第3話 変 後編
フォルグランは住宅街の方へ急いで走り出した。しかし、道はほぼ壊滅的。建物は容赦なく崩れ、悲鳴が相次ぎ、逃げ遅れている人が後を絶たない。
「くっ、ここもか!!」
瓦礫がフォルグランの行く道を遮り続ける。
フォルグランは苛立ちを見せつつ、走りながら指を口に咥え、透き通る様な口笛を鳴らした。しかし、何の気配を感じる事が出来ない。
「!?」
眉を寄せ、足を止めず辺りを見渡し、再び口笛を吹く。
いつもなら口笛を吹くと、テルトが真っ先に飛んで来るのだが、暫く待っても姿すら確認する事ができない。
(テルトが来ない!? どうして!?)
目を見開き、焦りを見せるフォルグラン。
(これじゃ、増援を呼べないじゃないか!! 一体何が!?)
テルトが姿も現さない。こんな事は初めてだった。
「……嫌な予感しかしないな……」
冷や汗を浮かべ浅く呼吸をしながら、フォルグランは足場の悪い町の中を走り続けた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
火災から20分が経過しただろうか。フォルグランが必死に人々を町の外へと促し、船着き場へと足を向けていた時だった。
(こっちは行けないか……別の道を……。……?)
不意に足を止め辺りを見渡す。灰が舞い上がり、視界はとても良好とはいえない。
「…………何だ……?」
異臭が鼻に付き眉を寄せた。
「!?」
その臭いを確認する前に、異常な高温を肌で感じ取ったフォルグランは目を見開き、この場から離れようと地面を強く蹴り走り出す。
「ハァハァッ……!!」
火災発生から煙を吸い続けた彼の体は、普段よりかなり重くなっていた。息を切らし始めたフォルグランは、目の前に差し掛かった階段を躊躇なく踏み切った。
しかし、
ドドドドドドドドバーーーーンッッ!!!!!!
「――ゥッ……グッ!!」
着地する前に、爆発音と強烈な熱風が彼の背後を襲う。
フォルグランは空中でバランスを崩し、予期せぬ距離を飛び、
ズザザザザザァ!!
受け身を取る事が出来ず、地面の上を何度か転げた後、左肩で滑り瓦礫の山に衝突した。
この拍子で結んでいた髪は解け、着ていた団服と橙色のコートは灰で汚れる。だが、頑丈な生地の為か両コートは破ける事はなかった。
「…………痛っ……」
目を瞑ったまま小さく声を漏らすと、ゆっくりと体を起こし瓦礫に背中を預ける。そして、額に違和感を覚え徐に手を添えた。
ぬるりと何かが手に粘つき、鉄の匂いが鼻に付く。軽く当てた手は、血で真っ赤に染まった。
フォルグランの額には大きな傷が出来ていた。
「……」
しかし、自身の怪我はさほど気にしていない様で、額から流れる血が目に入りそうになると荒く拭った。
「だいぶ飛ばされたね……。……ぅっ………」
霞む視界を治そうと、一度強く目を瞑る。そして、再び紫の瞳を開き、左肩に異常な痛みを感じながら、ゆっくりと立ち上がる。
「……!!」
先程まで自身がいた階段の上へと目線を送ると、彼は言葉を失った。
階段は崩れ落ち、人々は炎と瓦礫に埋もれていた。
「………ぅ!? ゴホッゲホッ!?」
人々を救おうと足を向けた瞬間、突如やって来た鈍い頭痛に眉を寄せ、盛大に咳き込んだ。急激に視界が歪み呼吸が荒くなっていく。
(……さっきの臭いは……毒ガスだったのか!?)
