第1話 台 後編
――数日後
ロレスとトリエスタは村から南東にある漁業が盛んな町、ルマスに買い出しに来ていた。ここはクヤタ村から一番近い町なのだが、移動手段は徒歩のみで往復三時間程かかる。
「やっぱり村とは違って賑やかだねー」
「そうだなー。人の量も全然違うしなー」
「ここに来るのも今日で三回目!! いざゆかんー!!」
「あ、こら!! 走って行くな!! 危ないぞ!!」
「平気平気~」
ロレスは行き交う人々の海の中を、被っていた帽子を押さえながら上手く避け、海鮮市場を横目にしながら駆け足で通り過ぎる。
その後ろをトリエスタが付いて行き、二人は馴れた様に市場を抜けた。
心地よい波の音が耳に届くと、太陽に照らされ美しく輝く海が二人を迎える。ここは船着き場の通りだ。
「海だ!!」
ロレスは青い瞳を輝かせると、大きく腕を広げ声を上げた。
「……」
目を輝かせるロレスとは反対に、トリエスタは海を眺めると顔を少し曇らせた。
「……天気が良いのに波が荒いな……」
「え? そうかな?」
「船も何隻か出航してないし……変だ」
歩きながら、違和感を感じたトリエスタは眉を軽く潜める。ロレスはそんな父を不思議そうに見上げていた。
「えーっと、階段……階段……あった!! あそこだったよね!!」
「あ、ああ。まだ三回目だってのに、よく覚えてるな」
ロレスが探していた階段の先は広場になっていて、暫く歩けば展望台が見えてくる。
二人はルマスに着くと、買い出しの前に必ずその展望台へと足を運ぶのだ。
「まーね! ほら、早く行こう!!」
「走らなくても良いだろー!」
展望台へと続く階段を見付けたロレスは勢い良く走り出した。
その時。
「わっ!!」
突然突風が吹き、被っていた帽子が見事に空高く飛ばされた。
「あっ帽子!!」
届くはずもないと分かっていても、ロレスは無我夢中になって、自由に飛ぶ帽子を追いかけた。
「戻って来て!! お願い!! ――っ!?」
しかし、走らせていた足が突然止まる。トリエスタが慌ててロレスの腕を掴み、動きを止めたのだ。
「駄目だロレス!! そっちは海だ!!」
「でも帽子が!!」
ロレスの足はあと数歩で波打ち際に到達する所だった。ロレスはトリエスタに振り向かず、縦横無尽に宙を舞う帽子を必死に目で追いかける。帽子が海に落ちるのも時間の問題だった。
「総隊長!!」
「!?」「えっ!?」
突然、階段を登った先の広場から女性の声が飛んで来た。と、同時にロレスとトリエスタの頭上に大きな影が通り過ぎ、驚き空を見上げる。
その影は自由自在に飛ぶ帽子へと近付き、
「おっと」
声と共に帽子の動きが止まった。
影の正体は橙色のコートを身に纏った男性だった。
彼は広場から飛び降り、可憐にロレスの帽子を空中で掴み取る。
そして、体重を感じさせない身軽さで、海から頭を出している大岩に着地。休む暇もなく直ぐに踏み込むと、一回転しながら見事に船着き場に着地した。宛らサーカスでも見ている様だ。
「すっげー……」
「…………」
ロレスとトリエスタは目の前で起きた事を理解出来ず、茫然と立ち尽くした。
男性は白いロングコートの上に、橙色のロングコートを左腕のみ通して、二つのコートを一つの腰ベルトで閉めている。更には腰に黒い太刀紐を巻き、左右に剣を吊るし、両手には白い手袋をはめていた。
橙色のコートは片腕しか通していないのでハッキリとは見えないが、背中に大きな一輪の向日葵のシルエットが薄っすらと描かれている。
中に着ている白いコートは左右非対称で、やや右に前開き部分が重なっている。その重なり合う部分には青いラインが引かれていて目を引く。白いコートの右肩口には、鳥の形をしたバッジが着けられていた。
「危なかったねー。はい、どうぞ」
男性は高台から飛び降りたとは思えない程に清々しい顔をしていた。そのまま真っ直ぐロレスの元へと歩み、帽子を差し出す。
「……」
「あれ? 君のじゃなかった?」
「え、あ」
慌てて目の前に差し出された自身の帽子を受け取ろうとする。が、その手に帽子が触れる事はなく、男性がそのままロレスに帽子を被せた。
驚き目を見開いたロレスだったが、直ぐに男性を見上げ目を輝かせた。
「ありがとう!! お兄さんかっこよかった!!」
「どういたしまして。でも、お兄さんって歳でもないんだなー」
