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第15話 知

「ここって、こんなに綺麗な場所だったんだなー。空気も重くないし、清々しいなー」


 樹海の出口に向かって歩き続ける三人。道の両側には立派な木々が立ち並び、そよ風に葉達は身を寄せ合う。枯れ果てた大地は命を取り戻し、異臭など微塵も感じられない。


 ロレスはフィルを背負いながら辺りを見渡し、ここへ来た時とは全く違う光景に感動していた。


「瘴気を受けると、あんなに酷い有様になっちまうんだな……そりゃあ、人に害を及ぼす筈だよな……」

「ここまで来るのに息苦しいだけで済んだのは、カリアのおかげだぞ」

「え!?」


 ロレスは背後から飛んできたリヴァラの声に驚き振り返る。


 その様子にリヴァラの隣を歩いていたマトリカリアが、ぎこちない笑顔を浮かべていた。


「カリア、ずっと魔術を使ってたのか!?」

「……うん」

「……それで俺ら動けていたんだ……本当すげぇ!! ……って言うか、リヴァラはいつカリアの事聞いてたんだよ!?」

「コゴーデブリッジの宿内で聞いた。まぁ、初めて会った日からルアーニ人の様な気はしていたが……」

「…………勘付かれてたみたいで……」


 リヴァラの洞察力に、苦笑いするマトリカリア。


「なんだよそれー、俺が鈍いみたいじゃんか。俺だけのけ者かよ」

「君が鈍いのは否定しない。だが、今まで話さなかったのは、決してロレスを蚊帳の外にしたかったからではないぞ」

「はいはい、分かってるって。……俺に言うのが怖かったんだよな」

「…………」


 ロレスの言葉に、やや俯き気味になるマトリカリア。


「正直、ロレスがこんなにすんなりと事を受け入れてくれるとは思わなかったな。だが、言った通りだっただろう? ロレスは受け入れてくれる、優しい奴だと」

「……うん……」


 微笑みながら言うリヴァラに、マトリカリアは静かに頷く。が、その表情はあまり晴々とはしていなかった。


 そして、マトリカリアは徐に歩みを止めた。


「……? ……どうした?」


 ロレスとリヴァラは、突然立ち止まったマトリカリアに気付き、振り返りながら足を止める。


 浮かない顔をしているマトリカリアに、ロレスは心配そうに声をかけた。


「…………ロレス……」

「…………」


 マトリカリアは彼の名を呼ぶと、そのまま俯き口を閉ざしてしまう。


 木漏れ日を受け一人佇むマトリカリアは、今にも消えてしまいそうな孤独感を漂わせていた。


「……」

「……」


 ロレスとリヴァラは、そんな彼女を急かす事もなく見守っていた。


 時折吹く風が、木々や花を揺らす。


「……一旦休憩にしよう。カリアは瘴気を消すのに力も使って、疲れているだろう?」

「あ、……そうだよな。気を使えなくてごめん」

「わ、私は……大丈夫だよ……ただ、ちょっと……その………………」


 言葉を詰まらせるマトリカリアに、リヴァラは優しく微笑む。そして、彼女にそっと近寄ると身を少し屈め、マトリカリアの耳元で口を開いた。


「……逃げずに、ちゃんと話すべきだ。大丈夫、私が傍にいる」

「……」


 その声はマトリカリアにしか聞こえていない。大きなエメラルドグリーンの瞳を閉じ、彼女はゆっくりと頷いた。


「……?」


 ロレスはそんな二人を不思議そうに眺める。そして、辺りを見渡した。


 (この辺なら大丈夫そうかな?)


 自分達がいる場所の近くに立っていた一本の木に近寄り、背負っていたフィルを座らせる。そこは丁度木影になっていた。


 そして、ロレスは彼に羽織らせていた自身のロングジャケットを枕代わりにし、彼を木の根元で寝かせた。


「…………」


 未だに目を覚まさない彼に、不安そうに目線を送るロレス。


 人間としての体を取り戻したが、フィルには狼の耳と牙がまだ残っている。マトリカリアの魔術でフィルの命は助かった。だが、あんなに喜んだのは良いものの、目覚めた時、彼は人なのか……それとも狼なのか……口にはしていなかったが、ロレスはそれが気掛かりだった。


