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第14話 竜

 ――スンぺギ樹海


「妙にじめじめするな……俺、樹海なんて来たの初めてだ……」

「ここは、こんなに湿度は高くなかったはずなんだが……これも瘴気の影響か……」

「来た事あるの?」

「ああ、何年か前だがな。とは言っても、奥深くまで行った事がないから、この先がどうなっているのか、全く分からない」


 地面は水気を吸い、苔を生やし、足場を悪くさせている。太い根を張り、空高く伸びる大木が立ち並ぶ。しかし、葉は枯れ始め、咲いていたであろう草花が間もなく命を失おうとしていた。木漏れ日はこんなにも美しいのに、空気がとても重い。


 多少の息苦しさは感じるものの、幸いにも動けなくなる程の体調不良を起こしてはいない。


「……なんか臭い……ん? 貰ったバッグ……??」


 ロレスが異臭を感じ取り、村長から貰った焦げ茶色のバッグを開けた。その瞬間、リヴァラとマトリカリアが顔をしかめる。


「くっさ!! ロレス臭いぞ!!」

「異臭……」

「俺が臭いみたいに言わないでくれるかな!? おぉ……腐ってる……」


 バッグの中に入っていた食べ物は瘴気の影響で全て腐り、その臭いが三人の鼻を刺激した。ロレスは腕を伸ばし、バッグから出来るだけ体を離す。


「……これ、どうする……? どうすればいい……?」

「…………な、無かったことにしよう」


 ロレスはリヴァラに促され、バッグを木影に置いた。


「……」

「……まぁ、こればかりは仕方がない……」

「……ごちそうさまでした…………」


 マトリカリアがバッグに向かって両手を合わせる。リヴァラ、ロレスも彼女と同じように眉を寄せながら手を合わせた。


 そして、三人は何事も無かったかの様に再び歩き出す。


「そういや、聞きそびれたんだけどさ。今日会った第零部隊の人達って、何か変わってる人しかいなかったよな。……逸れ者ってヒロノさんが言ってたけど、どういう意味だ?」


 隣を歩くリヴァラに問うロレス。リヴァラは真っ直ぐ前を向きながら、歩みを止める事無く口を開いた。


「……彼らは個々に群を抜いた鬼才で、各隊に居た頃は居場所を失っていたんだ。大きな力を持ちすぎると、稀に妬まれる事がある」

「鬼才?」


 首を傾げるマトリカリアに頷くリヴァラ。


「例えば、ソファン。彼女は視力、聴力、嗅覚が優れていて、銃を持たせると右に出る者は居ない。『何故あんな子どもに重大任務を任せる?』……と、自分達より経歴の少ない子どもに負ける大人達。妬まれても当然……」

「そんなの、そいつらが弱いのが悪いんじゃんか」

「そうだ。でもな、騎士は力を持つ者を否定したくなるんだ。誰しもが、上へ上へと足掻く……」

「…………」

「そこで、ソファンは自分の力が認められないのなら、騎士を辞めようと決意した」

「……え……!?」

「人々の命を守るために身を捧げた筈の騎士団に居場所を見つけられなくなれば、必然的にその場から出て行こうとするだろう?」

「…………」

「……」

「苦しみの果て。希望を見出す事も出来なくなっていた彼女に、私が……総隊長になって間もない頃、声をかけた。『新しい部隊を設立する。そこで今一度、騎士として生きてみないか』とな。私も、鬼才ではないが同じような境遇を生きて来た。彼女達の気持ちは痛い程に伝わっていた。……仲間が欲しかったんだ……」

「だから皆、リヴァラを慕っていたのか……」

「辛い過去があったからこそ、人は前に進めるんだ。第零部隊は、他の隊に負けない心の強さと優しさを持っている。信頼できる者達しかいないぞ。と、言ってもあの四人しかいないがな。不思議とチームワークは完璧だ」


