魔界へ伸びる悪しき影と弔いの義
前話と引き続き、魔族側のお話です。
今回はアルマジロ視点でのお話。
「緊急事態じゃ。これは我が人生始まって以来の危機じゃ…」
深刻な顔で私にそう言うのは、全魔族の歴代の強さを誇る前々代魔王のミリディア・キャッツ様。私はすでに会議が始まり、現在の魔王様が恒例の挨拶をされているのをチラリと見て、なるべく動かさないように小声で言いました。
「…あんた、それ100年前にも同じこと言ってたじゃないですか」
「それよりも酷いのじゃよ。…やはりあそこで止めておくべきじゃった…。おのれ…二日酔いめ…。末代まで祟ってやろうぞ…」
机に頭を乗せ、なんともため息の出る姿勢でぶつぶつと言葉を漏らすこの馬鹿主。あなた、見かけだけとはいえご意見番でしょうが!
「…揺らすな。…出るもんが出る…」
ウップっと嫌な予感のする声を出すミリディア様。すると、気を利かせたクロード君の部下と思われる方がミリディア様に二日酔いに利く薬を煎じた物を机の上に置いてくれました。恐らく、クロード君の指示でしょう。…彼には頭が下がりませんね。
「…さ、さすが…我が弟子……」
青い顔でそれを飲み干すミリディア様に私はいい加減、最後の余生をどうすごすか考え始めた頃、ようやく会議の本題が始まるようです。我々は暇をしていますから良いものの、他の方…特に師団長クラスはやることは多いでしょうに。いつからこんな長い無駄な挨拶から始まることになったのでしょうか?非効率な上に、ミリディア様ではありませんが、これは会議が億劫になってしまいますね。
「…では、今回の会議の内容だが……消息を絶っていた第五師団団長、ダルモシス・ルアーの行方が判明した。第三師団団長、クロード・リヒト、報告を」
「はっ」
私は彼の横顔をちらりと見た。普段と変わりないように見えるが、この場で唯一その異常な現場を目撃した彼が動揺しないはずがありません。…サラディー・アクバル前魔王様も酷なことをされたものだ…。私は既に亡くなっている彼への恨み言を心内に秘め、そして代わりにため息を吐きました。
「…む? おい、アルマ。我が弟子は何を報告するというのだ?」
私はさらに深いため息を吐きたくなりました。この人は本当にもう…。クロード君からの連絡を盗み聞きし、止める私を置いて我真っ先にと人の世へ降りてしまったくせにして、肝心なことは何も分かってなかったのですか…。
「…彼が回収してきた骸が、第五師団団長、ダルモシス・ルアーで間違いということが分かったのですよ」
「…なに? あのルアー家の長子がか?」
「ええ。さらに、その遺骸には不可解な点がありまして……」
私は一瞬言葉が詰まりました。脳裏にあのダルモシス氏の体を見た時のことが浮かび、あまりの出来事に頭がそれを否定しそうになったのです。
「なんじゃ?」
しかし、私のその様子にさらに怪訝そうに問われるミリディア様に、私はさらに小声でその問いに答えました。
「体の中身が変わっていたのです。恐らくは…体を徹底的に弄られたのかと」
彼の体を見て、私がまず疑問に思ったのは、彼の異常な巨体でした。私たちが知っている彼の身体より何倍も大きく、さらに魔力耐性も以前の彼より強くなっていました。魔力耐性は生来的のものであるため、それが変わったという事例は長年生きてきた私でも聞いたことがありません。また、彼の身体には多数の傷があり、中を見てみると、内臓もほとんどない状態。生命活動ができるギリギリまで内臓は抜かれており、魔族にとって心臓となる核がないにも関わらず動けていたところを見ると、その核があった場所には何か埋め込まれていたのでしょう。彼の身体の中心、つまり核があるべきところに不自然な隙間がありました。
「……あやつの部下の行方は?」
