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久方の名

魔界側、クロード視点となります。

☆☆


 誰かの泣く声が聞こえ、俺は何とか重い瞼を上げた。目を開けたとき、目の前には白い髪の少女がおり、俺は思わず目を見開いた。その白髪の少女は、変わらない姿で俺を見つめていた。俺よりも少し高い身長や髪がまだ真っ白なところを見ると、これは幼少期の彼女だということが一瞬で分かった。しかし、俺は彼女の顔を見て思わずギョッとしてしまう。彼女の頬が真っ赤に腫れあがり、さらには口の端には血がたれていたからだ。前髪が長くて顔が隠れてはいるが、その調子じゃどこもかしこも殴られた跡があることだろう。


「…なんでだよ、お前」


俺はそう言葉を零すが、それは嗚咽で消えてしまう。…そう。大粒の涙を流しているのは、他でもない俺だった。


「……なんであんたが泣いてんのよ」


「泣いてねぇよ!」


呆れた顔を見せる彼女に俺は思わずそう言った。しかし、その鼻声や泣きはらした目は誤魔化しようもない。彼女は歳に合わない顔で俺を見た。


「…しょうもない嘘ついて」


そして、自分の袖で俺の汚い顔を拭く。俺は意外にも強い力に鼻が曲がりそうになるのと、その彼女の言葉にその手をつい振り払った。


「しょうもない嘘をつくのはお前だろ! なんで、あいつらのこと言わなかったんだよ!!」


自分で言ってハッとする。…そうか、これはあの時の記憶か…と。5歳のとき、俺が通っている幼稚園でとある事件が起きた。それは、児童7名が喧嘩で傷を負ったというもの。しかも、それをやったのは転入してきたばかりの1人の女の児童だというのだから驚きだ。


 事の発端は、とあるいじめから始まった。それは、もう日常的に起こっていた。まだ生まれて4~5年しか経っていないというのに、いじめというものが起こるのだから、もうこれは人の本質というものなのだろう。そのいじめは体の大きい主犯格の周りに数人の男女が関係なく群がっており、目に留まったやつを玩具にするというものだった。いじめの対象は特に決まっておらず、ある時は入園したばかりの小さな子や、あるいは先生だったりもした。そのいじめの対象になるとその人物がいなくなるまで続き、そしていなくなると次のターゲットとなる。皆が皆あいつらの目に留まらないように平穏な日常を努めるというのがその幼稚園でのルールだった。そんな中、あいつは現れた。綺麗に切り揃えられた白い髪を全く動かさず、子供らしからぬ感情のない顔をして。


「言っても無駄じゃない」


俺の思考を中断させた目の前のこいつ。…この頃のこいつは、こういう顔をしてたんだったな、と思いながら。まるで血の毛が通っていない顔、俺と話しているのに何も写していない目。こんなにこっちは感情を荒げているのに、それを全く意に介さず、淡々とした態度。今の俺でもその感情は読み取れないのだから、このときの俺ならなおさらこいつの行動が不可解に映ったことだろう。こいつのその血の気がない唇が開く。


「あれが普通なんでしょ? 大人たちは何もしてこなかったんでしょ? なら、言っても無駄じゃない」


その言葉に俺は詰まる。確かに最初は、俺たちも先生や親に言うなどと色々手は尽くした。だが、主犯格の親が園の経営をしてるとかであまり強く言えなかった様だ。あいつらはへこむ様子も態度が改まることもなかった。だが…俺はぎゅっと拳を握った。


「でも、お前が全部悪いみたいに言う必要もなかったじゃねぇか!」


白髪のこいつはすぐに目をつけられた。前のターゲットと一緒に建物の影に連れてこられ、そしてその白い髪を乱暴に掴まれた。しかし、それから受けた罵詈雑言に、何の反応も見せなかったこいつはすでに飽きられていたはずだ。それなのに…


「なんで! わざわざ俺なんかを助けたんだよ!!」


俺は再びボロボロと涙を零しながら叫んだ。俺はそれを冷静にいつかの自分の中で見ていた。このときの俺は、まさに独りよがりだった。小さい子がトイレで殴られているのを庇ってから、俺が次のターゲットになった。どんなに痣を作っても、どんなに友達から遠巻きに見られても、俺は屈しなかった。あいつらが卒園するまであと数ヶ月だと我慢できた。しかし、その決意をこいつに邪魔された。このときの俺はその気持ちでいっぱいだった。俺は守れた…あいつらがいなくなれば、また日常に戻れた…そう思っていた。


