花嫁
森行 朱莉沙。
教授の父が在籍する大学に入り2年。単位に必死な人が落ち着き始めた頃。
私の周りに残ったのは、誰もいない。友達を作るチャンスを失った。
こんなところ来るんじゃなかった。
皆の目が違うし。誰も信じられなくなりそうだ。
それでも、やはり自分が選んだ大学。
父に似たんだと、理解する。
そんなある日。
父が講師の依頼をしたのは、どうみても制服姿の高校生。
室内は、異様な空気を醸し出していた。
講義が始まり数分。
心地よい声。語る姿は、誰にも引けを取らない。
眼鏡の奥の切れ長の目は、人を惹きつけ。男の心をも捕らえるかのように、講堂は静か。
私の耳に入るのは、声だけじゃない。目に入るのは、見えるものだけではない。
話す内容に引き込まれ。膨大な知識と、理解しやすい話の構成と展開の速さ。
何て凄いのだろう。
時間は、あっという間に過ぎた。
残った時間は数分。質疑応答……
「はい!恋人はいますか?いないなら、立候補しても良いですか?」
ありきたり。私には興味のない話。
付き合うのが嫌ってわけじゃない。むしろ人並みに恋をして……
「あぁ、ふふ。妻なら、この中にいますよ。」
自分の妄想から、違和感のある言葉で現実に戻され。
幻聴だろうか?これ夢じゃないよね。妻がいるとか、冗談なのかな?
「ね、朱莉沙?」
……どこの、アリサちゃんでしょう?
周りを見ると全員が私を見ていた。
えぇ~っと、つまり?私……ですか?
「つ、妻ぁ~~?」
父を恨むことは、もう無いと思っていたのに。
絶対に許さない!
頭にきて、父のところに向かう。
「父さん、話が……!?」
いつもサボっている研究室のドアを、勢いよく開けた。
そこには、待っていました。そんな雰囲気の二人。
父と、奴だ……
椅子から立ち、私に微笑む。
【ドキッ】
じゃ、ない!何にときめいているのか。
怒りだった感情を一瞬で塗り替えた何か。私に生じたのは。
【グイッ】
気持ちを整理できず、パニックになった私の手が引かれ。
「は?」
間抜けな声が出た口も。
【ぷにゅ】
塞ぐように……?
何でしょうかね。このフニフニした感触。
目前には、目を閉じた奴の顔がドアップで。
彼の目がそっと開く。
唇が離れたのに、捕らえられるような鋭い視線。
時間が緩やかに流れるようで。私の目は見開いたまま。
顔の距離が離れ、もう感触もなく。記憶の違和感。
感触の記憶が弱まるのに。体に染み込んだように、はっきりと刻まれた何か。
茫然とする私に微笑み、視線を父に向けて。
「……教授。これで、本当に愛情は増えるの?」
今、何て言いましたか。
父は笑顔で、うんうんと何度も頷き。
彼は研究の成果を書き記すように、メモを取る。
『コレデ、ホントウにアイジョウはフエルノ』か?
「なぁあぁ~あぁー!?」
何が自分に起きたのか。
私は、まとまりきらない思考と感情を吐き出すように叫んだ。
一体、何が起きたのか。
唇……さっきのってまさか、キス?……父の前で?
「あぁ、朱莉沙。改めて紹介する。志茂田 孝彬君だ。どうだ、孝彬。キスの感想は。地球人の愛情はキスで出来ている。子どもの作り方は、この朱莉沙が教えてくれるからな!あはははは~~……」
……思考停止……
頭が痛い。頭に響くような雑音が私を苦しめる。
地球人?キス?子どもを作る?
デリカシーのない父の声。
キスは、どうだったかの感想を求め。
夢……そうか、これは夢なんだ!
何だぁ~最近、イライラしていたからねぇ。
でなきゃ、勝手に妻とか言われないし。結婚なんて……
【チュウ~】
頭を抱え、現実逃避をしていた私に。
また……今度は吸い付くようなキス。
感触は、きっと枕だ。欲求不満ね。うふふ。早く彼氏でも作らなきゃ♪
脳内はテンション高く。でもどこか冷静で。
奴の顔を押し退け、両手で挟むように叩く。
【バシッ】
「痛い。」
「痛い……」
両頬を押さえる奴は、涙目で私を見つめる。
何故だかわからない。そんな表情で首を傾げた。
仕草や顔は可愛いのだけれど。流されるわけにはいかない。
視線を逸らし、彼を叩いて痛みのある両手を見つめ。
ため息を吐く。
「教授、後どれくらいでメロメロになるの?」
メロメロ?
