第6話 戻
――クヤタ村
ポツポツと振り始めていた雨は、いつしか土を跳ね返す程の雨量へと変わっていた。薄暗く視界も悪い。
そんな悪天候の中、村の入口付近では雨具に身を包んだ三人の姿があった。
「危険だって!! リリアさん!!」
「何度も言っているだろう! ルマスの近くでは騎士が待機していて、一切町に入れてもらえないんだ」
「火災が起きたとか、殺人鬼が暴れたとかで、町に近付く事すら危険なんだって!!」
二人の男性が必死に声を張り上げ、ターコイズブルーの長い髪を持った女性――リリアを必死に呼び止める。
リリアは足を止め、勢い良く二人に振り返り声を荒げた。
「分かってます!! でも、待ってなんていられないんです!!」
「リリアさん!!」
雨具のフードがずれ落ち、ずぶ濡れになったリリアは、自分の事など気にも留めず、二人の声を押しのけ再び村の外へと足を向けた。
「駄目!!」
「っ!?」
鋭い女性の声が雨音を貫き、真っすぐリリアに飛ばされた。驚き耳を疑ったリリアは振り返り、声の主を見据える。
二人の男性の前には、この場に居て欲しくはなかった初老の女性――リリアの母親、ジェマオがモナを抱え立っていた。
「……お母さん……!!」
雨具のフードから覗かせたジェマオの目は、鋭くリリアを捉えていた。
「こんな荒れた天気の中、森を抜けるのは不可能よ!! それに皆言っているでしょう!? ルマスには近寄れないんだって!!」
「私はトリエスタさんとロレスを迎えに行くだけなの!! もう待ってなんていられない!!」
「何があるか分からない!! もしもの事があったら、この子は誰が育てるの!? モナの親はリリアでしょう!!」
「必ず帰る!! 二人を連れて、必ず!!」
「そんな――」
「お、おい!! あれ、ロレスじゃないか!!??」
「え!?」
突然の村人の声に、勢い良く振り返るリリア。雨で視界が悪い。必死に目を凝らすと、森を抜ける二人の人影が見える。
「帰って来た!! 帰って来たぞ!!」
「ロレスだ!!」
「ロレスの隣に居るのは誰だ!?」
「え、トリエスタさんじゃないのか!?」
「トリエスタさんは!?」
そんな村人達の声を背後にし、リリアは無意識にロレスに向かって走り出していた。
「ロレス!!!!」
「お母さん!? お母さん!!」
ルマスから出発して約2時間。予定よりも遅くなってしまったが、ロレスとリジックは無事にクヤタ村に着いた。
ロレスの姿が見えた瞬間、声を上げ息子の元に走り出すリリア。ロレスも疲れを忘れ、リリアと同じく思い切り駆け出し、お互いを強く抱きしめた。
七日ぶりの母の温もりに包まれたロレスは安心からか、静かに涙を流す。
「ロレス、良かった……本当に……良かった……。ずっと心配していたのよ……」
「……遅くなってごめんね……」
「……ロレス、その手は……? ……お父さんは?」
リリアはロレスに向き合うと、両手の包帯と背負っていた剣に気付く。
「……火災に巻き込まれちゃって……リジックさんが助けてくれたんだ」
「リジックさん?」
そこでロレスは後ろを振り向く。リリアはロレスの目線の先を追いかけた。
ロレスがリジックと呼んだであろう、団服に身を包んだ男性が雨の中で佇んでいるのを確認できた。
リリアは抱きしめていたロレスから離れ、ゆっくりと立ち上がる。
「騎士様……?」
そして、彼の背後に目線を送る。しかし、その目線の先は森。そこに人影は誰一人として見受けられなかった。
リジックはリリアの声に頷き、姿勢を正すと口を開いた。
「私はガイルアード騎士団第一部隊所属、リジック・クフォーラです。七日前、ルマスで大規模な火災が発生しました。この火災で、息子さんが怪我を負い、衛星部隊の騎士が治療にあたっていました。親御様の元へ連れ行くのが遅くなってしまい、申し訳ございません。そして……」
「……」
そこでリジックは言葉を切り呼吸を整えると、リリアを紫の瞳で真っ直ぐ見据えた。
リリアはその視線に僅かに息を呑む。
「……ご主人……トリエスタさんは、今回の火災に巻き込まれ、お亡くなりになりました」
「…………ぇ……………………」
