第三話 アイドルで世界を救う
昼下がりの陽射しが、村の石畳をやわらかく照らしていた。
レンとアリスは、その中を並んで歩いている。
風に揺れる洗濯物、煙突からのぼる細い煙。
一見すれば、穏やかな暮らしがここにあるように見えた。
だが――レンには違和感があった、
(……静かすぎる)
「市場って、もうすぐなんだよな?」
「はい。すぐそこですよ」
「にしては……人の声が全然しなくねえか」
通りに人影はある。
だが、すれ違う誰もが俯き、彼らと目を合わせようとしない。
話し声も、笑い声もない。
アリスは歩みを緩め、そっとつぶやいた。
「この村は王国の最西端にあります。
土地は痩せ、支援は途絶え……村の人みんな“生きる”だけで手一杯なんです」
「……」
やがて市場に出たが、そこも同様だった。
露店がぽつぽつと並び、干し肉、痩せた野菜、古びた魔道具が雑然と置かれている。
だが、どこにも活気がない。
呼び込みの声はなく、人々は黙って物を選び、黙って硬貨を置き、黙って去っていく。
「……つまんねーな」
その言葉に、アリスは「えっ」と目を丸くする。
だがレンは、呆れでも批判でもなく、ただ淡々と感想を述べただけだった。
(誰も何も楽しんでねぇ。ただ死なないために生きてるだけ――)
かつて芸能界という華やかな世界で生きてきた彼にとって、この世界はあまりに味気なかく、色を失ったように見えた。
「傭兵団でも来てくれれば、少しは違うんですけどね……」
「傭兵団?」
「はい。魔王軍のが各地で暴れ回っていて、王国の騎士団だけでは手が足りないんです。最近は、傭兵のほうが柔軟に動けるって、重宝されてるみたいで」
(なるほどな。フリーランスの戦士ってわけか)
「でも、報酬も高いですし、こんな辺境にはなかなか来ないんですよ」
「なるほど……金に困ったら傭兵団って手もあるんだな……」
レンがポツリと呟く。
「あっ、ちなみに、入るにはその……いろんな攻撃魔法や回復魔法が一通り使えるとか……あと剣技がすごいとか、いろいろ求められるらしいですよ」
「あぁ?俺が行くのは無理って遠回しに言ってんのか?」
「い、いえいえ、そんなことは……たぶん」
アリスは気まずそうに、明後日の方を向いている。
(こいつ…ちょいちょい失礼なこと言ってくるんだよな)
彼女は逃げるように「晩ごはん、買ってきますね」とつげると露店のほうへ向かっていった。
店主が手を挙げる。
アリスは、この村では慕われているようだ。
レンは石垣に腰を下ろし、ぼんやりと周囲を眺めた。
ふと視界に映ったのは、生活に溶け込んだ魔法の光景だった。
風魔法で店先のほこりを払う老婆。
光の球を浮かべ、商品を照らす若い女性。
(魔法が、こんな日常の中に……ライブの演出に使えたら、どれだけ盛り上がるか)
そのとき――彼の視線がある一角に吸い寄せられる。
仮設の天幕、小さな木の舞台。
その上で、一座の芸人たちが滑稽な芸を披露していた。
《旅芸団パロミナ一座》
手書きの看板が風に揺れ、ピエロが笛に合わせて踊っている。
だが――
観客はまばら。
誰も拍手しない。むしろ途中で席を立つ者すらいた。
(……もったいねぇ。あのタイミングで火花を散らすとか、風を巻き起こすとか、いくらでもやりようはあるだろうに……)
楽器も衣装もある、魔法もある。
なのに、それを“魅せる”という視点がずっぽり抜け落ちてるようだった。
(……そうか。この世界には、人に魅せる“エンタメ”って概念がねぇんだな。――となるとこれは、チャンスかもしれねぇ)
元々のアイデアに加えて、魔法を組み込んだ演出の方法なら無限に考えられる。
もし、タレントがいれば――
転生前のように事務所を立ち上げ、大金を稼ぐことだって可能だ。
(まあ、タレントを見つけるのが大変なんだが……)
そのとき、アリスが紙袋を抱えて戻ってきた。
