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第8話 憶

「カリアはいつもそんな喋り方なのか?」

「……?」


 日が暮れる前に少しでも先に進もうと、二人は山の中を歩き続ける。そこで、ロレスの言葉にマトリカリアは軽く首をかしげた。


「いや、なんて言うか淡々と喋るじゃん? もっとこう、気楽って言うかさ、肩の力を抜いて喋ったりしないのか?」

「…………」

「……もしかして、人見知りとか?」

「……」


 無表情のままでいるマトリカリア。彼女からはあまり感情を見受けられない。


「しばらくは一緒にいるんだからさ、もっとリラックスして、どんどん喋ってみろよ。俺、話しやすいって言われるんだぜ?」

「……」

「それとも、さっきの事……まだ怒ってる?」

「…………」

「……カリアさん?」

「………………」

「…………」


 何も応えようとしないマトリカリアに、ロレスは額に汗を浮かべると苦笑いを浮かべた。


 と、そこで思い出したように再びロレスが口を開く。


「そういや、カリアの髪色って変わってるよな。あれに似てるよな……何だっけか……えーっと……」

「……」

「あ、そうだ!! 伝説の幻の花!! サクラの花びらの色に似てるよな!!」

「……サクラ……?」


 隣を歩くロレスを見上げ、首を傾げるマトリカリア。僅かに表情を柔らかくし、興味がありそうな顔をしたのをロレスは見逃さなかった。彼は笑顔を見せながら話し続ける。


「そう、サクラ。実際に見た人はいないって言われている伝説の花。大樹に無数の小さな淡い赤色の花を咲かせて、見る人を魅了する。美しく咲き、儚く散ってゆく伝説の花!」

「……」

「この花は本に書かれているだけで、誰かの空想に過ぎないって言われている」

「……」

「けど、この世界のどこかに絶対に咲いてるって言う人もいる。実際誰も実物を見た事がないから、伝説の幻の花って言われてるんだ。で、そのサクラの色と、カリアの髪色が似てるなぁーって思ったんだ」

「……物知りだね」


 暫く黙っていたマトリカリアが、ようやくロレスに応えた。その一言だけでも、ロレスの肩の力が少し抜けた。


「お母さんが花が好きでさ。マトリカリアも気に入ってたし」

「……そう……」

「……」


 そして再び会話が途絶える。ロレスは顔を少し引きつらせ、言葉を選ぶように何度か口を開いては閉じるを繰り返すと、苦笑いを浮かべながらマトリカリアに話しかける。


「……あのさ、もっと笑おうぜ? そんな仏頂面、カリアには似合わない」

「……」

「まぁ、無理して笑えとも言わないけど。勿体ないぞ」

「……」


 ロレスの言葉にマトリカリアは僅かに驚くと、ゆっくり瞬きをした。


「お!! 川だ!!」


 その時。ロレスは草木の隙間から穏やかに流れる川を見つけ声を上げた。


「……?」


 ロレスが立ち止まると、それにつられマトリカリアも足を止める。そして、ロレスはマトリカリアの手を迷わずに取った。


「行ってみよう!!」

「!?」


 マトリカリアは驚き顔を上げる。そこには無邪気に笑うロレスの姿があった。その声とほぼ同時に腕を引っ張られ、茂みの方へと歩き出す。


 ロレスは草木を片手で掻き分けながら、長い薄紫色のマフラーを揺らし前へ進む。


「おっと。少し高いかなぁ~」


 草木の先は土手だった。端までたどり着くと、土手下を見下ろし川を確認するロレス。そして辺りを見渡し、マトリカリアに振り返る。


「こっから降りるぞ!!」

「えっ!?」


 まるで、小さな子どもの様な笑みを浮かべ、ロレスはマトリカリアの手を引き、緩やかな斜面へと足を踏み入れる。緩やかとは言え、自分達の身長よりも遥かに高い土手の斜面だ。恐怖を感じても可笑しくはない。