小さく声を漏らすリリア。それまで鬱陶しく響いていた雨音が突然消えた。つい先程まで見据えていたリジックの顔が歪み、自分の心臓の鼓動が響いて来る。
歪んだ視界で、彼が再び口を開いているのを確認出来たが全く声が聞こえない。手足が震え、小さく口を開けたまま。降り続く雨と共に、リリアの目から涙が零れ落ちた。
傍にいたロレスは言葉をかける事が出来ない代わりに、リリアの手をそっと握った。
互いに冷え切った手を繋ぐ。しかし、一向にリリアの震えは止まらなかった。
「…………」
夫が亡くなった。……これが、現実……。
「……」
力を失ったリリアは膝から崩れた。ロレスはそっと、優しくリリアの傍に寄り添う。
「……うそ………………」
震える手は止まる事を知らない。冷たい雨が追い打ちをかける様にリリアに降り注いだ。
「……ぅう……っ……」
静かに流していた涙は、いつの間にかボロボロと零れ落ち、リリアは地面に項垂れた。
そこで、話を聞いていたジェマオが、眠っているモナを抱きかかえたまま、そっとロレスとリリアに近づいた。
「……ばあちゃん」
「…………」
ジェマオに気付いたロレスは眉を下げる。ジェマオもリリアと同じく、雨では隠せない程に涙を流していた。涙を流し続けるリリアの肩を、ジェマオは優しく撫でる。
「…………」
「お母さん……」
「…………気をしっかり持つんだよ」
「………………私をルマスに行かせてください……」
ジェマオの言葉に強く瞼を閉じる。そして、涙を流したまま、リリアはリジックにそう口を開いていた。その声を聞いたリジックはゆっくりと首を横に振った。
「それは出来ません。現在、ルマスは騎士以外立ち入りを禁止しています」
「トリエスタさんに会わせてください……一度で良いんです……最後に、一度だけ……」
「申し訳ございませんが、ご遺体は全てガイルアード騎士団本部へと重要参考体として収集させていただいています。……ご遺体の半数以上、原形を留めていません。顔を認識できるのは、ほんの一部の方のみです。あの場に奥様をお連れするのは……とても……」
「何も……何も出来ないんですか……家族……なんです、私の、愛した…………」
「申し訳ございません……」
「…………」
「………………」
「…………」
淡々と応えていたリジックだったが、彼は密かに胸を痛めていた。分かっていた事だった。家族が亡くなった。いきなり告げられた事実を受け入れられる程、人間は強くはない……。
「おかしゃん」
「……!」
そこで、ジェマオの腕の中で眠っていたモナが起き母を呼んだ。小さな手が、リリアの冷え切った顔に触れる。
「……モナ……」
「おかしゃん、なかない」
「……っ!!」
「なかない、なかない」
ペシペシと、母の顔に優しく手を触れるモナ。そんな我が子の姿に、リリアは唇を噛み、流していた涙を更に強めた。
改めて、自身の傍に居る家族を見る。母と、そして、これからの世界を生きていくロレスとモナの小さな命がある。
「…………」
守らなくてはいけない。自分が、この子達をしっかりと育てないといけない。
トリエスタの思いが飛んで来たような気がした。
「……お母さん……モナ……ありがとう……」
リリアは涙を流したまま微笑み、小さく口を開く。そして、ゆっくりとロレスを見据えた。
「……ロレス……」
「……」
「……おかえりなさいっ」
「……ただいま」
更に涙を溢れさせ、リリアはロレスを強く、強く抱きしめた。
かけがえのない命を失い、かけがえのない命を守り続ける。残された者の宿命だ。
「……リジックさん、本当にお世話になりました」
気付けば、雨は次第に止んできていた。村人がロレス達にと慌ててタオルを取りに村の中へと戻っていく。
リリアは呼吸を整え、ロレスに向かって優しく微笑むと、ゆっくりと立ち上がる、そして、リジックへ感謝の気持ちを込めて頭を下げた。
リジックは瞳を閉じると、左右に首を振るう。
「私はやるべき事をしただけです。……彼が持っているバッグには薬が入っています。手順などは手紙を確認して頂ければと」
「分かりました」
