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第2話 涯

「くぁ……っ……」

「首を締め上げられて死ぬか、それとも首から焼けて死ぬか。さーて、どっちかな~?」

「フッ、趣味の悪い奴」


 ロレスの足が地面に着く気配はない。彼はローブを着た若い男に首を締めあげられ、されるがままだ。この男の手は細いものの、力が強く離れようにも離れられない。


 もがき苦しむロレスは震える手で必死に男の腕を掴もうとする。しかし、熱を帯びたこの男の手に触れる事は出来ない。


 後ろで待機している無精ひげを生やした体格の良い男は、仲間の言動に鼻で笑っている。


「……っ……」


 首を締め上げるこの炎の手が自分を苦しめているのか、それとも周りの煙か……ロレスにはそんな事を考えられる余裕はなかった。


 ロレスの背後では瓦礫が煌々と燃える。その火は更に広範囲に燃え移って行く。この瓦礫の中にはトリエスタが取り残されたままだが、ここまで燃えてしまってはもう命はないだろう……。


 両側に立つ建物も時間が経つごとに火の勢いが強くなっていった。この場にロレスを助けられる者など誰一人としていない。


「ほらほら、()()、使わねーのか?? かっこいい剣技、見せてみろよ」

「……ぅぅ……」


 ロレスを捉えている若い男は、ふいに片手をロレスの左腰へと移した。そこにはトリエスタがロレスに持たせていた木刀がある。その木刀を引き抜き、ロレスの目の前でブラブラと振り子の様に軽く振った。


 ロレスは自身の木刀を目にすると、苦しみながらも必死に男を睨み付ける。


「あ、わりーな。これ、燃えるわ」


 男は笑う。


 掌から炎が現れると木刀はその炎に飲み込まれ、あっという間にロレスの目の前で虚しく燃え、灰になり風に流された。


「……くっ……!! ァ……」

「ハハッ、悔しいか? 悲しいか? 抗え苦しめ!! お前の最期はそれがお似合いだ!!」 


 若い男は再び細い両手でロレスの首を絞め始めた。ロレスは片目を強く閉じ、歯を食いしばりよだれを垂らす。額には幾つもの汗を流していた。


 ロレスの視界が徐々に歪んでいく。同時に意識が朦朧もうろうとし始め、抵抗しようと上げていた両腕が力なく落ちた。


 ――その時


 ガタッガガガジャッー!!


「!?」

「何だ!?」


 突然の物音にローブの男達が声を上げる。燃え盛る瓦礫の山が勢い良く押し上げられたのだ。


「あー、いってー…………ふぅ、やっと出れた……」

「……」


 その声を耳にしたロレスの指先が、電気が走ったかの様にピクリと動いた。


 薄暗い煙の中でも分かる。鶏冠の様に跳ねた髪が目立つ男性は、頭を軽く抱え火に恐れを見せる事もなく、押し上げた燃える瓦礫を踏み潰す。


 ――瓦礫から抜け出したのは、トリエスタだった。


 着ていた服は一部が焼け焦げていて、両手には火傷を負っているが本人は全く気にも留めていない様だ。


「……ん?」


 トリエスタは顔を上げ、深い緑色の瞳で辺りを見渡す。そして、ロレスの姿を確認すると、燃え盛る瓦礫から勢い良く飛び出した。


「うぉっ!?」

「っ……ゴホッゲホッ!? ……ハァ!! ハァ……ッァ!!」


 それは一瞬だった。


 男の手から開放され、地面に強く背中を打ち付けたロレスは、意識を取り戻し盛大に咳込む。


 肩を上下に激しく動かしながら、上半身を起こし顔を上げる。彼の目には、両手を強く握り悠然と立っているトリエスタの大きな背中が映る。


「……ぇっ!?」


 ロレスは驚き声を上げる。


 ロレスの首を締め上げていた若い男は眉を寄せ目を見開き、先程までいた場所からやや離れた所で腹を押さえながら俯いていた。


 トリエスタが男の腹を思い切り殴ったようだ。


「お、おい、大丈夫か!?」

「他人なんか心配してる余裕あんのか!?」

「なっ!? グォッ!?」


 ガシャン!!