「きゃっ!!」

「ハハハハハハハ!!」


 ズザアザザザザアアアアアッ


 二人は手を繋いだまま、起用に土手を滑り降りる。マトリカリアは思わず声を上げロレスの手を強く握った。


「わっ!!」

「おっと!!」


 土手から滑り降り終えると勢い余って足元がふらつき、マトリカリアは転びそうになる。しかし、直ぐに体制を整えたロレスの手に引かれ、寸前の所で転ばずに済んだ。


「ごめん、少し強引だったかな? 大丈夫?」

「……大丈夫」


 ロレスに支えられながらゆっくり体制を整えると、マトリカリアは頷いた。その言葉に安心したのか、ロレスは彼女から手を放し周りを見渡す。


「綺麗だなー」


 ロレスの声にマトリカリアは目の前の光景に驚き、目を大きく見開いた。


「……!」


 彼らの目に映ったのは、岩と岩の隙間から穏やかに流れる川。夕日が反射し、透き通る様な綺麗な川に茜色が美しく光る。視線を少し上に向ければ立派に立ち並ぶ緑生い茂る木々。足元は敷き詰められた砂利。自然を大いに堪能できる場所だった。


 ロレスは砂利を踏みしめると、川の浅瀬に近づき深呼吸をした。時折吹く風が薄紫色のマフラーを靡かせる。彼の表情はとても柔らかかった。 


「……」


 マトリカリアは少し遅れてロレスの隣にやってくると、水辺に近寄りその場でしゃがみ込んだ。


「近寄り過ぎると濡れるぞ」

「……」


 ロレスの声を隣で聞きながら、マトリカリアは徐に右腕の袖口をたくし上げ、川へと腕を伸ばした。白く細い手が濡れる。その横顔はどこか儚く、消えてしまいそうな寂しさを映していた。


「冷たくないのか?」

「……」

「……カリア……?」


 マトリカリアはロレスの声に応えず、水を弄ぶ様にゆらゆらと右手をゆっくりと動かしていた。


 暫くそうしていると、ピタリと彼女の手が止まる。


「…………この川みたいに……」


 そして、静かに口を開く。その声は、川の流れる音にかき消されてしまいそうなほど、か弱い声だった。


「……?」


 ロレスは小さな声を聞き取る様に、その場でそっとしゃがむ。


 左に顔を向ければ、マトリカリアがどんな表情をしているのか確認できるはずが、何故かロレスは目の前に流れる川を見つめる事しか出来なかった。


 (たぶん、怖いんだ…………カリアの思いを知ることが……)


「…………跡形もなく溶けて……誰にも見つかる事なく……消えることが出来たら良いのに……」

「………………」


 マトリカリアが己の命を絶とうとしていた事実が変わる事はない。だが、死ぬ事は自身の意思に反している。死が怖いから、あんなにも震えながらナイフを握っていた。死が怖いから、涙を流していた……。


 (いや、それだけじゃないはずだ……。死と同等の何かにカリアは怯えている……?)


「…………何で……」

「…………」


 そこで、暫く押し黙っていたロレスが口を開く。 


「何で死を選んだ?」

「…………」


 気付くとロレスはマトリカリアに顔を向けていた。彼女は寂しそうに目を軽く伏せている。ずっと浸り続けていた右腕を川から離し、濡れた手を左手で包み込むと、蹲る様に膝を抱え、顔を膝に埋めた。


「……君には分からない……。……私は存在しているのに、私じゃない私が求められる恐怖なんて……」

「……何それ……どういう……」

「…………」


 そこまで話すと、マトリカリアは再び口を閉ざしてしまった。夕日が二人を照らす。美しく輝く川が、冷たくも暖かい空気を作る。


「……本当は死にたくないんだろ?」

「…………死に……たくない……でも………………分からない………………今の私には…………分からない…………」

「…………」

「……」


 長く淡い赤系の髪がマトリカリアの顔を隠す。


「……遠回りしてもいいから、そのまま進んで、答えを見つけられればそれで良いんじゃないかな」


 ロレスは重い空気を断ち切る様にスッと立ち上がり、明るい声でマトリカリアに声をかける。


「……」


 明るく振る舞うロレスに、マトリカリアはエメラルドグリーンの瞳を大きく開き顔を上げた。


「あ、そうだ」


 ロレスは自身の後ろ腰にぶら下げている鞄から、掌に収まる程の小さな紙包みを一つ取り出した。


「お腹空いてない? これ、食べる?」

「え……?」


 軽く膝を曲げ、マトリカリアの手に紙包みを手渡す。ほのかに甘い香りが漂い、彼女の鼻をくすぐった。


「お母さんの手作りアップルパイ!! あ、大丈夫。腐ってないから」

「……」

「お母さんは料理が上手で、特にこのアップルパイはサイッコーにウマいんだー!! 子どもの頃から好きで、よく食べてたんだよ。シナモン? だっけ、香りがするヤツ。俺、それは苦手だから抜いてもらってる」


