第1話 台 前編
「もぉ……ちょっとぉ……!!」
太陽の眩しさに目を晦ませながら、少年は木の枝にしがみ付いていた。
必死に伸ばしている手の先には、薄茶色のキャスケット帽が枝の端に引っかかっている。
少年の体がプルプルと震え、それに合わせ枝と共に葉と帽子が踊る。
「とど……けっ……もう少しだから!!」
枝の軋む嫌な音を耳にしながら少年は額に汗を浮かべ、届きそうで届かない帽子を青い瞳で睨み付ける。
少年の名はロレス・ラックファン。宝石の様に輝くターコイズブルーの短髪は、左前髪以外が鶏冠の様に上に向かって跳ねている。
一週間前に9才になったばかりという事もあるが、ロレスは同級生達より背が一段と低い。もう少し背が伸びていれば、帽子に手が届いていただろうか……。
「……うぅ!!」
帽子に手が触れそうで触れないもどかしさ、そして木から落下してしまうのではないかという恐怖と必死に戦う。
「っ!!」
そして、数分間戦っていたロレスの小さな手に帽子が触れる。
「取れる!!」
大きな空色の瞳に輝きを見せたロレス。しかし、次の瞬間彼の視界が逆転する。
「ん? ……わわわあぁぁああああ!!」
ドスッ!!
ロレスは大きな声を上げながら盛大に落下し、地面に背中を思い切りぶつけた。
「ぅっ」
奇跡的に彼が落ちた場所には、落ち葉が集められていた。それがクッションとなり、彼は怪我を負わずに済んだようだ。
「……ぁぁぁ……いってぇぇえええ……あ!!」
強く瞑っていた目を素早く見開き、空を見上げ右腕を掲げる。
その手には、先ほどまで木の枝に引っかかっていた帽子がしっかりと握られていた。
「ふぅ……良かった……破け……てないな、よしっ!!」
安堵の表情を見せたロレスは、木から落下したとは思えない程軽やかに立ち上がると、頭に着いた落ち葉を振り落とし帽子を被り直す。
「もう飛ばないようにしないと」
この帽子は先日の誕生日に両親から貰った物。少し大人になった様な気分になれるからか、彼はこの帽子を毎日欠かさず被っている。
「……落ち葉なんて、こんなになかったような……。風で集まったのかな? まぁいいか。そろそろ戻らないと……」
不思議そうにしながら、先ほどまで登っていた木の根元に駆け寄るロレス。そこには自分の背丈と同じ位の大きさの籠が置かれていた。中には既に沢山のリンゴや栗が詰められている。
「よっと!!」
ロレスはその籠を軽々と背負うと、隣に立て掛けていた護身用である父親特性の短い木刀を手に取る。そのまま手慣れた様に、腰に巻いていた木刀専用のベルトに差し込んだ。
「お父さん、どの辺だろう?」
鮮やかな髪を左右に揺らし、キョロキョロと辺りを見渡しながら同じ様な木々が立ち並ぶ道を歩き始める。
彼は今、父親――トリエスタと共に村から少し離れた森へ食材を取りに来ていた。
果物をある程度集め終わったロレスは、別の場所で食材を探しているトリエスタと合流しようとしていたのだが、帽子が風に飛ばされ今に至る。
彼らが住んでいるクヤタ村は、クルデ大陸の南に位置する。森に囲まれた小さな集落で、あまり物流は盛んではない。ほぼ自給自足の生活の為、皆助け合いながら暮らしている。学校はあるが小規模。子どもの人数も少ないので、年齢関係なく皆同じクラスで勉強している。
生活に困る程の所ではないが、なにせ小さな村だ。村の外の情報は、月に一度村を訪れる商人や、稀にやって来る旅人からしか得る事はない。
村の外は一見すれば穏やかな森かも知れないが、盗賊もいれば猛獣も存在している。いつ命を落とすか分からない。決して安全な所ではないのだが、この親子はわざわざ村の外に赴き、食材取りをしている。
これは、トリエスタの育ちが原因の一つでもある。