「……せっかく助けてくれたんだから、フィルとして目を覚ませよ……」


 そう静かに呟くロレス。そこで、ゆっくりとマトリカリアがこちらに近付いて来るのに気付く。


 ロレスはフィルのかたわらから少し横に移動し、木影に場所を作ると彼女に声をかけた。


「ここに座ったらどうだ? 疲れてるだろ?」

「…………ロレス……」

「……」


 そんなロレスに、マトリカリアは浮かない顔で名を呼んだ。何とも言えない緊張感を感じたロレスは、真剣な顔でマトリカリアを見据える。


「……とても大事な話がある……聞いてくれる……?」

「……ああ」


 暫しの沈黙の後、ようやくマトリカリアは言いにくそうに口を開いた。


「…………八年前………………ルマスの大規模火災を企てたのは……私のお父さんなの……名前はヴァーゼル・ロイガルディ……」

「っ……!?」


 思いがけない言葉にロレスは絶句する。リヴァラはやや離れた所に一人佇み、腕を組むと瞼を閉じた。


「……それを知ったのは、襲撃の一年後くらい……」

「カリアは……ルマスには居なかったって事か……」

「…………信じてもらえないと思うけど……」


 マトリカリアは俯いたまま、どこか怯える様に言う。


「信じるよ」

「……」

「カリアは俺の、俺達の仲間だ。お前の言葉、全部信じる」

「…………」


 ロレスの迷いの無い真っすぐな声が飛んで来ると、マトリカリアは驚き顔を上げた。そして自身の心を落ち着かせるかの様に、そっとエメラルドグリーンの瞳を閉じる。


 マトリカリアは再度深呼吸をすると、ゆっくりと話を始めた。


「……私のお父さんは……ルアーニ人の統率者なの。……あの人はアーメル人を殲滅し、自身がこの世界の王になろうとしている……」

「っ!?」

「……アーメル人殲滅機構……名はジャルノッカ……。ルアーニ人が昔使っていた言葉で『救い』って意味らしいよ……」

「……殲滅……」

「……」


 ロレスは顔を強張らせる。リヴァラは無言で彼女の話を聞いていた。


「……それでね、勘違いしてほしくないのが……ルアーニ人全員がジャルノッカに賛同しているわけではないの……。……反対している人達は、別の里で隠れて生活してる……。……結界を張っているみたいで、私はその場所も名前も知らない…………」

「……それでカリアは、……お父さんが……その統率者だから……逃げ出せずにいたって事か……」

「……逃げ出せなかったのもそうだけど……。……私を利用する為に……ずっとあの牢獄の様な場所に囚われてた……」

「利用?」


 怪訝な顔になり、首を傾げるロレス。


「……私は他のルアーニ人とは違って……メノティリア・クリスタルを持っているから……」

「メ……ティ……クリスタル……? 何それ?」

「……メノティリアは遥か昔存在していた、ルアーニ人の女神の名前……」

「女神……」


 眉を寄せ、ロレスはマトリカリアの話に更に耳を傾ける。


「……その女神は如何なる魔術も使いこなし……不可能を可能にする、限界のない力を持っていた……。私はその女神の力を体内に宿し……生まれ変わりとして……この生を受けた……。……女神の力をメノティリア・クリスタル……って呼んでる……」

「……魔術にも限界があるのか……」

「うん……。魔術は無限の力でもないし、何でも出来る訳じゃない……。それぞれ特化した力を持っていて限界もある……。私はホウトの話を聞いた時、瘴気を消せるのは私にしか出来ない事だと思ったの……だから、リヴァラに無理言って一緒に連れて来てもらった……」

「……引き返す事を拒んだのは、瘴気を消す為……だったのか……」

「そうだな……」


 そこで、暫く話を聞いていたリヴァラが軽く頷いた。


「て、事は……そのクリスタルの力で……カリアのお父さんは、アーメル人の殲滅を目論んでいるって事……?」

「……うん」


 ロレスのその言葉に、マトリカリアは静かに頷いた。


「それって、カリアは戦争の道具って事かよ!? そんな事娘にさせる気なのか!?」

「お、今回は勘が鋭いな。全くその通りだ」


 リヴァラのその声は至って冷静だった。


「俺の事は良いって!! それより、こんなやり方卑劣過ぎる!!」

「あの人は……自分の野望の為なら手段を選ばない……。……それに、私の事を娘とも思っていない……私を呼ぶ時はいつもメノティリア……私は、()を求められた事が一度もなかった……生きる意味なんてなかった…………」

