第7話 名
――八年後
「これ以上先は立ち入り禁止だ。戻れ」
「いや、ちょっと人探しをしてるんですけど……」
「一般人は見かけていない」
「そうじゃなくて。ガイルアード騎士団の……確か、第一部隊? だったかな。リジック・クフォーラさん、今どこにいるか知ってますか?」
「リ、リジック様!? え、あ、いや、知らん。そんな人は知らん!! 良いから即ここから離れろ!!」
「それから、セシオンさんや、フォルグランさんも――」
「離れろ!!」
「えー……」
男性騎士の荒い対応に少年は軽く肩を落とし、薄紫色の長いマフラーを揺らしながら、渋々廃墟となったルマスを背にした。
「……今の反応……リジックさんはまだ騎士団に居るって事だよな。でも名前を聞いただけであんなに怯えるなんて……。確かに少し目付きは鋭かったけど、優しいしカッコいいし……あんな怯えられるような人じゃなかったはずなんだけどな……」
黒い手袋をはめた手で、ターコイズブルーの短髪に軽く触れ少年は一人呟く。右前髪以外は全て跳ね上がっているくせ毛は八年前と変わらない。
「ま、オーズランに行けば皆に会えるよな」
少年――ロレスは、軽い足取りで歩みを始めた。
ここはかつて、沢山の人で賑わい何艘もの船が出入りを繰り返していた、とても栄えた港町だった。
しかし、八年前のルアーニ人が起こした火災によって廃墟となり、過去の面影など残っていない。
この周辺ではガイルアード騎士団の数名が今でも見張りをしている。そのうちの一人に話しかけたロレスだったが、リジックの居場所を突き止める事は出来なかった。
騎士から離れたロレスは、ふと足を止め振り返った。時折吹く風が、前を閉じずに羽織っていた、膝丈程まである黒いロングジャケットを靡かせる。背中に描かれてた薄い落ち葉のシルエットが、まるで舞っているかのようだ。
「……」
何度見ても……どこから見ても、ルマスの面影は残っていない。
八年前のあの日から、ロレスの人生は大きく変わった。父を亡くし、自分の弱さを痛感し、絶望を味わった。生きる事への迷いも見せた。
勿論、悲しみや苦しみが消えたわけではない。今も、いや、これからも一生背負っていかなくてはいけない責任がある。それでも、ロレスは前を向く事を選んだ。
父が残した言葉と剣。リジックから教えられた生きる意味。彼を救ったガイルアード騎士団、関わった全ての物事が、彼を前へと向かせた。
誰かの為に、自分の出来る事をしようと決めた。もう二度と大切な誰かを失う人がいないように。人の為、そして自分自身の為に、ロレスは旅立つ。
「……お父さん、俺行って来るよ」
その声は誰にも届く事はない。
左腰に差されたトリエスタの剣は、すっかりロレスに馴染んでいた。
マフラーを揺らし、ロレスは歩み始めた。一歩一歩、生きている事を実感しながら――
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「……ここが……ザーラ山……」
ロレスは目の前の光景を目の当たりにすると、顔を強張らせた。
「さっきまで歩いてた道とは全然違うな……。そもそも、この先に道なんてあるのか?」
彼が歩いて来た道は、木漏れ日が差し花々が美しく咲き誇り、鳥達が楽しそうに空を飛んでいる。そんな木々に囲まれた自然豊かな場所だった。
しかし、ここは全くの別世界。むき出しの荒々しい岩肌が彼を出迎える。凸凹した地面は所々崩れていて、倒木が行く手を阻んでいる場所もあるようだ。
天気は快晴のはずだが、何故だか暗い雰囲気を感じた。
「……ん? 鍵かかってない……?」
山の入り口には、ボロボロの小さな小屋が一軒。僅かに空いていた扉にそっと手を触れてみたが、建物自体が相当歪んでいるのか、扉をこれ以上開ける事は出来なかった。
黒いロングジャケットを翻し、小屋を一周。割れた窓から中を覗いてみるが、勿論誰もいない。
「……」
辺りを見渡しても、人の気配など一切なかった。
「……こんなんじゃ、休憩なんて出来ないよな……。…………?」
