井戸の前で
私は井戸の少し手前にある場所を指差した──みんなの視線は、その場所へ釘付けになる。
「何も無いですわね。リトッシュ様は、本当に井戸へ向かったのかしら? それとも……」
「しっ、静かに――何か聞こえない?」
ミーアの声に、ハッとした私達は静かになった。微かにだが、井戸のある方角から風の音が聞こえる。
────ヒュー……
「確かに。井戸のある方角から、風の音がするわね」
「行ってみましょう」
アイラの提案に同意した私達だったが、何がある分からないため、恐る恐る井戸へ近づき、中を覗き込んだ──けれど、井戸の底には何も無かった。干からびているのか、水もきていないようである。
「何も無いわね……」
「何してるの?」
私が独り言のように呟いた瞬間、後ろから声が聞こえて振り返った──そこには、何故かリトッシュがいた。
「リトッシュ様?! どこへ行ってたの? 心配したのよ」
「どこって――そうだ。球技大会は?」
「引き分けで終わったわよ。昨日の話だけど」
「昨日?!」
「どうしたっていうのよ」
「それが、何も……」
井戸の横にある森から出てきたであろうリトッシュは、何も覚えていないのか、混乱していた。頭が痛いのか、額を抑えて俯いている。
「何も?」
「思い出せないんだ。井戸の様子を見に行って、底が見えたから何も無いんだって思ったんだ。でも、何だか気になって――風魔術を使って、自分の身体を浮かせながら、少しずつ下へ降りて行ったんだ」
「そう、それで?」
「それだけだ。その後のことは覚えてないし、ついさっきまで球技大会が終わった後だと思っていたんだ」
「レイラ様――記憶喪失ですかね? 私の知り合いの子でもいましたよ。高熱を出した後、しばらくの間、記憶が曖昧になって思い出せなかったって子が……」
ミーアの話は、他の人から聞いたことがあるが、リトッシュは高熱になってなんかいない。違う可能性を疑うべきだろう。
「そうかもしれない──でも、少し違う気もするわ。リトッシュ様は、何かを思い出そうとすると頭が痛くなるの?」
「そうだね。頭に靄がかかったようになって、痛くなる」
「私、だいぶ前に古代魔術史で読んだことがあるの──禁忌の魔術の中に、他人の記憶を操る『忘却の魔術』というものがあって、意図的に、他人の記憶を操作することが出来るものがあるのよ」
「そんな……」
私はリトッシュが記憶喪失になった可能性を示唆したかっただけなのだが、私の話にミーアは狼狽えていた。そんなミーアを気遣うように、コンラッドが言った。
「ひとまず理事長室に行かないか? リトッシュ様は行方不明扱いになっているみたいだし──無事を知らせて、みんなを安心させてあげよう」
「それがいいわ」
コンラッドの提案にみんなが賛成すると、私達はひとまず理事長室へ向かった。向かっている最中に、今度は別の事件が起きた。




