植え付けるような方法で従わせようとはしていなかった。
それは、僕がシモンの離反を望んでいるからだ。もちろん今すぐでは少し困ったことになるけれど、それはそれで面白い。シモンの魔術は強大で、それ故に僕の敵としてふさわしいと考えていた。いずれはアルがその役割を担うことになるとは思うけれど、それまでの繋ぎとしては十分楽しめそうだ。
「伏兵なんかは特になさそうでしたね。前方には小さな農村が一つきりでしたが、そこにも特におかしな点はありませんでした」
農村が一つ、か。確かにこの辺りはだだっ広い平野が広がっているだけで、特筆すべきものは何もなかったように思う。この平野こそが騎兵の優位性を担保しているものであるんだけど、いくら僕でもこの国を丸ごと変えるのは不可能だ。それに、気候の安定した平野は、食糧生産の基盤でもあるから、手を加える必要はない。むしろ注目すべきはその村の方だ。
「よし、じゃあその村に行こうか」
僕の言葉に、周囲の人間が軒並み首をかしげた。
「ほんとに何もなかったですよ?わざわざ行軍を遅らせてまで寄り道するほど地形的に重要な箇所でもないようですし」
「兵站に関しても現状問題はありません。そもそも多くの食料を必要とするような人数でもありませんし」
真っ先に反応したのはシモンとアル。シモンは自分の調査が疑われないためだろうし、アルは単に自分の仕事をしただけだ。
「うん、それらは把握しているけどね。理由はほかにあるんだ」
「それは……?」
僕はアルの方を向いたが、周囲の部下にもわざと聞こえるような形で答えを返した。
「まだ殺したりない」
あっけにとられた様子の部下達。だけど、今回に限っては少し誤解をしているようだ。
「別に僕が、ということではなくてね。まあ、僕がまだまだ殺し足りないのは事実だけど、それは主たる目的じゃない。君ら以外の部下たちのためだよ」
「それってどーゆうこと?」
ようやくいつもの調子を取り戻したナタリアが、そう問いかけてきた。僕は笑顔でそれにこたえる。
「単純な話、彼らはまだ人を殺してないだろう?戦場に出て初めての殺しに戸惑うようじゃ困るんだ。この辺りで一度体験しておいてもらわないと」
例えば、いざ人間を殺すという段階になって尻込みするようでは困る。そんな奴は僕と一緒に戦場を楽しむに値しない。
嬉々として他人を切り刻み、返り血を浴びて興奮するような人間こそが、僕の配下にはふさわしい。とはいえ、簡単にそうはなれないということも理解している。
だからまずは一度、この場で殺すという行為に慣れさせる。人間はどんな事象にもいずれ慣れる生き物だ。それは、殺しについても例外じゃない。
「適当な理由、そうだね、“あの村の連中は根っからの騎士至上主義で、間接的にとはいえ君らを苦しめていた”とでも言えば、多少は殺す気になってくれるんじゃないかな」
彼らが常識という鎖に縛られて殺しを否定するというのならば、その鎖を引きちぎるだけの怒りを発生させてやればいい。人を殺める理由をこちらで準備してやればいいだけの話だ。
「ですが、ゴルディアさまとの合流はどうしますか?」
「ああ。あんなのどうでもいいよ。先に首都に着いたとしても、あいつに長兄と剣を交える覚悟があるとは思えない。まあ、たった九千じゃ、どのみち開戦はできないだろうし」
ゴルディアは、自分がすべてが自分の手に平の上だと思い込んでいるだけの、ただの小物だ。周りに自分より馬鹿な人間しかいなかったから、まるで自分が優れた人間であるかのように錯覚してしまっている。この国の外を見たことがあるはずなのに、未だにその幻想から逃れることが出来ていない。
僕にとってはどうでもいい存在だ。たまたま使いやすい立ち位置にいたから利用しているだけであって、あいつでなければならない理由はない。まあ、この国の他の貴族よりはマシなのは事実だけど。
「それより、さっさと行こうか。総員、停止!」
一度指示を出すために行軍を止める。僕の部下たちは、突然のことに驚いたようだったが、それでもすぐに指示に従った。
「いいかい?今から……」
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その日、その村では普段と変わらない時間が流れていた。大人は畑に出て農作業を行い、子供がその手伝いをする。小さな村ゆえに、村長ですら畑に出て土をいじっていた。朝から晩まで変わったことなど何一つなく、三日おきに来る行商人だけが唯一の変化と言えるもの。そんな生活が何日、何カ月、何年と続き、これからもまったく同じような日々が続くと根拠もなく信じ切っていた。