「…あんたがこの髪を綺麗だと言ってくれたから」


だが、そんな俺の思いはこいつのその言葉で全て吹き飛んでいった。俺は思わずぽかんとした顔をした。


「普通、この髪を見て綺麗なんて言わない。奇異な子みたいなことを言われるだけ。それをあんたは二回も言った」


俺はそいつの言葉に顔が赤くなるのが分かった。最初にこいつを見た時、不意に口が滑ってしまったのだ。綺麗な髪だと。そして、二回目は恐らくあいつらに呼び出され、そしてこいつの髪を変だの化け物だと言われたときだろう。なんとかこっちに矛先を向けてもらおうと、俺は色々なことを口走ってそいつに突っかかったのだ。…俺はそんな木っ端恥ずかしいことを口にしていたのか。


「…ほんと変な奴」


そんな俺を見て、そいつは俺の顔に手を触れた。そこはそいつらに殴られ、赤くなっているところで、思わず顔をしかめてしまう。だが、機械のように感情の起伏が感じられないこいつの手から、じんわりと心地のよい体温が伝わってくる。その手が不意に離れ、冷たい空気が俺の頬をチクチクとさした。


「でも、もう明日から私に話しかけないで。私は嘘つきが嫌いなの。あんただって、こんなのと一緒に居たくないでしょ?」


そして、くるりと行ってしまおうとするその背を、俺は慌てて無理やり向かせた。別に話しかける云々はどうでもよかったが、嘘つき呼ばわりされて黙ってはいられなかったのだ。


「俺は嘘つきじゃ…」

「今嘘をつかなくても、これからつく」


俺の言葉に被せてきっぱりと言う彼女に俺は猛烈に腹が立ち、そして彼女の両肩を掴み言った。


「俺は絶対に嘘をつかない! 約束してやる! 破ったら針を千でも2千でも飲んでやるよ!!」


会って初日の奴に、嘘をつかないなんて約束重すぎだろ。だけど…このときこいつは…どんな顔をしてたんだっけな。そう思いながら、段々意識が遠のいていく頭でぼんやりとそいつを見た。


「…馬鹿じゃないの」


動きのなかった白い髪が軽く揺れ、長い前髪も軽く浮いた。夕日に反射しきらきらと光る髪に、顔がより鮮明に見える。お世辞なしに綺麗だと俺は再び思った。初めて見せたこいつの感情のある顔は、背景に見える夕日にとてもよく似ており、そしてとても儚い様にも感じられたのだった。


☆☆


 「…おや、起きましたか」


カーテンから洩れる眩しい朝日に俺は目を開けた。声がするほうを見ると、コップを持ったアルマさんが俺の方に歩いてくる姿が見えた。なんでアルマさんがここに…?寝ぼける頭で昨日の出来事を振り返ってみる。


「……すみません。何か問題でもありましたか?」


コップを受け取り、冷たい水を口にすると、段々はっきりしていく頭。そうだ。俺は師匠と共にこちらへ来ていたのだったということを思い出す。そして、持ち帰った成果の鑑定報告待ちだということも。


「…ええ、そうですね。問題大有りですよ。その件に関して、再び会議が開かれるそうです。我々も交えてね」


俺は真剣な顔のアルマさんに頷き、その鑑定報告書を受け取った。そして、俺がそれに目を通そうとしたとき、アルマさんは思い出したように俺に言った。


「そうそう。見ない間に随分夢見が悪くなったようですね。疲れが溜まっているのではないですか? 適度に休まないときつい思いをするのは君ですよ」


俺は苦笑して、頷いた。こういう母親っぽいところ、昔から変わりないな。アルマさんは。しかし、それにしても俺はそんなに魘されていたのだろうか。夢…というより昔の記憶を思い出しながら俺は首を傾げた。


「魘されていた? と言うより、寝言を言っていたという方が正しいでしょうね」


クスクスと笑うアルマさん。…寝言だなんて…子供じゃあるまいし…。俺はため息をついた。


「…お恥ずかしい限りです。変なことを言ってはいなかったでしょうか?」


「いえ? ただ、こちらでは聞きなれぬ言葉でしたので気にはなりましたね。何かの名前…でしょうか? それにしても、君があまりに大切そうに呟くので、聞いてはならないような気分になってしまいましてね」


どういうことだろうか?このアルマジロが言いにくそうに言葉を濁すのは初めてのことだった。俺は彼に尋ねた。


「名前…ですか?」


「ええ。まるで恋人を呼ぶときのように、何度も何度も、夕葵ゆきと」


貴方は呼んでいましたよ。そう言うアルマさんの言葉を遠くに聞きながら、俺は思いっきり布団に頭を埋めた。


夕葵…俺の幼馴染であり、俺の悪友でもあり、俺の大切な…千年と17年の拗らせた片思いの相手。誰よりも強いくせして、誰よりも脆く、そして危なっかしい。記憶の中の彼女の顔が脳裏に浮かんだとき、そういえば彼女の名を久方に聞いたと酸欠になりそうな頭で思った。


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