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第16話 乗

「竜の守り神?」

「そう。これが、フィルを災いから守ってくれる。名前はロウファン」


 袖口から除く皺だらけの細い手から渡されたのは、銀の細い鎖に繋がれた蝶の首飾り。羽部分にはアメジストが埋め込まれ、光が当たると美しい薄紫色へと変化し、見る者の心を奪っていく。


「綺麗……でも、何で蝶々なのに竜?」


 まだ幼さの残る丸みを帯びた顔のフィルは、手にした首飾りを窓から零れる太陽の光に当て、その美しさに目を輝かせながら首を傾げた。


「見た目なんて関係ない。どんな姿いのちでも、宿す心は美しく大きく、そして暖かい」

「……?」


 ベッドの上に座る老婆は、皺の多い顔を柔らかくさせ、温かな微笑みを見せながら話を続ける。


「これはね、じいちゃんがばあちゃんにくれた御守なんだ」

「じいちゃんが?」

「そう。これが、ばあちゃんをずっと守ってくれていた。今度はフィルがこれを持つんだ。必ず守ってくれる」

「でも、ばあちゃんの大事な物なんでしょ?」

「フフッ」


 フィルの言葉に老婆は微笑む。


 その微笑みが太陽の光で消されてしまいそうな錯覚を起こし、慌ててフィルは小さな手で蝶の首飾りと老婆の両手を一緒に包み込んだ。


「ばあちゃんを守る役目は果たした。その御守が手元になくとも、今のばあちゃんの御守はあんただよ、フィル」

「……」

「もう少しでばあちゃんは、じいちゃんの所に行く。ばあちゃんが成しえない、この先の時代を生き、人々を守るフィルにこの御守を託すよ。そして未来へと命を繋げる……」

「……」

「約束だよ、あんたは生きる。この先も、ずっと……」




+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-




 村長に教えてもらった道を進み、樹海へとやって来たフィルは、淡い青色の長髪を軽く掻き分け、無意識に左手を胸元に触れる。今は祖母から貰った首飾りはない。


「…………もう、十年前か……。……ばあちゃん、ごめんな。……竜の守り神は今、別の人達を守る為に、俺の手元にはないんだ……。……ちょっとばかし、許してくれ」


 あの会話をした三日後、祖母は旅立った。


 不思議な事に、祖母が亡くなったという感覚がフィルには無かった。いつも、どこかからか見守られている様な気がしていた。だからだろうか。『その子に預けろ』と声が聞こえた様に感じ、ルトロに御守を渡した。


「……ばあちゃんが居るわけないのにな……」

 

 苦笑いを浮かべ空を見上げる。そして再び前を向くと、樹海の奥へと足を運んだ。


「うぉ……ここまで来ると、流石に俺もこの瘴気には耐えられないかもな……」


 辺りは木々や花々、そして虫達が命を落とし腐り始めていた。更に足を進めると、濁った湖に辿り着く。


「……湖…………」


 鼻を刺す匂いに眉を寄せる。


 (……瘴気が湧き出てる…………)


 顔を引きつらせながら湖へと近付く。重い空気を肌で感じ、瘴気の根源となっている場所がこの湖だと確信した。


 (……どうすれば瘴気を消せる…………?)