しかし、最近では馬に乗った立派な兵隊たちが村の近くをたびたび通りかかっていて、そのことが村に若干の変化をもたらしていた。戦争が始まるのかと不安に駆られる者。この国の象徴である騎士隊の雄姿に幼い憧れを募らせる子供。とはいえ、それらの感情も、所詮は他人事だった。
まさか自分たちが戦争に巻き込まれるとは考えていない。不安なのは戦争による税の引き上げに対してであって、戦火そのものに怯える民衆というのは、アイゼンルートという国では皆無に近い。
彼らの村を、生活を、そして命を守る絶対の守護者が存在しているからだ。あらゆる悪を切り捨てる騎士という守り手が、民衆から警戒心を完全に退化させていた。
山賊が出たとなればすぐに派遣され退治し、敵国の侵入も建国以来防ぎ続けている。邪悪な業を用いる魔術師も、騎士の前では何ということもない。どんな巨悪が現れようと、民はただ騎士が来て打倒すのを待てばそれでいい。
そんな共通認識が出来上がっていたからこそ、彼らはその襲撃者たちに抵抗する術を持たなかった。
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貧相な家々に、痩せた畑に、そこに暮らす人々に。無数の火球が降り注いだ。それは、極々低位の魔術であり、最低限の魔術の素質さえあれば誰でも扱えるようなもの。だが、剣すら持たない無辜の民にとっては、十分すぎるほどの脅威となり得る。
降り注ぐ炎の雨を作り出したのは、およそ300人の魔術師の集団。つまり僕の部下達だった。
「な、なんだ!?」
「ま、まじゅつしだ!魔術師が襲撃してきた!?」
「だ、だれか!誰か助けてくれ!俺の娘が!」
逃げ惑う人々に容赦なく降り注いだ火球は、彼らの家を、そして彼ら自身を焼き尽くしていく。最初は魔術を無抵抗な者に対して使うことに抵抗を覚えていた部下達だったけれど、次第に躊躇を無くしていった。
今まで虐げられていたのだから、その仕返しをしたところで自分たちが悪という訳ではない。そんな支離滅裂な自己弁護で殺戮を正当化していく。僕からすると、そんな詭弁で心を武装しなければ人を殺せないというのが実に滑稽に思えるけれど、同時に大半の人間が“そういう生き物”だということもわかっている。
使わせている魔術が、最下級のものだということも状況に拍車をかけていた。要するに“そんなもの”にすら抵抗できない者たちを今まで恐れていたということになる。今の状況は集団だからこそであり、もし個人だったら村人の集団に殺されている可能性もあることなど、彼らの頭の中にはすでにない。支配される側から支配する側に回った高揚感が、あらゆる感情を洗い流していく。
「おっと、こっちは通行止めですよ?」
村の外に助けを求めに行こうとした男が一人いたが、瞬時に目の前に異動したシモンに首を切り落とされた。北側はシモンが塞ぎ、西と南は双子に反転魔術で、“出て行こうとする”行為を反転させる結界を張らせて塞いである。そして東側は、
「正直、こんな雑魚を屠るのも飽きてきたんだけどね」
炎に追い立てられて僕の方に逃げてきた村人を、鋭利に尖らせた右腕で無造作に貫いた。流石に適当に刺しすぎたのか、腹部に穴の開いた状態でしばらくもがいていたが、そのうち動かなくなった。子供の頃に頭をつぶした虫の動きみたいだった。僕はその死体から手を引き抜く。
「これは由々しき事態だね。まさかこの僕が殺しに飽きてしまうなんて」
厳密には飽きた訳ではないけれど、戦場のあの楽しさを知ってしまうと、逃げ惑うだけの人間を処理するのなんて、つまらなく思えてしまう。
「まあ、いいか。ここには僕が楽しむためにきた訳ではないし」
部下に人を殺す経験をさせるためにここに来たんだ。それがなければこんな寂れた村なんて素通りして、さっさと王都に進軍している。
初陣というのは誰しも緊張するもの……らしい。それは自分が死ぬかもしれないという心配に加え、他人の命を奪うという行為そのものに対する忌避感から来るもののようだ。
どちらも僕には無縁の感情だからあまり深く理解はできないけれど、“一般的にそういうもの”だというのなら、それに対応する必要がある。
その対応というのも極めて簡単なことだし。死への恐怖なんて、怒りや憎しみ、歓喜辺りの感情で適当に塗りつぶしてしまえばいいし、命を奪うことへの忌避感なんて、何度も繰り返させればすぐに慣れてしまう。