「お待たせしました。……何か面白いもの、ありました?」
「まあな。アイデアはまとまってきた。……で、それ晩飯か?」
袋には干し肉とくたびれた野菜が少しだけ。
アリスは申し訳なさそうに笑った。
「……ほんとは、もっと食べさせてあげたいんですけど。孤児院の支援金がずっと止まってて、寄付も減ってて……」
「支援金だけが手じゃねぇだろ。商売して稼ぐとか――」
「はは……魔王が来たら、全部焼かれて終わりですよ。みんなで作った畑も燃やされちゃいましたし」
アリスは冗談めかして笑ったが、その目は笑っていなかった。
それは“期待しないほうが楽”という、生きる知恵。
それが当たり前になった者の、慣れきった諦めだった。
(これか……ずっと感じていた違和感の正体。この村には“希望”がない。誰も信じていないんだ、より良い明日を……そんなもの、最初から持たないほうが楽だと思ってる。確かに魔王の影響はあるのかもしれない。だが…)
「……そんな生き方、俺は認めねぇ」
レンの口から、静かに、けれど燃えるような熱を帯びた言葉が落ちた。
「えっ?」
アリスが不思議そうに顔を向ける。
レンはそっぽを向き、ぽりぽりと頭をかいた。
「……いや、なんでもねぇ……そういえば“魔王”って、どんな奴なんだ?」
アリスは表情を曇らせ、視線を落とした。
「……さっきはごめんなさい。孤児院には、魔王軍に家族を殺された子もいます。子どもたちの前では……あまり話したくなかったんです」
「……そんなに強いのか」
「魔王軍は、魔獣を操り、見たこともない魔法を使います。この前村が襲われたときも、騎士団がいても防戦一方で……」
声が震えていた。
「でも……騎士団と傭兵団が本気で協力すれば倒せるって言われてるんです。なのに誰も動こうとしない。皆、自分の損得ばかり考えて……」
(どこの世界も同じだな。互いの面子や利益を優先するあまり、問題が解決しない。
――でも、“倒せない敵”じゃない。それは朗報だな)
「……だいぶ魔王攻略のヒントは見えてきたな」
「えっ!? まさかレンさん、魔王を倒すつもりなんですか?
だって、魔法も剣も――人並み以下なのに……」
またアリスが口を押さえた。
レンはため息をつき、あきれたように言う。
「お前、ほんと失礼な……」
「す、すみません……」
「ま、嫌でもやらなきゃいけねぇんだよ。
女神様の“ありがた〜い”ご命令だからな」
アリスは「はあ……」と、どう反応していいか分からない声を漏らした。
魔法も剣も使えない男が、魔王を倒す――
それは冗談というより、狂気にすら聞こえた。
◇◆◇◆◇◆
買い物を終え、二人は石畳の道を引き返していた。
夕陽が落ちはじめ、伸びた影が足元に揺れている。
小高い丘の上に、孤児院の建物が見えてきた。
道中ずっと、レンは上の空だった。
何かをぶつぶつとつぶやきながら、眉間に皺を寄せている。
「……どうスカウトするか。村で声かけるか……いや、それじゃ効率が悪い。しかも確実性がねぇ……」
「レンさん、もうすぐ着きますよ?」
アリスがややあきれたように声をかけた、ちょうどそのとき――
「ウインド・ストーム!!」
甲高い声とともに、風の魔法が吹き抜けた。石垣に隠れていた少年が、アリスのベールを風で奪い、そのまま笑いながら駆け出す。
「こら! ハンス!待ちなさい!」
アリスが慌てて追いかけていく。
(うるせぇな……考え事してんのに)
「やーい、こっちこっち!」
少年は無邪気に逃げ回る。
レンのことは気にもとめていないようで、彼の周りを走り回る。
背後からそっと近づいたレンは、ひょいと襟首をつかんで持ち上げた。
「クソガキが……人が集中してるときに……って、ぎゃあああああッ!!」
右腕の腕輪が光り、全身に電撃が走る。
(なんでだよ……!俺、悪くないだろこれ!クソ女神め……!!)