 真っすぐなリヴァラの声が、とても頼もしく感じた。


 ロレスとマトリカリは自然とお互い目を合わせると、リヴァラの背中に微笑んだ。


「因みにソファンは昔、口調がかなり悪い生意気な奴だったんだぞ」

「え!?」

「嘘!?」

「何かきっかけがあった様で、今は敬語を使っている。まぁ、飽きない連中だよ、いつもバカ騒ぎだ」


 ハハハハッ、と笑いながらリヴァラは歩きを進めた。


「……ソファンさんが……口が悪かったなんて……想像できない」

「……うん……」






◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆






 樹海に入り3時間。奥深くまでやって来ると、空はもはや、朝なのか夜なのか区別する事の出来ない色を見せていた。それ程までに、ここには光が差し込まない。


 悪臭が漂う樹海で、リヴァラとマトリカリアは額に汗を浮かべながら軽く鼻を手で覆う。ロレスはマフラーに少し顔を埋めながら辺りを見渡した。


「……これ程酷いとは……徐々に瘴気へと近づいている証拠なのだろうが……」

「……まずいな、これ……」

「……ぅっ……」

「……大丈夫か? カリア?」

「っぅ、うん……」


 思わず顔をしかめたマトリカリアは、苦笑いしながら応える。そんな彼女を見たロレスは、自身のマフラーに手をかけた。


「……使え」

「え?」


 すると、徐に巻いていたマフラーを取るとマトリカリアに渡す。マトリカリアは驚き、目を瞬かせた。


「それで鼻を押さえろ。何もないよりはマシだろ」

「あ、ありがとう……」


 マトリカリアは戸惑いながらも、受け取った薄紫色のマフラーを首に巻いた。


「マフラー外しても大丈夫なのか?」


 その行動に、リヴァラは心配そうに声をかけた。ロレスは苦笑いしながら頷く。


「ああ……大丈夫」

「そうか……。……何をしてる……カリア……」


 そこで、マフラーを巻いたマトリカリアの姿に気付いたリヴァラが、額に汗を浮かべた。


「…………」

「……それ、前見える……?」


 ロレスにも少し長めだったマフラーは、マトリカリアにはかなり長かった。引きずらない様に多めに首元で巻くと、彼女の顔はマフラーで半分以上埋まっていたのだ。


「……ギリギリ……」


 籠った声で、マトリカリアが応える。


「転ばないでくれよ……」

「うん」

「先を急ぐぞ。……長く滞在は出来ん……」

「……ああ……」






◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆






 樹海の奥深く。この辺り一帯は、既に緑を失っていた。生えていた苔も、力強く太陽に向かって伸びていた木々も、小さな花達も、全ての生き物、植物達が、命を失い、残酷にその身を腐らせていた。


「あれは……?」


 倒れかけている大木の隙間から垣間見えたのは、広々とした場所。その中央には小さな湖があった。


「…………村長さんが言っていた……湖……かな?」

「てことは、ここに嵌合体キメラが……」


 湖を囲うように、木々が生きていた痕跡が残っている。しかし、この湖は、御世辞にも綺麗だとは言えなかった。水は濁り、漂う空気は重く、人体へ影響を与えてくる。毒素が漂っているのを嫌でも感じた。


