第12話 瘴
――翌朝
「私はここで借りてきた本を読み終えてから図書館に向かう。君達は自由に過ごしてくれ」
そう言い残すと、リヴァラは自身の部屋へと姿を消した。宿の前に佇むロレスとマトリカリアは苦笑いを浮かべると、そっと口を開く。
「……マジであの量の本、今日一日で読み切る気か……?」
「……凄い人だよね……」
「……じゃ、行こうか」
「うん」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「……こ、ここが世界一大きな図書館……」
「で、でか過ぎるだろ……」
図書館を見上げる二人は顔を引きつらせた。
ロレスとマトリカリアは買い物を終えると、リヴァラから教わった道を通り、図書館までやって来た。
目の前に建つ建物は遠くからでも分かる程に圧倒的存在感を放ち、彼らを怖気させる程だった。
「確かに、こんなにデカければ一日あっても一周出来ないな……流石世界最大規模の図書館……。……は、入るか……」
「う、……うん……!!」
二人は共に恐ろしい程に大きな扉を潜ると、図書館へと足を踏み入れた。
「ぅぁ……」
「…………」
小さく声を漏らすロレス。無理もない。ここまでの広く大きな建物、そして壁一面に立ち並ぶ本棚へ収納された沢山の本、そんな光景を見た事などないのだから。
図書館の中は独特な本の匂いが漂い、温かな日差しに照らされている。これだけ沢山の本があっては、何から探して良いのか分からない。
マトリカリアは声には出さずとも、自分が今見ている光景が信じられないというように、目をまん丸くして口を半開きにしていた。
本棚の前には、本を探している人達がいる。図書館の中央には沢山のテーブルが置かれ、学生が黙々と勉強をしていた。
離れた所には子ども専用スペースの部屋があり、絵本を読み聞かせている親や、玩具で元気に遊ぶ子どもの姿がある。防音製の壁なのか、中の声が一切漏れてこない。
館内は螺旋階段もあり、見上げるとあまりにも高すぎて天井がどこにあるのか分からない錯覚を起こす。まさに、迷路の様だった。
二人は周りをキョロキョロと見渡しながら、ゆっくりと館内を歩いていく。適当に本棚の前までやって来ると、マトリカリアはアシンメトリーのスカートを静かに揺らしながら、真剣な顔で本の背表紙を見つめ始めた。
「どうした?」
「……えっと……光る花畑ってないかなって……」
彼らがいる場所に今は誰もいないが、なるべく声が響かない様に小さく会話をする。
「光る花畑……?」
ロレスは隣に立つマトリカリアの声を聞き取る様に、やや膝を曲げて彼女の方へ体を傾けた。
「うん……。昨日、リヴァラが持っていた本に書いてあったの……。凄く気になって……他にも似たような内容の本がないかなって……」
「……そっか。よし、探してみよう」
二人はやや距離を取りつつ、本の山の中を探し始めた。
一階から二階へ、真反対の方へ足を向ける。そして、螺旋階段を利用し三階へと進む。
本を探し始めて3時間程経った頃。
「……?」
ふと、マトリカリアの目に一冊の本が留まった。その本だけ何かが違う。呼ばれている様な、そんな不思議な感覚に陥った……。
「……」
徐に本を手に取り、ゆっくりとページをめくる。そして、あるページでめくっていた手が止まった。
「!!」
少し離れた所で本を探すロレスの方へと、マトリカリアは早歩きで近づいた。
「ロレス……ロレス……!!」
「どうした?」
「これ……!! リヴァラの所で見た絵に似てる……!! 本を書いた人は違うみたいなんだけど……」
ロレスは彼女から本を受け取ると、開かれたページに目を送る。そして、小声で読み上げた。
「光る花畑……カミナミ……? ……温かな光と心を与えし癒しの場所……」
「……あるのかな、本当に……」
「……場所は……ダメだ……書いてない……」