眉を寄せ口元に手の甲を添える。徐々に意識が朦朧とし始め、寒気を感じ全身に汗を流した。
「ゴホッゴホッハァッハァ……ゴホッ!!」
異臭を感じ取った前から、既に毒ガスはあの一帯を包んでいた。あの時、あの場に居ただけで、彼の体は確実に蝕まれていた。
「ぅっ……ゴホッゲホッ!!」
フォルグランはその場で跪き、痺れ、震える手でコートの内ポケットから掌サイズの注射器を取り出した。そして、躊躇なく右太ももに勢い良く針を差し込み、薬剤を注入する。
これは第三部隊隊長、セシオンが調合した解毒薬だ。
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「解毒薬?」
渡された注射器に、首を傾げるフォルグラン。
鮮やかな黄色い髪を団子状に纏めている女性、セシオンは彼の言葉に頷いた。
「はい、万が一の時に。ですが、薬を打ったからと言って、直ぐに解毒出来るわけではないです。効果も長時間持ちません。無理な行動は控えてください」
穏やかで優しそうな顔立ちをしたセシオンは、珍しくやや厳しい表情を見せた。
「このような物を使う出番がない事が一番なのですが……。同行者は第四部隊のレコさんでしたよね? 彼女にも渡しておいてください。ルアーニ人に関わる任務に、準備は怠らないようにしないといけませんからね」
「ありがと、常に持ち歩く様にするよ」
「どうか、お気を付けて」
セシオンに、にこやかな笑顔を向けるフォルグラン。まだ、どこか幼さを残す彼女の顔には、隊長としての立派な気品が映し出されていた。
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手足が痺れ、経験した事のない頭痛がフォルグランを襲い、彼は地面に項垂れた。汗がボタボタと滴るも、直ぐに蒸発し消えてしまう。残るのは額から流れる血。
「ゴホッ……ゲホッッッ!!」
早く立ち上がり、人々を助けなくてはいけないと分かっているのに、体が動かない。
強く目を瞑り、胸に手を当て必死に意識を保つ様に心掛けた。
「…………ッ」
そうして、どれくらいの時間が過ぎただろうか。荒かった呼吸がようやく落ち着き、朦朧とし始めていた意識が戻る。
鈍い頭痛を残すものの、手足の痺れが消えた。
(凄いなセシオンは……。まだ少し毒が残っているけれど、これくらいなら大丈夫だ……)
視界が多少歪む中、爆発の起きた階段へ目を送る。
「…………!!」
と、そこに僅かに腕を動かす人影を見付けたフォルグランは、慌てて立ち上がり階段へと駆け寄った。
しかし、
「駄目ですっ!!」
誰かの声と共に右腕に重みを感じたフォルグランは、足を止めざる負えなかった。
「レコ!? 離してくれ!!」
「嫌です!!」
声の正体はレコだった。この場に偶然居合わせたレコは慌ててフォルグランの腕にしがみ付き、体重をかけ動きを封じる。
彼女もフォルグランと同様、団服は灰で汚れ、顔にはいくつもの傷と火傷を負っていた。
「向こうにはまだ苦しんでる人がいる!! 行かせてくれ!!」
「今行ってしまったら、即毒ガスと炎に飲み込まれ死んでしまいます!! 今見えた方は、恐らく既に命を落としています!!」
「決めつけると言うのか!?」
「私だってこんな事言いたくありません!! ですが、今の状況を受け入れなければ、貴方の命を失うんです!!」
「見過ごすのか!? 私達は民間人を救う義務がある!! 目の前で苦しんでいる人達がいるのに、目を瞑ることも背を向ける事も出来ない!!」
「分かっています!! 総隊長の意志は痛い程に!! ですが、貴方が死んでしまっては、誰がこの世界を変えるんですか!! ――っ!!」
その瞬間、再び爆風が彼らを襲った。同時に毒ガスも流れてくる。
フォルグランは即座にレコを抱きかかえ、爆風と毒ガスから僅かにでもと彼女を守る。
肌が焼けそうな程の熱が嫌でも二人を襲った。
「!?」
レコは強く目を瞑っていた目をゆっくり開ける。と、フォルグランの胸の中にいた事に驚き、大きく目を見開いた。そして、震える瞳を階段があった場所へ向ける。
「……レコ、解毒薬は打ったのかい?」
「……え、あ、はい、さっき……」
フォルグランはレコを抱いたまま静かに口を開いた。突然のフォルグランの言葉に、レコは細かく頷く。
「あ、動かないでください」
「?」