思わず顔を上げ、何を言っているのか訳が分からず。
「さぁねぇ~?それを研究しながら、子どもを作ればいい。あはははは♪」
この、おやじぃ~~?
これが夢ではなく、残念ながら現実なのだと受け止めて。
「お父さん、話があるの。ちょっと、顔を貸してくれるかな?」
睨んだ私に、静かな声。
笑っていた表情から一変し、授業をしているときのような真剣な視線で。
「朱莉沙、言いたいことは分かる。」
今までと違った雰囲気。
あれ?もしかして。何か、大切な理由が……
「お父さんは、早く孫が見たい!」
…………。
ハヤクマゴガミタイ?そう言いましたか、今。
怒りで体が震える。
「許さない、絶対に許さないからね!」
一瞬でも父を信じようとした私がバカだった。
どうやら夢ではない。結婚も子作りもキスも。
それなら、ここを逃げた方が……
【ガシッ】
肩と手首を掴まれた。逃げ場を失った様です。
恐る恐る視線を向けると。
「くく……ね、標本にしてあげる。俺のキス……君は受ける度に、俺の愛情で変化して。」
年下の彼は、まだ高校生。
標本とか言われて、あやしい研究に捕まった。
しかも、父との会話では宇宙人のような気配。
「嫌ぁあ~~!」
頭はフル回転。
奴から逃げるには、どうすればいいのか。
奴の足を踏みつけ、痛みの隙をついて逃げた。
痛覚が同じなのは、さっきの頬を叩いた時に確認済み。
一時的な解放。逃げ場はないような気がする。
家も危険……しかし家には妹がいる。
妹は、妹だけは私が守らないと!
私は、家に向かって走る。
一刻も早く、妹の元に急がねば。
この時間なら晩御飯の当番で、支度を始めた頃だろう。
のん気に、料理をさせている場合ではない。
母さん……どうして父さんと結婚したの?
私達を置いて死んじゃうなんて。
うわぁ~ん!許さない~~。絶対に、許さないんだから!
私や妹だけで、幸せに暮らしてやるー。
家に着き。息切れを何とか整えつつ。
「桐沙!いる~?……どこに居るの、返事して!今すぐ……?!」
二人を置いて、走ってきたはずなのに。
二人がリビングで寛いで、お茶を飲んでいた。
「……な、なぁ?」
何故なのか理解できないけれど。
今は、それよりも桐沙が優先だ。
台所を見渡し、他の部屋も探すけれど見つからない。
立ち尽くす私に近づいて。
無邪気な微笑み。
「桐沙は、弟と一緒だよ?」
「ぎゃぁあー!弟?桐沙と一緒って何?返して!あの子だけは私が……」
必死で問い詰める。
首を絞めるように、服を掴んで揺らして。
「ふふ……積極的だね♪」
【チュッ】
……また、キス。したのか、コイツゥ~?
怒りで震える。
我慢の限界。
突き放すように服を手から離し。
距離をとって、唇を拭う。
「いい?地球人は、愛情をキスで増やさない!何度もされると、慣れちゃうんだから!へっ!もう、愛情どころか……メ、メロメロどころか。飽きちゃったわよ!」
自分でも何を言っているのか。
ただ言葉を吐き出して。踏ん反り、睨んでやる!
すると。何をどう受け取ったのか。
何かを探し始め、手に取った本を開きながら。
小さな独り言を始める。
「ちょっと待ってね?……てことは、次のステップOKってこと?くふふ……何だ、標本が良いのかな?愛情は案外、簡単か。次のキスは……」
ブツブツと、分厚い本を次々に捲り。
「次のキスは……っと。これかな。」
真面目に読み込んで、私を無視。
その分厚い本は、私の何でしょう?
ずっとキスの事を考えているのだけは分かる。
茫然と見つめる私に、父が声をかけてきた。
「そうだ、朱莉沙。家が決まったから荷物も送っているよ?」
私に追い打ちをかけるような父のセリフ。
視線を向けると、腹が立つほどのニヤけた微笑み。
ずっと、そんな顔で私たちを見ていたのだろうか?