トリエスタは幼い頃に両親を流行り病で亡くし、親戚に引き取られた。しかし、子どもながらに変に気を使ってしまうトリエスタは、自己流で剣技を取得し、11歳の頃には一人旅を始め各地を転々としていた。
どこか一ヵ所に留まるのは性に合わないらしい。
勿論トリエスタの妻、リリアは村から出る事を反対している。この日もここに来る事を拒まれた。
+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-
「また村の外に行くの?」
ターコイズブルーの腰まで真っ直ぐに伸ばされた長い髪が、半開きの玄関から入って来る風に靡く。
女性の声には呆れと不安が入り混じっていた。彼女の名はリリア。ロレスの母親だ。整った顔は少し幼く見え、ややたれ目だが、気の強そうな青い瞳はロレスに似ている。
「ああ。村の外に実っている野菜とか果物とか、たまには食べたいだろ? それに村にずっといるのも楽しくないしな-」
そう応えたのは、玄関の取っ手に手をかけ、扉を半分開けているトリエスタ。焦げ茶色の短髪はロレスと同じく、鶏冠の様に全体的に上へ跳ねている。
無邪気さが漂う顔はロレスそっくりだ。
「楽しくないって言ったって、何かあってからじゃ遅いのよ!?」
「そうだな。でも大丈夫。何か、なんて起こらせない。もしもの時はロレスは俺が守る。それに俺は剣士だ。誰にも負けないよ」
そう言いながら自身の左腰の剣を見せ、トリエスタはニッと、ロレスそっくりの少年の様な笑みをリリアに向けた。
「いつもそう言う……」
未だに納得のいかないリリアは更に顔を曇らせる。そんな妻にトリエスタは笑顔を見せたまま少し眉を下げると、大きな掌をリリアの頭に乗せた。
「!?」
リリアは驚き顔を上げる。そこには濃い緑色の瞳を持った、少し釣り目の夫の真剣な顔があった。
「俺は君の夫で、ロレスとモナの父親だ。どんな事があっても家族を守る。確かに外は危険かもしれない。でも、俺はロレスに外の世界を知ってほしいんだ」
「……だから、あんなやんちゃな子に育っちゃうのよ……」
「えっ?」
トリエスタの言葉を聞くと、リリアは少しだけ間を置き、苦笑いを浮かべた。そんなリリアにトリエスタは首を傾げる。
「貴方にそっくりだって言ったの!」
「俺は子どもじゃないぞ?」
「お父さーん!! 早く行こー!!」
そんな会話をしていると、準備が終わり、先に庭で待っていたロレスが父を呼んだ。
リリアは肩の力を抜くと、やんわりと笑顔を見せ、
「なるべく早く帰って来てくださいね」
そう声をかけた。
「ああ!」
「おとしゃん!」
と、家を出ようとした時だった。
部屋の奥から、ぎこちない歩きをする小さな女の子がやって来た。焦げ茶色の短い髪をふわふわと揺らし、可愛らしい笑顔を見せるこの子はモナ、2才。ロレスの妹だ。
「おとしゃんどこいく?」
「はいはい、お父さんとお兄ちゃんにいってらっしゃいって」
リリアは必死に歩いて来たモナをしっかりと抱きかかえると、トリエスタの大きな掌に小さな掌を合わさせた。
「いてらしゃーい」
「行ってきます!」
「行ってきまーす!」
外から大きな声を投げるロレス。トリエスタは最後にモナとリリアに柔らかく微笑みかけると、ロレスと共に家を後にした。
心配をかけているのはトリエスタにも分かっている。それでも彼は、自分の息子に少しでも外の世界を知ってもらいたいと思っているのだ。
+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-
「おとーさーん!! どこー!?」
ロレスは大きく息を吸い、父を呼んだ。
その声が森中に響く。
「……こっちだー!! ロレスー!!」
「待ってて!! 今行くからー!!」
少し離れた道の先から声が返って来る。駆け足でそちらに向かおうとした時だった。
ガザザッ!!