村を一つ焼き払うだけでそれらが得られるというのなら、僕にとっては安いものだった。さっきの戦いで儀式魔術を行使するのに使った生贄と、大して変わらない。
「ああ、それにしても。僕が自分で手を下す以外の殺戮も、これはこれでいいものだね」
眼前に広がるのはまさしく地獄絵図。常識という鎖を憎悪と殺意で引きちぎった、300匹の魔術師の群れ。彼らが一言つぶやくごとに、黒焦げの死体が数を増していく。
そんな光景を一歩引いた位置から眺めるのも、なかなか味のあるものだった。
もはやこの村の人々が、“魔術師が迫害されている中で行動を起こさなかった”という、罪とも言えないようなもので殺されていることなど、この場にいるほぼ全員がおぼえていない。自身の力で他者を蹂躙するという快楽に酔いしれている。最初は殺人という行為に戸惑っていた部下達も、皆一様に暗い笑みを浮かべて火を放っていた。
「やはり人間はこういう生き物だよね」
こちらに逃げてきた村人を二人まとめて串刺しにしながら、僕は一人呟いた。
見たことか、と今は亡き父たちに唾を吐きかけたい気分になる。やっぱり僕は間違ってなんかなかったじゃないか。
この国に限らず、どこの国でも戦争中以外の殺人は重罪だけれど、裏を返せば“罪”ということにして禁止してしまわないと、殺人が起こり得るということでもある。それどころか、禁止しているにも関わらずこの国では殺人も普通に起こっている。倫理観だの理性だので縛れるようなものではないんだ、この殺人衝動は。
「それなのに、ちょっとその感情が強いだけで異常者扱いなんて、失礼な話だよね」
僕の腕に貫かれた村人に話しかける。ほとんど息絶える寸前のようで、僕の声が聞こえているのかいないのか、意味不明な言葉にもならない音を口からもらすだけだった。
他人を殺めるのは、楽しい。それは自分がその人間よりも上の存在であると確認するための行為であり、証明するための行為だ。
誰だって自分が他人より優れていると思いたいし、それを他人に見せつけたい。ありとあらゆる分野でそういった競争が行われていて、その中で生物としての格を競うのが殺し合いというだけの話。忌避することなど何もないじゃないか。いつだって注目されるのは勝者のみであり、敗者の行方なんて誰も気にしないのだから。
「さて、そろそろいいかな」
辺り一面火の海と化し、もはや生きている村人の姿は見当たらない。
「アル」
「ここに」
小さく発した僕の言葉に、いつの間にか近くまで戻ってきていたアルが答えた。この場での惨劇が終わりに向かっているのを察して、僕の指示を受けるために戻ってきていたのだろう。相変わらず優秀な部下だ。もっとも、アルには特に受け持つ場所を指定していなかったから、そこまで遠くに行っていなかったというのも、早く戻って来ることができた要因の一つだけど。
アルの魔術は、こんな場所で使うには勿体なさすぎる。
彼女の使う代償魔術は、文字通り体の一部と引き換えに発動するものだ。血の一滴でさえ甲冑を着込んだ兵隊数百、数千人と引き換えにできるほどの威力を発揮できるのに、こんなところでみすぼらしい村人数十人のために力を振るうことは無いだろう。
「ナタリアとエミリア、それとシモンを呼び戻して来てくれないかい?ああ、他の部下達にもそろそろ出発すると伝えてね」
「かしこまりました」
恭しく一礼した後、アルは早足で声をかけに行った。周りで焼け焦げている村人たちの亡骸など、まったく気に留めた様子もない。
「アルはアルで普通じゃないということなんだろうけどね」
人の死に対して何も感じないというのと、僕のように楽しい、素晴らしいと感じるのとでは、どっちがよりイカレているのかは判断がつかないけれど。
「それとも、努めてそう振る舞っているだけなのかな?」
僕がそういう部下を望んでいるから。少なくとも双子やシモンについてはそうだ。僕に逆らわないよう、僕に嫌われないように。ほんとは殺しなんてそこまで好きでもないけれど、それで僕の機嫌が悪くなっては大変だと努力しているのが手に取るようにわかる。ナタリアに関しては、気に入らない人間を処分するのには抵抗はないようだけど、だからって殺しそのものが好きなわけではないようだ。
そんな風に露骨に僕に合わせていないから、アルの場合は素のような気がするけれど、果たして本当に“死”に対して何も感じない人間がいるだろうか。死とは完全なる終わりだ。どれだけ優れた人間だろうと、どれだけの偉業を成した人物だろうと、死んでしまえばただの肉塊に過ぎない。だからこそ多くの者が死を忌避する。生きている“者”がただの“モノ”に成り下がること自体と、それに直面した人間の心の動き、肉を引き裂き骨を砕く感触。それらの全てが愛おしいと感じる僕みたいな人間もいる。
