第17話 語
「……大丈夫、心配いらない」
リヴァラはマトリカリアの腰に軽く手を触れると、優しく耳打ちをした。
「……っ……」
それでも、マトリカリアはカヤから目を反らす事も、強張る顔を元に戻す事も出来なかった。
そんな彼女に、カヤがやんわりとした顔でマトリカリアに声をかけた。
「ありがとう、君のおかけで村に活気が戻ったよ」
「……ぇ……」
マトリカリアは強張ったままの顔でカヤを見上げる。
「君が瘴気を消してくれたのだろう?」
「……………………」
大きなエメラルドグリーンの瞳を何度も瞬かせ言葉を失う。
隣に立っていたロレスがカヤに詰め寄った。
「いつから知ってたんですか!?」
「うーん、初めて会った時、なんとなーくね。リヴァラ程ではないのだけれど、僕も勘が良いんだ」
「カヤ、この事は……」
リヴァラはカヤを見上げ、彼とマトリカリアとの間に立つ。そして、ここに居る五人のみにしか聞こえない小さな声で釘を刺した。
「うん、大丈夫。内緒にしておくよ。村の人達には奇跡が起きたと伝えておこう」
「そんなんで分かってくれるんですか?」
「人間は案外単純な生き物だよ。奇跡も信じるさ」
「……」
訝しげに言うロレスに、カヤは目を細め柔らかに応える。リヴァラはマトリカリアと目が合うと、少し眉を下げ、苦笑いを浮かべながら『大丈夫だ』という様に頷いた。
「さて、……と」
カヤはリヴァラの隣をスルリと通り抜けると、やや離れた所で事の成り行きを見守っていたフィルの元へと足を運んだ。
「君が瘴気を消しに勇敢に立ち向かって行ったというフィルだね。僕はカヤ。ガイルアード騎士団第零部隊隊長。よろしくねー」
フィルの姿に驚く事もせず、笑顔を向けたままカヤは右手を差し出す。
「おや?」
しかし、フィルの手を見るや否や首を傾げた。そして、カヤは一度両手を胸の前でヒラヒラと振ると、次は左手をフィルへと差し出した。
「!?」
「失礼失礼ー。はい、よろしく~」
フィルはカヤのその行動に驚き、赤い目を見開く。
「……フィル・ベティアーノです。騎士団の方々の話はリヴァラから聞いています。村の皆を守り続けて下さり、ありがとうございました」
彼の調子に困惑しながらも、フィルはカヤと左手で握手を交わした。
「でも、何で……左手に……」
「ん? 君は左利きだろう? その手。剣を握る時に出来た過去の潰れた豆、右手には無かったから。僅かに左手の方が筋肉の付き方が違うしね」
にっこりと笑うカヤに、フィルは冷や汗を浮かべていた。
「……カヤさんって……」
「……リヴァラ並みに怖いな……」
「おい、どういう意味だ」
こそこそとロレスとマトリカリアが話している声を聞いたリヴァラは、鋭い目を向ける。何事も無かったかの様に二人は目を反らした。
そんな三人を横目に、カヤは引き続き優しくフィルに話しかける。
「君はこの村の出身でもないのに、皆を救おうと命をかけて危険な場所へ向かった。心優しい青年だね。君が生きて戻って来てくれて本当に良かったよ。ありがとう」
「……俺は、何も……」
「犠牲者を増やさない様に、見張っててくれていたんだろう?」
多くを聞かなくとも、カヤには全て筒抜けの様だった。
「その通りだ。彼は嵌合体になっても、人々を守っていた」
「リヴァラ……」
よく通る凛とした声で頷くリヴァラに顔を向けると、フィルは瞳を僅かに揺らした。
「……君のその姿を見れば、想像の出来ない葛藤や苦悩があったのは伝わるよ。だからこそ、こうして人として生きて帰って来てくれた事に感謝しているんだ」
「…………」
カヤの言葉に、フィルは軽く目を伏せた。カヤは真っ直ぐフィルに顔を向けると、はっきりとした声で口を開く。
「こんな姿になってはどこにも行けない。受け入れてくれる場所がない。この先、どう行動していいのか分からない。不安しかない……」
「……!?」
その声にフィルは大きく目を見開くとカヤを見据えた。ようやく目があったカヤは口の端を上げ、フィルに向けて伝える。
「君が抱えている事。違うかな?」
「……それ……は……」
「僕はね、容姿なんて関係ないと思っているんだ」
「…………」
「特にホウトの人達は、君の容姿なんて全く気にしないと思うよ? あ、ほら、来たよ」