小屋の近くに今にも倒れそうな看板が立っていたのを見付ける。消えかかっている字をぼそぼそと読み上げた。
「……ザーラ山麓。南部入り口。ここから先、足下、猛獣出没注意……」
そのロレスの声には不安が滲み出ている。眉を寄せ、顔を引きつらせた。
「ハハ…………不安しかねぇ……」
看板を読んでから、更に重々しい空気になったのを肌で感じた。
「でもまぁ……ここを通らないと、オーズランに行けないもんな……」
早朝。村から出発しルマスに立ち寄り、再び歩き出してから約2時間。ようやくザーラ山に辿りついたロレスは麓で一息つく。
王都オーズランに隣り合うガイルアード騎士団。そこが最初の旅の目的地……なのだが……。
「……」
目線を山に戻すと、どうしたって顔が引きつってしまう。
「ザーラ山は人が通れるような道ではない。足を踏み入れた者は生きて帰って来れないぞ……か。本当にその通りだ……」
まだ幼かった頃、村の人にそう聞いた事がある。実際、そのザーラ山を目の当たりにしたロレスは、あの言葉はあながち嘘ではなかったのだと、額に汗を流し苦笑いを浮かべた。
「……そういや……」
そう呟くと、長い薄紫色のマフラーに少し顔を埋め、自分の後ろ腰を確認するように首を動かした。
ロレスの腰上には、太目の黒いベルトが巻いてある。そのベルトに、腰が隠れる程度の黒い鞄をぶら下げている。彼はそれに手をかけ中身を確認した。
「水と食料が少し。小型のテントもあるし……。……これだけあれば、ツビロまでには何とかなるだろう」
ツビロ――そこはザーラ山を越えた先にある町。世界一大きい図書館がある事で有名な町だ。今いる場所から三日はかかると言われている。
改めて目の前の山を見上げる。ターコイズブルーの髪がフワっと風に撫でられた。
不安を断ち切るように一度目を瞑り、一つ深呼吸をすると、再び青い瞳で真っすぐ前を見据えた。
そして、
「よしっ!!」
大きく頷くと、しっかりとした足取りで、凸凹した地面を踏みしめ山を登り始めた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「……噂通り、かなり道悪いな……おぉっと!?」」
凡そ道と呼べる場所などなかった。岩のみの、一歩間違えたら滑り転ぶ場所。荒れ果てた倒木のみの場所。人一人通れるか定かではない場所。岩崖の壁にしがみ付きながら登らないと先に進めない場所。一歩踏み間違えれば落下は免れない場所。ザーラ山は信じられない程に苦しい道のりだった。
辺りを見渡し、足場を確認しながらゆっくりと進んでいく。
「……さっきより歩きにくくなってきたぞ……」
道が広くなったと思ったのも束の間。直ぐに狭い崖道がやってくる。永遠に続きそうな足場の悪く細い道をひたすら歩く。
「うぉっ!! あっぶねぇ……」
足を踏み外し足場が崩れ、一瞬足が宙に浮いた。ゴロゴロと、先ほどまで立っていた地面が崩れる。咄嗟に前へと飛び、自身の落下を防ぐ。
「……っ」
顔を引きつらせつつも、乱れたマフラーを巻き直し、ひたすら前へと進んで行く。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
山道を歩き続け体が慣れて来た頃、ふと空を見上げる。まもなく夕暮れを知らせる空色になっていた。山は何が起こるか分からない。危険性を考えると、早めに野営の準備をした方が良い。
「……ふぅ……」
そうして更に歩みを進めていると、今までの険しい道なき道が終わりを告げ、ようやく平地が見えて来た。
先ほどの岩肌ばかりだった道とは違い、ここからは緑が多く目に映る。恐らくまだまだ険しい道は続く。ひと時の休息だ。
「おぉ!! ここなら休憩出来そうだな!! …………?」
一息付こうと思ったロレス。しかし、何か気配を感じ取り、息を潜め静かに足を止めた。
「……人? ……あんな所に居たら危ねぇぞ……」
木々から垣間見えるその先には、16歳前後の少女が一人、崖ギリギリの所で立ち尽くしていた。
淡い赤色の髪は腰まで長く、毛先は緩やかなウェーブを描いている。
