白い結婚(物理)
「スーザン、お前との婚姻は白い結婚とする!」
シミオン・エイマーズ伯爵子息は結婚の時期が決まって暫く経ってからそのような事を言った。
両家が承認し、社交界中にも私達の結婚について広まってしまった、取り返しのつかない時期に。
私は長い溜息を吐きたい気持ちを何とか押さえ込む。
彼が私を愛していないことは知っていた。そして私も彼を愛していなかった。
けれど、貴族同士の結婚なんてそんなものだ。
特に今回は我が家ケンドール侯爵家ではなくエイマーズ伯爵家からの願いが強い婚約であった。
にも拘らず、両家の関係性や立場も理解していない未来の旦那はそんな事を言い出したのだ。
どこの家の貴族とて、世継ぎは必要だ。ならば何故彼はそんな事を言うのか。
……その理由はよくわかっていた。
「俺にはタビサという愛する人がいる! ゆくゆくは彼女を愛人として迎え入れ、彼女の子を跡継ぎにするつもりだ」
タビサ・バンバリー男爵令嬢。
私達と同じ魔法学園に通う少女で、シミオンとタビサが婚約者以上に親しくしているという噂を耳にした事も、実際に二人が体を寄せ合っている姿を見た事もあった。
家が傾きつつあるエイマーズ伯爵家に、下位貴族を妻として迎え入れる余裕はない。
寧ろ自分達よりも上位の貴族とつながりを持ち、家を支えてもらう必要があった。
だからこそシミオンの両親は私を婚約者へと選び――恐らくはタビサを妻にというシミオンの言葉を突っぱねたのだろう。
さて、彼の言う白い結婚。言い換えるならば「お前はお飾りの妻だ」と堂々と言われたことになる。
これが貴族令嬢にとってどれだけの侮辱であるのか。
そして今の両家の立場からそれを私に言ってのける事がどれだけ愚かな事であるのか。
彼はそれを深く考えてはいないのだろう。
貴族の女性として生まれた者達の夢、使命、誇り。
それこそが婚姻し、世継ぎを生む事と教えられて生きているのだ。
その教えを、人生の最も大きな存在意義を軽んじ、奪い取ろうとする。それこそが今のシミオンの発言だ。
貴族令嬢としてではなく、自身の家の立場を安定させる為だけの道具としか見ていない。
これは私や、ケンドール侯爵家へ対する大きな侮辱であった。
しかし私は、それを彼に指摘する事はしない。
シミオンは私を見下しているのだ。
婚姻していない今、地位が高い家柄であるのは私の方だが、にも拘らずこのような尊大な態度を取っている事が何よりの証拠。
そしてそんな人物へ正論を述べようと、聞く耳を持ってもらえないのは明白。
「所謂『白い結婚』、というわけだ! わかったか」
「白い結婚、ですか」
「ああ! ……何か文句でもあるのか!?」
「……畏まりました」
「ふん、物分かりが良い事だけがお前の取り柄だな」
「では代わりに一つだけ……お願いを聞いていただけませんか」
「なんだ」
不服そうにしながらも一応は聞き返すシミオン。
私は彼にこう言った。
「式の準備は私に任せて頂けませんか」
彼は元々、面倒な事が苦手な質だった。
好きでもない女との式の計画ともなれば尚気乗りはしない。
故に簡単に承諾を得ることが出来た。
***
さて、そんなこんなで迎えた結婚式当日。
両家の知人や友人を招いての大々的な式となり、私の親戚に公爵家がいる事もあって客人も錚々たる顔ぶれとなっていた。
雪が深々と降り積もり、白一色に染め上げられた雪山。
その大きな教会で私達は純白の衣装に身を包み、大聖堂の中央で向かい合う。
「病める時も健やかなる時も、敬い、愛し続ける事を誓いますか」
「誓います」
嫌悪を隠すこともないしかめっ面でシミオンは答える。
続いて神父は私に同じ問いを投げ掛けた。
「病める時も健やかなる時も、敬い、愛し続ける事を誓いますか」
私は笑顔で答えた。
「――――誓いません♡」
「……は?」
私の言葉の直後。
新婦側の客人が一斉に立ち上がる。
老若男女全員が満面の笑みで両手に大きな白い物体を掲げていた。
クリームのぬたくられた小麦粉の塊――そう、パイだ。
「は? ……はっ!?」
辺りを見回し、困惑しっぱなしのシミオン。
そんな彼をよそに、私は笑顔でパイを取り出した神父から片手に一つずつパイを受け取り、それをシミオンへ向かって大きく振り被る。
「お、おおおお前っ、ま、待――」
「お覚悟、旦那様っ♡」
「ベブフゥッ」
風魔法で加速させた両手がシミオンの顔面へぶち込まれる。
シミオンは勢いのまま、後方へと吹き飛んでいく。
「さぁさ、皆様! これより始まるは祭りです!」
満足した私は笑顔で手を打って言います。
「彼は私に言いました。私との結婚は『白い結婚』だと! 子は愛し合っている別の女性と作るのだと!」
私はそう言いながら新郎側の客席に座っていたタビサ嬢を見据える。
皆の視線もまたそちらへ集まり……タビサ嬢は慌てて俯く。
「ですから私は彼の希望にこたえる事にしました! 彼が『白い結婚』を望むのならば――お望み通り白一色で塗りつぶして差し上げようと!」
もうそこからはしっちゃかめっちゃかだった。