「!?」
近くの茂みから物音が聞こえ足を止めた。
ロレスは青い瞳を大きく見開く。
「も、猛獣……?」
恐怖で足を震わせながら、左腰にある木刀の柄に手を触れる。
「……ぅぅ……」
「……?」
暫し息を潜めていると、人の声が微かに聞こえた気がした。眉を寄せ、やや首を傾げたロレスは、意を決して茂みの方へと近づく。
「……わっ!? ビックリした!!」
「……ぅう……?」
ロレスは物音の正体を確認すると、再び目を見開いた。
茂みの間に埋もれる様に、ロレスと同い年くらいの女の子がうつ伏せになって転んでいた。
肩くらいまでの髪は淡い赤色。辺りを見渡しても、この少女以外誰も見当たらない。
「大丈夫? 立てる?」
ロレスはスッと、少女に手を差し伸べる。
「ぅ、ん……」
少女はロレスの声に顔を少し上げると差し出された手を掴み、ゆっくりと立ち上がった。
転んだ時だろう。夕暮れをそのまま写したような膝丈のスカートには土埃が付き、両膝からは血が流れていた。
「あ!! 怪我してる!! ちょっと待っててね」
ロレスは女の子の傷を見付けるやいなや、背負っていた籠をその場に下ろし、ズボンのポケットを漁る。
「……あったあった!! じゃじゃーん!!」
「……?」
ポケットから取り出したのは絆創膏だった。少女はエメラルドグリーンの美しく大きな瞳をロレスに向け、不思議そうに無言で彼の行動を見ていた。
ロレスは迷わず少女の前に跪くと、膝に絆創膏を貼り始める。
「動かないでね。剥がれちゃうから」
「……」
「オレもさー、よく怪我するんだー。だからいつも絆創膏持ち歩いてるんだよ。て言うか、お母さんに持たされるって言った方が正しいんだけど。モナがもっと大きくなったら、こうやって絆創膏貼ってあげる事が増えるのかなぁ~。なんかお兄ちゃんみたい~。お兄ちゃんだけどっ!! ハハハッ」
「…………」
「ほいっ、これで良し! もう動いていいよ」
「……」
「……?」
ぼーっと立ち尽くす少女の顔を、ロレスは不安そうに覗き込んだ。
「あ、ごめん、痛かった?」
「…………ううん…………ありがとう」
少女は大きな瞳でロレスを捉えると小さく微笑む。
「どういたしまして! へへへ~」
そんな少女に、無邪気な笑顔を見せるロレス。
「あ、そうだ! これあげるよ」
ロレスは下していた籠から真っ赤に染まった大きなリンゴを一つ手に取り、少女へと渡す。
「オレ、これ好きなんだ~。甘くて美味しくてさっ」
「……?」
「このリンゴでさ、アップルパイをお母さんが作ってくれるんだよ~。それが最高においしいんだ!! モナも、もう少しでお母さんのアップルパイが食べれるようになるんだ~。あ、モナってオレの妹なんだ。茶色の髪がサラサラで、ほっぺはモチモチで、すっっごい可愛いんだ~」
渡されたリンゴを不思議そうに見つめながら、少女はロレスの楽しそうな声を聞いていた。
「君、一人でこんな所に居るの? 誰か近くに居るんだよね? こんな所で人に会うなんて珍しい事もあるんだな~」
「……」
ひたすら一人で喋るロレスに困惑し、口を堅く結ぶ少女。
「怪我は大丈夫? 一人で戻れる?」
「…………う、うん……」
ロレスの心配する言葉に小さく頷く。
「そっか。じゃ、お父さん待たせてるから行くね。よっと!」
ロレスは少女が一人で帰れる事を確認すると籠を背負い直し、父の元へと足を向ける。
そして振り返り、
「じゃーなー!!」
満面の笑みで少女に手を振り、ターコイズブルーの髪を靡かせながらその場を後にした。
「……」
少女はロレスの背中を見届けると、リンゴを両手に抱え呆然と立ち尽くした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「うーん、この辺りから声が聞こえたと思ったんだけど……」
小さな体でトリエスタを探す。ロレスにとって、木々に囲まれたこの森の中で人を探す事は容易ではなかった。
辺りを見渡しては首を傾げる。
そして思い切り息を吸い、
「おとーーーーさーーーーーーん!!!!」