「……やっぱり、空想なのかな……」
ロレスの声に酷く肩を落とすマトリカリア。その姿にロレスは静かに本を閉じると優しく微笑んだ。
「……そんな暗い顔するなよ。一緒に探そう。この場所を」
「え……?」
思いがけない言葉に、マトリカリアは顔を上げると目を瞬かせた。
「気になるんだろう、この場所。良いじゃん、俺も一緒に探すよ。カミナミ」
「良いの……!?」
「オーズランに行った後になっちゃうけど、その道すがら探す事だってできるし。それに、光る花畑を書いた人が少なくとも二人いるって事は、空想じゃないのかも知れないしさ。一緒に見つけよう!!」
「うん!!」
マトリカリアは満面の笑みを浮かべると、大きく頷いた。
こんなにも生き生きとした彼女の姿を見たのは初めてだ。これもリヴァラのおかげなのかも知れない。
ロレスはマトリカリアの笑顔をみると、更に顔をほころばせたのである。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「やぁ、どうだった? 初の図書館は」
時刻は夕方。上下黒い服に身を包み、茅色の髪をハーフアップにしたリヴァラが図書館の入口に立っていた。彼女は館内から出て来た二人を見つけると口の端を上げ、何か企む様な笑顔で二人に声をかけた。
「す、凄かった……」
「つ、疲れた……」
リヴァラがそこに立っていたのに驚く事もせず、二人はまるで魂が抜けた様にトコトコと歩く。そんな様子にリヴァラは思い切り声を上げ笑う。
「ハハハハ!! まぁ初めての所だしな、そのリアクションが正しいと思うぞ」
「リヴァラは、全部読み終わったのか?」
「ああ、さっき返却した」
「…………」
「……まだ、夕方……だよな」
当たり前のように言ってのけるリヴァラに、ロレスはターコイズブルーの短髪を揺らし、オレンジ色になりかける空を見上げる。彼は昨日持っていたリヴァラの本の量を思い出すと、額に汗を浮かべた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「カミナミ?」
宿へと戻る道中、リヴァラは聞いた事の無い地名を無意識に聞き返していた。
「ああ。そこが光る花畑の場所の名なんだと思う」
「……でも……どこにあるのか……全く分からなくて……」
「他にもそれらしい本を探したんだけど、全然見つからなくてさ……あまり詳しくは書かれていなかったんだ」
肩を軽く落とす二人に紫の瞳を向けると、リヴァラは軽く頷く。
「そうだったのか。だが場所の名だけでも見つけられたのは大きな一歩になる。今後行くであろう町や村で、カミナミを知っている者がいないか聞いてみよう。しかし君達は凄いな。二カ月いた私ですら、その本を見つけ出せなかったのに。たった半日で見つけてしまうとは」
「カリアが見つけたんだよ」
「カリアが? 凄いな!!」
リヴァラは怪顛する。
「信じてもらえないと思うけど……何だか、呼ばれた気がして……」
「呼ばれた? 本に?」
「うん……」
静かにそう口にするマトリカリアに、リヴァラは一瞬驚いた顔を見せると、直ぐに優しく微笑んだ。
「不思議な事もあるんだな。カリアには何かを引き付ける力があるのかも知れない。どちらにしても、良い収穫になった」
リヴァラの言葉に安心したのか、マトリカリアはエメラルドグリーンの瞳を輝かせ笑顔を向けた。
「よーし!! 二人共、お腹は空いていないか? 昨日とはまた別のレストランに行こう!! そこも昨日の店に負けない位旨いぞ!!」
リヴァラはロレスとマトリカリアに振り返ると、ニヤニヤと笑みを見せ、二人に有無を言わせずレストランへと足を運んだ。
「え、また貸切!?」
「りょ、料理もこんなに……」
「さあさあ!! 遠慮なく食べるんだ!!」
案の定、このレストランも貸切だった。料理も大きなテーブルにギッシリと並べられている。