「……あれが湖? ……あんな色の水見た事ないぞ」

「……」


 三人は、湖へゆっくりと足を運ぶ。


「……これ……は……」


 そこで、地面に落ちていた物を見たリヴァラは、顔を僅かに強張らせた。


「……剣……」


 真っ二つに折れた剣の刃が、血痕を残したまま落ちている。柄にも手形の様な血が染み付いていた。それも、つい最近の血痕の様だ。


「ねぇ!! あそこ!!」


 突然のマトリカリアの声に、ロレスとリヴァラが彼女の指先を追う。そこには、水辺に倒れている人影があった。


「あれはっ……!?」


 ロレスは目を見開き、二人より先に走り出す。それに続いて、慌ててマトリカリアとリヴァラも倒れている人の傍まで、枯れ果てた木々を掻き分けながら駆け寄る。


「大丈夫か!?」


 地面にうつ伏せに倒れ全く動く気配がない。ロレスは嫌でも気付いた。泥と血で汚れてしまっているが、見慣れた淡い青色の長い髪が目に付く。


 見間違えるはずもない、この青年は――


「フィル!!」


 ロレスがそう叫んだ時だった。


「まて!! 様子がおかしいぞ……!!」

「えっ!?」


 リヴァラは、フィルに駆け寄ろうとするロレスの腕を掴んだ。フィルの様子を伺う三人に、耳障りなうめき声が飛んで来た。


「……ぅぅ……づ……な……」

「……フィル!?」

「……ちか……づくな……近ヅく……ナぁァぁああアアア!!」


 その声は雄叫びに近かった。突然彼は体を起こし立ち上がると、三人に向かって走り出す。その動きはまるで狼の様だ。


「下がれ!!」

「!?」「!!」


 リヴァラの声が飛んで来るのと同時に、三人は足場の悪い地面を蹴り、各々距離を取る。


「がぃぅウッぅ!!」

「……!!」


 ロレスはフィルの顔を見ると、驚愕し言葉を失う。


 虚ろだった彼の目は徐々に吊り上がり、牙をむき出しよだれをたらしている。尖った爪は酷く伸び、髪は逆立ち、耳も狼の様に伸びていた。


「ぎゃるるるるるるる!!!!」

「フィル!! おい、どうした!! 俺だ、ロレスだ!!」

「ガウウッ!!」


 フィルはロレスの声には耳を傾けず、ただ無心にその場で暴れる。一瞬時が止まった様に全く動かなくなるが、それも束の間。突如として地面を蹴るとマトリカリアの方へ襲い掛かる。


「カリア!! 危ない!!」

「っ!!」


 マトリカリアは瞬時にフィルの動きを読み取ると、アシンメトリーのスカートを揺らしながら、彼の攻撃を可憐に避ける。


 その彼女の動きにロレスは目を疑った。そこで、リヴァラが声を張り上げる。


「ロレス!! 剣を抜け!!」

「え!?」


 気付くとリヴァラは自身の腰に差していた剣を引き抜き、右手で構えていた。その光景に酷く驚き、ロレスは慌ててフィルに背を向け、彼女の右手を強く握る。その行動にリヴァラは驚愕すると、眉を吊り上げ声を荒げた。


「馬鹿!! 何をしてる!! 敵に背を向けるな!! 離せ!!」

「こいつは俺の幼馴染だ!!」


 手袋をしている彼の握力が更に強くなった。それでもリヴァラは動じない。


「だから何だ!? このままこいつに食われろとでも言うのか!?」

「違う!! 瘴気だ!! 瘴気を消せっ――」

「ギャウゥゥウウ!!」


 ロレスが言いかけた時だった。背後から嫌な叫び声が飛んで来る。


「っ!?」

「ロレス!!!!」


 フィルは背を向けているロレスに向かって、迅速な動きで口を大きく開け、噛みつきにかかった。やや離れた所からマトリカリアの悲痛な叫び声が飛んでくる。


 ガキーーンッ!!