「家?荷物?」
当然、とぼけたつもりはない。
会話の流れを読めば、そうなんだろうけど認めたくはない。
現実逃避くらい、許してほしい。
それなのに追撃の容赦ない言葉。
「新居だよ♪結婚したんだ。子作りを、ここでは……ねぇ?くすす……」
駄目だ。何かが、行き止まりの崖っぷち。
嫌な汗が流れる。
「さて、朱莉沙?次に行っても良いよね?俺の花嫁……愛情を育てよう?キスで、俺にも愛情を頂戴。愛情が増えると、君からもキスをくれるんだよね?」
何?何か、色気?甘い囁き?
私に詰め寄り、期待のような眼差し。
私を崖に突き落す気なの?
戻れない後一歩で、逃げ場を……逃げきゃ、私も……
「い、一週間待って!そう、待って欲しいの。私にも、その……準備と言うか。心の……」
視線をさ迷わせ、何とか言いくるめないと。
言葉を探し、逃げ道を探す。
「何を待つの?キス?一緒に住むこと?子作り?」
さら距離を詰め、上から圧力をかけるような視線。
恥ずかしげもなく、私の言っていることが信じられないかのような質問攻め。
「全部!」
「却下!俺の花嫁、標本に拒否権なんかない。じゃあ教授、約束通り頂いていくね?」
全拒否の私に、自分の異論をぶつけ。
奴が私の手を握ったと同時。体が浮いたような感覚が一瞬。
不思議な違和感に目を閉じた。
「朱莉沙……目を開けて、愛の巣に着いたよ?さ、次のステップにいこう……」
握る手が熱く、力の入っているのが分かる。
こいつも、なにか必死な気がする……?
目を開けて、声のする方に視線を向けた。
視界に入るのは、さっきまでいた家ではなく。見覚えのない部屋。
「……どこ、ここ?」
「だから愛の巣だよ。教授が準備してくれたんだ。俺達の結婚祝いに。ね、キスをしよう?」
結婚祝いに。愛の巣。
新居に荷物は送ったよって言っていたな~、確か。ふふふ。
いよいよ逃げ場を失った?
胸がドキドキする。これは。
嘘だ。キスで、愛情なんか育つものか!
これは吊り橋効果に違いない。
きっと……動転して、思考回路がショートしているに違いない。
「ねぇ?逃げないってことは、良い?」
逃げていない?違う。足が動かない。
怖い?違う……
首を必死で振った。
頬に、優しく手が添えられる。
【ビクッ】
「……嫌?」
傷ついたような悲しそうな表情。
ずるい。こんな混乱に、悪意などないような優しさ。温もり。
「嫌なら、逃げて。」
顎を支えるように、指が私の顔を上に向け。
真剣な視線を注がれる。
気づかなかったけれど。講義の時にしていた眼鏡、普段はしていないのかな。
それでわからなかったのか、近くだから分かるのか。
目が紺色に近い黒。引き込まれるような瞳。
目が逸らせず。近づく顔。唇が掠るように触れ……
違う、駄目だ。愛情じゃない……
軽く重ねるようなキス。視線を受けたまま。
切れ長なのに鋭さはなく。目をだんだん細め。
顔の角度を変え、深く求めるようなキスに変わって。
私はゆっくり目を閉じた。
記憶に刻まれた何か。
彼の話した知識。尊敬のような一時。
惹かれる要素があった。
皆を引き込む魅力的な容姿に、声……
それに甘さが加わって愛を囁く。
落ちる……そんな感覚。
キスを受け入れたのは愛情?増えている?
「…んっ…んん?ん~~~~~~!」
自分の舌に、絡む生ぬるく柔らかい何か!
抵抗をして、解放された時には。
また身体に刻まれる記憶。
「次のステップは……はぁ……興奮する。このまま欲望に促されて、君を求めても良いかな?」
「ダメ!まだ無理!うわぁ~~ん!」
両手を掴まれ、逃げ道のない愛の巣。
心惹かれ、突き刺さるような視線を逸らすことも出来ず。
甘い声で、愛情が欲しいと私に求めて。
「俺の花嫁、愛情を頂戴?君は標本……大事にするから、俺の子を産んでよ♪ね?」
私は花嫁の標本……