「……そんな……」


 マトリカリアの話を聞いたロレスは、まるで苦虫を嚙み潰したような顔をする。


「きっと……私が里から居なくなってから……血眼になって探してると思う。……大きな武器になるからね……手放すわけにはいかなかったはず……。…………私は……この力も……命も……いっその事捨ててしまおうと思ったの……」

「…………」

「いつか……この力が悪用され、沢山の命が奪われてしまうのなら……生きる理由もないなら……もう、……」

「……」




+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-




「マトリカリア。……集う喜びって意味だったよな? 良い名前じゃん」


「……!!」


「な、なんだよ、人生で初めて名前呼ばれたみたいな顔して」


「ぇっ!? べ、別に……」




+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-




「…………跡形もなく溶けて……誰にも見つかる事なく……消えることが出来たら良いのに……」


「…………何で……」


「…………」


「何で死を選んだ?」


「……君には分からない……。……私は存在しているのに、私じゃない私が求められる恐怖なんて……」


「……何それ……どういう……」


「…………」


「……本当は死にたくないんだろ?」


「…………死に……たくない……でも………………分からない………………今の私には…………分からない…………」




+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-




「……それで……あの時……」


 マトリカリアのその言葉で、今まで不思議だった彼女の言動をようやく理解した。


「……」

「カリア……」

「……」


 様々な恐怖に耐えようとするマトリカリアに、ロレスは軽率な行動や、彼女に伝えた言葉に後悔を覚えた。


「…………カリアの傷口を抉る様な事言ってたよな…………。カリアを傷付けてばっかりで……本当にごめん……」


 そして、ロレスは地面に頭が付くのではという程に勢い良く、深く頭を下げた。そんな彼の行動に驚くと、マトリカリアは慌てて両手を振り、頭を左右に振った。


「ち、違うよ……!! それは……私がちゃんと話そうとしなかったから……」

「……それでも傷付けたのに変わりはない。……ごめん!!」

「……ロレス…………」


 マトリカリアの否定する声を聞いても、ロレスは頭を下げたままだった。


 彼女は振っていた手をゆっくりと下ろすと、エメラルドグリーンの大きな瞳を閉じ、口を開いた。


「…………ロレスの『怖いなら生きろ』……って言葉が、私にはとても辛かった……」

「…………」

「…………生きるのも死ぬのも怖くて……迷いながら、死を選んだ私には……もう何も無かった…………無かった筈なのに……」

「…………」

「……久しぶりに名前を呼ばれて…………あんなに美味しいアップルパイを食べたのは初めてで……凄く感動して…………綺麗な景色を見る為に、手を引いてくれて…………抗えと言われた事に驚いた……」