しかし、それらの事象に対して正負どちらの感情も抱かないというのは果たして起こり得るのか。
「あるいは。僕が助けた時の状況から察するに、一度“終わり”を覚悟したアルにとって、死が身近な存在だということかもしれない」
まあ、なんにせよ見ていて飽きない部下だ。魔術の才を抜きにしても、部下にしておいてよかったと感じる。唯々諾々と僕の命令に従っているときにはあまり面白いとは感じないけれど、こういうふとした瞬間に見せる異常さが気に入っている。
「さて、そろそろ王都を目指そうかな」
続々と僕のもとに集まってくる部下達。まだ興奮冷めやらぬ様子で、ギラギラと瞳を輝かせている。その姿はさながら悪鬼の群れ、羅刹の軍団。と、僕以外の人間は表現するのかもしれないが、僕にとっては彼らがこの上なく人間らしく見える。
他人を蹴落とし、討ち滅ぼし、築き上げた死体の山の頂上で高らかに笑って歓喜の叫びをあげる。
この国の歴史を見ればわかるように、人類の歴史とはそのまま闘争の歴史であって、だからこそ人間の本質とは闘争そのものだ。
「さあ、早く王都に行こう。王都に行って、楽しい戦争を、闘争を、殺し合いをしよう。燃やして、引き裂いて、叩き潰して。ありとあらゆる“死”をもたらしに行こうじゃないか」
「「「うぉぉぉおおおっっ!!」」」
獣じみた咆哮を上げる部下達。奪われる側から奪う側に回った彼らを止めるものは、もはや何も存在しなかった。
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「な、んだと。それは、本当か」
燃え落ちた村から遠く、ダルーニアの地で一人の男が驚愕を露わにしていた。彼をよく知る者にとっては、そんな表情は新鮮に映ったことだろう。常に冷静沈着、巌のような男だと評される、対アイゼンルート戦線の司令官イーサンその人だった。
手には一枚の書簡。精神的にも肉体的にもまるで巨石のような彼を揺るがすには、あまりに軽い代物だが、そこに記された事実はそれほどまでに衝撃的だった。
「アイゼンルートの騎兵隊が、敗れたというのか……」
魔術大国ダルーニアをして、数百年と倒すことが出来なかった強力な軍隊。騎兵隊という一点に限れば、この大陸のだれもが口をそろえて最強だと称えるであろう武力の極地の一つ。それが余りにあっけなく崩れ去ったという。
完全に想定外の事態に、イーサンともあろうものがしばらく呆然自失としていたほどだ。
倒すべき敵国であり、忌々しい軍隊だったが、それ故にその強さは重々承知していた。簡単に勝てないとわかっていて、だからこそ年月をかけて少しずつ魔術を研鑽し、国力を高めて、ありとあらゆる策略を巡らせて……そうした試行錯誤の果てに、それでも圧勝とはいかず、何とか突破できる。そんな未来をダルーニアの誰もが想定していた。だからこそ、アイゼンルート国内の反乱に際して推移を探らせたのも、“どっちが勝ったか”ではなく、“騎兵隊にどれぐらい損害が出たか”を見極めるためだった。
だが、流石はダルーニアが直面する最大の戦場を任される司令官。イーサンはすぐに我に返ると、情報を持ってきた兵士に告げた。
「悪いが、もう一つ頼まれてくれんか?」
「は、はい!なんでありましょうか!」
「小隊長以上の人間全員、および参謀本部の全人員を招集する。他のものと手分けして、第一軍議室に集合するように伝達してほしい」
「かしこまりました!」
その言葉の意味が分からない者など、ダルーニアの軍には一人もいない。第一から第五まで存在する軍議室のうち、第一軍議室が用いられるのは国家的な戦略に関わる案件のみ。その上、招集対象もかつてない規模だ。ダルーニアの歴史上、最大と言っても過言ではない。
「場合によっては即座に部隊を動かす可能性もある。軍議に参加しない者に関しては、いつでも出立できる準備をさせる必要があることも伝えてくれ」
「かしこまりました!」
勢いよく敬礼をして出ていく若い兵士。その後ろ姿を見送りながら、イーサンの脳はフル回転していた。
(先の情勢が読める段階ではないが、アイゼンルートとダルーニアの二国間の関係性が、史上類を見ないほど変化することは確かであろうな)
両者が拮抗状態にあったのは、国力、軍事力ともに互角であったからで、その均衡が崩れてしまった今となっては、今後どのように推移するのかは誰にもわからなかった。