「……ぁ……」
カヤは村の方へ目を向ける。その目線の先にはルトロが駆け足でこちらに向かっていた。
「……ルトロ……」
眉を下げ、不安そうな顔で少年の名を呼ぶフィル。
「お帰り!! お兄ちゃん!!」
「!?」
その声が飛んで来るのと同時に、両足に突然の重みと温もりを感じたフィルは目を見開く。
ルトロは迷う事無く、満面の笑顔でフィルの足に抱きついていた。
「パパとママ、元気になったんだ!! ありがとう、お兄ちゃん!!」
「こ、怖く……ないの?」
「え?」
絞り出す様に言うフィルに、『何が?』とルトロはフィルを見上げ、足にしがみ付いたまま首を傾げた。
「……俺……牙も……耳も……」
「お兄ちゃんの髪、ワンちゃんみたいで可愛いね!!」
「……!!」
無邪気な笑みでフィルを見上げるルトロ。その言葉に彼は驚愕する。
その様子を見守っていたロレス、リヴァラ、マトリカリアは安心したように肩の力を抜いた。カヤは表情一つ変える事無く、にこやかに微笑んだままだ。
「……ルトロ……」
恐怖の目を向けられると思っていたフィルは、ルトロのその言葉に安堵の表情を見せた。目頭が熱くなっていくのを感じる。
「はい、これ!! お兄ちゃんのお守り!! 綺麗なの持ってたおかげで頑張れたんだよ!!」
「……」
ルトロは首に掛けていた蝶の首飾りを外すと、フィルへ渡そうと腕を伸ばした。
そんな無邪気な笑顔を見せるルトロの前に、フィルは目線を合わせる様にしゃがむ。そして、優しい笑顔を見せた。
「ずっと持っててくれてたんだね。ありがとう」
蝶の形をした御守。これが、ルトロを瘴気から守っていた。久しぶりに持つ御守は、懐かしい重みを感じる。
「……あのね、昨日の夜ね、この御守が光ったんだ」
「これが?」
「うん!! 蝶々なのにね、光った時は竜の形をしたんだよ!!」
一切曇りのない瞳で訴えるルトロに、フィルは驚き目を見開く。
祖母の言う通り、この御守には竜の守り神が宿っていたのだ。
昨晩と言えば、フィルが嵌合体化していた頃だろう。人を守らねばならない使命感と、狼に咬まれ、瘴気に感染した不安定な心が混じり合い、竜は行き場を失っていたのかも知れない。
「……ばあちゃん……」
首飾りを握りしめ、改めてこの御守の偉大さに気付かされたフィルは、祖母を思い出し目を閉じる。
「……お兄ちゃん、帰って来てくれてありがとう!!」
ルトロは更に屈託のない笑顔を見せると、フィルに思い切り抱きついた。彼は小さな命を抱きしめると涙を流す。
「……ありがとう、ルトロ」
一粒の涙と共に、小さな声が漏れる。
カヤは微笑みながら口を開いた。
「言っただろう? 人は見た目じゃないんだって。その人の心が美しければ、容姿は関係ない。僕の隊にいるシトリン。あ、ほら、あそこに居る小さな子。彼女は見た目は10才くらいの男の子だけど、20歳を過ぎてる。でも容姿なんて全く気にしないで生活しているよ。……シトリン!! ちょっと良いかな!?」
村の中を歩いていた白衣姿のシトリンは、カヤの声に気付き顔を向ける。そこにロレス達が戻って来ていたのを確認し、駆け足で村の外にやって来た。
「戻ってたんだね! 良かったー!! 貴方がフィルだね? アタシはシトリン・ヴィザファイナ。村の人達の治療に当たっていたんだ。ちょっとしゃがんでもらっても良いかな?」
「え?」
フィルは言われるがまま、恐る恐るシトリンに目線を合わせる様に身を屈めた。シトリンは目の前のフィルの顔をじっと見詰め「ちょっと失礼」と言いながらフィルの腕を取り、ゆっくりと曲げ伸ばしさせる。
「うん、顔色は悪くないね。骨が折れてる所もなさそうだし。どこか痛む所はない?」
「あ、いや。特には」
「そっか。良かった。貴方のおかげで瘴気が消えた。本当にありがとうございました」
シトリンは子どもの様な笑顔を向けると、小さな体を折りたたみ、丁寧にお辞儀をした。
「え、いや、俺は何も……」
「貴方のその容姿を見れば分かるよ。きっとアタシ達が想像している以上の困難があったはず。生きて戻って来てくれて本当に良かった」
「……」
フィルは体を起こすと、困った様に眉を下げ頭に手を触れた。