「…………」

「……君は、空っぽの私に沢山の希望をくれた……沢山の優しい言葉と共に、何度も手を差し伸べてくれた……」


 ロレスは足元を見つめたまま、マトリカリアの声を聞いていた。


 マトリカリアはゆっくりと閉じていた瞳を開くと、ロレスに近寄る。


「……!?」


 そして、頭を下げたままのロレスに見える様に手を差し伸べた。


 見間違いかと驚き、顔を上げるロレス。そこには、どこか落ち着いた様に柔らかく微笑んでいるマトリカリアが立っていた。 


 太陽が彼女を照らす。美しい長い髪が優しく揺れ、エメラルドグリーンの大きな瞳がロレスを映す。


「ロレスに出会えたから、リヴァラにも出会えて……もう一度、生きる覚悟が出来た……私はロレスのくれた沢山の言葉があったから、こうしてここに居られる」

「……カリア……」

「……私に無かった生きる意味を、二人が教えてくれた……だから、ありがとう……」

「……っ」


 どこか吹っ切れた様な顔を見せるマトリカリア。ロレスは空色の瞳を大きく開くと言葉を詰まらせる。


 リヴァラはマトリカリアの後ろの方で腕を組んだまま微笑んでいた。


 マトリカリアから一瞬目線を反らすと、ロレスはゆっくりと姿勢を正す。そして微笑みを見せ、マトリカリアから差し出された手を取り、優しく握った。


「ありがとう……カリア……」

「……」


 二人は微笑み合うと、ゆっくりと手を離す。


 そして、マトリカリアは再び真剣な表情に戻ると、ロレスをしっかりと見据えた。


「……私、戦争を絶対に阻止したい。……生きる選択をした……私のやらないといけない事だから…………」

「……でも、それって父親と戦うって事だろ……良いのか……?」


 ロレスはその声に眉を寄せ、複雑な表情を見せた。


「…………私は、道具でもメノティリアでもなく、マトリカリアとして生きて、この世界を守りたい……!」

「……カリア……」


 そこで、暫く事の成り行きを見守っていたリヴァラが、こちらに近付きながら口を開いた。


「強い意志を持ったカリアなら、必ず世界を守れる。『戦争を回避する為に力になってほしい』……そう伝えた」

「……そっか……ガイルアード騎士団……だもんな……」

「リヴァラが騎士であってもなくても……これは私の意思……ルマスで犠牲になってしまったアーメル人の人達に償う為…………」

「……」


 真っ直ぐな声で言うマトリカリアに、ロレスは少し驚きつつも頷いた。


「分かった。俺も協力させてくれ!! これ以上の犠牲者を出したくない」

「ロレス……。……二人共……本当にありがとう……」


 ロレスの真っ直ぐな声に、マトリカリアは柔らかく微笑むと、瞳に涙を浮かべた。


「……カリアの父さん、お前を探してるんだろ? 居場所を突き止められたりしないのか?」

「あんな人……父親だと思ってないからヴァーゼルで良いよ……。………………微量な力なら、あの人は居場所を見付ける事はできないと思うの。……でもさっき、フィルさんを助けて……瘴気を消すのに力を使ってしまったから……もしかすると……」

「……あんまり同じ場所に滞在するのは良くないって事か……」

「……うん…………」

「今はフィルを助けてやらないといけないし……逃げるしかないのか……」


 ロレスは傍らに寝かせたフィルに目線を送る。彼は一向に目覚める気配がない。


「……ジャルノッカは居場所を転々としてる……同じ所に拠点を置いているわけではないから、今どの辺りに居るのか……私には分からないの……ヴァーゼルの結界は、私の探知能力をかき消す……」

「カリアのクリスタルの力を上回るのか……」


 と、少々関心したように呟くリヴァラ。


「ヴァーゼルも、元々魔力が強かったみたいだから……」

「……旅の先で出くわす可能性も無きにしも非ず……か。……厄介だな」


 眉を寄せ、リヴァラは渋い顔を見せる。


「ご、ごめんね……迷惑かけて……」

「カリアが謝る必要なんてないよ。それより今後どう動くか、ちゃんと考えないとな」


 と、ロレス。


「……とりあえず、ホウトに戻ろう。フィルもそうだが、村の人達が心配だ」

「ああ」


 リヴァラの声に、ロレスは一度背伸びをすると、寝かしていたフィルを再び背負う為に手を伸ばす。


 そこで、マトリカリアが心配そうに声をかけた。


「ロレスは大丈夫? ……ホウトまでまだ距離があるけど……フィルさんを背負って、ずっと歩いてて疲れてない……?」

「ん? 俺は平気だ。父親譲りの馬鹿みたいな体力があるからな」

「……流石、田舎育ちだな」


 苦笑いをしながらリヴァラが言う。


「悪かったな、田舎者で……よっと!」


 ロレスは枕代わりにしていた自身のロングジャケットを再びフィルに羽織らせると、彼を背負った。


「よし、行こうか」


 その声に、リヴァラとマトリカリアは頷き、三人は樹海の出口へと足を向けた。






◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆






 ――ホウト


「……あれ?」


 シトリンは患者の様子を確認すると、彼らの荒かった呼吸や咳が和らいだ事に目を疑った。そして、自分自身も。


「……もしかして……」


 シトリンは病室を出ると、真っすぐ病院の外へ足を運んだ。外では、村長が彼女の名を呼んでいる声が飛んでいた。 


「シトリンさん!! シトリンさん!!」

「村長さん!? ど、どうしました!? 血相を変えて……奥様のご容態が悪くなってしまいましたか!?」

「ちっ、違うんです!! そっ、その逆っです!!」

「え」


 その言葉を聞いたシトリンは、この現象に確信を抱いた。


「本当に……瘴気が消えた……!? わっ!?」

「ありがとう!! ありがとう、本当にありがとう!!」


 村長は喜びのあまり、小さなシトリンを思い切り抱きしめた。そんな村長に、シトリンは苦笑いを浮かべる。


「そ、村長さん……く、苦しぃ……」

「あっ、す、すまないね、シトリンさん。孫の様に感じてしまって、つい……」


 ハッと、我に返り、村長は彼女から体を離した。


「いえ、大丈夫です……。アタシは何もしてませんよ」

「いえいえ、シトリンさんは必死に村の人達を救おうと毎日診てくれていました。そのおかげで、誰一人として命を落とさなかった。本当に、ありがとう」

「……」


 シトリンは優しく微笑むと、無意識に樹海の方角へと顔を向けた。

 