良く見てみると、少女は首の前に両手をかざしている様に見える。ロレスはゆっくりと気付かれない様に、木陰に隠れながら静かに近づく。
「……!!」
そして、少女が手にしていた物を確認すると目を疑った。
その手には20センチ程のナイフが握られ、少女はそれを自分の首へ向けていたのだ。
手は小刻みに震え、首に当たりそうで当たらない。何度も深呼吸しては目を強く閉じるを繰り返す。足も震え、一歩間違えれば崖に落下してしまう。
「…………」
ロレスは足音を消し、聳え立つ木を上手く利用しながら気づかれないよう、静かに少女に近づく。
「……はぁっはぁ……」
少女は額に汗を流し、強く目を瞑り呼吸を時々荒げ、己と戦っている様子だった。
そして、ロレスはナイフを強く握り締めていた少女の手首を掴んだ。
「怖いなら生きろ」
少し刺々しく、しかし、ハッキリとした口調でそう口を開く。
「っ!?」
少女は驚き振り返る。
握り締めていたナイフを奪い取られ、少女は現状を理解出来ず、一歩足を動かしてしまった。
その先は崖。少女の体が揺らぐ。
「ぁっ!?」
「っ!!」
ロレスは握ったままでいた少女の手首を更に強く掴み、そして力いっぱい自身の体へ引き寄せ、少女を崖とは反対側へと導いた。
ザザザッゴロゴロゴロッ
土と小石が虚しく崖へと崩れ落ちていく。
「あっぶね……」
少女から手を離したロレスは、崖を見下ろし安堵の表情を浮かべた。
「……」
「ここ、こんなに髙かったんだなー。俺も結構登って来たって事かぁ」
「…………」
青と茜が入り混じった空が彼を迎える。ロレスは危険を顧みず、崖の傍まで近づくと、覗き込む様に崖下に目をやる。その先は地面など全く見えない。落下すれば即死なのは明白だった。
少し崩れた崖を見つめ、腰を抜かし地べたへと座り込んだ少女。エメラルドグリーンの大きな瞳に、僅かに涙を浮かべていた。
「……どう……して……」
座り込んだまま視線は崖に向け、そう静かに呟いた。
風でかき消されてしまいそうな小さな声に気付くと、ロレスは崖から離れ振り向く。
「……?」
「……ここには……人なんて来ないのに……どうして邪魔をしたの!!」
少女はロレスを見上げると、鋭くした目で声を荒げた。その声にロレスは表情を変える事無く、淡々と告げる。
「タイミングが悪かったんだな」
「…………」
「俺は目の前で誰かが死ぬのを見たくないだけだ。本当に死にたいなら、俺がここからいなくなってからにしてくれ。もっとも、その勇気がまだあるなら、だけどな」
「……」
「……悪かったよ、邪魔して」
ロレスはそう言うと、奪い取ったナイフを座り込んでいる少女の目の前に置いた。
「……」
置かれたナイフを見詰める少女。ロレスは踵を返し、黒い手袋をはめたままの右手を振る。
「じゃあな」
「……」
少女を背に、黒いロングジャケットを翻すと再び歩み始めた。
「……ま、……待って!!」
「!?」
その声に驚き振り返る。先程まで腰を抜かし座り込んでいた少女が、再び立ち上がっていた。
鮮やかな黄色系のロングスカートは、正面から見ると右側が膝上、左側は膝下程の長さのアシンメトリーで、茶系の膝丈のロングブーツが垣間見える。
袖口にかけて広がっている白い服は前開きのデザインで、胸の前で左右を重ね、お腹を隠す様に巻かれた太目のベルトで固定している。そのベルトは変わった花の模様が細かく描かれていた。
エメラルドグリーンの瞳は、しっかりとロレスを捉えるが、震える右手にはナイフが握り締められたままだった。
「…………ぁ……ぇっと…………」
「それ、まだ必要?」
「…………」
ロレスは、言葉を詰まらせる少女の持つナイフを指さした。少女は俯き口を閉ざす。
「……………………」
「…………死にたいのか生きたいのか、俺には分からない。けど、これだけは伝えておく。抗え」
「……ぇ」
「生きるのが辛いなら抗え。死ぬのが怖いなら抗え。その狭間に立って、自分が選んだ後悔のない最善の道に進め」
「…………」
ロレスは少女を見据え口を開いた。少女は瞳を震わせ、ナイフを握る手の力を僅かに抜いた。
「……と、偉そうな事言ったかな。ま、俺が言えるのはそれくらいだ。……あとは、あんた次第だ」