「シトリン、悪いんだけど例のヤツ、見せてあげれないかな?」
「……?」
「?」
カヤのその声に、ロレスとフィルが不思議そうに首を傾げる。リヴァラは眉を寄せ、少し強張った顔をカヤに向けた。
「カヤ……」
「あ、良いですよ」
そんなリヴァラを制し、シトリンは躊躇する事なく自身のズボンの裾を捲った。
「!?」
「え……」
「……!?」
「……」
その足に、ロレス、マトリカリア、フィルは驚愕し目を見開く。リヴァラは頭を軽く抱えると目を伏せた。
シトリンの両足は、肉体そのものがなかった。足の形をした鉄の塊が、布から除く。
「義足。10才の時、事故で両足を切断した。だからなのか分からないけど、成長速度が著しく遅く、22歳になった今でも背は全然伸びなかった。せめて140センチは欲しかったなー」
「……」
「事故の日ね、アタシの住んでいた町に偶然ガイルアード騎士団の一人が立ち寄っていた。その人は衛星隊に所属していた人で、迅速かつ、的確な治療に当たってくれて、アタシは両足を失っただけで後遺症は残らずに済んだ」
「…………」
シトリンは言葉を失っている三人を見据えながら淡々と話を続けた。
「人生何があるか分からない。親がくれた命。どんな体になっても、アタシはこれからも全力で生きていくよ」
「……」
真っ直ぐ前を向くシトリンの姿がフィルの目に焼き付く。カヤはフィルに更に声をかけた。
「今はここには居ないのだけれど、僕の隊に、自身の容姿を気にしている子は居るよ。彼はとても真面目で元気な子なんだけど、女の子っぽい顔立ちをしていてね。それはあまり気にしなくなって来たんだけど、何故か異様に身長を気にするんだ。身長なんて関係ないよっていつも言ってあげているのに、不思議だよね」
「それは物凄い近くに、馬鹿みたいにデカい奴が居るからじゃないのか?」
「えー、誰の事だろう?」
「……」
カヤはリヴァラの言葉に微笑み首を傾げる。
「人は見た目だけで判断してしまう生き物だけれど、それを物ともしない心の強さと明るさ、優しさがあれば、この人生を生きていけるはずさ」
「……カヤさん……」
カヤの言葉を聞いたフィルは一度瞳を閉じると、首飾りを握りしめ、ゆっくりと頷いた。
その姿にカヤとリヴァラは微笑み、ロレス、マトリカリアも柔らかい笑顔を向けた。
――見た目なんて関係ない。どんな姿でも、宿す心は美しく、大きく、そして暖かい……
その時、フワッと風が吹き、フィルの淡い青色の長髪が靡く。
「……」
聞こえる筈のない声の主を見付けるかの様に、フィルは顔を上げ左手で空を仰いだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「へーーっくしょんっ!?」
コゴーデブリッジの入り口で待機していたヒロノが顔をくしゃくしゃにし、盛大にくしゃみをした。
その横にいたソファンが肩をやや上げると、顔を引きつらせる。
「うぁ、もっと離れた所でしてくださいよ」
「うぅ……わりぃわりぃ。って、心配してくれても良くないか!?」
「へ? 心配? 何の?」
「はいはい何でもごぜーませんー……ティッシュティッシュ……と……」
「……あれ……?」
「……んん?」
鼻をかむヒロノを余所に、ふと空を見上げたソファン。彼女は辺りの空気に変化を感じ、口を開いた。
「……何だか空気が軽くなった気がしませんか?」
「……ん? …………本当だ……じゃあ、あいつらが瘴気を消してくれたのか!?」
「かも知れないですね!! ああー良かったですー!! これでホウトの皆さん回復しますね!!」
「門番が戻って来たら、オレらもホウトに向かおう!!」
「はい!! やっと隊長とシトリンに会えるんですねぇ~!!」
満面の笑みを見せるソファンに、優しく微笑むヒロノ。二人は門番が姿を現すまで、再度そこで待機をする事に。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「フィルは一度着替えないといけないようだね。そのジャケットはロレスの物だろう?」
「そうです」
カヤに視線を送られたロレスが頷く。そこでシトリンが納得したように頷いた。
「あー、だからちょっと小さいんだ」
「……」