昨日と同じような状況に、ロレスとマトリカリアは言葉を失ったのである。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「瘴気?」
太陽が沈み、少し肌寒さを感じる時間帯になって来た頃。
部屋の中はコーンスープの香りが漂い、バジルとトマトソースのパスタが鼻を擽る。
セナとジアンはお互い向かい合いながらテーブルにつくと、夕食の時間を共に過ごしていた。
パスタをフォークでクルクルと巻きながら、セナはジアンに聞き返した。
「昼間、集会でロキトばぁ様が言ってた」
軽く頷きながらパスタを頬張るジアン。彼の素色の髪の上には、大きな目をぱちくりさせながら二人の様子を伺っているヒスイが寝そべっている。
「瘴気って、あの人体に害を成す原因不明の空気毒素だよね?」
「ああ。スンぺギ樹海から漏れ出してるって。いつからか分からないんだけど、最近樹海の方に行ったドットさんがそう言ってたんだって」
「その樹海の近くに、確か小さな村があったよね? 大丈夫なの?」
「それが、寝込んでる人もいるって……死者は今のところ出てはいないらしけど……」
「そんな……!! なら私達が瘴気を消しに……!!」
「そう言うと思ったけど、それは無理だ」
手にしていたフォークを置いたセナが、勢い良く椅子から立ち上がる。そんな彼女を、ジアンは一言で制した。
「何で!? 瘴気なら魔術で浄化出来る筈でしょう!? 今も苦しんでいる人が沢山いるって言うのに、見過ごせって言うの!? 何の為に私達は魔力を持っているのよ!?」
セナは薄緑の瞳でジアンを睨みつける。
「ドットさんの話だと、あの規模の瘴気を消す事は不可能だってさ。それに今ルアーニ人が出て行けば、益々この瘴気を作り出したのはルアーニ人だと疑われる。アーメル人は何か悪い事が起こると直ぐにルアーニ人のせいにする。厄介な話だよな。すれ違ってもルアーニ人だって気付いてないくせにさ」
「……」
「それにオセットさんだって言ってただろ。今のお前には新しい命が宿ってる。何かあってからじゃ遅いんだ。今は、目の前の命を守る事を考えてくれ」
「……っ……」
真っすぐな声で言うジアンに、セナは言葉を詰まらせてしまう。そして静かに俯くと、口を開いた。
「…………マトリカリアなら……」
「……」
ここに居ない人物の名を聞いたジアンは、僅かに顔を曇らせる。動かしていた手を止め、残っているパスタに目をやり一点を見つめる。
「……メノティリア様の力……か……」
「まだ……見つからないの?」
その声に静かに頷くジアン。彼の頭に乗っているヒスイも、悲しそうな表情を浮かべていた。
「……あいつの居場所は未だに……。そう……、マトリカリアの……あの力なら、もしかすると……」
「……メノティリア・クリスタル…………。自分が求めて手に入れた力じゃないのに……お父さんの道具にされて……自由に生きていけなかった……。……普通の女の子として産まれていれば、私達と友達になって、楽しい毎日を一緒に過ごせていたかもしれないのに……」
「……何でお前が泣くんだよ……」
途中から彼女の声は震え始め、最後にはボロボロと涙を流していた。淡い緑のワンピースに零れ落ちた涙が染みては消えていく。
「……だって……可哀そうだよ……お母さんは産まれた時からいない……幸せを……全て……奪われて来た……楽しいと思える事……嬉しいと思える事が一度もなかったんだよ……お父さんの手から助け出す事も……話しかける事も出来なかった……私、後悔しかしてない……」
肩を震わせながら言うセナの姿に苦笑いを浮かべ、スッとジアンは椅子から立ち上がる。そして、向かいに座っているセナの傍に移動すると、片膝を立て彼女をそっと抱き寄せた。
