ノッテ王国で⑥
「アルーシャ殿。お待たせしてしまい申し訳ない。」
「…いえ。」
今日もノッテはいい天気です。しかし、私はまだ部屋で休んでいたいですわ。アラム殿を押し付けたマリーヌたちは、朝早く<WONDER WORKER>を見に行ってしまいました。とんだ厄日です。とりあえず、人が多くにぎわう所へと向かっていますが、正直どこを案内すればよろしいのか全く見当もつきません。ノッテのことを一番分かっているのはマリーヌなのですから、マリーヌがすればよろしいのに。といつまでもぐちぐちと言ってはいられません。
「話には聞いていたが、ノッテ王国とは大変にぎやかな国なのだな。」
そんな中、アラム様はにこやかに話しをなさいます。アルデヒド王国と比べてここはカジノなどが多く、建物の装飾もきらびやかなものとなっております。初めて来られた方であれば驚かれますわね。
「ええ。あまりアルデヒドでは見られない風景です。貿易をあまり行っていないノッテ王国にとってカジノなどが代わりとなっているのでしょう。それ目当てで観光に来る方々もいらっしゃいますから。」
「しかしそれではこの国はあまりいい印象を持たれず、本末転倒だと思うのだが?」
「ええ。確かにそれについて賛否両論があります。しかし、国が活発になるのでしたら、それでよろしいのではと思いますわ。何か問題が起こったときに考えるといたしますわ。と、この国の王女様がおっしゃっていました。」
そこまで言った後で私は自分の言葉にハッとしました。確かこの方はグリアム様の男尊女卑という考え方を肯定されてきた方。女性好きということなのであまり過激な発言はなさいませんが、女性は男性の置物程度にしか思っておられていないのは確かです。ですから、自分が知らないようなことを女の私が知っているというような発言は気分を害するようなもの。これは失言でしたわね。
「…」
やはり沈黙のアラム様。出だしから失敗してしまいました。しかし、早く帰って仕事ができるのであれば、多少引っぱたかれてもよしとしましょう。とまあ、のんきに思いながらアラム様の様子を伺っておりました。
「…博識なのだな。」
ですから、感心した様子で頷かれるアラム様のこの反応は完全に予想しておりませんでした。…最低でも怒鳴られるかと思いましたのに。私が知っているアラム様とは全く異なった行動をなさったので、私は思わず問いかけてしまいました。
「…女のくせにとは言われないのですか?」
するとアラム様は眉をひそめておっしゃいました。
「男も女も関係ない。それは悪き風習だな。女性は女性、男性は男性と共に良き点は多くある。それを尊重すべきであり、個人を無視して卑しめるのは生きている者の悪い癖だ。…誰に何を言われたのかは知るよしもないが、アルーシャ殿はそのままでいい。気にする必要などない。」
<誰に何を言われても、お前はお前だろ? 気にする必要なんかねぇよ。>
アラム様の言葉と誰かの言葉が不意に頭の中でかぶりました。前にもそのようなこと言われたような気がします。今までなぜ忘れていたのでしょう。
「……アルーシャ殿?」
私が急に黙ったので変に思ったのでしょうか、アラム様が私の顔をのぞき込まれました。…以前講義をサボろうとした貴方様から『女のくせに生意気だ』と言われたのですけど、まあ忘れていらっしゃるのであればわざわざ言う必要もないでしょう。人は変化していく生き物ですから。
「いえ。ずいぶんと丸くなられて、驚いてしまっただけですわ。学園ではずいぶん嫌われていたと思っていましたから。」
「そんなことない。…だが、俺にも体面はある。だから貴殿だけではなく皆からそういう風に見られていたと思うが。」
…そうですか?ずいぶんと態度が違っていたように思いますけれど。グリアム様から何を聞いていたのかは知りませんが、学園にいたときの彼の私への悪意はとてつもないものでしたよ? 彼の父は大臣でお父様とも交流があるのですが………まさかとは思いますがお父様関連でしょうか?それでしたら、多少は納得がいきますわね。学園に在籍中、しばしば感じていた敵意むき出しの目線に、発せられる言動。私がグリアム様に退学を命じられた時も彼だけ何も言わず、ひたすらこちらに冷え切った目線を送り続けていました。こうして考えてみると、あれにはただならぬ理由があるような…ないような…。
「アルーシャ殿。」
私が学園の頃のアラム様の様子を思い出していると、不意に目の前に出されたのはアイスクリーム。思わずそれを見て呆然としてしまいました。
「お嫌いだったか?」
「いえ。ありがとうございます。いくらでしょう?」
「今日は付き合わせているだ。お気になさらず。」
ふっとこぼされた笑みを見て、先日お会いしたときのことを思い出しましたわ。あの時は私を品定めするように見て、そして張り付いたような笑い方をされましたが…。…ずいぶん雰囲気が変わられましたわね。
「……アルーシャ殿は前世というものを信じるか?」
市街地を抜けて、少し歩くと下が湖になっているところへと着きました。ここの湖は水がきれいで景色もよく、観光には絶好の場所ですわ。…そう言えばこの方の変わり様に驚いて、全く観光場所というところにお連れてしていませんでした!私としたことが!これは失礼にもほどがあります。しかし、あまり意にも介していない様子で私に問いかけるアラム様。…転生者の私にとってその答えはYesなのですが、それを前世と言ってよいのでしょうか?