と、腹から声を出した。
すると、隣の茂で誰かがしゃがんでいた体を起こした。
その人影にロレスは目を見開く。
「ハハハハハ!! そんな大きな声出さなくても大丈夫だよ!! ここにいるから」
「お、お父さん!? いるなら早く出て来てよ!! 意地悪っ!!」
人影の正体はトリエスタだった。彼はロレスからわざと隠れて、どんな顔をするか観察していたようだ。そんな父にロレスは頬を思いきり膨らませる。
「そんな怒るなって~。どうだ? 収穫あったか?」
ロレスの頭を帽子ごと軽くポンポンッと叩き、背負っている籠を覗く。中に沢山の果物が入っているのを確認すると、ほぉ~と感心の声を漏らした。
「へへんっ! 大量だよー」
そんな父にロレスは自慢げに胸を張る。
「凄いな!! お父さんも木の実と野菜、いっぱい取れたぞ!!」
「本当だ!! お母さんとモナ、喜ぶかな!?」
トリエスタの背負っていた籠の中をロレスが覗き込むと、目を輝かせる。
「勿論!! じゃ、そろそろ帰ろうか」
「うんっ!!」
ロレスの機嫌もすっかり直り、二人は村へと足を向けた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――クヤタ村
「お、帰って来た!! ロレスー!!」
村の入り口には、肩に付くくらいの淡い青色の髪を後ろで一つに結んだ少年がいた。
彼はロレス達の姿を見付けると手を大きく振る。
この少年はフィル・ベディアーノ。13歳。ロレスとは幼なじみである。
彼は蝶を模った首飾りをぶら下げている。この蝶の羽にはアメジストが埋め込まれており、太陽を浴びる度美しく輝く。
子どもには高価な物に見えるが、これは彼の亡き祖母から受け継いだ大切な御守だ。
「フィル! ただいまー!!」
ロレスは背負っていた籠をトリエスタに預けると、フィルの元へと走り出した。
「今日も広場行くぞー!!」
「待っててくれてたのか?」
「ああ。家に行ったら、リリアさんが外に出てるって教えてくれてさ。そろそろかな~って」
フィルは赤い瞳を細めると、いたずらっぽく笑みを浮かべる。そんなフィルを少し見上げ、ロレスは無邪気に笑顔を見せた。
ラックファン家とべティアーノ家は家が近く、家族ぐるみで仲が良い。ロレスとフィルは髪色も少し似ているので傍から見たら兄弟の様だ。
「トリエスタさん、こんちは!!」
「こんにちは、フィル。お前も相変わらず元気だな」
ロレスの後をゆっくりと歩いて来たトリエスタに、フィルは丁寧にお辞儀をし挨拶を交わした。そして、あどけなさが残る笑顔を見せる。
「へへへ~、じゃ、俺達は広場に行ってますね。行こうぜロレス!!」
「ああっ!!」
「二人共、暗くなる前に帰って来いよー」
「うん!!」「はい!!」
そうして、ロレスとフィルはトリエスタに背を向け、村の中心部にある広場へと駆け足で向かった。
そんな二人の小さな背中に、トリエスタは声を投げかける。
「泥だらけになって帰って来て、お母さん怒らすなよー!!」
「分かってるって!!」
「ハハハッ!! 俺ら、いっつも汚して帰るもんなー!」
走りながら振り向き、大きな声で応えるロレス。フィルはそんな二人のやり取りに、声を上げて笑った。
「他人事みたいに笑いやがって。フィルだって、おばさんに怒られてるんだろ!」
「ああ、いつもなー。母さんは怒るのが仕事、俺らは怒られるのが仕事ってな~」
「なんだよそれ」
「ハハハハハハハッ」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「はーい、今日も俺の勝ち~」
フィルは木刀を左手に持って、誇らしげに胸を張った。彼の目線の先には見事に木刀を投げ飛ばし、尻もちをついたロレスがいる。
二人の服は裏切る事はなく、既に土埃でかなり汚れていた。
「その大きく振りかざす癖直さねーと、俺には勝てねーよ」
「あー……もー……」
「脇ももっとこー、締めて」
「……はいはい」
「聞いてんのかよ……」