 ゴゴゴゴゴゴゴ!!


 そのトリエスタの声が飛んだ頃には、もう一人の体格の良い男は建物へと思い切り蹴り飛ばされていた。当然、この建物も盛大に燃えている。男がぶつかった衝撃により一気に崩れ、男は建物の下敷きになった。


 暫くしても、男が再び現れて来る気配がない。


「手応えのない奴らだなー」

「お、お前……!! 瓦礫に巻き込まれたはずだろ……!? あの中で生きてたのか!?」


 若い男は額に汗を流しながら腹の痛みに耐え声を張る。そして、恐ろしい速さと腕力を持っていたトリエスタを睨み付けた。


「生憎と頑丈な体なもんでね。……大丈夫かロレス?」

「ゲッゴホッ……ッぅ……ん」

「もう少しだけ辛抱してくれ」


 苦しそうに呼吸を続けるロレスは、トリエスタの声に小さく首を縦に動かす。


「……ぅ……」


 ロレスは自身の首に両手を当てている。その小さな手では隠しきれない程に、彼の首には大きな火傷の痕が残り、皮膚も酷く色が変わっていた。トリエスタはそれを目にすると、僅かに眉を寄せる。


「そこから動くなよ」

「……っうん……」

「……大事な息子を相手にしてくれた礼をさせろ」


 トリエスタはロレスに背を向けると、両手に拳を作り胸の前で構える。そして、左足をやや後ろへ下げ踏み込むと、勢い良く男の元へと走り出した。


「クソッ!! 舐めやがって!!」


 若い男は立ち上がるとローブの下に隠されていた剣を引き抜き、トリエスタに斬りかかって行った。


「剣なんか持ってたのか!? 男ならな、素手でも戦えねーとカッコわりぃーぞ!!」

「……」


 一瞬眉を動かしたトリエスタだったが、怖気づくことなく素手で相手に向かった。若い男はトリエスタの言葉を無視し、上から剣を振り下ろす。トリエスタは寸前の所で左に避け、相手の脇腹に拳をぶつけた。


「グゥッ!?」


 男が僅かにふらつく。瞬時にその背後へ回り込んだトリエスタは、右足で相手の手を蹴り、握られていた剣を落とさせた。そして、そのままの勢いで男を蹴り飛ばす。


 ズザザザザザァ!!


 地面に転げ、燃える建物の壁にぶつかる男を見届けたトリエスタは、小さく呼吸を整える。


「……っ……あんま長居はできねーな……」


 トリエスタは顔には出さないものの、肌でしっかりと感じ始めていた。この辺り一帯、いや、この町は完全に炎に飲み込まれている。いつ酸欠になってもおかしくない。自分は平気でも、ロレスにはあまりにも過酷な環境だ。


「……」


 軽くロレスに目を向ける。ロレスはやや俯き気味になりながら、トリエスタの動きを見ていた。


「ハァァァアア!!」

「チッ」


 若い男が剣を拾うと、再びトリエスタに斬りかかる。トリエスタは舌打ちすると、その場で地面を強く蹴り高く飛んだ。彼の足の下で刃が風を切る。


「おらっ!! よっと!!」


 男の剣から逃れ、トリエスタは空中で体制を変え両手で着地。その勢いを利用して両足で円を作る様に回転し、男を再び蹴り踏み倒した。


「ぐぉ!!」

「……ぅッ……!?」


 その時、僅かにトリエスタの視界が揺らぐ。今の動きで酸欠を起こしていた体に打撃を与えた様だ。


 トリエスタの体力をってしても、煙を吸い続けた体は悲鳴を上げ始めている。


「過信は良くないか……」


 軽く頭を抱えていると、トリエスタの背後で大きな人影が通り過ぎて行った。


「っ!?」


 その人影はトリエスタが炎の建物へと蹴り飛ばした筈の、体格の良い無精ひげを生やした男だった。


「うおぉぉぉぉぉおお!!」

「!?」


 ロレスはその声に驚き顔を上げる。彼の目の前には既に、恐ろしい形相で剣を掲げている無精ひげの男が立っていた。


「っ!!」

「死ねぇぇぇぇえええ!!」


 グサッ!!