「……お前だけじゃない。……マーガレットさんと親友だった俺達の両親も後悔してる……。後悔しているからこそ、俺達がマトリカリアを救うんだ。絶対、戦争の道具になんてさせない。……マトリカリアを見つけ出したら、俺が必ず連れて帰って来るから」
「クゥクゥ~」
「……ぅん……」
ジアンの頭の上に乗っていたヒスイはその場で器用に立ち上がると、セナの肩へと移動した。まるで『大丈夫だよ』と言うように、優しく自身の頬を彼女の頬へ擦り付ける。セナはくすぐったそうに片目を瞑り、涙を流しながらジアンとヒスイの優しさを感じた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「よーし!! 二人共、準備は良いか!? 気合入れて行くぞ!!」
太陽が朝を知らせた頃。三人は宿の外へと集まった。そこでリヴァラは盛大に声を上げ、ロレスとマトリカリアに目を向ける。
「……あ……ぇ……」
元気に声を上げるリヴァラの姿に、驚き目を奪われたロレスは言葉を詰まらせる。
「ん、どうしたロレス?」
彼女の紫の瞳が太陽により更に輝く。肩に付く程度の長さの茅色の髪を、後ろ半分だけ縛っている。それは昨日まで見ていた彼女の姿と変わらない。変わっていたのは服装と、腰にあるそれだった。
黒のジャケットは開けたまま。下に着ている黒いベストはしっかりとボタンで留められており、白い襟付きのシャツが彼女の凛々しい顔を更に引き立てる。黒いズボンの上には,ボックススカートに似た膝上までの黒いスカートを履いている。
そして一番目に付くのは、彼女の左腰に差している剣だった。
「……リ、リヴァラって、剣士……だったのか!?」
「君と一緒で、これは護身用だ。旅をしている以上、何が起こるか分からないからな」
空色の瞳を大きく見開き、やっとの思いでそう口にしたロレスに対し、リヴァラは当たり前の事だと言うように淡々と告げる。
「そ、そうだよな……」
若干の戸惑いはあるものの、ロレスは納得すると静かに頷いた。
「準備は大丈夫そうか? 出発しても平気か?」
リヴァラは再度、二人に声をかける。
「ああ、問題ない」
「私も大丈夫」
しっかりと頷く二人に笑顔を向け、リヴァラは大きく深呼吸をし、
「よし、では出発しようか!!」
真っ直ぐ前を向くと町の外へと歩き出した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――コゴーデブリッジ
「ほら、見えて来たぞ。あれがコゴーデブリッジだ」
長かった平地も終わりを告げようとしていた頃。リヴァラがそう声を上げると、ロレスとマトリカリアは顔を上げ、目を大きく見開いた。
「……わぁ……」
「……でっか……」
青い海が波を打つ。その間には、言葉を失ってしまう程に大きな建物が見える。
「え、これ本当に橋!? 海の上に建ってるの!?」
「勿論だとも。二人とも、ここに来るのは初めてか?」
「ああ」
「……凄いね、ここ……」
ツビロを発ってから二日目の昼頃。三人は無事にコゴーデブリッジまで辿り着くことができた。
「クルデ大陸とヴェアド大陸を繋ぐ世界最大にして最長の橋、コゴーデブリッジ。渡りきるのに七日かかる。この道の幅は約80メートル。壁の高さは約60メートル。橋を進めばヴェアド大陸だ。この壁は津波、転落防止の為、大陸を渡り切るまでずっと建っている。海を見たいのなら、今のうちだぞ」
「く、詳しいな……」
「このくらいの知識はあるさ」
「この先はずっと橋……信じられない……」
「……本当……凄い……」
ロレスとマトリカリアは目の前に建つ橋を穴が開いてしまうのではと思う程に見つめる。そんな中、リヴァラは一人訝しむ様な顔を見せた。
「……何故騎士がここの見張りをしている……?」
「?」
「どうした?」
「ガイルアード騎士団はこの橋の見張りをやる事はない……門番はいないのか?」