村へと足を向けようとしたロレスが立ち止まった。
「あ、失言だった? ごめんね、ロレス」
「……別に気にしてない……」
「意外と根に持つタイプなんだね……」
「……」
そんな会話を聞いたルトロが突然フィルに抱きつき、大きな瞳で彼を見上げた。
「ルトロのお家においで!!」
「え?」
その言葉に首を傾げるフィル。ロレスとマトリカリアも不思議そうにしている。
「おお、それは良い。ルトロの家は服屋なんだよ。復帰後、最初のお客様はフィルだね」
「お兄ちゃんを、もっともっとカッコよくしてあげる!!」
笑顔のルトロにやや困惑するも、笑顔でフィルは頷いた。
「あ、ありがとう……ルトロ……」
その光景に目を細め柔らかく微笑むと、カヤはリヴァラの方へと顔を向けた。
「リヴァラ達は、次何処に行くんだい? 暫くここに滞在するのかい?」
「いや、オーズランに戻らなくてはいけないんだ」
「珍しいね。何か急ぎの仕事あったかな?」
「いや、……リジックに……用があってな……」
その名を聞いたカヤは、それまで陽気に話していた口を結び、眉を跳ね上げた。
「……そう、か……」
空気が一瞬にして重くなったのを感じ、ロレスとマトリカリアは顔を見合わせた。
しかし、その空気は次のカヤの言葉で一瞬にして消え去った。
「じゃあ、リヴァラも久しぶりに団服を着るんだね! 良いな~見たかったなぁ~リヴァラの団服姿ー。僕も一緒に行こうかな~なんてね」
「馬鹿を言うな、私は団服が嫌いなんだ。あんな真っ白な服恥ずかしいだろう。誰が着るか」
「それ、着てる人の目の前で言う?」
呑気に言うカヤを、リヴァラは鋭く目を吊り上げ睨み付ける。シトリンが目を細めリヴァラを見上げた。
「えー、でも団服を着ないと、城はおろか、貴族街にも入れないだろう? いくらリジック様……家族に会うからって、例外は認められない。よく君が使う言葉だ」
ニヤニヤと口の端を上げて言うカヤに、リヴァラは頭を抱えた。
「……はぁぁぁぁ………………」
「うわ、リヴァラが深いため息なんて珍しい……。団服って、絶対に着ないといけないのか?」
「まぁ、規則だからねー。リヴァラだけだよ、団服着ないで行動してるのは。団服を着ていないと、行ける所も行けなくなるんだよ」
ロレスの声にシトリンが応える。
「……憂鬱だ」
「そ、そんなに団服が嫌いだったの?? 大丈夫??」
頭を抱えるリヴァラに、マトリカリアが心配そうに声をかけた。
「でも、少しぐらいここに居たらどうだい? 村の人達は君達にお礼を伝えたがっていたよ」
「お兄ちゃん達、行っちゃうの!?」
カヤの言葉を聞いたルトロは眉を下げ、不安そうにロレス達を見上げた。
「ほら、ルトロもこう言っている。ちょっとだけ顔を出していきなよ」
「……そうするか」
「こっちだよー!!」
そうして、彼らはルトロに手を引かれるフィルを先頭に、ホウトへと足を踏み入れた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「フィルさんだ!!」
「フィルが帰って来たぞー!!」
「本当にありがとうございました!! フィルさんは村の恩人です!!」
「お帰り!! フィル!! 良かった、帰って来てくれて本当に良かった!!」
村に入るなり、フィルに気付いた村人達が挙って歓迎の声をかける。フィルは苦笑いを浮かべつつも、何度も何度も感謝の言葉を伝えていた。
その光景をやや離れた所から見ていたロレスとリヴァラ、マトリカリアは微笑みを浮かべている。
「人気者だな」
「……まるで家族みたい……」
「だな。一度しか立ち寄ってなかったのに……凄いな……」
「それ程、ホウトの人達にとってフィルの存在は大きなものだったんだよ。初めて来た村なのに、命を掛けて瘴気を消そうと立ち向かったフィルは救世主だ。帰る場所があるって幸せだよね」
ロレスの隣に立つカヤも、優しい笑顔を見せながら口を開いた。
「一般人なら、瘴気だろうが何だろうが、知らない土地、知らない村で命を掛けて人々の命を救おうだなんて思えないよ。彼は凄く優しくて、凄く信頼できる逸材だね」
「……フィルが……」
「彼は君の幼馴染なんだろう?」
「はい」
「……良い幼馴染を持ったね」