私は親族や友人に事前に事情を話していた為、新婦側の客人は揃いも揃って大量のパイを使用人達へ運ばせ、無差別に投げました。
床も天井も、新婦側の客人も新郎側の客人もパイだらけになっていきます。
また、初めは何が起きているのかわからなかった新郎側の客人の中にもシミオンの失態を察した者、はたまた単に悪ノリ従った者などが率先してパイ投げに参加し、その場で身ぎれいな者など一人もいなくなりました。
しかし中でもパイを一身に受ける事となったのはやはりシミオンとタビサ嬢でした。
「やめろ!」「やめて!」などという声は開いた口の中にパイをぶち込まれ、遮られます。
私も私とて、けたけたと笑いながらパイを投げまくりました。
そして頃合いを見て、私は使用人から渡された書類を掲げます。
「これは婚姻に伴って作成した契約書です! しかし此度は『白い結婚』式。白以外は不要の催しです。ですから――」
誰かがその紙に向かってパイを投げた。
客人の中でもひと際上質な衣装に身を包んだ美青年だ。
彼は私を見てニヤリと笑う。
私もつられて笑った。
そして――
ビリッ
契約書は私の手によって破られた。
「この結婚も、勿論『白』紙! こっちから願い下げよ!」
ドッという笑い声や野次が湧く。
その中で、エイマーズ伯爵家の者達だけがこの世の終わりのような悲鳴を上げたのだった。
式場の片づけは勿論私が率先して行った。
私は浄化の魔法を使えたので、大聖堂の中からあっという間にパイは消えていった。
客人が満足そうに、はたまた土気色の顔をしながら去って行った大聖堂に残ったのは私達の親族だけ。
今回のシミオンの発言を私は勿論家族へ話した。
私を大切に思ってくれている両親は婚約の破棄に賛成してくれたし、今日の式の事だって全面的に協力してくれた。
そして――今回滅茶苦茶をするにあたって協力してくれた存在がもう一つ。
「スーザン」
片付けという一仕事を終えた私の背後から彼は声を掛けて来た。
先程、契約書にパイを投げ付けた男だ。
銀髪に青い瞳を持つ美しい顔の男――名をヴィクターという。
ヴィクターは私の二つ年上で、私の従兄弟にあたる。
若くして公爵家を継いだ彼は、今回の私の企みを聞いて大手を振って協力してくれたのだ。
今回の大抵の事は彼の権力で都合よくもみ消される。大変心強い後ろ盾だ。
「最高な式をどうもありがとう」
「こちらこそ。お陰ですっきりしたわ!」
私達は互いに声を上げて笑い合う。
子供の頃から、悪戯が好きだった私達はとても気が合っていた。
「今回の件で、シミオンの悪評は瞬く間に広がるだろうね。この式のせいで、面白おかしく誇張されながら」
「タビサ嬢も巻き込まれてしまうかもしれないわね」
「まあ、身から出た錆という奴だろう。……ところで君は晴れて独り身になった訳だけど」
「それが何? 揶揄いたいの?」
「まさか」
ヴィクターはそう言うと私の手を掴み、その甲にキスを落とした。
「俺のところにおいでよ」
彼は異性の心を奪うのが上手い。
絵になるような構図から口説き文句を吐くヴィクターに動揺しないよう私は自分に言い聞かせながら笑った。
「雇ってくれるの?」
「まさか。分かってて聞いているだろ」
彼が公爵となったのは急遽の事であり、まだ婚約者もいなかった。
だからこそ、彼の言葉には下手に信憑性があるのだ。
「お嫁さんにおいで。可愛がってあげるから」
「えぇ……」
「何だよ、その反応は」
「気が向いたらね」
せめて、彼の言葉の真意を汲むことが出来るまでは頷けない。
これで冗談だったと笑われれば、大きな傷が出来る事を私は本能的に気付いていた。
「ほら、皆のとこに行こ」
なんだかむず痒いような居心地の悪さを感じ、私は両親達が集まっている場所へ向かおうとする。
すると背後から耳のすぐ傍へヴィクターの顔が近づき――
「じゃ、その気にさせて見せようか」
「……っ」
鼓動が跳ね上がる。
顔に熱が溜まるのを感じたけれど、彼に気付かれる訳にはいかない。
「もう、くすぐったいってば!」
「えー」
彼の顔を後ろへ追い払い、私は速足で歩き始めた。
その後、タビサが妊娠していたらしい事が社交界で明らかとなった。
同時に広まった私達の『白い結婚式』の噂も相まって、未婚であるタビサの相手は明白。
そもそも結婚もしていない乙女が純潔を手放していた事も、その相手が婚約者持ちであった事も、貴族社会では許容されるものではない。
こうして社交界に居場所を失ったシミオンとタビサは、家丸ごと落ちぶれていったのだった。
また、わが国ではこれ以降、『白い結婚式』が大いに流行する事となった。
まさかこんなトンチンカンな文化を生み出すきっかけとなってしまったなんて。
そんな風に震えた私だったが……
そんな私も、数年後には再びそのトンチンカン文化に触れる事となる。
今度は全身真っ白にして、大笑いしながら互いに真の愛を誓いあう。
そんな運命を辿るのは――もう少し先の話。
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