「!?」

「くっ!!」


 その時、リヴァラはロレスを薙ぎ払うと彼を庇い、剣を顔の前で構えフィルの噛みつきを防ぐ。フィルを目の前にしたリヴァラは、彼が完全に人間の心を失っているのを確信した。


 フィルの牙がリヴァラの鼻先へと届きそうになる。思い切り剣に噛みつき、体重をかけてくるフィルは、会った時よりも体が大きくなっていた。 


「リ、リヴァ……」

「っ……はぁっ!!!!」


 ズザザザザザァァ


 リヴァラは歯を食いしばり、握りしめた剣に更に力を込めると、彼の腹を蹴り、同時に剣を振り弾き飛ばした。


 地面を滑り転んだフィルだったが、再び立ち上がり体制を整えると、唸り声を上げやや前かがみになる。


「ガウウウウゥゥゥゥウウウ!!!!!!」


 これまでは、人の形をギリギリ保っていたフィルだったが、一つ雄叫びを上げると、みるみるうちに体が大きくなっていく。


 そして、変わっていく姿を目の当たりにした三人は目を疑った。


「……な、なんだよ……これ……!?」


 全長50メートルはあるだろうか。狼のような大きな耳の傍には角が二本。体は大蛇のようだが、短い前足と、太く鋭い爪のある後ろ足で巨体を支える。


 白い髭は不気味に風を受け揺れる。長く太い尻尾は下は鱗、上は狼のフワフワとした毛が生えていた。大きな口からは、狼か竜か、どちらとも言えない太い牙がはみ出している。


「……これが、村長さんの言っていた……嵌合体キメラ……!?」

「……確かに……出で立ちは狼と龍の間だな……」


 マトリカリアとリヴァラの声が遠くに聞こえる。ロレスはただ茫然と立ち尽くし、絶句した。


「……な……んで……フィルが…………」




+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-




「俺、ロレスより先に旅に出る。んで、お前より沢山の人を助けるんだ」


「オレも負けない。必ずフィルに追いつく」


「大人になって、どこかであったら一緒に旅をしような」


「ああ、必ず!!」


「約束だ」




+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-




 あの日交わした約束。


 今でも鮮明に覚えている指切りと、はにかむフィルの顔。


 しかし、今ではその顔を伺う事が出来ない。


「……こん……なの……あり……え……ない……」

「立ち尽くすな!!」

「……え……」


 リヴァラの声が飛んで来ると、ピクリと手に力が入る。気付くとリヴァラはロレスを庇うように剣を構えていた。


「あいつは、もう人間ではない!!」

「で、でも!!」

「迷うな!! もう一度言う、剣を抜け!!」

「い、嫌だ……!! フィルは俺の親友なんだ!!」

「分からないのか!? 今、目の前で起きている事が!! 確かに先程まではロレスの友人だったかもしれない!! だが今、この姿を見て彼を人間だと言えるのか!?」

「!!」


 嵌合体キメラは獲物を探すかのように、顔を左右に大きく振る。踏みしめた地面は巨体により沈み、嵌合体キメラが身動きする度に大地が揺れる。この巨体から、人間の姿を見出すのは不可能だった。


「瘴気に当てられすぎてこうなったのか……理由は分からない。彼を助けたいと思う気持ちが少しでもあるのなら戦え!! 瘴気を消すのにこいつは邪魔だ!! 戦えぬのなら、即ここから立ち去れ!! 足手まといだ!! 私がこいつを殺す!!」

「っ!! 何か、何か助ける方法があるはずだ!!」

「甘ったれるな!!」

「!!」


 その声は遠くに居るマトリカリアにまで届いた。彼女は嵌合体キメラ化したフィルの様子を伺いながら、心配そうに二人を見守っていた。


「戦場では躊躇うことは一切許されない!! それは自分を殺す事と同じだ!! 死にたいのか!? あいつが襲ってきたのを忘れたのか!?」

「……」

「あの時点で、こいつは人間としての心を失っている!! もう手遅れなんだ!! お前の事を覚えていたのなら殺そうとしないだろ!! あの姿を見て、人間に戻せると思うのか!?」