リヴァラの目線の先。そこには、橋の入口に立つ団服を着たガイルアード騎士団の男性が一人立っていた。
寄せた眉を戻す事無く、リヴァラはつかつかと門の方へと近づく。慌ててロレスとマトリカリアも顔を見合わせるとそれに続いた。
「こらこら!! ここから先は通行止めだ!! 下がった下がった!!」
三人に気付いた中年の騎士は、大きな声を上げながら行く手を遮った。
「通行止め? 何の話だ」
騎士の態度に、リヴァラは不愉快そうに紫の瞳で睨み付けた。
「現在、橋を渡った先のホウトという村で、原因不明の人体を蝕む瘴気が充満している。個人差もあるが、橋の途中からは息苦しさを感じる者もいるんだ。瘴気が収まるまで、大陸を渡る事を禁止している。分かったら下がれ!!」
「そんな……」
ターコイズブルーの短髪を海風に靡かせながらロレスは声を漏らした。
リヴァラは半分苛立ちを見せつつも、口調をなるべく柔らかくしながら口を開く。
「三ヶ月前まではそんな事になっていなかったはずだ」
「瘴気が発生したのは二ヶ月程前からだ。ガイルアード騎士団でも手に負えていない。さぁ、戻った戻った」
「……」
強引に橋から離れるよう促される三人。しかし、リヴァラは足に根っこでも生やしたかの様に、一切その場を動こうとしない。
そこでリヴァラは茅色の髪を揺らし、背後に立つロレスとマトリカリアに目線を送り問いかけた。
「……お前達、どうする? ここを通り、オーズランに向かうか? それとも瘴気が消えるまで引き返すか?」
「俺はオーズランより、そのホウトって村が気になる。村の人達は大丈夫なのか?」
迷わずに言うロレスの姿に、一瞬眉を跳ね上げるリヴァラ。
「私も、ホウトに住んでいる人達が心配……」
二人の応えに、リヴァラは覚悟を見抜くと再度問う。
「……この先に待つ瘴気が漂う地へ向かう覚悟があるか?」
「行く!!」
「私も!!」
「分かった」
その声にリヴァラは口の端を上げると、再び騎士へと向き直った。
「君はどこの部隊に所属している?」
「な、何を偉そうに!! 貴様などに応えて何になる!?」
「応えられないのか? その団服、二度と着れない様にする事など造作もないぞ」
「リ、リヴァラ?」
「どうしたの?」
「えっ……!? リヴァラ……って!? え、っ!?」
ロレスとマトリカリアがリヴァラを戸惑いながら見つめている。そのリヴァラの名を聞いた騎士が、徐々に顔を青くしていくのが目に見えて分かる。
リヴァラはため息を一つ付くと、上着を脱ぎ、襟付きの白いシャツの右肩口に付いている鳥の形をしたバッジを騎士に見せた。
「ぁッ……貴女様は!!??」
「私はガイルアード騎士団総隊長、リヴァラ・クフォーラ。このバッジが証だ。そこを通してもらうぞ」
「はっ!? 総隊長!? 痛っ!!??」
後ろに立っていたロレスは酷く驚き、思い切り声を上げた。
リヴァラは騎士から目を反らすどころか、表情一つ変える事無く、ロレスの足を思い切り踏み付けた。
固めのブーツを履いているのにも関わらず、それをも貫通したかの様な痛みを味わうと、ロレスは右足を両手で抱え涙を流した。
「し、失礼いたしました!! 数々の無礼をお許しください!! わ、私は第三部隊に所属しております!! わ、私のしょ、処罰は……」
それまでの騎士の傲慢な態度が嘘の様だった。ペコペコと頭を地面に付くのではないかと言う程勢い良く下げ、リヴァラの顔色を伺う。
「ここを通してもらう。それだけで良い」
そう言いながら、リヴァラは上着を可憐に着直す。
「どうぞ!! お通りくださいませ!! あ、ば、馬車!! 馬車は瘴気によりお出し出来ないのですが……」
「問題ない。歩いていく。この橋の宿主達はいるのか?」
「各宿につき、宿主一人のみの待機となっております」
「分かった。行くぞ二人共」
「あ、待って……!! ……ロレス……だ、大丈夫……?」