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆






「……おや?」


 ホウトの入口付近で見張りをしていたカヤは空気の変化を感じ、空を見上げた。


「どうしたの??」


 そんな彼の様子に気付いたルトロは、小石を使って地面に落書きをしていた手を止め、カヤを見上げる。


「ルトロ、お家に戻ってみよう」

「え?」

「僕も一緒にルトロのお家に行くよ」

「良いの? ここに居ないとダメなんでしょ?」


 ルトロはしゃがんでいた体を起こし、やや不安そうな表情を浮かべた。


「うん、もう大丈夫。ルトロの大好きなパパとママが、目を覚ましているかも知れないよ」

「本当!?」


 微笑みながら言うカヤに、ルトロは瞳を輝かせた。


「さぁ、行こう」

「うんっ」


 カヤはルトロと手を繋ぐと、村の中へと足を向けた。


「凄いな……あの三人……。きっと……マトリカリアが……」


 徐に空を眺め、カヤは小さな声でここには居ない名を呟いた。






◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆






 ――スンぺギ樹海


「………………ん……? …………?」


 三人はひたすら樹海の中を歩き進める。


 そんな中、ロレスに背負われているフィルは、彼の背中で一瞬小さく瞳を開いた。その姿にロレスの隣を歩いていたリヴァラが気付き、声を上げる。


「おお!! ロレス!! フィルが目覚めたぞ!!」

「え? 本当か!?」


 背後から飛んできたリヴァラの声に、ロレスは驚き声を上げ足を止めた。


「体調はどうだ? 立てるか?」

「……?」


 フィルはそこでようやく自分が誰かに背負われていた事に気付き、徐にロレスの背中から降りた。


「…………」

「……狼に似てる目だね……」

「あ、こいつは元々目付きが鋭いから狼とは関係ないと思う」

「そうなの……?」


 マトリカリアが心配そうに言うと、ロレスは苦笑いしながら応える。しかし、その声は全くフィルに届いてはいなかった。フィルは寝ぼけまなこで辺りを見渡す。


「……湖で会った時とは随分と人が違うようだな」

「……人間に戻れた……のか……?」

「……」


 フィルは誰を襲う事もせず、ただその場で茫然と立ち尽くしていた。


 あちこちに跳ねた淡く青い髪は、腰近くまで無造作に伸びている。彼は無意識に自分の顔を撫で、そしてふと、髪に手を触れた。


「…………ん? ……んん!?」


 今まではなかったはずの感触に何度も首を傾げる。そのままもう一度口元へと触れ、手の感覚を研ぎ澄まし、何度となく首を傾げた。


「……?」


 近くに小さな池があるのに気付き、ゆっくりと近付く。そして、自分の姿を水に映すと驚愕の声を上げた。


「な、なんだこれ!? は? え、は!? 牙!? ……あれ? 左腕の傷が消えてる!? 何で!?」


 フィルの目に映ったのは八重歯に似た大きな牙と、狼の耳を連想させるかのように膨れた髪だった。何度押しつぶしても、耳の様な膨らみは消えない。


「……恐らく、嵌合体キメラになった後遺症ではないかと」

「きめら?」


 背後から飛んできた声に驚き振り返る。三人が自身を見守っていた事に気付き、何事かと怪訝する。


 そして、リヴァラの隣に立つ見知った顔を見付け、更に声を上げた。


「お前、ロレス!? だよな!? なんでこんな所に!? 君達は誰だ!?」

「助けに来たんだ。そんな言い方しなくてもいいだろ」

「は、助け? ……何の事…………瘴気はどうなった!?」


 と言いかけた時、フィルは徐々に顔を青ざめさせていった。


 リヴァラは淡々とフィルに真実を告げる。


「瘴気はこの子、カリアが消してくれたよ。……君は、狼と竜の嵌合体キメラになっていた。原因は分かるか?」

「な、なんだよ……それ……、そ、そんな事あり得ないだろ……。…………いや……こんな髪……ていうか耳? になってるって事は……あり得なくはないのか……人間としての耳はあるんだな……なんか面白れぇな……じゃなくて!! 一体何がどうしたらこうなる!!?? …………あ……」