「はい。掛け替えのない親友です」
ロレスはフィルに目を向けると、誇らしげに微笑んだ。と、そこで、一人の女性がフィルの傍に近付く。
「フィルさん!!」
「あ、貴女は……」
「ママだ!! ママー!!」
その女性に気付いたフィルは軽く目を見開いた。その人物はルトロの母、テッサだった。ルトロがテッサの元へと走りしがみ付く。
「お帰りなさい、フィルさん。本当に……無事で良かった……」
「……」
フィルは優しく微笑み頭を下げる。
「ねぇママ、お兄ちゃんお洋服がボロボロなんだ!! お兄ちゃんに服を作ってあげて!!」
「勿論よ! さぁこちらに!!」
「え、あ、待って」
フィルの声に聞く耳を持たず、自身が経営している店まで連れて行こうと、ルトロとテッサは彼の腕を引っ張った。
「どんだけ気に入られてるんだ……」
「それだけ、人望が熱かったのだろうな。両親がいなかった時に現れたフィルは、ルトロにとって希望だった。誰よりも信頼出来たのだろう」
顔を引きつらせるロレスに、リヴァラは頷きながら口を開いた。
「あら?」
「……!?」
そこで、テッサは突然足を止めるとマトリカリアの傍まで近寄った。テッサの視線に恐怖を感じ、マトリカリアは一歩足を引くとロレスの後ろへと隠れる。
そんなマトリカリアにお構いなしに、テッサは満面の笑顔を彼女に向けた。
「ねえ、貴女! その服、変わっているわね! 是非一緒に来て!! 詳しく見させて頂戴!!」
「え?」
「さ、行くわよ!!」
「カリア!?」
「え、えぇー!?」
有無を言わさず、マトリカリアはテッサに手を引かれ、あっという間にフィルと共に連れ去られた。
ロレスはその場で呆然と立ち尽くす。
「物凄い勢いだったねぇー、流石服屋さん」
「確かに、マトリカリアの服はとても特徴的だったし、目をつけられて当然かと」
関心したように、カヤとシトリンは頷き合っていた。と、そこに村人が彼らに駆け寄って来る。
「騎士の皆様! お疲れの所申し訳ないのですが、祝祭の準備をするのに手を貸して頂いてもよろしいでしょうか?」
「祝祭?」
と、不思議そうに首を傾げるロレス。
「はい。村長の一声で、今晩は瘴気が消えた祝いを開く事になりました。ただ、大板やテントなど、運ぶのに手が足りなくて……」
「勿論構わないよー」
「アタシも力仕事出来ますから、任せてください」
カヤとシトリンがにこやかに頷く。そして、ロレスも迷わずに頷いた。
「俺も手伝います!!」
「カリアの所に行かなくて良いのか?」
「そっちにはフィルがいるし、大丈夫だろ」
リヴァラの声にロレスは苦笑いを浮かべながら応えた。
「助かります!! こっちです」
村人は深々と頭を下げ、彼らを広場へと案内した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「服が仕上がるまでの数日はこれを着ていてください」
瘴気が消え、日常を取り戻した村は活気に溢れていた。外から聞こえてくる明るい声を耳にしながら、フィルはテッサから真新しい服を受け取った。
「こんなに立派なもの、本当に良いんですか?」
「勿論ですよ!」
「お兄ちゃん、凄い似合ってるー!!」
少しゆとりのある白い襟付きシャツと、黒いズボンに履き替えたフィルは遠慮気味にテッサに声をかけた。テッサは終始柔らかな微笑みを見せている。
寸法が終わり、ルトロの父――タクナは奥の部屋で早速服縫いに取り掛かっている。
と、そこでルトロがフィルの腕を引いた。
「お兄ちゃん!! 早く行こう!!」
「え? 行くってどこに?」
「今夜は広場で祝祭が開かれるんですよ」
「へぇ……。だからこんなに賑やかな声が聞こえて来てたんですね」
「行こう!!」
「あ、ちょっと待って!! テッサさん、ありがとうございました!! ルトロと行ってきますね!!」
フィルはテッサに慌てて頭を下げると、ルトロに腕を引かれながら店を後にした。
「ルトロ、とても元気な子ですね」
「ええ。元気過ぎて、私とタクナが先にダウンしてしまう事の方が多いんですよ」
テッサに連れられて来ていたマトリカリアは、ルトロとフィルに手を振りそう口を開いた。テッサは柔らかく微笑んだまま、マトリカリアに声をかける。