「っ!」


 僅かに口を開け、ロレスは目線を彷徨わせる。


 リヴァラは踵を返し地面を蹴ると、嵌合体キメラへと剣を向け立ち向かって行った。


「何かを犠牲にしてでも守り、やり遂げなければならない事があるんだ」


 その時、風に乗りリヴァラの声が聞こえた気がした。ロレスは不安と恐怖の表情を浮かべ、彼女の背中を目で追う事しか出来なかった。


「………………」


 震える手が、腰に差したままの剣に僅かに触れる。が、それを掴み引き抜く事が出来ない。


「くっ!!」


 血が滲む程に唇を噛みしめ、目の前で起きている事から背を向ける様に目を強く瞑る。一歩を踏み出す事が出来ない自分がもどかしかった。


 嵌合体キメラ化したフィルは巨体を揺らし、地面に自身の足跡を幾つも作っていく。三人を何度も見ながら、時折腕や尻尾で彼らを攻撃してくる。彼の動きは巨体だという事を感じさせないほど、素早く滑らかな動きだった。


 その都度強烈な風が起き、三人は何度も体を煽られては、地面に手を付く。リヴァラは体制を崩され上手く攻撃を仕掛ける事が出来ないでいた。


「人を襲わないと言っていたのに、聞いていた話と違うぞ……瘴気を吸い過ぎて自我を保てなくなったか……」


 苦笑いを浮かべながら悪態付くリヴァラ。所々ぬかるむ地面に足を奪われ、彼女の手には泥が付き、握っている剣が時折滑ってしまう。


「……あれは……?」


 嵌合体キメラの様子を見ているマトリカリアは、不自然な動きに気付く。


「……湖に私達を近寄らせないように動いている……?」

「ガャアァァァァアア!!」

「っ!?」


 嵌合体キメラが色の悪い湖へと飛び込む。その反動で起こった大きな波が三人を追い詰めていく。


「大丈夫か!?」

「うん!!」


 リヴァラは高い木の枝へと飛んでいた。ロレス、マトリカリアも各々波から逃れる。


「……なんだよ……こんな……フィル……お前は、こんなになるまで、ここで瘴気と戦ってたのかよ……こんな……」


 波は直ぐ収まり、再び地へと降りた。しかし、先程よりもぬかるんでしまった地面に足を取られる。


「ロレス、避けて!!」

「!?」


 茫然と目の前で起きている事を眺めていると、やや離れた木の上からマトリカリアの声が飛んで来る。その声で我に返るロレス。巨大な尾が彼の青い瞳に映る。


 しかし、避ける時間などなかった。


 ザザザザザザアアアア!!


「っ!!」

「大丈夫?」


 気付くとロレスは背後にあった腐った木に背中をぶつけていた。目の前にはマトリカリアの姿がある。彼女がロレスの体を押し、尾にぶつかる寸前に助けた様だ。ロレスは青い瞳を細かく動かし、マトリカリアを見据える。