「……何か思い出したか?」


 フィルは赤い瞳を見開き、言葉を途切らせた。その様子にロレスは一歩彼に近付くと声をかける。 


「……噛まれてからの記憶がない……」

「噛まれた? 何に?」

「……狼だ……」

「狼!?」






◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆






 ――約一ヶ月前


「何だ? この辺りの空気……すっげー重いな……」


 赤黒いロングコートを身に着け、右腰に剣をぶら下げたフィルはホウトに立ち寄った。しかし、あまりにも殺風景な村に違和感を覚える。


「……いくら小さな村だからって、一人くらいは外に出てないか……? この村……誰もいないのかよ……?」


 淡い青色の髪は外にあちこちに跳ね、腰程まで伸ばされている。それを後ろで一つに結んだフィルは、コートと共に髪を揺らしながら暫く歩き回る。何軒もの家の前を通っても、人っ子一人見当たらない。


「こんにちはー!! すみませーん、どなたかいらっしゃいませんかー!? すみませーん!!」


 声を張り上げるフィル。しかし、返答はどこからも返って来ない。


「…………マジで、誰もいない……どうなってるんだ……この村…………」


 更に村の奥へと足を運ぶ。すると、一軒の家の前の道で、ボールで遊んでいる男の子を見つけた。


「……一人……?」


 やっと見付けた村人はこの少年一人。大人が近くに居る気配がない。


「こんにちは」

「わっ!!??」


 夢中になって遊んでいた少年は、突然背後から声をかけられ、驚いた拍子に尻もちを付いた。


「おおっと、大丈夫?」


 慌てて少年を抱き起こすフィル。彼は少年の前に屈むと、真っ赤に染まった瞳で少年に優しく微笑み口を開いた。


「あ、ごめんね、驚かせちゃったね。君はここの村に住んでいるのかな?」

「…………」


 そんなフィルを見た少年は、固まり呆然と立ち尽くす。


「あ、……俺はこの辺りを旅していてね、たまたま立ち寄ったんだ」

「………………綺麗な髪のお兄ちゃん」

「へ?」

「ねぇ、お兄ちゃんの髪、触っても良い?」

「あ、ああ! 良いよ。はい、どうぞ」


 キラキラした瞳で言う少年の突然の申し出に驚くも、フィルは笑顔を向ける。そして、頭に手が届く様にお辞儀をした。


「わぁ!! ツンツンしてるのに、柔らかい!!」

「意外だろー。君、名前は?」

「ルトロ!」

「ルトロか。ルトロのパパとママは、今どこにいるの?」

「パパとママはお家で寝てるよ」

「寝てる?」


 その言葉に、フィルは今まで見せていた微笑みを消し怪訝な表情を見せた。ルトロは俯き、寂しそうに話す。


「うん、村の皆もお家で寝てる……」

「……一体何が……」


 眉を寄せ、考え込むフィル。


 そこで、近くの家から誰かが出て来た。それに気付いたフィルは立ち上がると、そちらに目を向ける。


「ゴホッゴホッ……ルトロッ!! ……ハァ……ハァッ家からゴホッ……出てはダメって!! 何度も言っているでしょう!? ゴホッゴホッ……!!」

「ママ!!」


 現れた女性はルトロの母だった。とても顔色が悪く呼吸も荒い。ルトロは母の元へと駆け寄り足に抱き付いた。


「あ、貴方は……旅の方ッ……ですか? ゴホッゴホッ……」

「大丈夫ですか!?」


 ルトロの母――テッサは、フィルに気付き声をかける。その声はとても辛そうだった。慌ててフィルはテッサに駆け寄り、倒れてしまいそうな彼女に手を貸した。


「だ、いじょうぶ……ハァッ……早くここから立ち去った方が良いわっゴホッゴホッ……ょ、瘴気ッが、貴方を蝕む前にぃッハァハァ……」

「瘴気!?」

「ママ!! 大丈夫!?」

「大丈夫よ」


 自身の足にしがみ付くルトロに汗を浮かばせながら優しく微笑む。が、その顔はとても辛そうだった。


「詳しい事を知っている方は居ませんか?」

「……そ、村長なら……」

「どちらにいらっしゃいますか!?」

「ルトロが案内する!!」

「ルトロ!?」


 すると、母から離れたルトロは勢いよく腕を上げた。そんな我が子に焦りを見せるルトロの母。


