海の向こう側
我が家のリビングは、おかしな事になっていた。王族を招待するような準備は一切していなかったので、馬車に乗っていたオリバ先生と殿下を一度、応接間へ案内した。
そこまでは良かった。執事のミカエルは、気が動転したのかティータイムの準備が出来るまで、10代の頃よくやっていたという、マジックを披露していた。マジックのネタが尽きる頃、やっとのことでティータイムの準備が整い、リビングダイニングへ案内すると、今度は非番のはずの料理長が出てきた。
料理長は慌てていたのか、コック帽を逆さまに被っていたし、いま王都で流行っているオレンジのフィナンシェではなく、何故かリンゴのフィナンシェを出していた。
「リンゴはリンゴで美味しいね」
殿下がそう言った瞬間、今度は間髪入れずにディナーが出てきた。夕飯には、かなり早い時間だと思ったが、料理長は気が短い。それに、間がもたないと思ったのだろう。夕方前に、テーブルにはディナーのフルコースが並んでいた。
「伯爵邸のディナーは、ずいぶんと早いんだね」
「ええ、まあ。今日は特別でして」
お父様は、冷や汗をかきながら愛想笑いを浮かべていた。私は、人間って本当に冷や汗をかくんだな――などと、変なところに関心をしながら、目の前に置かれたディナーを眺めていた。
「私は三日前に王都を出たというのに、殿下は随分と早い到着でしたわね。ここへは先生の転移で、いらしたのですか?」
「そうだよ。逃げ出してしまった婚約者を、迎えに来るためにね」
「逃げ出してなんか──他の令嬢とも、婚約の話が持ち上がっているのでしょう? 少し魔術が使えるというだけで、殿下は私に優しくしすぎだと思うのです」
「あれ、やきもち? 嬉しいなあ。あれは、私の意思ではなくて宰相と一部の重臣が騒いでいるだけだよ。交易を復活させるために、裏で私と結婚させようと画策しているんだ」
「そんなこと仰って……」
「レイラも知っているだろう? 海を渡ることは不可能だよ」
わが王国は全体の4分の1が森であるが、森の先に海があり海の先には3つの大陸があると言われている。大昔に戦争があって以来、国交は途絶えてしまったと聞いているが、海の向こうにはたくさんの人が住んでいる──らしい。戦争があったときに海に爆弾を仕掛けたのが原因らしく、今でもたくさんの巨雷という名の爆弾が地底深くに眠っていて、誰も海を渡れないという話だ。
X線みたいなもので人型を感知すると自動で発射されるという巨雷は、港から少し離れた沖より、数百メートルおきに設置されている。生まれた時から海へ出ることは禁止されていて、ここ何十年も、外国へ向けて港を出港した船は戻って来ていない。
「ええ……」
私は唐突に思い出していた。伯爵領から城へ戻る時に現れた石碑のある場所を──あの場所は、もしかしたら、海の向こう側の国だったのではないか。だとしたら、なぜオリバ先生は知らなくてよいと言ったのだろう。私は殿下の隣に座っているオリバ先生を盗み見たが、先生はいつもと変わらない様子だった。
「どうしたの?」
「いえ、なんでもありません」
不意に殿下の顔が間近に現れ、驚きながらも頬に熱が集まるのを感じていた。
「でっ、でんか。見すぎです」
「ごめん」
「あと、近すぎ!」
「ごめんね」
殿下は苦笑すると、ディナーという名の遅めのランチを食べていた。殿下の余裕のある態度に何だか腹が立ったが、料理が美味しかったので食べ終わる頃には、嫌な気分も、どこかへ吹き飛んでしまっていた。