何度となくフィルと木刀を使って剣術を磨いてきているが、ロレスは一度も勝った事がない。
フィルの声を聞き流し、半ば拗ねた様子でゆっくり立ち上がる。そして、木刀を拾い、離れた所にあるベンチまで帽子を取りに行った。
「なんだ、もう終わりか?」
「今日はもう良いよ。はぁ……何で上手くいかないかなー」
そう言いながらロレスは深く帽子を被り直すと、広場の中央にある大きな木の根元まで移動し、腰を下ろした。
苦笑いを浮かべたフィルは右腰に木刀を差し、ロレスがもたれかかっている木に近付く。そして、躊躇う事なく器用にその木に登り腰を下ろした。
広場で遊んだ後、二人は村で一番大きなこの木に登るのが日課だった。
しかし、この日のロレスは木の幹に背中を預けたままで、一向に登ろうとしない。
「そっから落ちるなよ」
彼はフィルを見上げ、そう声をかける。
「ばーか、俺が落ちるわけないだろ。木登りには自信がある。ていうか珍しいな、そんな所に座ってさ。登らないのか?」
木登りが得意なフィルは、不思議そうに軽く首を傾けた。
「今日はいい」
「何で?」
「…………笑うなよ」
「ああ」
「……今日この帽子取るのに木に登ったら、なかなか届かなくて……落ちた」
「プッ」
「あ!! 笑うなって言っただろ!! 大変だったんだからな!!」
フィルが腹を抱えて笑い出したのを見て、ロレスは顔を真っ赤にして彼を睨み付けた。
「ハハハハ!! わりぃわりぃ!! お前はチビだからな、腕伸ばしても届かねーか」
涙を流しながら言うフィルに、ロレスは頬を膨らませ目を反らす。
「うっせ。オレだってな、今はこんなんだけど、来年にはフィルを抜かしてやる」
「チビって自覚はあるんだな」
「あーもー!! うるさいな!!」
「ハハハハハハハッ!!」
フィルの大きな笑い声が響く。
しかし、笑っていたのも一時。彼は唐突に真面目な顔つきになった。
「なぁロレス。この前やった歴史の授業覚えてるか?」
「え、何急に。……世界大戦のやつ?」
「そう、それ。その世界大戦に出て来たルアーニ人の存在って信じてるか?」
「何だよ……そんな事聞いてどうする?」
「良いから。信じてる?信じてない?」
「うーん…………」
あまりにも真剣に聞いてくるフィルに呆気に取られ、ロレスは暫く目を瞑り首を捻る。
「……ルアーニ人って、オレ達アーメル人とはかけ離れた力を持ってるんだったけか?」
「そう。魔術って言うらしいな。何もない所に風や火、水を出したりしてそれらの物質を武器にする事が出来るっていう」
「オレは信じないなー。お父さんは昔旅をしてたみたいだけど、そんな話は一度も聞いた事ないし。そもそもそんな力を持ってたなら、戦争になんて負けないだろ。神話だよ神話」
ロレスはそう言うと、手をひらひらとさせ興味なさげに首を横に振った。
「神話か……。なら、どうして俺達の事はアーメル人って呼ばれてると思う? ルアーニ人が存在しないなら、俺らをアーメル人なんて呼ぶ必要がない」
「あ……。確かに……」
フィルの言葉を耳にしたロレスは動かしていた手を止め、ゆっくりと木を見上げた。
フィルは木に座ったまま真っすぐ前を向くと、和な風で青い髪を撫でながら、真剣な声で話を始めた。
「この世界には二つの種族が存在してる。俺らみたいに魔力とか、そういう特別な力を持っていないアーメル人。そして、魔力という無限の力を持ってるルアーニ人」
「……」
「遥か昔、世界大戦と呼ばれるアーメル人とルアーニ人との戦争があった。その戦争に勝利したのはアーメル人。先代のオーズラン王が率いたガイルアード騎士団の手により、勝利と世界の領土全てを収めた。敗北したルアーニ人は領土を失くし絶滅。今の時代はアーメル人のみが生き、ルアーニ人と共に魔術という力の存在はなくなった。ルアーニ人を知っている人も、信じている人も少ない。……これが教科書の内容」
「……」
「でも、本当にそうなのか……。隠された真実があるのかもしれない」
「隠された……真実?」
ロレスの声に浅く頷くフィル。