 瘴気は目に見える物ではない。この大きな湖のどこから湧き出ているのか全く見当も付かない。


 手足が痺れ、呼吸が苦しくなっていく。これ以上の滞在は危険だと、本能が悟っていた。


「……ホウトの人達が苦しんでるんだ……俺がやらないと……!! ……あれは……?」


 ぐるりと湖を回ろうとしたフィルは、黒茶色の大きな動く塊に気付くと足を止め、息を潜めた。


「……狼……?」


 訝しげに見詰めた先。大きな塊は、濁った湖の水を飲んでいた狼だった。その体長は4メートル以上。尾を含めば5メートルに近いだろう。


「……でけーな…………」


 この樹海に入り、初めて命を持った生き物に遭遇すると関心したように声を漏らす。しかし、この狼からは異臭と妙な威圧を感じ眉を寄せた。


「ギャルルルルル!!」


 すると、人間の気配を感じ取った狼がフィルの方へと振り返った。間髪入れずに、その狼は鋭い爪を地面に埋め込みながら、フィルの元へと向かって来る。


「おっと!?」


 フィルは自分の身体よりも遥かに大きな狼に怯む事無く、瞬時に右腰に下げていた剣を左手で引き抜き構える。


「お前、瘴気に感染したのか? せっかく死なずに生き延びていられたのにな……今、楽にしてやる」

「ガウウ!!」

「よっ! おらぁ!!」


 剣を振るう彼の言葉に返事などする筈もなく、狼は無心にフィルを食らおうと襲い掛かる。


「……っ……かなりぬかるんでる……おっ!?」


 見た目は乾いた地面の筈が、足に力を入れると場所によってぬかるんでいる事に気付いた。


 そんなフィルなどお構いなく、狼が牙を剝き出しにしながら襲いかかる。


「ギャウゥゥウウ!!!!」

「あぶねーなー!」


 狼を軽くあしらいながら、足場の悪さを感じさせない身動きで剣を振った。


 しかし、狼も上手く剣から逃れる。


「でっけー体なのに……動きの速い狼さんだねぇ……」


 フィルは口の端を上げ、軽く後ろへ一歩下がり踏み込む。


 向かいから走って来る狼の背中を飛び越え、赤黒いコートを翻し背後を取った。


「オラァ!!」


 ガギーンッ!!


 狼は背後に避けたフィルに気付くと素早く振り返り、彼の剣を咬み動きを止める。その素早い行動にフィルは目を見開いた。


「なっ!? こいつ後ろにも目があるのかよ!? 流石野生動物だっなぁぁぁぁああああ!!」


 剣を握る手に力を込める。しかし、狼の口から剣が引き抜けない。


「くっ!? つ、強っ……おらぁ!!」

「ギャウ!!」


 足蹴りを食らった狼は遠くへと飛ばされる。

 

 自慢の脚力を利用し、剣を引き抜く事が出来たフィルは、やや離れた所にあった大岩へと飛び乗った。


「……あーあ……刃先が少し欠けちまった……どんな歯してんだ……」


 そう言いながら、顔を引きつらせるフィル。再度剣を握り直し、狼の動きを捉える。 


 狼は直ぐに体制を戻し、牙を剥き出しにしながらフィルの足場になっていた大岩に突撃した。


「なっ!?」


 体が大きく揺らぎ、目を見開くフィル。慌てて赤黒いコートを翻し、狼から距離を取り着地する。


「これ砕けんの!? おっそろしー!!」


 彼が見た光景は、物の見事に大岩を砕いた狼の姿だった。狼の額には一切傷が付いていない。


「あ、やべっ!!」


 狼の動きに気を取られたフィルは、ぬかるんでいた地面に足を持って行かれ、身動きが出来なくなった。


「くっそ!! っ!?」


 足を引き抜こうともがく。しかし、焦りからか迂闊にも背中から地面に倒れてしまった。空を見上げた彼の視界に狼が映り込む。


「ガゥゥゥウウッ!!」

「っ!!」


 狼はフィルの上に覆い被さる様に襲いかかって来た。瞬時に剣を構え身を守るフィル。狼は目の前に差し出されたその刀身に咬み付いた。上から押されたフィルは、狼の重さに冷や汗を浮べ歯を食いしばる。


「重っ!! おらぁぁぁぁああ!!」


 ギャギーーーーンッ!!