私はその問いに首を振りました。彼の部下、15名の行方は何一つとして分かっておらず、安否も不明のようです。クロード君の話によると、彼は人間界に出現したダンジョンを創生したようで、そのダンジョンの守り手に彼の部下の姿は無かったようです。
「…そうか…」
私が今説明したことは、クロード君はあらかた伝え終わったようです。あたりが混乱の声に包まれ、それは報告を受けたギーニャ・アクバル現魔王様も例外ではありませんでした。
「…まさか…ダルモシスが…」
そう呟やかれる声が聞こえ、私はミリディア様をちらりと見ました。会議の進行が滞ると、彼女は決まって大きな欠伸を……
「ルアー家の長子は…」
突然高い少女の声が部屋中に響き、辺りはその発言者に注目しました。皆、その発言者が誰か分かり、目を見開いているようです。私はと言いますと、思わず苦笑していました。…そうでした。この方はそういう方でしたね。誰よりも面倒なことは嫌いなくせに、歴代の誰よりも力を持って生まれたこの方は、誰よりも民を思い、そして今までの地位も名誉も殴り捨てたのでした。ミリディア様は先程と態度を一変させ、
「ダルモシス・ルアーは名誉の死を遂げたのじゃな。そしてその骸は我らの元へと帰って来た。それにより、我々に迫る脅威を知ることができた。…それで? 今後の対策としてどうするつもりじゃ、ワニ」
今まで沈黙を続けていた、統括大臣であるワニロへと質問を投げかけました。ワニロは視線をミリディア様へと移し、首を傾げます。
「…質問を質問で返すようで申し訳ないが、何故それを私に?」
確かに、ワニロはあくまでの会議の進行を任されているのであり、彼が意見を発言することは稀です。しかし、そういう彼の瞳は珍しく揺れているようでした。ミリディア様はふぅーっと息を吐き、彼を睨みました。
「お主がこの場の誰よりも状況を把握しておるからじゃよ。いい加減吐いたらどうじゃ? 第五師団を北へ送った訳をな」
その金色の目が怒りの炎で燃えていることに気づいたのは、私やワニロだけではないはず。異質な威圧感を周りも感じ、緊張感が辺りを包みます。…そろそろ、失神者がでそうですね。私は息を吸いました。
「ダイル殿。あなたのことです。場の混乱を考慮して、ここでの発言を避けているのでしょうが…このような状況となってはそうも言っていられないでしょう。なにせ、我が最大の軍事力である師団長が一人、憐れも無い姿で帰って来たのですから」
私の言葉をワニロは無反応で受け取りましたが、私は知っています。彼は今後悔の念に襲われていることを。彼の判断で第五師団を北の地へ偵察へ行かせ、このような結果となったのです。
「我に何も報告なしに、勝手な命令をくだしたのか! 答えろワニロ・ダイル統括大臣!!」
状況を全く理解していない現魔王様がようやく、自分の知らぬところで事態が動いていたことに気づきます。しかし、ワニロは思案するように瞑っていた目を開け、ミディアム様の鋭い眼光をしっかり見据えているところでした。
「…とある国がついに動きを見せた…私はその情報を掴んだとき、これは絶好の機会だと考えました。しかし、その時運悪く南の大陸と戦中であったため、戦力は削れない状況でした。自由に動けたのは、最も早く南の一部を制服したダルモシス・ルアー率いる第五師団だけでした。私は彼に北の民族の偵察という名目で……とある国の殲滅を彼に命じました」
ワニロの話は、辺りを騒然とさせるものでした。独断で師団長を動かしたと言うことは、それはつまり魔王様を裏切る行為。ワニロ、あなた…焦りすぎましたね。
「な…なんだと!? 我はそのような報告受けておらんぞ」
魔王様が血走った目をワニロに向けました。しかし、ワニロの視線はただ真っ直ぐ、ある人物だけ向けられております。