「…本当にあるのかは死んでみないと分かりませんが、信じるか信じないかと言われれば…信じるほうですわ。」
私のその答えに一瞬驚いた顔をされ、アラム様は微笑みました。それはどういう風に思って微笑んだのか分からないような複雑な笑みでしたが、ただ今にも泣きそうであるのは分かりました。例えるとするならば、欲しいものを手に入れた子供がそれを手放さなければならなかったり、友人たちと遊んで別れた後の何とも言えない心境だったりとそんなかんじです。私にはなぜアラム様がそのような顔を私に向けるのか分かりませんでしたので、ただアラム様の次の言葉を待っていました。
「…俺は…」
「痛っ!?」
話の途中で失礼しましたわ。しかしまさか頭上から何かをされるとは思ってもいないではないですか!上を見ると、木にぶら下がっている幼い少女がいました。少女は少し慌てた様子でこちらを見ていました。どうやら遊んでいて降りられなくなったようです。木の幹を確かめてみますと、中々太く頑丈そうです。枝もよほど強い力ではないと折れないような太さでしたが、上の方をよく見ると下の者よりも細いようです。どうやら上に行くにつれ細くなっているようです。
「……なっ!? 登るのか?」
私が一番近くの太い枝をつかみますと、アラム様は慌てたように言いました。
「ええ。下手に魔法を使いますと、あのくらいの少女は逆に怖がってしまい、暴れる危険がありますから。」
こう見えても、木登りは得意なのです。木登りをしていて落ちて頭を打ち、転生する前の記憶を取り戻したくらいですから。…あら?これは決して得意とは言えないエピソードですわね。…まぁ、いいでしょう。久々でしたが、体は覚えているようです。すいすいと少女のところへと向かいます。私がこうしている間に少女は落ちる気満々のようで、器用にも真下に湖がくる場所へとぶら下がったまま体勢を変えていました。
「今から持ち上げますから、暴れないでくださいね。」
さて、ここからが大変です。少女を引っ張り上げて、上手く少女を怖がらせずに下へ降りなければ。…下は湖ですから落ちても怪我はしなさそうですが、危ないことには変わりありません。
「……アルーシャ!!!」
…あら?急に私の体は下へと引っ張られ、私はそのまま落ちていきました。少女を私の場所まで引き上げることには成功しましたが、どうやら混乱した少女が私を突き落としたようです。服が濡れるのだけは勘弁したいところなので、昨日のように飛びましょうか。湖は濁っていて、黒く光っております。これでは濡れるだけではすみませんわね。
『飛行魔…』
ドクンッ!私の心臓が大きく鼓動を打つのが分かりました。……あら?この湖って………綺麗なことで有名ではありませんでしたっけ?なぜこんなにも黒く濁っているのでしょう?…あら?私この場所見覚えがありますわ。あら?マリーヌがここは虫が出るからって来るのを避けたから、私初めてここに来るはずですが。……あれ?マリーヌって誰でしょう?あれ?あれ?あれ?あれ?あれ?あれ?ここはどこ?あれ?あれ?あれ?私はなぜここにいるの?あれ?あれ?あれ?あれ?あれ?あれ?遠くに見えるあの親子は?あれ?あれ?あれぇ?……私は誰?