その声と同時にリヴァラは二人に振り返らず橋へと歩き出してしまう。マトリカリアも付いて行こうとするが、足を負傷したロレスが動けずにいるので慌てて手を貸す。
「あ、ああ……」
「お気を付けて!!」
顔を真っ青にした騎士の威勢の良い声を背に、三人は橋に足を踏み入れた。
「あの……、……リヴァラ……さん?」
騎士が見えなくなった頃、ロレスが恐る恐るリヴァラに声をかける。
「私がクルデ大陸に渡ったのは三カ月前。ツビロには二カ月滞在していた。つまり、この瘴気の件は一切聞かされていない。ツビロには騎士はいないからな……旅人がそのような話をしていたのも聞いてはいない……こんな事になっていたとは不覚だ……」
「……」
「……」
「と、こんな事を聞きたいわけではなかったよな。……すまなかったな。隠していて」
「え」
前を歩くリヴァラから謝罪の声を聞き、ロレスは耳を疑った。隣を歩くマトリカリアと目を合わせる。
「少し事情があってな。立場を隠して旅をしているんだ。ツビロでもずっと隠したまま居座っていた。だから、君達に騎士団に所属しているとは言えなかったんだ。総隊長なんて尚更な……」
「……」
「……宿屋の主と知り合いだったって事も、レストランが貸し切りだったのも、騎士……総隊長だったから?」
「そうだ。唯一私の立場を知っているのは、あの町では宿屋の店主と二件のレストランの店主のみ。口が堅く一切口外しない。信頼出来る人達だ」
「総隊長……って、騎士団で一番偉い人……だよな?」
「一応な」
そこで、ロレスは聞きにくそうに続ける。
「……リヴァラのお父さんが務めていた……」
「そうだ」
「……」
「父が殺されてから一年はリジックが総隊長を引き継いだ。20代の子どもが総隊長なんてありえないと猛反対を食らったり、と、まぁ色々あったな……。それ以上に信頼と実績があり、問題なく総隊長になった……。その後、守護騎士に……」
「そのままリジックさんが総隊長を務めなかったのは、どうして?」
マトリカリアが口を開く。その声に、リヴァラは変わらず淡々と応えた。
「さぁな。突然私に総隊長を任せると言って、守護騎士になった。あの人の考えている事は分からない」
「リヴァラが総隊長になるのも、大変だったんじゃ……」
ロレスのその言葉に、それまで淡々と応えていたリヴァラが、少し顔を曇らせる。
「……そう……だな……。当時私は19歳。史上最年少の総隊長になった」
「19歳!?」
「兄以上に猛反発を食らった。だが、ガイルアード騎士団の規則に、総隊長の引継ぎには、総隊長が任命した者が原則としてその座に着く事になっている。生前、父は次期総隊長をリジック・クフォーラに任命すると書置きをしていたらしい。まるで自分が殺されるのを知っていたかの様にな……」
「……」
「……それで、リジックさんはリヴァラを総隊長に……」
「……反感を買うと分かっていても、兄は私に総隊長を命じた。そして、直ぐに守護騎士へと姿を消した……嫌がらせとしか思えないな……」
皮肉めいた声音が二人の耳に残る。ロレスは戸惑いながらも疑問を投げかけた。
「で、でも何で旅をしているんだ? 騎士団の本部? にいなくて良いのかよ?」
「私は、半年に一度だけ本部に戻っている」
「半年に一度? 何で?」
「ルアーニ人の拠点を見つけ出す。そして、戦争が始まる前にルアーニ人と交渉する。その為に旅をしている。総隊長も案外捨てたものではないな。ある程度自由に動ける」
「……」
「……」
「……オーズラン王も、いつ動くか分からない。まぁ、ルアーニ人を見つけ出さない限り、無謀な動きはしないとは思うが……こればかりは分からないからな。私は本当の意味で、ルアーニ人とアーメル人が平等で、そして平和な世界で生きていくのを望んでいるんだ。そして、八年前何故ルマスを襲ったのか、心臓を取った目的は何だったのか……その真相を知る為にも旅を始めた」