「俺は、まだルアーニ人は存在してると思ってる。ガイルアード騎士団だって、ルアーニ人との戦争がなければ必要ないだろ?」
「で、でも、戦争がなくたって、ガイルアード騎士団は世界中の治安維持には必要な組織だ」
「だな。けど、ガイルアード騎士団ってオーズラン城の隣に建てられてて、スゲーデカいんだぜ? ……実際に見た事はないけど……。この世界はオーズラン王が支配してるって言ってもおかしくないし。そんな規模の騎士団、戦争が起こり得ない今の時代、治安維持の為だけに必要か?」
「それは…………」
「そこそこ大きな町にはガイルアード騎士団が配備されてるらしい。それが治安維持の為なのは分かるけど、本当はルアーニ人がまだ存在してるから、警戒してるんじゃないかって、俺は思ってるんだ」
「……いつ、攻められても守れるように……?」
「うん」
「じゃ、じゃあさ、フィルは、その……いつか戦争が始まるって思ってるのか?」
「ああ」
「……」
「って事で」
フィルは登っていた木から飛び降りると、ロレスに背を向けたまま話を続けた。
「俺は数年後、旅に出る」
「旅? フィルが? 何かっこつけて言ってんだよ」
「旅に出て、ルアーニ人が本当に存在するのかこの目で確かめる。んで、まだまだ知らない未知の世界を知るんだ」
「へー……」
「へーって、興味なしかよっ!?」
背後から飛んできた興味のなさそうな弱い声に驚き、フィルは慌ててロレスに振り向いた。
「え、あ、いや、……何か想像出来なくて。神話みたいな話が出てきたりして……。騎士団には入らないのか?」
「そんな所行ったって、自分の動きを縛られるだけだろ」
「そっか、そうだよな…………」
「どうだ? ロレスも旅に出てみないか?」
「うーん……」
フィルの赤い瞳に希望が映るが、ロレスは首を捻ったままだ。
「考えておくよ」
「わー適当ー……。ま、良いか。そろそろ帰っか」
「ああ」
ロレスは立ち上がり一旦背伸びをすると、立て掛けていた木刀を手にする。そして、二人は服を汚したまま広場を後にした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――帰り道
「あ、そう言えば今日さぁ、村の外で女の子に会ったんだ」
「村の子?」
「ううん、知らない子。一人だった。オレ達と同じ位の子だと思う」
「声、かけたのか?」
「うん。お父さんの所に戻ろうとしたら、たまたま会ったから」
「迷子? ちゃんと道教えたんだろ?」
「それは教えてないよ」
「えっ、じゃあ何を聞いたんだお前!?」
それまで真っすぐ前を向いて会話をしていたフィルが急に足を止め、驚き目を見開く。
「聞いたって言うか、転んでたから絆創膏貼ってあげて、リンゴを渡しただけだけど?」
ロレスも歩みを止めると、フィルに振り返りながら当たり前の様に応える。
「……森に子どもが一人でいるのは危険だろ……俺らだって木刀持って歩くように言われてるんだからさ」
「あー……」
「あー……って……」
赤い瞳に不安の色を見せ、フィルは顔を引きつらせた。
「……そもそも、この辺りで一番近い町はルマスだ。クヤタ村じゃなかったら、その子は相当遠い所から来てる事になる。一人だったら、迷子の可能性が高い。食材探しをしてる時、他に大人の姿を見てないんだろ? 無事に帰れると思うか?」
「……確かに……」
そこで、今更事の重大さに気付いたロレスは言葉を詰まらせる。
「オレ、決めつけてた……。誰かと一緒に、旅か散歩に来てるんだって…………」
「こんな所、散歩になんか誰も来ねーよ……」
「…………あの子、ちゃんと家に帰れたのかな……」
「………………」
「オレ、まずい事しちゃったかな……」
「それは…………」
「………………」
「っし」
フィルは口を閉ざしたロレスの姿を見ると、短く深呼吸をし、彼の背中を押した。
「行くか」
「え?」
「モヤモヤするくらいなら、行ってみようぜ。そんなに離れてないんだろ?」
「……少し歩くけど、そこまで遠くない」
「決まりだ。別に村から外に出ちゃいけないなんて規則はないんだし、急いで帰って来れば大丈夫だろ。行くぞ!」