 剣が振り落とされる瞬間、ロレスはその場で強く目を瞑った。


 鈍い音と共に、ロレスの体には生暖かい液体が幾つも飛び散る。それはしつこく肌に触れ粘着き、鉄の匂いがした。


「…………ぇ……」


 恐る恐る目を開けたロレスは目を疑った。ロレスの目の前には、剣を振り落とした無精ひげの男ではなく、トリエスタの背中が映った。


「……っ…………」


 トリエスタは右肩から大量の血を流し、足元に赤黒い海を作っていく。


「ぉとぉさっ!!!!」


 喉の痛みなど忘れ、掠れた声で叫ぶロレス。その声にトリエスタは応じずに、目を軽く伏せている。


「………………」

「さっきまで俺の傍に居た筈だろ!? 民間人の動きじゃねーぞ!?」


 トリエスタの行動に驚きを隠せていなかったのは、ロレスだけではなかった。男達は目を見開き、瞳を震わせる。


「くそっ!! 離せ!!」


 無精ひげの男は剣を引き戻そうとするがびくともしない。トリエスタが刃を左手で握りしめ、反対の手で男の右腕を強く掴み、それを阻止していた。トリエスタの手は自身の血で真っ赤に染まっていく。


「この子がお前らに何をした……?」

「……」


 トリエスタは、相手の腕を掴んだまま低い声で問う。


「俺達が……いや、この町の人達がお前らに何かしたか? 命を奪われなきゃならねー事したのかよ!?」


 ギロリと無精ひげの男を睨み付けたトリエスタは、剣を握ったまま男を蹴り飛ばす。そして、剣を体から引き抜き投げ捨てた。


 ドボドボと肩から流れる血は留まる事を知らない。


「お前ら、()()()()()だろ。なんの為にこんな火災を起こした」

「…………気付いていたか」

「……貴様に目的など話すはずないだろ」

「……ぇ……」


 ロレスはトリエスタの言葉に困惑し、思わず声を漏らした。




+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-




「……ルアーニ人って、オレ達アーメル人とはかけ離れた力を持ってるんだったけか?」

「そう。魔術って言うらしいな。何もない所に風や火、水を出したりしてそれらの物質を武器にする事が出来るっていう」

「オレは信じないなー。お父さんは昔旅をしてたみたいだけど、そんな話は一度も聞いた事ないし。そもそもそんな力を持ってたなら、戦争になんて負けないだろ。神話だよ神話」

「神話か……。なら、どうして俺達の事はアーメル人だって呼ばれてると思う? ルアーニ人が存在しないなら、俺らをアーメル人なんて呼ぶ必要がない」


 ロレスは数日前にフィルと交わした会話を思い出す。深く考えていなかったルアーニ人の事。


「……何か隠された真実があるのかもしれない」

「隠された……真実?」




+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-




 (……本当に……いた……のか……? フィルの考えは、間違ってなかった……?)


 ロレスは何度もローブの男達を交互に見上げた。


 (ルアーニ人……本物の……ルアーニ人……!?)


「ルアーニ人ならルアーニ人らしく魔術を使えば良い。それとも、魔術の痕跡を残すと後々厄介なのか?」

「……」

「……」


 トリエスタの言葉に一切応えない男達。トリエスタは更に続けた。


「……図星か。……戦争が常に隣にある不安定な世界だって事はよく知ってる。だが、一般人には混乱を招かないように、この真実は伏せられてる。ルアーニ人が一切、アーメル人の前に姿を現していない事も」