「……」
「……オーズラン王が父と母を殺した事実は変わらない。あんなに、あんなに……幸せ……だったのに……全てを奪ったオーズラン王が、憎い……」
「……」
怨色とも言える顔で、リヴァラは肩を僅かに震わせる。
「……戦争なんて、絶対阻止してみせる。私は王の言いなりになんて絶対ならない。これは、王への反逆だ。騎士としてあるまじき行動だろう、聞かなかった事にしておいてくれ」
そう笑うリヴァラの顔は、とても……とても悲しげで辛そうだった。
「そして、もう一つの目的。カリアもツビロで読んだだろう。光る花畑。その場所を探している。これはついでの様なものだがな」
「……温かな光と心を与えし癒しの場所……」
「ああ。……一目で良いから見たいんだ」
「……」
凛々しい顔も、もの悲しい顔も、辛そうな顔も、優しさに溢れる顔も、全てリヴァラだ。二人は、リヴァラの新しい一面を見ると、戸惑いもあったが、何故かすんなりと受け入れる事が出来た。それは、彼女の生き方、人との接し方が功を奏したのだろう。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――夜
三人は宿屋に辿り着き、各々体を休める。
「…………」
リヴァラとマトリカリアは部屋を共にしていた。
「……」
部屋の窓辺に寄りかかり、外を眺めるマトリカリア。当然、目に映るのはこの橋を支えている壁のみ。やや上を向けば夜空が見えるが、室内からでは思うように景色を見る事は出来ない。
ふと、視線を部屋に戻す。部屋の中央に置かれた椅子に座り、リヴァラは自身の剣を磨いていた。
「……リヴァラ……」
「ん、何だ? ……浮かない顔だな。どうした?」
「……」
マトリカリアは沈んだような、そして緊張した面持ちでリヴァラの名を呼ぶも、口を閉ざしてしまう。不思議そうにマトリカリアを見上げると、リヴァラはゆっくりと剣を仕舞う。
「……あの、……聞いてほしい事があるの……」
「……」
「……大事な、……でも、信じてもらえない様な事なんだけど……」
「私は君の仲間だ。何でも聞くよ」
全てを理解し受け入れると言ったような表情を浮かべ、紫の瞳に優しさを映す。リヴァラは自身の目の前にある椅子にマトリカリアを促した。一瞬戸惑ったマトリカリアだったが、ゆっくりと頷き彼女の前に移動する。
「…………」
「……」
そして、リヴァラは真剣に彼女の話を聞いたのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
橋を渡り始めてから四日目の夜。小さな部屋は月明かりで照らされる。静かに鳴り響くのは時計が時を刻む音。ロレスはベッドに寝ころび天井を見上げ、青い瞳を閉じては開くを何度も繰り返す。
「……………………」
ベッドから体を起こし、壁に掛かっている時計に目をやる。
「……2時……か……」
起こした体を再び横にし目を瞑る。しかし、眠気は襲ってこない。
「……うぉぉ……」
ターコイズブルーの髪をわしゃわしゃと掻きむしり、ベッドから飛び起きた。こんなにも強く髪を弄ったのにも関わらず、彼のくせ毛は健在で、髪が見事に跳ね上がっていた。
「……外の空気でも吸ってくるか……」
ロレスはベッドの脇に置いていた上着を羽織り、マフラーを巻くと部屋を後にした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「うぅ……さむっ……」
宿屋から出ると、月明かりがロレスを迎える。肌を刺す冷たい風が時折吹き、ロレスは身を縮めた。
「昼間は感じないけど、やっぱ夜は寒いな……」
そうして、ふと、空を見上げる。無数の星が月と共に夜空を輝かせていた。
「……綺麗だなぁ……海も見れたら良いのに……」