暗い顔をしていたロレスは顔を上げると、しっかりと頷いた。
「……うん!!」
そうして、二人は勢い良く村の外へと向かった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「おーい、誰かいないかー!?」
「おーい!! ………………いないな……」
ロレスの案内で少女と出会った場所に来ても、当然の事ながら人の気配を感じる事が出来ない。
「……ちょっと奥まで行ってみっか」
「うん」
しかし、暫く森の中を探索しても誰にも会う事は出来なかった。
「いねーな、誰も……」
「……」
不安そうに眉を下げるロレスにフィルは優しく微笑むと、なるべく明るく声をかけた。
「まぁ、そう気を落とすなって。今頃は家族と一緒にいっから」
「…………」
「そろそろ帰ろう、暗くなっちまう」
「……う、ん……」
渋々頷くと、ロレスはフィルの後を追い森を後にする。
「……」
それでもロレスは何度か足を止め、誰も居ないと分かっていても後ろを振り返った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「きっと女の子は大丈夫だ。考え過ぎるなよ。じゃ、また明日なー」
「うん、また明日」
夕暮れ時。
ロレスとフィルは何事もなく村まで戻って来た。そして、互いに家へと足を向ける。
「あ、やっべ。流石に汚すぎるかな……」
家の前に辿り着いたロレスは、自分が思っていた以上に服を汚していた事に気付き慌てて払い落とす。
「……これで良いか」
そして、何事も無かったかのように玄関を跨いだ。
「ただいまー!!」
「おかえりー」
「おかえりなさい」
家の奥からリリアとトリエスタの声が飛んで来る。
「あー腹減ったー、んーー良い匂い~」
リリアが夕飯の支度をしていたのだろう。腹を空かせる香りが充満していた。
「ふふーんっ~腹減った~腹減った~っと」
鼻歌を歌いながらロレスが家に上がろうとした瞬間だった。玄関に姿を現したリリアは、目を恐ろしい程吊り上げた。
「こらロレス!!」
「げ」
「服!! ちゃんと綺麗にしてから入りなさい!!」
「さっきやったよ」
「口答えしない!!」
「はい……。あー……やっぱり駄目だったか……」
案の定、リリアの怒鳴り声が早速ロレスを迎えた。ロレスは玄関で足止めをくらい、面倒くさそうに玄関を開けたまま外に出ると服を叩き、付いていた汚れを落とす。
「良いじゃん、どうせ服洗うんだから。それにほら、帽子は綺麗なままだよ」
「洗うのはロレスじゃなくてお母さん!!」
リリアの声に気付いたトリエスタが、奥の部屋からニョキッと姿を現す。彼はモナを抱えて寝かせている最中だった。
そして悪戯っぽく笑みを浮かべ『言わんこっちゃない』と、口だけ動かし、再び部屋の奥へと消えていった。
「……」
リリアはロレスの方を向いているので、それには気付かない。
「さ、ちゃんと綺麗にしたら上がって来なさい。すぐご飯にするわよ」
「やった!! ご飯ーご飯ー」
ロレスはその言葉を聞くと、急いで泥と砂ぼこりを払い落し、家の中に勢い良く入って行った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
日はすっかり傾き、辺りは真っ暗だ。
虫の音が飛び交い、月と無数の星がこの森を照らす唯一の光。
「…………」
「見つけましたぞ、メノティリア様!!」
「っ!!」
少女は茂みに隠れ膝を抱えていた。そこを全身を覆う焦げ茶色のローブを着た男に見付けられる。
その男の声に肩をビクつかせ、少女はエメラルドグリーンの大きな瞳を見開き、恐る恐る顔を上げた。
「…………」
「さ、戻りますぞ」
「あっ……」
腕を強引に引っ張られ、無理やり立たされる。その勢いで、抱えていたリンゴが手放され地面へと転がっていった。
拾いに行こうと体を傾かせたが、男の力が強く引き戻されてしまう。
虚しく転がったリンゴは暗闇に消え、少女は男に連れられその場を後にした。