「それに。騎兵隊を破った戦力の正体も探らねばなるまい」
その戦力がそのまま残っているとすれば、アイゼンルートの戦力は今までと変わらない、いや、今までよりも強くなっている可能性もある。ただ、当然のことながらそれほどの戦力がどこからともなく湧いて出てくるはずもない。
「これは、本格的に他国の介入も警戒せねばなるまい」
その可能性こそがもっとも恐ろしい。報告書には魔術の使用について言及されている箇所もある。今まで魔術など欠片も存在しなかったアイゼンルート。そこに魔術の影がちらついているとなれば、他国の介入を疑うのは当然のことだ。
「となれば、南か、それとも東か」
ダルーニアに隣接する二国。介入の可能性があるとすればこの二つを置いてほかにない。距離的、地理的な問題もあるが、それ以上にここまで積極的に他国の内情に手を出せるような国が他にはないだろう。今はどの地域も戦争続きで、隣の国に対処するだけで精いっぱいのはずだ。その隣国である南の連合と、例外的に離れた国に干渉する余力のある東の帝国、その二つしか。
「アイゼンルートの主要な武将がどれほど残っているのかも、探らねばなるまい」
戦場に出てきていた将校以上の人間がどれほどで、そのうちどれだけが死んだのかはまだ判明していないが、もしも主要な人間が多く命を落としているようならば、それはダルーニアの有利につながる。
一方であまりにも要人が死にすぎていれば、戦後の統治に支障が出ることも考えられる。
「いずれにせよ、できるだけ早く、正確な情報を手に入れ、迅速に判断を下す必要がある、か」
そのための将校の招集である。通常の軍議よりも招集範囲を広くしたのは、より多くの意見を聞き、総合的に判断するためであり、同時に現状を素早く全軍に共有するためでもある。
通常はすべての情報を末端の兵士まで伝えるようなことはしないが、これだけの事態ならば、むしろ伝えておいた方が混乱は少なく済むだろうという判断だった。
もっとも通常の戦争においても、ダルーニアは比較的情報を末端まで伝える方だった。それは必要な情報を持っていた方が現場での判断がしやすいだろうという、下級士官ですら自主性が重んじられる、軍全体の方針によるもの。それはある意味ではアイゼンルートと対極にある軍の在り方だった。
「簡単に決着すればよいが……」
この場に誰もいないからこそ漏れ出た言葉。部下たちの前では頼りない姿は見せられないからこそ、必要以上に悲観的な思考は、今のうちに済ませてしまう。
今までのアイゼンルートは、強力な騎兵隊を所持してはいたものの、全体としてみれば戦いやすい相手だった。騎兵隊以外にも、歩兵も十分強力で、“騎士道”という独特な価値観の影響で、兵士は末端に至るまで勇猛果敢。戦力としては非常に強力なものがあったが、その性質はよく言えば実直、悪く言えば単純。伏兵や奇襲程度の搦め手すら用いることは稀で、自分たちの強さを盲信した正面突破以外の作戦は皆無に等しい。
そんな国に、魔術という武器を持ち、柔軟に戦略を変えるダルーニアが苦戦していたのは、偏に地形によるものだった。ダルーニアとアイゼンルートの間に横たわる広大な平原。
伏兵を用いようにも隠れる場所がなく、奇襲をかけるには見晴らしがよすぎる。アイゼンルートの騎士たちが捨てている戦法は、そもそもがここでは役に立たないものであり、それら余分を捨てて、平原で有効な騎兵による突撃に特化したからこそ、アイゼンルートの軍は強力たり得た。
だが、それもすでに変わりつつある。“地形が不利ならば魔術で書き換えればいい”そんな考えをダルーニアが打ち出し、今まさに戦争の在り方を改革しようとしていた矢先の、今回のアイゼンルートの変事。騎兵中心の現在から、大きく変化があるとすれば、今までアイゼンルートに気づかれないように少しずつ優位に傾けていた今までの努力が水の泡だ。
加えて、今まで使ってこなかったような搦め手を使ってくる可能性も十分ある。無論、現王が健在で、反乱軍をすぐに鎮圧してしまえば今まで通りだろうが。
「その辺りも考慮して、慎重に動く必要がある、か」
敵の事情が大きく動いた以上、今までのようにすべてを想定して動くことは叶わない。それでも、最大限あらゆる可能性を模索して手を進めなければならない。戦争に犠牲はつきものだが、上の作戦立案でそれを減らすことが出来るのなら、最大限の努力はするべきだ。イーサンは一人、思考を深めていった。