「あ、ありがとうございました……。ですが、あの上から飛び降りて来ましたよね? お怪我はありませんか?」
「私は平気ですよ」
ロレスとトリエスタに男性は一切顔色を変えず、穏やかな笑顔を見せながら応えた。
すらりとした体に整った顔。やや切れ長の紫色の瞳には優しさが隠せない程に滲み出ている。歳は30代くらいだろうか。肩より少し長い茅色の髪は上半分を縛り、残された下の髪はくせ毛により広がっていた。
「フォルグラン総隊長!! いきなり飛び降りたりしないでください!! 危険です!!」
と、そこに展望台へと続く階段から、栗色の短い髪の女性が駆け足でこちらに向かって来る。
この女性も、男性と同じような白コートに身を包んでいた。左胸には、翼の間に剣と銃を象徴とした紋章が印されている。
「平気だよ。ほら、彼の帽子も濡れずに済んだ」
「そう言う問題ではなくて!!」
怒られているのにも関わらず、柔らかく微笑みながら応えるフォルグランと呼ばれた男性。
「あーもう!! とにかく急ぎますよ!! 約束の時間に遅れてしまいます」
「えー、まだ時間には余裕があるだろう? もう少し観光しようよー」
「何事にも10分前行動が鉄則です」
「君のは20分前行動じゃないか」
「相手を待たせるのは失礼です! 行きますよ!! ……失礼します」
「ばいばーい。その帽子、似合ってるよー」
ロレスとトリエスタに深々と一礼し、凛とした顔立ちの女性は踵を返す。それに続いてフォルグランもコートを翻すと、その場を後にした。
二人はその背中を見送り、呆然と立ち尽くす。
「……今の人、かっこよかったね。コートの上にコート着てたけど重いよね? 暑くないのかな?」
「……ガイルアード騎士団」
「ガイルアード騎士団!? 今の人達が!?」
「の、最高指揮官。……今の男の人は騎士団の中で一番偉い人だ。右肩に着けていた鳥の形をしたバッジ。あれが最高指揮官の証なんだ」
「すげー……そんな人と会えるなんて……ガイルアード騎士団……初めて見た。あの人達がこの世界を守ってるんだよね? かっこよかったなぁ」
「かっこいい……か」
ロレスが隣で歓喜の声を漏らしていると、トリエスタはぼそりと呟き、フォルグラン達が向かった先を遠目に眺めていた。
「……お父さん?」
「……騎士は誰かを助ければ、誰かを傷つける。英雄だと信じていたのに裏切られる。常に英雄と罪人を天秤に掛けられた、不安定な存在だ……」
「…………てん……びん……?」
「あ、いや、何でもない。ま、帽子が無事で良かったって事で、俺達も行こうか」
「…………うんっ!」
ロレスは戸惑いつつも大きく頷き、二度と飛ばされない様にと帽子を深く被った。そして、展望台へと続く階段まで一気に走って行く。
トリエスタはそんな息子の後ろ姿を眺め、騎士が姿を消した方向へと一度目を向けた。
「……まだ……そこに……」
その声は波の音にかき消され、誰にも届く事はなかった。
「おとーさーん!?」
「今行くー」
足を止めているトリエスタに、ロレスは階段の途中で振り返り声をかけた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「良いね、ここからの眺め」
「だなー」
町を一望できる展望台からロレスは海を眺めると、嬉しそうに声を上げた。心地よい潮風が二人の顔を撫でる。
「ねぇお父さん。今度来る時はお母さんとモナも一緒に連れて来ようよ!! 二人にもこの景色を見てほしい!!」
「そうだな、俺も同じ事を思ってた。今度はお母さんを説得して、四人でここに来よう!!」
「うんっ!!」
「……しっかし……やっぱ今日は波が荒いな……」
「それ、さっきも言ってたよね? 天気も良いし、オレには分からない……」
「……いつも見ている波に比べて、圧倒的に波打ちが強い……。……ま、津波の心配はなさそうだし、買い物に行きますかね!!」
「はーい!!」
二人が展望台から市場へと移動しようと歩き始めた時だった。
「地震!?」
トリエスタはいち早く地面の揺れを感じ、足を止めた。
「え? 揺れた?」
ロレスは首を傾げる。その僅か数秒後だった。トリエスタは目を疑い冷汗を流した。
町の至る所から、煙が上がっているのを確認したのだ。
「火事かな……?」
ロレスの身長でも確認できるほど高く黒煙が舞い上がる。
そして――
ドカ――――――――――ンッ!!!!