「ルトロは元気だよ、こっち!!」

「あ、待って! す、すみません、息子さんお借りしますね!!」


 ルトロはフィルの手を強く引く。慌てて体制を取り、フィルは母親にお辞儀をすると、そのままルトロに手を引かれ、この場を後にした。






◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆






「村長ー!! お客様だよー」

「ルトロじゃないか。どうしたんだい、突然……おや……」


 ルトロに連れられ、集会場にやってきたフィル。ルトロは足早に奥の部屋へと駆けて行った。その後を追い、村会の真っ只中に顔を出した。


「あ、こ、こんにちは……」


 部屋の中央に長いテーブルが。そのテーブルを挟み、老人と青年、十人程が席に着いていた。


 彼らは何事かと、フィルを見据えてる。ルトロは一番奥に座っていた老爺――村長の隣に迷う事無く座った。


「旅人さんかい?」


 そこで、村長がその場で立ち上がると口を開いた。


「フィル・ベティアーノと申します」


 フィルはその声に頷くと話し始める。


「旅をしていたら、この辺りの空気がとても重く感じて、気になってお邪魔させていただきました。さっき着いたばかりなんです」

「君、こんな所にいて大丈夫なのかい?」

「あ、はい。今の所は。…………瘴気の事、詳しく聞かせていただけませんか?」


 その言葉に集まっている十人全員が俯き、苦い顔をした。そして、ゆっくりと口を開いた。


「……一ヶ月位前だ。スンぺギ樹海の方から瘴気が漂い始め、最近になり村を瘴気が覆うようになった……」

「樹海へ足を運んでも、原因は分からず……徐々に村人達は寝込むようになった」

「……まだ動けるのはここに集まっている十人と、ルトロのみだ。ワシ達もいつ寝込む事になるか分からない……」

「……それで、村の外には人が見当たらないんですね……」


 フィルは唇を噛みしめた。


「悪い事は言わん。命が欲しければ、ここから即刻去った方が良い」

「……樹海への道を教えてください」

「止めとけ、本当に死んじまうかも知れないんだぞ」

「人にこの瘴気を消す事は不可能だ」

「大丈夫です」


 力強く言うフィルに、青年が止めに入る。それでも、フィルは引かなかった。


 そこで、村長がため息交じりに口を開いた。


「……この村から北東へ進むと樹海が見えてくる」

「村長!? 教えたらこの子は本当に行ってしまうぞ!!」

「北東ですね。分かりました。必ず瘴気を消して来ます」

「フィル君……」


 心配そうに声をかける村人達。


「この青年の目は、決意を宿している。……彼に託してみよう」

「……」


 事の成り行きを見ていたルトロは村長の隣を離れると、フィルの傍へと近付いた。


「お兄ちゃん、行っちゃうの?」


 ルトロがやって来るのと同時に、フィルは片膝を着く。少年の不安そうな表情にフィルは優しく微笑みかけると、頭を優しく撫でた。


「うん、瘴気を消したら必ずここに戻って来るよ。約束する」

「…………」

「あ、そうだ」


 それでもルトロの顔は暗いままだ。そこで、フィルは思い出した様に自身の首に掛けていた首飾りを外した。


「ルトロ、お兄ちゃんと約束しようか」

「約束?」

「うん。これをルトロに預ける」


 顔を上げたルトロに、蝶の形を模った首飾りを手渡した。


「わぁ、綺麗!!」


 掌で美しく煌めくその蝶に、ルトロは歓喜の声を上げる。


「それはね、お兄ちゃんの大事なお守りなんだ。それを持っていれば、瘴気が消えて、ルトロのパパとママ、村の人達が元気になるんだ」

「本当!?」

「ああ。お兄ちゃんは、そのお守りを頼りに必ずここに戻って来る。お兄ちゃんが戻って来るまで、それをお守りとしてずっと持っていて。約束だよ」

「うん!! 約束!!」


 ルトロは満面の笑顔をフィルに向ける。そして二人は、指切りを交わした。

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