フォルグランはレコの言葉に不思議そうな顔をする。彼女はコートのポケットから包帯を取り出すと、手際よくフォルグランの額に巻いた。
包帯はあっという間に血で滲むも、目に流れていくのを防ぐ。そして、レコは再び口を開く。
「……総隊長……良く聞いて下さい」
「こんな時に何? 愛の告白?」
「町の外に出ようとした住民全員が、見えない壁によって町から逃げられなくなっているようです」
「見えない壁?」
フォルグランの冗談を完全に無視し、レコは真剣に話し始める。フォルグランはゆっくりとレコから体を離し、怪訝そうに首を傾げた。
「はい。それから、海は先程見た時よりも荒波になっていて、火災から逃げる為に飛び込めば確実に命を失います」
「……だからテルトが来ないのか……。でも、まだ避難先はあるんだろう?」
「頑丈な建物がいくつか……。バルボさんに教えてもらい、皆さんにはそちらへ避難していただいています。ですが、至る所で建物が崩れ、逃げ遅れた方が後を絶ちません。こんなに大規模な火災は経験した事がない…………」
「……分かった。君は引き続き民間人の避難誘導を頼む。ここの警備をしていた騎士と合流し、一人でも多くの命を救ってくれ」
そう言いながらフォルグランはレコに背を向け、崩れた階段とは別の方へ足を向ける。
「総隊長は!?」
「私はルアーニ人を探し出す。絶対に、逃がさない」
「……分かりました」
「レコ、包帯ありがと。……死ぬんじゃないよ」
「はい!!」
そして、二人は再び別々の方向を走り出した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
(……どこだ、どこにいる……)
燃え盛る炎の中を必死に走り、辺りを見渡す。ものの30分程で町は炎に包まれ、完全に元の形を失った。
「ぅっ……くっ……」
呼吸が苦しくなっていくのを嫌でも感じる。解毒薬を摂取したからといって、一度体内に入った毒を完全に消せるわけではない。更に彼は30分以上煙を吸い続けている。体は徐々に蝕まれていた。冷や汗をかきながら、フォルグランは必死にルアーニ人を探した。
「……ここは既に鎮火しているのか……。……?」
ふと、火災に巻き込まれた複数の遺体に違和感を感じ近寄る。遺体の損傷は激しくはない。
だが、
「……これは……刺創……? …………」
不信に思ったフォルグランは遺体に手を触れ、腹に大きな傷があるのを確認する。その他の遺体も同様に、背中や首などに刺創が残されていた。
(……成程。わざと剣を使って、ルアーニ人の存在をあやふやにしているのか……。……手間を掛けて……気に入らないね…………)
辺りを見渡していたフォルグランは、不意に紫の瞳に動揺の色を見せ、無意識に別の瓦礫の山へと足を運んでいた。
「…………っ!!」
彼が最初に目にしたのは見覚えのあるぬいぐるみ。心のどこかで違っていてほしいと願う。
「………………」
しかし、彼の願いは届く事はなかった。
地面に落ちていたのは、一部は焼け焦げ、血を吸いきれなくなった向日葵を抱えているクマのぬいぐるみだった。
僅かに震える紫の瞳を瓦礫の山へ移す。そこには瓦礫の下敷きになっている、三人の男女の遺体があった。
覆い被さるように倒れている三人のうち、一番下にいる小さな子どもは、青いオーバーオールを着ていた。子どもを守る様に倒れていた二人の男女は、一度会話を交わしたこの子の両親……。
――この町を守ってくれる騎士様が好きなの――
その言葉が、彼の脳裏をよぎる。
握りしめた手が震える。唇を噛み、ぬいぐるみを両手で拾うと、強く……爪が食い込む程に、強く握った。
「……ごめん……ごめん……ロロ……」
項垂れるように下を向き、繰り返し口にしたのは謝罪の言葉だった……。
「……狙うのなら私で充分だろう…………騎士の命より、町の人々の命の方が必要だというのか……」
憎悪とも言える表情でそう漏らすと、瓦礫をどかし、クマのぬいぐるみをロロの隣にそっと置いた。そして、橙色のコートを脱ぐと三人の遺体にそっと被せる。
「……この辺りは燃える事はない筈だ……。……申し訳ない……後で迎えに来る……待っていて……」
そう言い残すと、フォルグランは再び走り出した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
(あれは!?)