「…………」
「じゃ」
口を閉ざしたままの少女。ロレスは軽く肩の力を抜くと踵を返し、この場を去った。
のだが……。
「え、ちょっと待って何で付いてくんの!?」
「…………抗った結果」
「いやいやいや」
直ぐ後ろには少女が当然の様に付いて来ていた。その姿に慌てて声を荒げる。
「…………貴方、旅をしている?」
「そうだけど……」
ぶっきらぼうに応えるロレス。無意識に少女の手を確認すると、そこにナイフは無くなっていた。
「じゃあ付いて行く」
「じゃあの意味が分かりません。ちっこい頃、知らない人にはついて行かないって、言われなかったか?」
「そんな事を教えてくれる人はいなかった」
「……あ、そう……」
真っすぐな瞳でロレスを見据える。先程まで迷いの色を見せていた少女の瞳には、力強い意志が映っていた。
「……」
「え、本気で?」
「…………後悔のない最善の道……生きる意味を探しに行く」
少女が頷く姿を目にし、一瞬眉を跳ね上げたロレス。
「…………」
「…………」
少女もまた、ロレスと同じ様に目を吊り上げ、彼を見据える。
「……………………」
「……………………」
「………………………………」
「………………………………」
「…………………………………………」
「…………………………………………」
長い沈黙。誰もいないこの場所で、妙な重い空気が漂った。青い空がいつの間にか茜色を多く取り入れ始めている。
風が再び吹き、二人の髪を撫でてゆく。木々が揺れ、木の葉が二人を囲む様に舞う。
「…………………………………………」
「…………………………………………」
「………………あーーーー!! 分かった、分かったよ!! そんな目で俺を見るな!!」
先に折れたのはロレスだった。彼は肩を落とし、ターコイズブルーの短髪を思い切り搔き上げ声を上げた。
「……」
その光景を、少女は表情を変える事なく無言のまま見つめていた。
ロレスは一度大きく息を吸うと、再び姿勢を正す。少女にしっかりと向き合うと口を開いた。
「言っておくけど、俺は俺の行きたい所にしか行かないからな!! それでも良いなら付いて来て構わない」
「良い。一度捨てた命、ないのと一緒」
ロレスの言葉に少女は頷くと、淡々と応えた。
「……変な奴だな。……じゃ、行くぞ。……俺はロレス・ラックファン。君は?」
「え?」
そこで、少女はロレスの言葉に驚き顔を上げた。
「え? って。名前だよ名前。……一度捨てた命だって、名前は残ってるだろ」
「…………」
「…………」
「………………………………マトリカリア……」
再び口を閉ざした少女は長い沈黙の後、やや口ごもりながら名を口にした。
「マトリカリア。……集う喜びって意味だったよな? 良い名前じゃん」
「……!!」
マトリカリア。それは花の名だ。ロレスの母、リリアは花が好きで、よくロレスに花のいけ方を教えていた。その時、母に教えてもらっていた花言葉を思い出す。
ロレスは屈託のない笑顔で少女の名を呼ぶ。少女――マトリカリアは大きなエメラルドグリーンの瞳を更に大きく開き、そこに微かに希望を映した。
「な、なんだよ、人生で初めて名前呼ばれたみたいな顔して」
「ぇっ!? べ、別に……」
マトリカリアは慌てて取り繕い、長い髪を揺らすと目線を反らした。
「お前変わってるな。……マトリカリア……か。……カリア……カリアだな」
「?」
「愛称だよ。カリアって呼んで良いか?」
「……カ……リア」
そこでマトリカリアは少し言葉を詰まらせる。その反応にロレスは眉を下げ、苦笑いを浮かべた。
「あ、やっぱ愛称なんて嫌か……ごめん、やっぱり――」
「良い!!」
ロレスの言葉を遮る様に、マトリカリアは突然大きな声を上げる。その声に耳を疑い、ロレスは固まった。
「え!?」
「カリア、で、良い……」
照れ隠しの為か、少し俯き気味に応えるマトリカリア。その姿にロレスは微笑むと、深く頷いた。
「そっか。……じゃ行くぞ。カリア」
「うん……」
二人は肩を並べると、共に山を登り始めた。