「アルーシャ!!!」
アラム様の声ではっと我に返りました。どうやら私は湖に落ちてしまったようです。アラム様も私と同様服がびしょ濡れです。アラム様は私を抱えて、上を見ました。そして呟かれました。
『竜巻魔法』
すると、水面から遠ざかるような感じがし、私はもとの下に湖があるあの場所へと戻っていました。私は木の幹に降ろされました。
「……大丈夫か?」
「……」
…ひどく頭が痛く、何も考えられません。断片的な何かが頭をぐるぐると現れては消えていきます。明らかにおかしいことが起こったのに、自分でそれが分からないのです。
「…これでは風邪を引く。『温熱魔法』」
温かいものが吹き抜け、感じていた服の重みが無くなりました。私は彼を見ました。彼も私を見ていました。
「……やっぱり…なおっていなかったんだなそれ。」
…?…あぁ、頭が痛い。
「…なあ、俺は……」
「お嬢様!」
風を切る音が聞こえ、気が付くとエリが目の前にいました。…アラム様は……いました。後ろは崖で下は湖、そして周りには多くの人。その中にはマリーヌ達もいました。ルーカス様が叫ばれました。
「うまく人に化けよったな! 魔獣めが!」
…まじゅう?…ダメだわ。少しはっきりしてきたけれど…思考がまとまらない
「…お嬢様、本物のアラム様は自宅で監禁されておりました。今騎士団の方で保護されております。」
……では、あのアラム様は…。アラム様を見ると、ひどく冷たい目でルーカス様や兵士の方々を見ていました。その表情からは何の感情もよみとれません。
「言っておくが逃げようとは思わんことだ。」
「……結界か」
「そうだ。さあ! さっさと目的を言え! ダンジョンのアレもこの潜入が目的だったのか! お前もあの場所にいたことはすでに把握済みだ!」
「…ノッテの王女様か。優秀なことだ。」
「黙れ!! お前はただ…」
「…お嬢様? 大丈夫ですか?」
エリが私のことを気遣いながら、私に水をすすめてきました。私はそれを受け取って全部飲み干しました。のどが潤うとともに頭のもやもはれてきます。
「…ええ。」
魔獣の中には人に化けることができる能力を持つ者もいます。そして今回のように人になり替わってしまうということも昔からあったようです。それにあのアラム様になり替わっていた魔獣は魔法を操っていました。ということは、変異体。それもかなりのレベルのものです。彼が暴れる気でいるならば、私もこんなところでへばっている場合ではありませんわね。
「……とんだ茶番じゃな。さっさと帰るぞ。」
可愛らしい高い声が聞こえたかと思うと、突風が私たちを襲いました。かろうじて見えたあの魔獣の隣には先ほど引っ張り上げたはずの少女の姿がありました。赤い綺麗な髪が乱れるのを構わず、その少女は風を起こしています。その隣で淡々とした口調でアラム様は言いました。
「……アルーシャ殿。お前が我々にとって危険なものとなりえるだろうことは、今回の事で確信した。これからは注意して動くがいい。」
まさか…今回の接触は私個人の力を見定めるために!?風が強くなりだんだん二人の姿を捉えられなくなってきます。
「待ちなさい! なぜ私を…」
「…気を付けろ。お前は狙われている。」
「!?」
「クロード。何をしておる。」
少女がアラム様に向かって呼びかけています。何か知っている様子のクロードという名前のこの魔獣。その言葉の意図を尋ねようとすると、突然目が開けられないくらい風が強くなりました。その強さに耐え切れず私が目をつぶると、耳元で誰かからささやかれました。
「…俺は、前世というものはあると思う。だからこうしてお前に会えた。約束は守った。…俺は嘘はつかないって約束しただろ?」
あの時私が遮ってしまった会話の続きが聞こえたかと思うと、風は止み二人の姿は忽然と消えていました。
「何故だ!? この結界の中では魔法は使えん! やつらはどうやって…」
周りはこの出来事に慌てふためいていましたが、私には聞こえませんでした。私の頭の中は先ほどの言葉でいっぱいでした。あれは…あの約束は…妹のえりさえも知らないはず。それをなぜ…。今まで思い出すことのなかった私の記憶が断片的に頭に浮かんでいきます。
<…俺は、前世というものはあると思う。じゃなきゃ、運命なんて決められないだろ?だからさ、もしまた別の世界で生まれ変わったら俺、またお前と出会えるようにするよ! ほんとだって。約束しただろ? 俺はお前に嘘をつかないって>
照れくさそうに笑う少年。おそらくこの時私は泣いていたのでしょう。少年の顔がぼやけて見えます。私は少年に向かって微笑み、そして少年の名前を呼びます。
「*******」
…あれ?
「う*。**たろ? **はず**い***に****…。」
雑音が入ってしまったかのように聞き取れません。なぜでしょう?私にとって大事な思い出のはずなのに。
「お嬢様!!!」
薄れていく景色の中でえりが私を呼んでいました。いつの間にか手にしていた探求玉は光り輝いていました。