「それから、この鳥を一ヶ月程村に置いていきます。ロレスの容体に何かあったら手紙を咥えさせてください。真っ直ぐ私の所まで運んでくれますので」
「はい」
「では、私はこれで」
そう言い、リジックは深々と頭を下げ踵を返そうとした。その姿に慌ててリリアが声をかける。
「ま、待って下さい!! ちゃんとお礼をしたいので、村で少し休んで行って下さい!!」
「礼だんて、皆さんの元気な姿を見せて頂いただけで充分ですから」
「ですが……」
「本当に、お気遣いなく」
柔らかく微笑むリジック。リリアは困った様に眉を下げた。そこで、ロレスがゆっくりとリジックに歩み寄り、彼を見上げた。
「……リジックさん、本当にありがとうございました」
「……ロレス」
ロレスの顔は、リリアと同じように不安を隠しきれていない。だが、共に決意が滲み出ているように見える。伝えたい事は沢山あったはずだったが、ロレスはその一言に全ての思いを乗せた。
「……また、どこかで会おう」
「はい!!」
そうして、リジックは最後に優しく微笑み、クヤタ村を後にした。
数秒後、村人の一人が大量のタオルを抱え走って来る。
「皆さん!! これでよく拭いて!! 騎士様も!! ……って、あれ? 帰っちゃったのかい!?」
「うん、今」
「ええー!?」
タオルを受け取ったロレスは、苦笑いを浮かべながら応えた。落胆する村人は余ったタオルを抱え、ロレスをしっかりと見据える。この村人も、トリエスタが亡くなった事を知り、沢山の涙を流したのだろう。目が赤くなっていた。
「お帰り、ロレス」
「……ただいま!!」
クヤタ村は皆が家族のようなもの。
拭いきれない悲しみに包まれつつも、ロレスという希望が、村に光を与えた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――一ヶ月後
「ありがとう、テルト。今日で君とはさよならだ……」
ロレスは部屋の窓を開け、そう口を開いた。
窓の外にはガイルアード騎士団の連絡用の鳥、テルトが夕日を浴びながら佇んでいる。
あれから一ヶ月が経ったが、ロレスは健康的で怪我の治りも着々と進んでいた。しかし、セシオンが言っていたように、火傷や痣の痕は消えそうになかった。
「……」
ターコイズブルーの短髪を靡かせながら、ロレスは空を眺める。
「……この広い空のどこかに、お父さんはいる……見守ってくれている……よね」
そう小さく呟くと、徐に包帯の巻かれた小さな右手を空に翳した。夕日を掴む様な仕草をすると、そのまま手を戻す。
「…………オレ、強くなるよ」
ロレスの青い瞳には、強い意志が映し出されていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「遂に、動いたんだな……ロキトばあさん、これからどうするんだ?」
「マトリカリアがヴァーゼルの言う事を聞いてる可能性が高いぞ」
「…………」
テーブルを囲んだ男女が、一人の老婆に向け声をかけていた。その老婆――ロキトは、じっとしたまま皆の言葉を聞いている。
「戦争が始まるのか……!? で、でもマトリカリアの魔力が完全に開放されるのは、確か18歳になるまでだろ? あの子はまだ9才だ」
「あの女神の力は、今のマトリカリアでも俺達と同じ力量だ」
「マジかよ……」
「…………ふぅ」
「ロキトばあさん?」
それまで黙っていたロキトはやっと小さく口を開いた。
「……わしは信じとる……あの子が、わしの言葉を覚えていると……」
「で、でもよ、ロキトばあさんがマトリカリアと共に過ごした時間はあまりにも短い……。それに、あの子はまだ6才だった。とてもじゃないが、覚えていないと思うぞ……」
「いいや、信じる」
「俺も」
「あの子はマーガレットの娘だぞ。大丈夫だ」
「…………戦争の道具などにさせてやるものか……わしに与えた六年、ヴァーゼルに後悔させてやるわ」
「クゥークゥー」
「おお、ヒスイも同感してくれるか、良きかな」
ロキトの言葉に、テーブルの上に居た兎の様な長く大きな耳と、狐の様なふんわりとした大きな尻尾が特徴的な小さな生き物――ヒスイが声を上げた。その様子にロキトは顔を和らげた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――ルマス大規模火災から一ヶ月半後