「……」

「……」

「お前らの首謀者の名は? 目的は? 土地か、名誉か?」

「そんな事、我らが応えると思うか!?」

「……いや……全く」


 トリエスタは一度目を瞑ると、ゆっくりと左腰に差していた剣を引き抜いた。


「……本当はな、息子の前で剣を握りたくなかったんだよ」

「……」


 そして深い緑色の瞳を男達に向ける。


「剣士として生きて来た俺にとって、こいつは生と死、間反対を示す武器だ。生きるか死ぬか、生かすか殺すか。一瞬の判断で人生は変わる」

「何をごちゃごちゃと……」

「……」

「俺、剣って下手なんだ」

「……ぉとう…………」


 ロレスはトリエスタを見上げ、目を見開くと小さく声を漏らす。


「手加減できねーから」


 トリエスタが掲げた剣の刃先は、煙に飲まれた薄暗いこの場でも輝く。鋭く、長く、細く、そしてとても美しい。燃え盛る炎に時折照らされ、刃先が淡く揺らいだ。


 これが、人の命を守り、奪う、正反対の意味を持つ武器……。


「……」


 ロレスはトリエスタから目を離す事が出来ない。いつも優しく、猛獣に対しても決して剣を抜かなかった父が、今、人に向けている。……衝撃的な光景だった……。


「恨むなよ」


 『お父さんのその剣は、猛獣と戦う為? でも一度も使った事ないよね?』


 と、ロレスは以前聞いた事がある。


 トリエスタはその時曖昧に頷くと、


 『それもあるけど、一番は大切な人を守る為だな』


 そう、応えた。


「……ぉ…………」


 父が剣を持つ理由。自分にも木刀を持たせていた理由……この時、ロレスは初めて理解した。


 この世界は酷く不安定だ。安心できる場所は本当はないのかもしれない。目の前で行われている戦い。これが、不安定な世界の象徴。


 いつ命を狙われるか分からない。いつ命を落とすか分からない。


 誰にでも起こりうる絶対と呼べない世界……。


 この世界に生きる以上、自分の身を守る為に必要なのは、戦う意志……。


「そんな体で剣なんて扱えるわけないだろ」

「早死にするだけだ」

「……甘いな」


 二人のローブの男の言葉に、やや口の端を上げ笑うトリエスタ。彼はしっかりと剣を握ると、足を踏み込んだ。


「はぁぁあああ!!」

「グゥォオ!?」


 トリエスタは一瞬にして無精ひげの男の胸を貫いた。男は声を上げ、大量の血を巻き上げると、そのままうつ伏せに倒れる。


 やや離れていた若い男は、その光景に驚き目を見開いていた。瞬きもろくに出来ないまま、気付くと男の目の前でトリエスタが剣を構えていた。


「はぁぁぁぁぁあああ!!」

「グッ!!」


 トリエスタの素早い動きに押され、攻撃を防ごうとした男の剣は弾き返される。その一瞬の隙にトリエスタは体を捻り、反対側から男の脇腹を切りつけた。


「グォ!?」

「ヤァァァァアアア!!」


 続いて上から剣を振り下ろし、左肩から右太ももにかけて深く切りつける。男はそのまま目を見開き仰向けに倒れた。


「……なんて……動きし……やがる……お前、何者だ……」

「……元騎士だ。……昔の話だけどな……」


 トリエスタはやや目を伏せ、言いたくなさげに言った。


「……ぇ……!?」

「……そう……か……」


 一番驚いていたのは、この戦いから目を反らさずに見ていたロレスだった。


 その声を最後に、二人の男は一切動く事がなかった。


 トリエスタは剣を縦に強く振り、付いた血を落とすと鞘に収める。そして、やや駆け足でロレスの元へと戻る。


「…………」


 何もかもが信じられない。ロレスはその場で身を固めていた。


「ロレス…………怖いか、俺が」


 怯えている様子のロレスに、トリエスタは一歩身を引いて声をかけた。


「……うぅん……ぉ、驚ぃた……だけ……」


 ロレスは我に返ると、掠れた声で横に首を振る。そして、トリエスタにしっかりと青い瞳を向けた。その様子に安心したトリエスタは、ロレスの手を引き立たせる。


「直ぐにここら離れるぞ」

「……ぅん……」


 ロレスは血を流したままのトリエスタに頷き、共に走り出した。


 ボゥッ!!

 

 ズサッ!! 