フォルグランは倒れている二人の騎士に急いで駆け寄った。
「大丈夫か!? ……!!」
しかし、彼らがフォルグランの声に応える事はなかった。二人の騎士の傍には、彼らが所持していた剣と銃が落ちている。
(……ルアーニ人がこの場に…………?)
騎士はむやみに武器を抜いたりはしない。民間人を守る為、自分達の身が危険に晒された時に武器を抜く。
先程の遺体と同様、二人には無数の火傷と、背中には刺創が残されていた。
「っ!?」
突然襲って来た背筋が凍る感覚に、フォルグランは目を見開いた。それは紛れもない殺気。
流れる手つきで、左胸に忍ばせていた折り畳み式の小型ナイフを手に取ると、背後へ勢い良く投げつける。
そのナイフは風を切り、音を立てずに虚しく姿を消した。
「誰だ!?」
後ろを振り向き、瓦礫の山へと目を向ける。
彼の目線の先。そこには薄暗い中でも確認出来る、黒いローブを着た男性の姿があった。男性は深くフードを被り、鼻と口を覆う様に黒い布を付けていて、顔を伺う事はほぼ出来ない。
ローブの男性は左肩に自身よりも体の大きい男性一人を担ぎ、右腕にも青年らしき人物を軽々と抱えている。この二人からは血が滴っている。よく見てみると、既に息を引き取ってるようだ。
「……ほう……気配を感じたか……大したものだな……その腰の双剣は飾りではないようだ……」
その声は冷たく、全く関心のないものだった。
「……ルアーニ人……だな。……貴様が首謀者か!?」
「……」
「私はガイルアード騎士団総隊長、フォルグラン・クフォーラ。私の部下を殺し、この町の人々の命を奪った目的は何だ!?」
「……………………我らはアーメル人殲滅機構、ジャルノッカ」
「アーメル人……殲滅……!?」
長い沈黙の後、やっと口を開いた男にフォルグランは怪訝そうに顔を歪める。
「…………生憎今の我々には力が足りない。今回は準備をさせてもらった」
「準備……!? 戦争の引き金にしようとしているのか!?」
「……案ずるな。今すぐ戦争を始めようとは思っていない。……そう、……後十年だ……十年後、貴様達は地獄を見る。我が、この世界の理を変える」
淡々と話す男に、フォルグランは目を反らす事無く告げた。
「私はルアーニ人との共生を望んでいる!! 両者が助け合い、共に生きる未来を必ず導く!!」
「戯言を……。……ならば何故ルアーニ人だと分かっていて我に刃を向けた?」
「殺すつもりはない。動きを封じるだけのつもりだった」
「信用できんな。……精々、残された時間を謳歌していると良い…………これで失礼する」
「あ、待て!!」
フォルグランの止める声に一切聞く耳を持たず、男は二人の遺体を抱えたまま、音もなくその場から姿を消してしまった。
「……ジャルノッカ……」
名を忘れぬよう、そう呟く。
フォルグランは呆然とローブの男がいた場所を見詰めていた。
「っ!?」
直後。突然彼の視界が真っ白な光に包まれた。
あまりの眩しさに驚き、強く目を瞑る。
その僅か数秒後、今まで体験した事のない強風が彼を、町中を襲った。重たい瓦礫が軽々と飛ばされる中、風の影響で肌が切れ、フォルグランは無音の世界へと導かれた。
身動きが出来なくなったフォルグランは、目を瞑ったまま両腕で顔を覆うと膝を付き、強風に耐えようとする。今できる事は、耐える事だけだった。
そして、フォルグランは風に飛ばされた瓦礫に飲み込まれ、姿を消した……。