 満面の笑顔で話すロレス。そんな彼を見ていると、ふっと、マトリカリアの脳裏に何かが思い出される。無邪気な彼のこの顔と記憶の中の何かが重なる。


「……もしかして……」

「ん? どうした?」


 首を傾げるロレスに、マトリカリアは自分の勘違いだろうと、軽く首を横に振った。


「ううん……何でもない……。……頂きます」

「どうぞどうぞ」


 マトリカリアは渡された紙を広げ、綺麗なきつね色に焼き上がっているアップルパイにかぶり付いた。


「!!」


 そして、一口食べた瞬間、目を見開き身動きをしなくなった。


「……もしかして、口に合わなかった? え、腐ってた!?」


 ロレスは慌ててマトリカリアの隣にしゃがみ、鞄から水筒を取り出すと、彼女の顔を心配そうに覗いた。


 しかし、慌てる必要などなかったようだ。彼女のエメラルドグリーンの瞳は、これでもかと言う程にキラキラと輝いていた。その目には薄っすらと涙が浮かび始める。


「……美味しい……とても……」

「え、泣くほど!?」

「……おい……しい……」


 想像以上に美味しかったのか、マトリカリアはポロポロと涙を流し続け、一口一口、嚙みしめる様にアップルパイを頬張った。


 彼女のその笑顔と涙に、ロレスは心底安心したように肩の力を抜き、そして満面の笑みを浮かべた。


「良かったぁー、お母さん喜ぶよー。いつか村に帰ったら、お母さんのアップルパイに感動してた子がいたよーって伝えないとなぁ~」

「……ごちそうさまでした。本当に……美味しかった」

「嘘じゃないって、その顔で充分伝わるよ。そんなに感動してもらえるなんて思わなかったけど」

「……」

「さ、そろそろ出発しよう」


 そこでロレスは立ち上がると、彼女に手を差し出す。


「……え」

「立って。行くよ」


 笑顔を向け彼女を促す。マトリカリアは少し戸惑いながらも、彼の手を取り立ち上がった。


「大丈夫? 手、すげぇ冷えてるけど?」


 手袋をしているロレスにも伝わる程に、水に浸かっていたマトリカリアの手はすっかり冷え切っていた。


「……平気」

「そう? ……あんま無理すんなよ?」

「…………どうして……君はそんなに……」

「ん?」

「…………何でもない」


 マトリカリアは何事もなかったかのように、ロレスと共に歩き始めた。






◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆






 川沿いを暫く歩く。すると、唐突にロレスは歩みを止めた。そしてマトリカリアに満面の笑みを見せる。


「あれ!! 山小屋が建ってるの見える!? 休めるかも知れない!!」


 川から少し離れた場所に木々が立ち並んでいる。その木に囲まれ、隠れる様に小さな山小屋が建っていた。


 ロレスは長い薄紫色のマフラーを靡かせ、山小屋へと駆け寄った。慌ててマトリカリアもそれに続く。


 山小屋に着くと、ロレスはゆっくりと扉に手をかけた。


「おぉ!! ここのは扉が開く!! 今日はここで休めるな!! 暗くなる前に見つけられて良かったぁー」

「……ここのは?」

「あぁ、麓にあった小屋は扉がびくともしなくてさ。中に入れなかったんだ」

「……そう……」


 山小屋を覗くと中は程よい広さの平屋だった。しかし、とても埃っぽく、ランタンが一つとボロボロの毛布が三つほど置いてあるが、他は何もない。


「……」

「まぁ、期待は全くしてなかったけど……なかなかの汚さだな……風を凌げるだけでも贅沢は言わないけど……」

「……暗い……」

「……だな……」


 マトリカリアもロレスと同じように山小屋を覗く。


「…………」


 そして彼女は中に入り、ランタンを手にした。


「……焚き火して……このランタン使おうか」

「え」

「……?」


 その言葉に僅かにロレスは眉を曇らせた。その様子にマトリカリアは首を傾げる。


「あ、……いや、その……じゃ、カリアはここで休んでいて。……焚き……火、……一人で出来る?」