「よぉ! 聞いたぜぇ、ルマスの事ー」
ガイルアード騎士団本部、総隊長執務室。そこに、軽い足取りでフォルグランよりも遥かに若い男性がノックをせずに入って来た。
団服に似ているものの、装飾が若干違う。左耳に剣、右耳に羽のピアスを着けている。両腰に差してある剣が揺れ、白いコートは右腕を通さず、肌をさらけ出している。右目には黒い眼帯をしていた。
「あんた、いつまで共生だなんて言ってんだ? 殺されるぜ?」
ニヤリと口の端を上げ、緑の瞳を怪く光らせた。彼は守護騎士のアルベルト・ギーフェース。フォルグランの息子で、元弟子でもある。とは言っても、二人には血の繋がりはない。7歳の時、両親を亡くしたアルベルトをフォルグランが家族として迎え入れたのだ。
「……何をしに来たんだい、アルベルト。二度と私に顔を見せるなと言ったはずだ。それに、君の立場上こんな所へ来る事は御法度だと思うが、違うかい?」
フォルグランは椅子に座ったまま淡々と告げた。
その言葉に更に不気味な笑みを見せるアルベルト。
「何だはねぇでしょ。せっかく、あんたの弟子であるこのオレがわざわざ忠告しに来たってのに」
「忠告? 君が? 破門した弟子の言葉に私が耳を傾けると?」
そこでアルベルトは一気に目の色を変え、フォルグランが座っている目の前の机の上に右足を乗せると、いつ抜いたのか、右腰に差してあった剣をフォルグランの喉元に当たる手前で止めた。
「……」
「……その目だ」
「……」
「オレはあんたのその目が気に入らねぇ」
「……」
「恐れろ。死を目前に恐怖し、生きる事へ懇願しろ」
「……」
アルベルトはそのままの姿勢で、今度は右手で左腰の剣を引き抜くと、フォルグランの左首に剣を向けた。
首がひんやりと冷気を感じる。1ミリでも動けば首を落とされる。そんな緊張感が漂う空気になっても、フォルグランは一切顔色を変える事はなかった。
「あんたはずっと、アーメル人とルアーニ人の共生を望んできた。だがな、王はそれを一切認めない。あんたは近い未来、確実に王に殺される。歯向かう奴には死が待っている」
「……」
「それでもあんたは考えを変えないのか? あんたの未来は死しかないのに」
「……フッ」
「……」
フォルグランは小さく息を付くと、身動き一つせずにアルベルトへ真っ直ぐな瞳を向けた。その姿に、アルベルトは一瞬眉を跳ね上げる。
「私は私の理想世界を作り出すまでは死なないし、殺されない。厄介なら、アルベルト。君が今、私の首を落とせばいい。それが最善の選択だと王が仰っているのなら、こんなにも適した現場はないだろう。もっとも、それが出来れば、だけれどね」
「っ!!」
フォルグランの言葉に、アルベルトは眉を寄せると僅かに剣を震わせた。
「獰猛の鴉とは、良く言ったものだ。騒ぎ立てる君に相応しい名だね。でも残念だよ。君が守護騎士への道を行ってしまうとは思っていなかったからね。完全に私とは対立の立場にある。息子が敵に……。同じ思考を……なんて思っていないけれど、そっちは、本当の意味での敵だ。私は逃げも隠れもしない、隙をついて私を殺せ」
「フッ……クククハハハハハハハ!!」
「……」
アルベルトは突然大声で笑い出すと剣を下ろした。
「良いぜ、あんたを殺すのはこのオレだ。オレは強い。あんたを殺せばオレが一番強いと証明されるんだ。でもな、今は殺さない」
「……」
「今のあんたを殺しても、つまらない」
「……そんなに強さを求めて……何が目的だい?」
「オレが最強!! その証明さえ出来れば後はどうでも良い。守護騎士になって、強い奴を求めた。けど、今の周りには、あんたより強い奴はいない。だから、あんたを殺す。いずれな。ま、その時まで優雅に暮らしていると良いさ」
「……」
そう言い残し、アルベルトは踵を返し部屋から姿を消した。
フォルグランは元の静けさを取り戻したこの部屋で、僅かに口の端を上げた。そして、ようやく馴染んできた右腕の義手で口元を隠す様に頬杖をついた。