 ズサッ!!


「っ!?」

「え」


 一緒に隣を走っていた筈のトリエスタが、鈍い音と共に地面に滑り転ぶ様に倒れた。


 トリエスタの右足と背中に短剣が刺さり、その刃先を中心に小さく火が燃えていた。


「おとぉさっんっ!!!!!!」


 その光景を目にしたロレスは掠れた声で叫び、トリエスタに駆け寄る。喉の痛みなど気にしていられなかった。


「……ぅっ……ハァハァ……」


 トリエスタは息を切らし、体を震わせながらゆっくりと立ち上がろうとする。


 しかし、地面に膝を付けたまま、なかなか立ち上がる事ができない。胸を押さえ、顔に幾つもの汗を浮かべていた。


 ポタポタと汗が流れ落ち、足元には汗と血の海が広がっていく。


「……甘いのは……どっちだ……ここは……戦場だ……………………」

「このぉォ!!」

「行くな!!」

「っ!?」


 ロレスが眉を寄せ、無意識に若い男の元へと走り出そうとした時、トリエスタが直ぐにロレスの腕を掴み動きを止めた。


「でもっ……!!」

「良いんだ……もう、生きてない……」

「……」


 男が息を引き取ったのと同時にトリエスタに刺さった剣の火が消え、自然と刃先が体から抜けた。


 掠れた声で怒りを露にするロレスに、トリエスタは軽く目を伏せると首を横に振った。ロレスは怒りと悔しさに唇を強く噛む。


「……ハハ……鈍ったな……」

「……おとぅさ……」

「……ふぅ」


 トリエスタは苦笑いを浮かべるとロレスから手を離し、おもむろにその場に座り込んだ。


 ロレスは傷だらけのトリエスタを見ると目を丸くし言葉を失う。そして、そっとトリエスタの右肩と右足に手を触れ涙した。


 ロレスの小さな手は、あっという間にトリエスタの血で染まる。


「……ここを離れないとな……限界だ……」


 小さな手に、そっと大きな手を重ねるトリエスタ。彼は心配しなくて大丈夫だと言う様に、もう片方の手でロレスの涙を拭う。


「……ロレス、良く聞け。お父さんはもう……歩く事が出来ない」

「…………」


 それは一番認めたくない、聞きたくなかった言葉だった。

 