波の音は微かに聞こえても、海を眺める事は出来ない。
「……損してるよな、この橋。窓みたいなの付ければ良かったのに……もったいない……」
宿屋の前は小さな広場がある。ロレス達が今日泊まっている宿屋は橋の中間地点のようで、その為か小さな噴水が設置されている。その噴水の傍にはコゴーデブリッジ中間地点と書かれた看板が建っていた。
「……海の上に噴水って、なんか変な感じだよな……。……この先……本当に瘴気なんて発生してるのか……?」
瘴気が発生しているなど信じられない程に、この辺りの空気は重く感じない。
「……ん?」
噴水の傍にある木製のベンチに人影を確認する。星の僅かな光に照らされ、美しく夜風に靡く少し癖のある淡い赤色の長い髪。夜空を眺める姿が、とても儚げに映る。
「……こんな時間に、何してんだ?」
「!?」
背後から飛んできたその声に驚き、勢い良く振り向いたのはマトリカリアだった。彼女はロレスを確認すると、エメラルドグリーンの瞳を大きく見開いた。
「……ロレス!?」
「寒くないのか?」
ロレスはマトリカリアの隣に腰掛け、夜空を眺めながら訪ねた。
「……大丈夫」
そう、一言だけ返事をするマトリカリア。
「……そっか」
会話は少ない。お互い何も喋らず、ただ星空を眺める。
「……」
「……」
暫くして、マトリカリアは寒さでか、少し身を縮ませた。両手を包み込む様に握る。その光景がちらりと目に入り、ロレスは徐に首に巻いていたマフラーを取ると、彼女の首にぶっきらぼうに巻いた。
「!?」
マトリカリアは突然の事に驚き、隣に座るロレスを見る。
「……」
彼はマトリカリアと視線が合わない様に、無言で空を見上げる。マトリカリアは最初は驚いたものの、少し表情を和らげマフラーの温もりを感じた。そして小さな声で、
「……ありがとう……」
そう、口にした。
「……」
その声が聞こえたからなのか、寒いせいなのか、ロレスは耳を少し赤くして小さく頷いた。
「…………」
「…………あと数日後には、瘴気が充満するヴェアド大陸に辿り着く。体調を崩すかもしれない。カミナミを探すのは、瘴気が治まってからでも遅くない。今ならまだ引き返せる。カリアは戻った方が……」
「行くよ。一緒に」
「……でも……」
「……瘴気……何か力になれるかも知れないから。……私にも生きる理由……見付けられる気がするの……」
「……」
「……大丈夫……私は生きる。……約束する……」
「カリア……」
話をする事に未だ慣れないマトリカリアは、言葉を選びながらゆっくりと口にする。しかしその声は力強かった。
ロレスは彼女の言葉に驚きつつも笑顔を見せる。
「お前、変わったよな」
「え?」
ロレスの言葉に、首を軽く傾げる。
「何ていうか、前より明るくなった」
「……」
「話す事も多くなったし、表情も会った頃に比べると、かなり柔らかくなった」
「……」
「リヴァラと出会ったのも、きっと大きな転機だったんだろうな。良かったよ、カリアが笑顔を見せる回数が増えて」
「…………」
ロレスの言葉に、マトリカリアは何も言わず固まってしまった。そんな彼女の反応を見て、慌てて両手を横に振るロレス。
「あ、ごめん、また無神経な事言ったよな……」
「……ち、違う……。……う、嬉しいと思える事をくれた二人が居てくれたから、……私も変わっていけたんだと思う……」
「……」
「まだ、……馴れない事も沢山あるし、上手く話せない時もあるけど……今はね、生きるって楽しいって思える時があって……そう思えたのは、ロレスとリヴァラのおかげだよ……だから、ありがとう」
「……カリア……」
薄紫の長いマフラーに少し顔を埋め、マトリカリアははにかみながら礼を伝えた。
「……私、生きるよ。……二度とあんな真似はしない……」
その言葉にロレスは笑顔を向けると、言葉の代わりに力強く頷いた。