 この場にいても、何事にも動揺しない。嵌合体キメラ相手でも、機敏な動きを見せるマトリカリア。彼女の次々と見せる一面に、ロレスはただ驚いていた。


「……この人は、ロレスの友達なんだね」

「……」


 冷静過ぎるマトリカリアの言葉に、戸惑いながらも首を縦に動かす。


 マトリカリアはずっと巻いていたロレスのマフラーを外すと、彼の首に優しく巻き付けた。


「マフラー、ありがとう」

「……」

「……ここで待ってて」

「え……」


 そうして、ロレスをその場に残し踵を翻すと、嵌合体キメラの方に向かって走り出した。


「カ、カリアッ!?」

「リヴァラ!! 3秒で良い!! この人の動きを止めて!!」

「……5秒だ!!」

「うんっ!!」


 マトリカリアは身軽な動きで、倒れた大木や折れてしまった背の高い木に器用に飛び移りながら、徐々に嵌合体キメラの頭の方へと近づいていく。


 その姿を確認しながら、リヴァラは嵌合体キメラの気を引き、剣を振るった。


「カリア、()()()言った君の言葉を信じるぞ!!」


 リヴァラは足元がぬかるむのを感じさせない動きで嵌合体キメラの真下へと入り込む。恐ろしい程の脚力で上へ飛ぶと、嵌合体キメラの太い足の根本に斬撃を二発食らわせる。


「ギャウゥゥゥウ!!!!!!!!」


 一つ声を上げる嵌合体キメラ。巨体を前かがみにし、頭が地面の方へ下がると動きが止まった。


 リヴァラは素早く嵌合体キメラから距離を取る。


「っ!!」


 その瞬間を逃さぬよう、マトリカリアは折れた大木から嵌合体キメラの鼻の上に飛び乗った。彼女の足元には恐ろしい牙を生やした嵌合体キメラの大きな口がある。


 一歩間違えれば滑り落ちそのまま食われるか、地面に落下し命を落とす。そんな緊張感漂う場に身を置いても、マトリカリアは至って冷静だった。


「……大丈夫。私が、あなたの背負った瘴気を全て消す……」


 伏し目がちに言うマトリカリア。彼女は左手を嵌合体キメラの大きな額に添える。


「ガゥウゥゥゥ……」

「……そう、落ち着いて。あなたの敵は居ない」


 まるで両手で水を抄う様に掌を開き、天へかざした。そして、そのままゆっくりと両腕を広げる。


「!?」

「な、何だ!?」


 彼女の手から、美しく光り輝く淡い赤色の小さな花びらが次々と湧き出てくる。それは、マトリカリアの髪色と似ていた。


 この光景に驚いたロレスは声を張り上げ、一歩足を踏み出す。


 マトリカリアは一切表情を変えない。宙を舞う無数の花びらが徐々に嵌合体キメラへ導かれる様に踊り舞う。


「な、んだよ……これ……サクラ……? 伝説の花……なのか……?」

「……これが……カリアの力……」


 自分が見ている光景に、ただ茫然と立ち尽くす事しか出来ないロレス。リヴァラは嵌合体キメラの傍で、以前交わしたマトリカリアとの会話を思い出しながら見守っていた。


+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-


「あの……ね……私、……ルアーニ人なんだ……」


「そうだろうなとは思っていた」


「やっぱり、リヴァラには見抜かれちゃってたんだね……い、いつから?」


「二人を連れレストランに行った時だ。君はルアーニ人や、ルマスの話になると、僅かに瞳を動かした。動揺とまではいかないが、違和感を感じたんだ。私は赤ん坊の時から大人達の中で育ってきた。人の表情を見るのが癖になってしまって、何となくだが、嘘や考えている事が分かってしまうんだ」


「そっか……。……それでね、その……私……普通のルアーニ人じゃないんだ」


「と、言うと?」


「メノティリアっていう、ルアーニ人の女神が遥か昔存在していたの……。……その女神は如何なる魔術も使いこなし、限界のない力を持っていた。私はその女神のクリスタルを体内に宿し……生まれ変わりとして、この生を受けた……」


