バラの花
楽しい時間はあっという間に過ぎていき、明日には学園へ帰らなければならないという日。私は屋敷の庭へ来ていた。以前と違って庭には、綺麗なバラの花が咲いていた。
「あ……」
「あの、待って」
走って逃げようとするキースを私が呼び止めると、彼は困惑しているかのように立ち尽くしていた。
「今までこんなに見事なバラが咲いていたことはないわ。これは、あなたが世話をしているの?」
「……はい」
「いつも、ありがとう。この間は、ごめんなさい。城で見かけた人にそっくりだったから驚いてしまったの」
「たぶん、それは僕だと思います」
「え?」
「城で庭師の仕事から外されたので、旦那様に雇ってもらったんです。先日の事件で、以前に勤めていたこちらの庭師は辞めてしまわれたようなので……」
「そうだったの」
「それから、旦那様からレイラ様に近づかないようにと言われています」
「え?」
「王太子殿下の婚約者に不用意に近づいて、いらぬ噂を立てられれば困るのは君だと言われました。それでも……」
「それでも?」
「すみません。失礼します」
庭師のキースは、庭の奥へ駆けていき小さな小屋の中へ入ってしまった。スコップなどが入っている物置だったが、彼はその中へ入ると一冊の本を手にして、こちらへ戻って来た。
「レイラ様のファンなんです。これにサインしていただけませんか?」
彼が手にしていたのは、今月の月刊ミリタリ号だった。その本の表紙には何故か私にそっくりな女の子の絵が描かれていた。
「まさか、それは……」
「ギルドで活躍された時の記事、読みました。婚約者である殿下を助けるために空を飛びながら宙を舞い、相手を一撃で仕留めたばかりか癒しの力で全ての者の命を救ったとか――本当に、すごいと思います」
「誰の許可を得て書いてるの? 私、空飛んでないんだけど……」
「す、すみません。記事を書いた人に抗議文書を送られますか? 来月には訂正した、お詫びの記事が載ると思いますが……」
「訂正って――空を飛ぶところだけなんだけど」
私は想像してしまった。月刊ミリタリ号に『訂正:殿下の婚約者は実は空を飛べなかった』という文章を想像してしまった。普通に訂正してくれればいいが、また面白おかしく書かれては王家の恥にも繋がるだろう。
「いえ、やっぱりいいわ」
「そうなんですね?」
「サインだったかしら?」
「はい!」
彼は満面の笑みを浮かべると、私にミリタリ号とペンを渡した。私が表紙の右下にサインをすると感極まったのか、彼は目に涙を浮かべていた。
「ありがとうございます。一生の宝にします」
「大袈裟だわ。そうそう、これからお父様やお母さまをよろしくね。私は学校があるから滅多に帰って来れないし」
「はい、承知しました。旦那様や奥様のお役に立てるように心がけます」
その時、私を呼ぶベイルの声が聞こえた。
「もう行くわね。また、あなたと話していたと知ったらベイルがうるさいの。『殿下の婚約者としての自覚はあるのか』って、言うのよ」
「仲良しなんですね」
「そう? そんなことはないと思うけど」
「今日は、ありがとうございました。少しですが、お話出来て良かったです」
「いえ、またね」
「ええ、また」
私は、その時何故か「またね」と言ってしまった。実家へ帰ってくる機会もあるだろうから、また会うこともあるだろう。その時まで働いていればの話になるが……。
「まあいいか」
私は屋敷へ入ると、学園へ戻る準備をしたのだった。




