序章
ルクライン・アイゼンルート。
彼に対する評価は様々だ。
ある者は稀代の魔術師だと言い、ある者は天才的な発明家だという。
またある者は他に類を見ない戦術・戦略を生み出した軍事の天才だという。
確かに、それらの評価は、的確なものといえる。
彼自身が非常に優れた魔術師であり、また大規模な魔術の研究施設を多数作ったために、魔術は大幅に進歩した。彼の時代に魔術は二百年ほど先に進んだ、と言われているほどだ。
彼の生み出した発明品は主に兵器だったが、これも戦争の進化によくも悪くも貢献している。
また、それまで定点からの大規模魔術の発動が戦場での役割だった魔術師を、積極的に動かし敵に圧力をかける戦い方は、魔術師という兵科の運用の幅を大きく広げることになった。
だから、それらの評価は必ずしも間違っているわけではないのだ。いや、むしろ彼の一側面としては、非常に正しいものである。
ただ、今日彼について語るとすれば、それよりも注目せざるを得ない部分を彼が持っているのもまた事実だ。
すなわち、史上類を見ない暴君としての面を。
彼が王であった期間というのは、この大陸の暗黒期と言っても差支えがない。
このダナム大陸において多くの血が流れ、多くの命が失われた。
戦争で死んだ兵士の数よりも、大飢饉で餓死した民衆よりも、彼によって反逆者として粛清された人間の数の方が多かっただろう。
何より恐ろしいのは、その粛清が意味のあるものではなかったということだ。
恐怖で民衆を支配するため、ですらなかった。
勿論、結果として民衆は恐怖に支配されていたし、反逆者やそうなる兆候がある者は徹底的に排除されてはいた。だが、それは本来の目的ではなかったのだ。
ただ彼が殺したいと思った人間を殺していた。時には“人が死ぬのが見たいから”という理由で、無差別に大勢の無辜の民が命を落とした。
先に述べた反逆者の処刑も、自身の権力を維持するためではなく、単純に自分に従わない人間が気に入らないという理由によるものだった。
彼の気まぐれは不安定な天候などよりも遥かに大きな影響を及ぼし、彼の多方面に秀でた才は、いかに人々を苦しめ、それによって自分が楽しむか、という点において最大限に発揮された。
現代の国民が主体の国家制度からは考えられないだろうが、人類史上稀にみる嗜虐趣味者であり快楽主義者である彼が、すべてを支配していた時代は確かに存在したのだ。
ここまで読んだ者は、ではなぜ民衆はその王に反旗を翻さなかったのだろう、と思うかもしれない。
確かにもっともな疑問ではある。だが、それはできなかったのだ。
彼自身と、彼の側近たちの力があまりにも強大過ぎた故に。
現代において、魔術の戦争での利用が禁止されている、その原因となったのが彼の支配だったのだ。
魔術で世界を支配しようとする者が現れたら、ありとあらゆる国が団結して、その支配が確立する前に叩き潰す。
そうせざるを得ないほどに我々は魔術師の脅威というものを思い知らされた。
少数の人間が、大隊規模の軍隊を一瞬で葬り去っていく。彼と、彼に忠誠を誓う数人の存在だけで、あらゆる反乱が無意味となるようなあまりにも理不尽な質の暴力に人々はなすすべもなく首を垂れる他なかった。
彼が自身の国を乗っ取り、世界征服への足掛かりとしたのはわずか十二歳のこと。
この幼き暴君が、いかにして世界を死と恐怖と嘆きの溢れる地獄へと作り変えたのか、これから見ていこうと思う。
人類が二度とこのような過ちを繰り返さないようにするために。
ウィリアム・マクラーレン著『幼き魔王』序文より抜粋。