「なっ!?」


 ようやく抜けた足で狼の腹を下から蹴り、剣を振るおうとした時だった。


 嫌な音を立てると共に、視界から銀色に輝く刃が消えた。


 ……刀身が折れてしまったのだ。


 それを見たフィルは驚愕の表情を見せると、瞬時に地面に預けていた背中を勢いよく横に転ばせた。


 彼がつい先ほどまでいた場所が、狼の巨体に押しつぶされる。間一髪の所で、フィルは狼の牙と鋭い爪から逃れた。狼の足元には、折れた刀身が虚しく落ちている。


「おいおいマジかよ!!」


 急いで立ち上がったフィルは、刃先を失ってしまった剣を見ると驚愕の声を上げる。


 横に転がり避けようとした時だろう。狼の鋭い爪が、彼の髪留めに掠り、縛っていた長い髪が解けていた。


「ハハッ……これ、ヤバくね? ……おっと!!」


 細かく震える手を必死に抑え込もうと冷や汗を浮かべるフィルに、安息の時間は与えられなかった。


 フィルの居場所を見失っていた狼は辺りを見渡す。そして、彼を見付けると再び走り出した。


 フィルは刀身を失った剣を握ったまま、襲いかかる狼を可憐に避ける。


「ちょっと待てって!! お前、さっきより動くの早くないか!?」


 あろうことか、狼の動きが今までより格段に早くなっていた。


 何度も背後に回り込み、隙を付こうと動き回るフィル。しかし、疲れのせいかペースが落ちていく。


「ぐっ!?」


 ボタボタボタッ……


 フィルの動きが僅かに鈍くなった時。振り返った狼の牙がフィルの左腕に刺さった。


 あっという間に真っ赤に染まる袖。地面へと音を立てながら流れ落ちて行く血。


「このぉぉぉおおお!!」


 フィルはそれでも怯む事はなかった。


 左腕を咬まれたままの姿勢で、右手で剣を持ち替え、柄に僅かに残された刃を狼の目に突き刺した。フィルの腕を離す事無く唸り声を上げ、激しく首を振る狼。


 引き千切られそうな程の激痛に耐え、顔に狼の血を浴びる。大きな粒の汗を流しながら、フィルは瞬時に右手で左胸の内ポケットに仕舞っていたナイフを取り出す。そして渾身の力を込め狼の首に刺した。


「おらぁぁあああああ!!」


 声を張り上げ、狼の首にナイフを刺したまま、もう一度腹蹴りを食らわせる。


「ギャウゥゥゥゥウウ!!!!」


 バシャァァァァン!!


 鳴き声と共に狼の巨体が湖に落ち、大きく波を打つ。


 フィルは肩で呼吸をしながら胸程までの高さの波を受け、その後水飛沫を浴びた。


「はぁはぁっ……くっそ……はぁはぁ……」


 左腕を抱え、眉を寄せる。


 彼が持っていた武器は何も残されていない。ここで再び狼が立ち上がれば、丸腰のフィルに勝ち目はない。


「っ……あのっ、はぁ……巨体が見えない、っ程の深さ……はぁはぁっ……なのかっ……ここ……」


 汗を垂れ流し荒れた息を整えながら、狼が湖から上がって来ないか暫く見張った。湖の底へと落ちた狼の姿は全く見えず、這いあがって来る気配がない。


「ぅっ!?」


 安堵する間もなく、体の中から聞いた事の無い音が響いてくるのを感じた。胸が張り裂けそうな感覚に陥り、服に指を食い込ませ、強く胸を押さえる。


「ガハッ!?」


 ボタボタボタッ……


 抑える事の出来ない吐き気を催し、地面へと嘔吐する。鉄の匂いが鼻に付く。ほぼ黒に近い血が吐き出されていた。


「ハァ……ハァッ……クッゥ……」


 息が上がり手足が震え、立っていられなくなったフィルは両膝を付いた。右手を地面に付け、吐き出された血と、左腕の傷から止まる事を知らない血が地面を赤黒く染めて行く。


 冷や汗が止まらない。意識が朦朧もうろうとしていく。


 彼は届きもしないと分かっていても、折れた刀身へ血に染まった左手を上げ、僅かに伸ばした。


「……はぁ……ダメ……だっ……これ以上先にはッ……誰も……行かせないっ……ホウトの人達の……命を……守らないと……!!」


 自分を奮い立たせる様に呟くも、遂に地面に倒れ伏せてしまった。


 助けなど来る筈もない。来たとしても、その人は確実に瘴気で命を落としてしまう。


「…………はぁ…………はぁ………………………………」


 荒かった呼吸は徐々に落ち着きを取り戻す。しかし、彼が再び立ち上がる事はなかった…………。




+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-




 ――何だい。こんな所でくたばっちまうのかい


「……」


 久しく聞いていなかったしゃがれた声が、どこからか聞こえて来た気がした。


 ――駄目だよ、こっちに来るのはまだ早すぎる


「……」


 二度と聞けない、冷たいのに、暖かい声。


 ――あんたは、この先の時代を生き、未来を繋ぐ


「……」


 ――立ち上がるんだよ、フィル!!