「うわっ!?」
爆発音と共に地面が大きく揺れ、ロレスはその場で尻餅をついた。
「ロレス、帰るぞ!!」
「え!?」
「急げ!!」
トリエスタはロレスの手を引き立ち上がらせ、その場を離れた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
町中に鳴り響く警報。昼の時間帯だが、煙が充満し視界は悪い。
ロレスとトリエスタは必死に町の外へと走っていた。
しかし、二人が向かう先は幾度となく炎と瓦礫で塞がれる。気づけば炎はロレス達の近くまで迫って来ていた。
「きゃーー!! 火事よー!!!!」
「皆逃げるんだ!!」
「煙を吸うなよ!! 死んじまう!!」
「走れ!!!!」
「海は駄目だ!!」
「あんな荒波の中飛び込んだら一瞬で終わりだ!!」
「急げ!! 町の外へ!!」
「戻るな!! 死ぬぞ!!」
沢山の人達の声と大きな警報が鳴り響く中、ロレスはトリエスタに手を引かれながら必死に走る。
「あ、帽子!!」
必死に走っていた矢先、ロレスの帽子がまたしても飛ばされてしまった。振り返るロレスの腕を強い力でトリエスタが引く。今回は引き返す事など許されない。
「自分の命を優先しろ!!」
「っ……」
トリエスタの声を聞き、ロレスは唇を噛み再び前を向いた。
走っても走っても火災からは逃れられない。火は自分達と共に走っているかのようだった。
「はっ……ぁっ……」
喉が焼ける様に熱い。ロレスの呼吸が乱れていくのを確認したトリエスタは冷や汗をかきながら、小さな手を引き必死に走り続けた。
ゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!
「っ!! くそっ!! もう少しで出口だってのに!!」
トリエスタは焦る。二人の道を塞ぐ様に建物の壁が崩れた。直ぐに来た道を引き返そうとした時だった。
「っ!?」
トリエスタは自分達の方へ瓦礫が落下してくるのを目にし、咄嗟にロレスをその場から突き飛ばした。
「わっ!? ぐっ!!」
身構えていなかったロレスは地面へと転げる。
「……痛い…………あれ?」
ゆっくりと立ち上がろうとすると、トリエスタの姿が見当たらない事に気付く。目の前には瓦礫の山と、それを包むかの様に燃え盛る赤い炎。
「……お父さん……?」
自分が今見ている光景に目を疑った。目を大きく見開き、ロレスは無我夢中でその瓦礫の山へと駆け寄った。
「お父さん!! お父さん!! っごほっ!! げほっっ!!」
ここまで走り続け、煙を吸い続けたロレスの体は思う様に動かない。それでも父を助け出す為、必死に燃え盛る瓦礫をどかそうと手を動かした。
咳込みながら小さな手で瓦礫を掴むが、びくともしない。
「あつっ!! くそっ!! ……げほっゴホっ!! ぉとぅ……さっんっゴホゴホッ!!」
熱い。
苦しい。
痛い。
ロレスの頬には、汗と共に薄っすらと涙が流れる。
それでも挫けそうな心を奮い立たせて、ロレスは手を動かし続けた。父を助けなければという一心で。
(……泣くな。今は泣く時じゃない。お父さんを助けるんだ!! オレがお父さんを!!)
必死に瓦礫をどかそうとしていると、背後に嫌な気配を感じ慌てて振り返った。
「……っ!?」
そこには、全身を覆う焦げ茶色のローブを着た男二人が、火災の中で平然と立っていた。
「おい、こんな所に子どもがいるぞ。どうする?」
「言われただろ。女、子ども関係ない。始末しろ」
「りょーかい」
ぞわぞわと背筋が凍り、ロレスはしゃがんだまま一切動く事が出来なかった。
無精ひげを生やした体格の良い男は不気味な笑みを浮かべ、もう一人の若い男が片手でロレスの髪を鷲掴みにして軽々と持ち上げた。
「ぅぅ!?」
離せ!!
そう叫びたかったが僅かな唸り声しか出ない。沢山の煙を吸ってしまったロレスには、もう声を出す力は残っていなかった。
「なんだお前の髪珍しい色してんなー。あ、おい見てみろよ、こいつ木刀なんか持ってら」
「ハハッ、そんな木刀持ってお出かけですか~? 怖い人に立ち向かえないくせに剣士気取ってんのか!?」
「ハハハハ」
笑いながら男はロレスの首を絞めつけようと掴んでいた髪から手を離し、両手で首を絞め上げ始めた。
「ァッ!?」
苦しそうに足をばたつかせるロレス。
体力もほぼ残っていない。自分を持ち上げているこの目の前の男を蹴り飛ばす事も出来ない。徐々に視界が歪んでいく。
ロレスの首に巻き付いた手は恐ろしい程の握力と熱を帯び、彼の首を焼き尽くすかの様だ。
「おいおい、こんな所で力なんて使うなよな」
「平気だろ、見られようが関係ない。どうせこいつは死ぬんだからな」
「……っ」
「証拠は残すなよ」
「誰に言ってやがる。最後に肌を全て焼けば問題ない」
次第に男の掌から赤く燃え上がる炎が湧き出て来た。その炎は容赦なくロレスの首を覆っていく。男は終始、不気味に笑い続けていた。
「ぁぁ……っぅ……」
首が信じられない程熱い。ロレスが遠ざかる意識の中で僅かに目にした炎は、陽炎の様に揺らめいていた。
ロレスは苦しそうに目を瞑ると、一筋の涙を流した。