「クリスタル?」


「うん。女神の力をメノティリア・クリスタル……って呼んでる。……私の体の中にはそのクリスタルが宿っている。この力があれば、きっと瘴気を消せる」


「本当か!?」


「でも……この事を……ロレスに……言う勇気がなくて……」


「…………あいつにとって、ルアーニ人は仇のようなものだからな。だが、カリアも分かっているのだろう? ルアーニ人だからといって、君を軽蔑などしない人間だと」


「……」


「彼はとても優しい。きっと、君の正体を知ったとしても、見捨てる事はしないだろう」


「…………」


「怖いか?」


「……うん……。でも、この力で私は瘴気を消したい。苦しんでいる人を助けたい!! だから、二人と一緒に行きたいの!!」


「その心があるのなら、大丈夫だ。ロレスも理解してくれるはずさ。私は君の心と力を信じるよ」


+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-


 嵌合体キメラは花びらに包まれると、ゆっくりと鋭い瞳を閉じる。そして、花びらはいつしか暖かな光に変化し、その光は徐々に嵌合体キメラの体と共に小さくなっていく。


 マトリカリアは途中で嵌合体キメラから飛び降りると、アシンメトリーのスカートをフワリと靡かせながら、可憐に地面へと着地した。


 光に包まれた嵌合体キメラは、元の人間の姿へと戻っていく。


「フィル!!」


 慌ててボロボロの服に身を包んだフィルに駆け寄り、彼の体を抱くロレス。


「フィル!! フィル、大丈夫か!?」


 反応はない。しかし、彼の体は温かく、僅かに息をしているのが分かる。


 少し遅れて、リヴァラも駆け寄って来た。


「大丈夫か!?」

「……フィル……」


 彼の淡い青色の長い髪は、狼の様な耳の形を作ったままだった。無造作に伸ばされた長い髪は至る所で細かく跳ね上がり、赤黒いズボンも着ていた灰色のシャツもボロボロ。しかし、不思議な事に彼の体には何処にも傷跡が残っていなかった。