+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-




 時は彼を残し、虚しく過ぎて行く……。


 草花が腐り、太陽へと向かって伸びていた木々も朽ち果て倒れていく。


 鳥も虫も、この湖一帯に存在していた生命は、全て消えていった……


「…………」


 筈だった……。


 地面に倒れ込み、二日間動かなかったフィルの右手が、電気が走ったかの様にピクリと一度跳ねる。


 狼に咬まれた左腕の傷は消えてはいないが、血は止まっていた。


「……」


 僅かに開かれた赤い瞳は、視点が合わない。


「…………」


 ……彼の命は、まだ消えていなかった。


 ――あんたには、竜の守り神がいる……


「……りゅ……ぅ……」


 視界がぼやけ、思うように体に力が入らない。


「……ま……もる………………」


 小さな声を漏らすと、ふらつく体を無理やり起こした。そして、虚ろな目で、太陽の差し込まない空を見上げる。


 この薄暗い場所で、何故か出来るはずがない影がフィルの足元に出来ていた。


 しかし、それは人の形をしていない。


 まるで、空想の生き物……竜の様だ……――




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 

「それが、嵌合体キメラになった経緯か……」


 真剣にフィルの話を聞いていた三人。フィルの話が終わると、ロレスは大木に背中を預けながら感慨深そうに呟いた。


「これ以上奥に人が入ったら、間違いなく瘴気に当てられて命を落とす。人を守らねばならないという思いが強かったから、湖には一切近寄らせない動きを取っていたのだな……」


 そう冷静に口にしたのは、大岩に腰かけているリヴァラだった。


「その狼も、瘴気に感染していたのか……。狼の体長はデカくても精々2メートルくらいだよな?」

「……そうだな。……しかし、狼は実在しているが……空想の生き物である竜になった理由が……まさか守り神の話に繋がるとは……瘴気に感染した狼に咬まれ、守り神である竜が時折意志を失っていた……と……こんな感じだろうか?」

嵌合体キメラなんて、実際この目で見るまで信じてなかったしな……」


 ロレスの言葉に頷くリヴァラ。彼女は組んでいた腕を解くと、今度は右手を顎へと運び話を続ける。


「……君は人と嵌合体キメラ、交互に変化していたのかも知れない。君の姿を確認する事は出来なかったが、嵌合体キメラは見たという情報を村長さんが話してくれたからな」

「村長さん!? 村長さんはまだ元気なのか!? 俺、一体何日ここに居る!?」

「村長さんは元気だったよ。ただ、やつれた顔はしてたけど……。村長さんの話だとお前は約一ヶ月ここに居る」

「一ヶ月っ!? マジで!?」

「マジで」

「……」


 目を見開き、声を上げるフィル。そんな彼にロレスは真顔で頷いた。


 言葉を失ったフィルは何度か瞬きを繰り返すと、リヴァラの隣に立っていたマトリカリアへと目を向けた。


「……で、瘴気を消したのが、そちらのお嬢さん……カリア……だっけ?」

「……」


 赤く鋭い目でロレスの脇に立つマトリカリアを見据えるフィル。


 マトリカリアはその眼差しに顔を強張らせつつも、しっかりと頷いた。


「一体どうやって……?」

「……えっと……その……」


 マトリカリアは、フィルから目線を外すと口ごもってしまった。


 幾度となく目線を彷徨わせていると、ロレスとリヴァラと目が合う。不安そうにする彼女に二人は大丈夫だと言う様に、優しく微笑みかけ頷いた。


「……」


 その二人の顔が彼女の背中を押す。


 マトリカリアは一度目を瞑ると、静かに淡い赤色の髪を揺らし頷く。


「……ま、……」

「ま?」


 小さな声を聞きとったフィルは少し眉を寄せ、首を傾げる。


「……ま、……じゅつ……です」

「は?」

「わ、私が……魔術で瘴気を消しました……」

「……」

「…………同時に、感染してしまったフィルさんを浄化して……傷も治しました……」

「ごめんな、意味が分からない…………は?」


 思いがけない言葉を聞いたフィルは素っ頓狂な声を上げた。そのまま驚愕の表情を浮かべたままロレスとリヴァラへと視線を移す。


 リヴァラはマトリカリアが必死に言葉を発しようとした姿に微笑んでいる。


 ロレスは寄りかかっていた木から離れ、マトリカリアの隣に立つと彼女の肩に手を添えていた。

 