「…なぜ今まで黙っていたのじゃ」
「…話せば、すぐにでも北の地へ乗り込もうとされたでしょう」
それに…とワニロは迷いを見せるように視線を泳がせました。しかし、ミリディア様はすでにそのことを察されていたようで、頷かれました。
「…お主は我の前の世代の魔王から仕えていた。我々より先を見通しての判断だろう。しかし、お主は命を秤にかけ、ダルモシスを見殺しにした。それを忘れるでない。お主の処分はギーニャに任せる」
突然振られ、魔王様はハッと身じろぎをさせました。彼としてもショックだったのでしょう。なにせ、自分を今まで支えてくれた中核が自分を裏切っていたのですから。
「……そこの罪人を牢に入れておけ!!」
そして、ワニロは兵に連れられ部屋から消えると、辺りは呆然と立ち尽くすものばかりでした。そんな中、現魔王様の言葉が響きます。
「会議は中止とする。…色々なことが起き過ぎだ…」
「魔王様!? おおっ! おいたわしや!!」
フラフラと奥へ消える現魔王、ギーニャ・アクバルを私は冷めた目で見ていました。あれが現魔王の器ですか。なんという低落ぶりでしょう。自分のことで手一杯で、自分の部下が死んで戻ってきたと言うのに、彼に何の言葉もなしに消え去るとは。しかし、それでも彼がこの魔界の頂点に立つ者。…彼にお仕えしておらず本当に良かった。私はすでに空となった自分がお仕えしている方の席を見ました。どれだけ仕事ができようが、どれだけ力を持っていようが、我々のことを考えない主なんて私はごめんです。私は笑みを浮かべ、とある呪文を唱えました。
「『仕立魔法』」
目の前を歩く深紅に染まった艶のある髪がふわりと浮いたかと思うと、その少女にベールのような黒い布が覆いかぶさりました。それを見てハッと、周りの者が慌てて敬礼の姿勢を取ります。その途端、黒い光が地から上へと縦長に伸び、そしてそこに現れたのは血の気の失ったダルモシス・ルアーの遺体でした。彼は横に寝そべる形で宙に浮いており、彼の姿が現れた途端息を呑む声があたりから聞こえました。ミリディア様が片膝を付き、その胸元で指を組み合わせました。
「魔界帝国三代貴族一派ルアー家長子、ダルモシス・ルアー。そなたの数々の活躍、誠に感謝いたします。どうか我々の勝利を見守りくださいませ。かの英雄、サラディー・アクバルの名において、貴方の魂が無事彼の元へ送られますように」
瞑られていた彼女の金色の瞳が再び開かれるまで、あたりはしんっとした静けさが包みました。これは、死者を弔う儀式。死者たちが無事、祖先たちの元へ逝けるように導く儀式です。この儀式は決して形式的なものではなく、この儀式なしでは死者たちが安らかな死を迎えられないのだと言われています。
「ダルモシス・ルアー。そなたの無念、我々が必ず果たそう」
そして、金色の瞳がダルモシスの遺体へと向けられ、彼女は息をつき、沈黙が辺りを包みます。それはまるで彼との別れを惜しむかのように思えました。そして、彼女は最後の祈りを唱えました。
「『神よ』」
次の瞬間部屋に花びらが舞い始めました。それは、淡い青色の花びらで、晴れた日のような空の色をしていました。そして、その花びらが勢いよく舞い、そして気づいたときには彼の遺体は消え去っていました。
「そなたの部下、我々が必ず見つけよう。…今は静かに眠るがよい。永久の名に刻まれた…我らが同士よ」
澄んだ声が辺りに響き渡り、彼女が組んでいた手をゆっくりと下へと下ろします。辺りからは彼の家族のすすり泣く声が聞こえ、皆が皆悲痛な表情を浮かべております。そんな彼らの心を読み取ってか、彼女は一つ言葉を口にしました。
「…また一人…あちらへ還ってしまった」
と、悲哀が込められた…そんな声で。