 トリエスタも自分で放った言葉で痛感する。もう、ここで終わりなんだ……と。


「……でもな、ロレスはまだ頑張れる。道、覚えてるだろ。一人でお母さんとモナの所に戻れ」


 最後は心配をかけない様にと、極めて明るく話し始めた。


「……ぃやだ……おと……さんも……」


 上手く声を出せないロレスに何も言わなくて良いと、トリエスタは優しく微笑む。


 まだ幼いロレスだったが、何故か父の言葉の意味を瞬時に理解する事が出来た。


 言いたい事が沢山あるのに声が出せないロレスは、悔しさと悲しさで溢れ出す涙を止める事が出来なかった。


「お前にこれを預ける」


 そう言うと、トリエスタは先程まで自分が振るっていた剣をロレスへと差し出した。


「……!」


 おずおずと受け取るロレス。刀身は細く、滑らかな見た目だった筈の剣は想像していたよりも遥かに重く、ロレスは慌てて抱え込んだ。この時、彼は初めて本物の剣を手にした。


「後ろ向いて」


 ロレスは父にゆっくりと背を向けた。


 トリエスタは彼に剣を背負わせ、それが落ちないよう、ボロボロになってしまった自らの上着で巻き着け固定した。血と父の匂いが入り交じる。


「ぅっ!?」


 剣の重さに耐えようと、ロレスは慌てて膝に力を入れた。


「重いだろ? これは人の命と、剣士としての誇りの重さだ。これで自分を、家族を、そして仲間を、全てを守れ。お父さんが出来なかった事をお前に託す」

「ぉと……さ……っ!?」


 ロレスはややふらつきながら、再度トリエスタと向き合った。トリエスタは眉を下げ、申し訳なさそうに再び口を開く。


「ロレス……ずっと隠しててごめんな」

「……ぇ……」

「……俺は平穏な日々を過ごしたくて騎士を辞めた。けど、こんな事に巻き込んじまった……申し訳ない」

「…………」

「……お父さんは、お母さんとロレスとモナ、四人でいた時間が、本当に幸せだった」

「……っ」

「ロレスは誰にでも優しく出来る心を持ってる。困っている人に迷わず手を差し伸べられる。普通の人はそんな事できないよ。お前は優しい。俺の誇りだ」

「…………!!」


 しゃくり上げるのを必死に我慢し、ロレスはクシャクシャの顔でトリエスタと向き合った。そのロレスの姿を見たトリエスタは一瞬涙を浮かばせ、直ぐに凛々しい顔つきに戻る。


 トリエスタはしっかりと息子の両腕を掴み、深い緑色の瞳で見据えた。


「ロレス、お前は生きろ!!」

「おとぅさっ!! かえろぉ!! いっしょっにぃ!!」 


 もたつく足と、涙で歪んだ顔がロレスの迷いを表していた。


 トリエスタはロレスから手を離すと決意を胸にし、眉を寄せ最後の言葉をかける。


「ロレス!! この世界に生まれた命を捨てるな!! 男と男の約束だ!! お前は生きるんだ!! 行け!!」

「っ!!」


 燃え盛る炎と崩れる建物が直ぐ傍に……。


 ロレスは涙を堪え父を見つめ返した後、力強く地を蹴り走り出した。


 自分を優しく見守る、父を背にして――。






◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆






 小さな背中が更に小さくなっていく。煙が充満したこの場では、ロレスを最後まで見届ける事は出来なかった。


「……それで良い……お前は生きろ……。……ロレス……モナ……お前たちの成長を見れなくてごめんな……。……リリア……後は任せた……皆……愛してる………………」


 そっと目を閉じるトリエスタの頬には、涙がゆっくりと流れる。


 そして、トリエスタは落下してきた瓦礫の下へと埋もれ、炎に包まれた…………――






◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆






 至る所が瓦礫と炎に包まれ、思うように町の出口へと向かえない。


 視界と足場の悪い道の中を躓いては盛大に転ぶを繰り返し、ロレスはひたすら走った。


 時折意識が朦朧もうろうとする。


 煙を吸い、火傷を負い、頼れる父親は居ない。身も心もボロボロだった。


 目が霞み、だんだんと視界が悪くなっていく。


「………………ぅっ……ぁっ!?」


 気付くとロレスは遺体と灰の山へと足を踏み入れていた。


 足がもつれ、うつ伏せになって転んでしまう。


「……はぁっ……ぁっ……」


 立ち上がろうとしても上手く体に力が入らない。呼吸をする事すら苦しく辛い。


 (……毎日が楽しかったのに……もう二度と……お父さんには………)


「……ぁ……ぅ…………」


 (……お母さんとモナの元へ帰らないと……お父さんに言われたんだ……)


「……………………」


 ……そして、ロレスの意識はだんだんと遠ざかり、二度と立ち上がる事はなかった……――






◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆






「あっ!!」


 バリ――――ン


 食器を片付けようと皿を拭いていたリリア。しかし、手を滑らせ皿を落とし割ってしまった。


「おかしゃん! ばりんっていった!!」

「あっ!! 危ないからこっちに来ないで」


 大きな物音に釣られてか、モナがぎこちない足取りで母の元に近づこうとした。リリアは慌ててモナを抱え、台所に来てしまった我が子を別室へ連れて行く。


「暫くこっちに来ちゃ駄目よ。お手々、痛い痛いしちゃうからね」

「わかった!!」


 クリクリの深い緑色の瞳で頷くモナ。その姿に微笑み、割った皿を片付けに台所に戻る。


「………………」


 何故か胸がそわそわして落ち着かない。


「……なんだろう……」


 家の中を見渡し、無意識に壁に飾ってある家族四人で撮った写真を見つめた。


 それは、今にも笑い声が聞こえてきそうな、笑顔溢れる写真だった。

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