 焦るロレスの顔色が徐々に悪くなっていく。少しずつ後退していき、マトリカリアに背を向けた。


「出来るけど……どこに行くの?」

「後で……ちゃんと戻って来るから……」

「…………」


 そう言って、ロレスは山小屋から出て行ってしまった。


「……ロレス……?」


 山小屋に一人残されたマトリカリアは、姿を消したロレスの名を静かに口にした。


 先程まで、沢山笑顔を見せていたロレスとは別人の様だった。顔色を悪くし、彼からは恐怖を伺えた。明らかに何かから逃げようとしていた。


「………………」






◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆






「はぁ……はぁ……くそっ……」

 

 息を切りながらとにかく落ち着こうと、ふらつく足取りで山小屋から離れる。


 辺りはすっかり暗くなっていた。遠くで梟や虫の鳴いている声が聞こえてくる。月明りがロレスの足場を照らし、彼は山小屋が垣間見える所まで必死に歩いた。


「はぁはぁっ……」


 あの場に火が立ち上がる。それを想像するだけで、汗が吹き出た。動悸がし、視界が悪くなり呼吸が乱れる。


 八年前に火災に巻き込まれて以来、ロレスは火への恐怖を抱えたままだった。


 (……見てもないのに……こんな……)


 火を見るのは勿論、火という言葉だけでも、脳裏に焼き付いた八年前の記憶は消し去る事は出来なかった。


 その場でうずくまると、背後に立っていた木に体を預ける。震える手袋越しの手で顔を覆い、そのまま頭を抱えた。


 (落ち着け……落ち着け……大丈夫……怖くない……落ち着け……)


 目を強く閉じ、何度も何度も自分へ言い聞かせるように心の中で呟く。


「……はぁ……はぁっ……っ……」


 しかし、一向に呼吸が落ち着く気配がない。


 (……情けねぇな……誰かと旅するなんて……無理だ……)


 この旅先で、野営は当たり前になる。誰か、仲間が一人でもいれば、焚火だって当然行われる。そんな中に、自分はいれない。……迷惑をかけるだけだ。


 (カリアには悪いけど……やっぱり、一人で旅をしよう……)


 そう思った時だった。


「…………大丈夫?」

「っ!?」


 突然飛んできた声に驚き顔を上げる。そこには、ランタンを右手に持ったマトリカリアが立っていた。口数は少ないものの、心配しているのが伝わって来る。


 そんな彼女の顔を見るより先に、ロレスは目に焼き付けてしまう。


「……!!」


 彼の目に映る物。それは、ランタンのガラスの中で燃える炎。


「……っ!!!!」


 恐怖に顔を強張らせる。彼の脳裏に蘇るのは八年前の記憶。


 燃え盛る炎と黒煙。息苦しい町。飛び交う断末魔。響き渡るサイレンと、建物が崩れ落ちる音。炎に包まれた瓦礫を必死に搔き分けた手の痛み。首を締め上げられた恐怖。己の無力さ。数々の恐怖と後悔がロレスを包み込んでいく。


「ぅっ」


 顔を真っ青にし、視界が揺れる。無意識に巻いていたマフラーに手をかけ、首元を緩めると左手で首を守り、右手で口元を抑えて俯いた。


「はぁ……はぁ……っぁ……」


 体を震わせ嘔吐を堪える。額に汗を流し、地面を見つめ、荒くなった呼吸を落ち着かせようとした。


「ロレス!?」


 異常な彼の行動にマトリカリアは驚き、真っ青になっていく彼の名を呼ぶ。しかし、その声はロレスには届かない。彼女は戸惑いながらも、ロレスを支えようと屈み近寄った。


 しかし、その行動は彼にとって恐怖そのものでしかなかった。


「ぅうあああああ!! 近寄るなぁぁああ!!!!」

「っ!?」


 バリーーーーーンッ


 声を荒げると、マトリカリアの右腕を思い切り振り払い、ランタンを叩き落とした。そして、ロレスは両腕で自身の頭を覆った。落とされたランタンのガラスは見事に割れ、その拍子に煌々と燃えていた火が消える。


 辺りは一気に暗くなり、月と無数の星達が二人を照らした。

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