「マトリカリアさんの着ている服、見た事のない意匠よね。ずっと気になっていたのよ。そう、確か……キモノと言う名だったかしら? 肩から袖にかけて広がり、胸の辺りで重ねてその腰の太いベルト……帯と言うのよね? それで広がらないように固定する。一度作ってみたいと思っていた形状の一つなのよ」
「キモノ……」
初めて耳にした言葉に、エメラルドグリーンの瞳を二度瞬きする。
「昔、そういった服を着ていた地域があったらしいわ。古の意匠と現代の意匠が組み合わさっていて、マトリカリアさんの今着ている服、とても素敵よ」
「……あ、……ありがとうございます……」
「ごめんなさいね、引き留めてしまって」
「いいえ。…………何気なく着ていた服だったので……。歴史のある服だと知って、なんだか嬉しくなりました。ありがとうございました」
はにかみながらマトリカリアは微笑む。そこで、テッサが思い出したかのように口を開いた。
「そういえば、ちょっと前に顔色を変えたロレスさんが歩いていたわね。祝祭はまだ準備中のはずだし、どこか違う場所に行ったのかしら?」
「え?」
僅かに胸騒ぎを感じたマトリカリア。恐る恐るテッサに問う。
「あ、あの、……焚火をやる予定はありますか!?」
「勿論、行われるわ。祝祭の時には必ず。焚火はもう出来ているんじゃないかしら?」
「……」
「さて、私もタクナの手伝いをしなくちゃ。服、見せてくれてありがとうね。お祭り、是非見に行ってみてください。店を出て左に行った先に広場がありますから。後、これをロレスさんに」
「あ、はい」
テッサから洗い終わったロレスの上着を受け取り、マトリカリアは急ぎ足で祝祭が行われる広場へと足を運んだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
村の中心部にある広場では、大きな焚火の準備が着々と進められていた。
ロレスは大きい荷物を運び終わり、リヴァラ達を探す。そうしている間に、そろそろ火が点けられる時間になって来た様だ。
「…………」
せめてリヴァラには声をかけてからこの場を離れようと思っていたが、一向に見つからない。背の高いカヤも見つけられず、諦めたロレスは足早にこの場を去った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
広場に辿り着いたマトリカリアはキョロキョロと辺りを見渡す。既に焚火が行われており、ロレスの姿は見当たらない。
「あっ、フィル!!」
そこで、フィルとルトロが共にいる所を見つけ、彼に近付き声をかけた。
「お、カリア! テッサさんの用事は終わったんだ?」
「うん。……あの、ロレス、見なかった?」
「あ、いや……多分火から逃げたんだとは思うんだけど……」
「ありがとう」
「え、あ、ちょっと!? あーあー。行っちゃった……」
フィルの応えを聞くと、マトリカリアはアシンメトリーのスカートを翻し、足早にその場を去った。
広場からやや離れ、必死にロレスを探す。次に会ったのはリヴァラ、カヤ、シトリンの三人だった。
「リヴァラー!!」
「お、どうしたカリア?」
「ロレスは? どこにいる?」
「え? ……そういえば暫く姿を見ていないな」
「分かった、ありがとう」
そして、フィルの時同様、マトリカリアは直ぐにこの場を後にした。その背中を見届けたシトリンとカヤは不思議そうに首を傾げた。
「マトリカリア? ……何、どうしたの?」
「あんなに慌てる子だったかい?」
「……変わったな、カリア……」
二人の声を耳にし、リヴァラは静かにそう呟き微笑んだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ロレス……?」
村を走り回って30分。広場から離れた小さな公園にロレスはいた。一本の木にもたれかかり、マフラーに顔に埋もらせ心地よさそうに寝息を立てている。
マトリカリアはテッサから預かっていた彼の上着を毛布の様に羽織らせると、彼を起こさない様にそっと隣に腰かける。
「……」
そして、村の人達の賑やかな声を遠くに耳にしながら、ロレスと同じようにそっと目を瞑った。