 優しくフィルを抱えるロレスを背に、マトリカリアは湖の傍まで近づく。


「……こんなになるまで、助けてあげられなくてごめんなさい…………」


 そう言うとゆっくりと大きな瞳を閉じ、再び彼女は両腕を広げた。すると、白くどこか暖かい光が大地一面から溢れ出す。


「な、何だ!?」

「……何て……美しい……」


 突然光に包まれたロレスは焦り声を上げた。リヴァラは辺りを見渡しながら、その光景を見守る。


 数秒の間に、荒れ果てた湖は元の透明な水へと変わり、命を失った大地や折れてしまった大木が、みるみるうちに姿を取り戻す。


 そして、今まで暗かったこの一帯に、久方ぶりの太陽が差し込んだ。


 瘴気が消えた瞬間だった。


「……カリア……」

「……」


 背後からロレスに呼ばれ、マトリカリアは俯きながら振り返る。そして、重い足取りでロレスの方へと歩き始めた。


「……」


 ロレス達からやや離れた所で立ち止まったマトリカリアは、どこか浮かない顔だった。ロレスに抱えられるフィルを一度見据えると、また目を伏せる。


 そんなマトリカリアを心配そうに見上げるロレス。そして、フィルをリヴァラに託すと立ち上がった。


「す、」

「……」

「すっげー!! すげーよカリア!!」

「!?」


 ロレスは地面を蹴り、急いでマトリカリアの元へと走る。そのままの勢いで彼女を抱きしめた。


 マトリカリアは驚きのあまり、目を見開くと言葉を失う。


「今の何!? カリアがやったのか!? ありがとう!! フィルを助けてくれて!! 本当に!! 本当にありがとう!!」


 状況が掴めず、マトリカリアはロレスの腕の中で何度も瞬きを繰り返した。


「こんな力を持っていたんだ!! すっげーなお前!!」

「ロ、ロレス……?」

「お前、知っていたのか?」

「え、何が?」

「……」

「……」

「ん?」


 戸惑うマトリカリアと、驚くリヴァラ。そんな二人にロレスは首を傾げた。


「え、何の事? あ、カリアの力の事か? 凄いよな、俺感動したよ!! 初めて魔術みたいな現象を見てさ!! ん? 魔術……?」

「……」

「……え……?」


 妙な空気を感じたロレスは、ゆっくりとマトリカリから体を放す。


「……ロレスがそこまで鈍いとは思わなかった……」

「…………ま、まさか……カリア……」

「……」


 リヴァラの小さな呟きを耳にしたロレス。暫し思考を巡らせると、ようやく事を理解したようで、言葉を詰まらせた。


「…………隠しててごめんなさい……」

「…………」


 目線をそらしたマトリカリアは、静かに口を開いた。


 それは、想像していなかった事……。


「…………私……ルアーニ人なの………………」

「………………」


 ロレスは茫然とマトリカリアを見つめていた。


「…………ルマスの事もある……私……仲間って言ってもらえた時、本当嬉しかった……でも、本当は…………一緒にいる資格なんて……なかったの…………」

「………………」

「ずっと隠してて、本当にごめんなさいっ……!!」


 どこか悲痛めいた声と共に、勢いよく頭を下げるマトリカリア。淡い赤色の癖のある髪が揺れ靡く。


 ロレスはマトリカリアのその行動に一瞬眉を吊り上げた。そして、再び腕に力を入れ、青い瞳で真っ直ぐマトリカリアを見ると口を開いた。


「一緒にいる資格がないとか、自分の価値を勝手に決めつけるな。それは、俺が決める事だ」

「え……?」


 思いがけないロレスの言葉に驚き、顔を上げるマトリカリア。目線の先には全く迷いを見せないロレスがいた。


「ルアーニ人だろうが何だろうが、マトリカリアはマトリカリアで、何も変わらない。カリアを仲間だって言ったのは本心だ。素性を知られたら終わりなのかよ?」

「……ロレス……」

「…………」


 小さくロレスの名を呼ぶマトリカリア。リヴァラは地面に座らせているフィルを抱えたまま、表情を柔らかくさせ二人を見守っていた。


「この旅路でカリアは俺を殺そうとしたか? アーメル人に恨みがあったのか? 違うだろ? カリアがしてきた事は全部、誰かを助け、救う事だったはずだ」

「……っ……」


 マトリカリアはロレスの言葉を聞くと、安心からか静かに涙を流した。そのままリヴァラへと目線を送る。彼女の視線に気付いたリヴァラは、口の端を上げ微笑んだ。


「カリア」

「……」


 再び名を呼ばれ、ロレスを見上げる。真っ直ぐ前を向く彼の顔は、優しさに包まれていた。


「フィルを救ってくれてありがとう。お前がいなかったら、こいつは二度と人間に戻れなかった。本当に、ありがとう」

「…………ぅん……」


 深く頭を下げるロレスに、マトリカリアは静かに涙を流した。彼女は美しく輝く涙と共に、どこか心のつっかえが取れた様に、安堵の表情を浮かべていた。


「さ、行こう。フィルをホウトに連れってってやらないと」

「そうだな、一度シトリンに診てもらおう」

「うん」


 ロレスから差し伸べられた手を握るマトリカリア。二人はリヴァラとフィルの元へ足を向ける。


 フィルを抱きかかえ立ち上がったリヴァラに、慌ててロレスは駆け寄り手を貸した。


「……すまなかったな」

「え……?」


 傍に来たロレスにリヴァラが声をかける。その声に、ロレスは動きを止めた。


「……君に、キツイ言い方をしてしまった。……剣士とは言え、君は一般人だ……そう簡単に覚悟など出来なかったよな……」

「……あ…………いや、…………その………………」


 伏し目がちに言うリヴァラに、ロレスは言葉を詰まらせる。


「……俺も、悪かった……。リヴァラだって辛いはずなのに……あんな事言わせて……俺は結局何も出来なかった……ごめん……」

「……」


 ロレスはそう言うと自身が着ていたロングジャケットを脱ぎ、そのままフィルに羽織らせ彼を背負った。


「リヴァラ……」

「…………」


 ロレスは背後にいた彼女の名を呼ぶと、振り返り笑顔を向けた。


「ありがとう。命を救ってくれて」

「私は何もしていない」

「そんな事ない。リヴァラが居てくれたから、フィルはこうして息をする事が出来てる。本当に感謝してる。ありがとう」

「……ロレス……」

「さ、行こう!!」


 フィルを背負い、しっかりと地面を踏みしめ、ロレスは樹海の出口へと足を向けた。


 リヴァラとマトリカリアは、お互いに目を合わせると苦笑いを浮かべ、湖を背にしロレスの後を追った。

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