「ルアーニ人なんだよ、この子」


 とリヴァラ。その声にフィルは更に目を見開いた。


「あの魔術師の? ルアーニ人?」

「ああ」

「はぁ!?」


 フィルの問いかけに真顔で頷くロレス。


「ほら、そんな睨むなって。怯えちまうだろ」

「睨んでねーし、元々こういう目付きだし」


 切れ長の鋭い赤色の瞳をマトリカリアに向け続けるフィルに、ロレスは苦笑いしながら声をかけた。


 暫くして、フィルは思い出した様に口を開く。


「え、あ、じゃあ……もしかして、さっき夢で見てたメノティリア・クリスタルとか、戦争とかって話は……お前らの会話か!?」

「おお、聞いていたのなら話が早い」


 関心した様に頷くリヴァラ。ロレスも驚いた表情を見せている。


「スゲーな。俺なんかメノ何とかって、未だに覚えられてないのに」


 ロレスの言葉にマトリカリアは苦笑いを浮かべている。


 頭に左手を軽く添えたフィルは、一粒の汗を流し、目を見開きながら記憶に残る言葉を口にしていった。


「全部鮮明に覚えてる……。メノティリア・クリスタル……アーメル人殲滅機構、ジャルノッカ……全部……。……君が……メノティリアの生まれ変わりって子かなのか……?」

「……はい」

「……そっか……」


 フィルの言葉に、マトリカリアは隠す事なくしっかりと頷いた。


「驚かないのか?」


 と、ロレス。


「……自分がこんなだしな」

「…………」


 フィルは軽く肩を落とすと、苦笑いを浮かべた。そして頭の上に出来た、狼を連想させる耳の形をした髪を指さす。


「全部信じるよ。あり得ない事って、実際起こり得るものなんだな。君達の話が聞こえていたのは、この狼の力のおかげなのかね。さながら地獄耳だな。……しかしまぁ……こんな姿じゃ、ホウトには戻れないな……」


 比較的明るい声で話していたフィルだったが、徐々に声が暗くなっていく。彼の顔には不安が募り始めていた。


 彼のその様子に、ロレスは眉を軽く寄せると声をかける。


「ルトロに会わなくて良いのか? あの子、ずっと待ってるんだぞ。フィルの帰りを」


 ルトロの名を聞いたフィルは、目を伏せると顔を少し引きつらせた。


「……ルトロに会ってたのか……あの子、まだ元気なんだな……良かった……」

「……お前の元気な姿、見せてやれよ」

「………………怖がらせるだけだ……顔向け出来ない……」

「そうだろうか?」

「……」


 吐き捨てる様に言うフィル。そこで、リヴァラは凛とした声を彼に投げかけた。


「君は瘴気を消しに勇敢に立ち向かった英雄だ。どんな姿になろうとも、受け入れてくれるはずだ」

「瘴気を消したのはカリアだ……俺じゃない……」

「これ以上の犠牲者を出さない様に見張っててくれてたのはフィルだろ」

「そうです……。……その姿は、フィルさんが命を犠牲にしてでも守ろうと立ち向かって行った証です……。……胸を張ってください」

「………………」


 三人の言葉がフィルの心に染みていく。ロレスは更に言葉を続けた。


「俺がホウトに着いた時、ルトロは俺をお前と見間違って、すっげーー笑顔で迎えてくれたんだ。あの時の笑顔、いや、それ以上のルトロの最高の笑顔を受け止めてほしい」

「…………」

「必ず戻るって言ったんだろ。……ルトロとの約束、果たせよ」

「…………」


 暫く赤い瞳を閉じていたフィルは、そのままの体制で頷き口を開いた。


「…………………………分かった……行こう……」


 そして、しっかりと顔を上げると、リヴァラとマトリカリアに向き合った。


「改めて、俺はフィル・ベティアーノ。色々迷惑かけたみたいで悪かった。それから、助けてくれて本当にありがとう」

「……マトリカリアです……」

「マトリカリア? カリアは愛称だったんだ?」

「は、……はい……。……しゃ、喋るのが……苦手なので……馴れるまで時間ください……」

「そっか。大丈夫、ゆっくりで良いよ」


 マトリカリアに、にこやかに笑顔を向けるフィル。リヴァラも後に続く様に名乗り出た。


「私はリヴァラ・クフォーラ。ガイルアード騎士団の総隊長だ。よろしく」

「騎士団の総隊長!? そんな若いのに!?」

「私の事は道中説明する」

「わーお……」


 フィルは何度も瞬きを繰り返すと、ロレスへ顔を向ける。


「……ロレス、一体どうやってこんな希少な人達を見付けた?」

「偶然出会っただけだ」

「……偶然……ねぇ……」


 苦笑いを浮かべるフィル。


「ま、良いか。俺のせいで移動するのに時間かかったよな。出発しよう」

「体はもう平気なのか? 無理しなくとも、もう暫く休憩していて大丈夫だぞ」

「ああ、平気だ。何だか、前より足腰が軽いんだ。耳も、この体力も狼の力だったりしてなー。あ。これ、ロレスのジャケットだろ? 返すよ」


 そこでフィルはリヴァラにしっかりと頷くと、自分が羽織っていたジャケットに手を触れる。


「お前の服、ボロボロなんだから村に着くまで着てろ」

「……袖が短い」


 両腕を軽く横に広げるフィル。確かに、袖の長さがやや足りていない。ロレスはそんな彼を見上げ、眉を吊り上げた。


「フィルの背丈がデカいからだ」

「お前、今年で17歳だよな? 相変わらずチビだなー」

「フィルと一緒にするな。俺は標準だ」

「ほら、丈も短い」

「お前がデカすぎるんだって!!」 


 クルリと後ろを向き、丈の短さを主張するフィルにロレスは声を荒げた。


 そんな二人を見ていたマトリカリアは、クスクスと笑っている。リヴァラもその光景に頬を緩ませながら口を開いた。


「五年も会っていないというのに、君達は仲が良いんだな」

「まぁ、子どもの頃から一緒だもんな」

「兄弟みたいな感じだな」

 

 ロレスとフィルは互いに頷くと、昔と変わらない笑顔を向け合った。






◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆






 樹海の中を歩きながらリヴァラの話を聞いたフィルは、思い出した様にロレスへ顔を向けると口を開いた。


「それで、総隊長になったんだ……お兄さんの裏切りか……。……リジックさんって、確かロレスの恩人だったよな? セシオンさんにもお礼を言わなきゃって、随分前に話してたよな」

「ああ」

「二人にはもう会ったのか?」

「いや、これから。この後、オーズランに向かう予定だ。リヴァラがリジックさんに会わせてくれるって」

「そっか……。て事は、ロレスの事情は二人共知ってるって事だよな?」

「ああ。話してあるよ。………………あのさ、フィル。お前も一緒に来ないか?」

「え……?」


 ロレスの言葉にフィルは足を止めた。三人も突然足を止めた彼に気付き、振り返りながら歩みを止める。


「今後も旅を続けるんだろ? 武器を失ってるのに、一人は危険だ」

「私も同感だ。オーズランに行けば、装飾店がある。武器を揃えられるだろう」


 ロレスとリヴァラの言葉に、マトリカリアも頷いた。


 三人の優しさがフィルの心に響く。しかし、彼は縦に頷く事はしなかった。


「……あ、……いや、……考えておくよ……」


 三人から目線を反らすフィルに、マトリカリアが恐る恐る声をかけた。


「……あの……ルアーニ人の私と一緒にいるの嫌だと思います……私の事は居ないと思って、気にしないでください……」

「あ、いや、そんな事思ってないよ。そういうんじゃないんだ……ただ、まだ自分のこの姿に慣れてないし、覚悟がまだ……。それに、俺に当てられる視線が、皆に降りかかるかも知れない……迷惑をかけたくないんだ……」

「まぁ、不安もあるだろう。ゆっくりで良い。自分の最善の応えを導け」

「……ああ」


 凛とした声の中に優しさを映しながら、リヴァラはそう声をかけた。


 その声に瞳を閉じ、ゆっくりとフィルは頷いた。






◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆






 ――ホウト


「やぁ、お帰り。無事に戻って来ると信じていたよ」


 ホウトの外で、カヤが四人を出迎えた。


 彼の高身長と鮮やかな赤い髪が遠目からでも分かる程に目立っていた。


「カヤさん!!」

「村の外で待っていたのか」

「勿論だよ~、待ち遠しかったよ~」


 カヤに気付いたロレスとリヴァラが声をかける。そんな二人にカヤは微笑みながら頷いた。


 そして、カヤは四人の元へと足を運ぶと、徐にマトリカリアの前で立ち止まった。飄々としていた彼だったが、今は珍しく真剣な顔を向けていた。


 異様な空気に気付いたマトリカリアは、顔を強張らせ一歩身を引く。


「……マトリカリア」

「……」


 自身の名を口にされたマトリカリアは恐怖を感じ、冷や汗を浮かべた。


 自分がルアーニ人だと、彼に気付かれている。そう悟り、その両手は僅かに震えていた。


「カリア……」

「……」


 隣に立っていたロレスが、カヤからマトリカリアを庇うように右手を伸ばす。ロレスも、この異様な空気に気が付いた様だ。


 二人はカヤを見上げ、息を飲んだ。

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