「だ……大丈夫ですか?」
「……なんとか。ほら……」
息も絶え絶えに、レンはアリスにベールを差し出す。
それを受け取ろうとアリスが手を伸ばす。
ふと――彼女と目があったその瞬間。
レンの中に、腕輪の電撃とはまるで違う、プロデューサーとしての本能が、雷鳴のように響いた。
金色の光。
琥珀のような瞳が、沈みかけの太陽を反射して淡く揺れる。
雪のように白い髪が、風に揺れて、ふわりとなびく。
すっと通った鼻筋、儚げな唇、そして――
透き通るような肌に、夕陽が溶け込んでいる。
まるで、神様が彼女だけに照明を当てているかのように。
(……なんだ、これ……)
言葉が出ない。
いや、声を出すことがはばかられるほど神秘的な存在感。
目の前にいるのは、どこか抜けててお人好しで、たまに失礼なことを言う“シスター”のアリスのはず。
けれど――ベールを取った彼女は普段とは違う。
絵画から飛び出してきたような美しい少女だった。
この世界の中で、アリスだけが――色鮮やかなグラデーションで彩られている。
(……俺としたことが……ベールで隠れて気づかなかった)
何万人という人間を見てきた彼だったが、ここまでの“原石”を見たのは初めてだった。
(……これだ)
頭の中の霧が、一気に晴れた。
レンは、息を吸い――そして告げた。
「アリス。お前――アイドルにならないか?」
「……えっ?」
アリスは思わず聞き返した。
“アイドル”――その音は、この世界のどこにも存在しない、異国の呪文のように彼女には聞こえた。
「あの……アイドルって、なんですか? わたし、聖職者なんですけど……」
困惑しながらレンをみる。
レンは困惑する彼女なんて気にせず、その手を取りぐっと詰め寄った。
「歌は?自信あるか?」
「え、ええ……聖歌なら、少しだけ……」
「踊りは?」
「子どもたちと、遊び程度になら……」
「十分だ。さっそく今日から練習だ」
「え、ちょ……ちょっと待ってください! 話が飛びすぎてて全然わかんないです!」
アリスが目をぱちくりさせ、戸惑いながら半歩退く。
だがレンは、その手をさらにぎゅっと強く握り直す。
「アイドルってのはな、歌って、踊って、心を揺らして、金を稼ぐ。最高に熱い存在だ」
「……どっ、どんな存在ですか!……そ、それに、……お金儲けとか、そういうのは……聖職者として」
「お布施と大して変わらねぇよ。それに、子どもたちに腹いっぱい食わせてやりたくないか?」
アリスの視線が自然と紙袋に向いた。
干し肉と、しなびた野菜……
自分に笑いかけてくれる子どもたちの顔が浮かぶ。
「……それは、そうですけど。でも……人前で歌うなんて、そんなこと……」
「大丈夫だ。俺がついてる。お前を必ず、誰よりも輝くアイドルにしてみせる。かつて“魔王”と呼ばれた男の――本気、見せてやるよ」
「……かつて?」
「とにかく、アイドルとして人気が出れば、金も集まる。生活も安定する。傭兵だって雇える。そうすりゃ……魔王軍にも勝てるかもしれない――
アイドルで、世界を救う。完璧な計画だ!」
レンの顔は自信と興奮で満たされていた。
突拍子もない話で、アリスはまだ半分も理解できていない。現実味もまるでない。
でも――なぜか、レンの言葉には“力”があった。
彼女の胸の奥――
ずっと静かだった場所に、レンの思いが触れた。
アリスは、こみ上げる思いを言葉を詰まらせながら、それでも一つ一つ、確かめるように呟く。
「……私は、いろんな人に生きる希望を届けたくて、シスターになりました。でも……現実は、何も変えられなくて。変える勇気も、だんだん……なくなって……」
「なら、今から変えればいい。――俺とお前なら、なんだってできるさ」
レンは即答する。
まっすぐな声だ。迷いも、打算もない。
ただただ純粋で、真っ直ぐで、どうしようもないほどにまぶしい。
そのまぶしさに――アリスの頬が、ふっと熱を帯びる。
そして、アリスは静かに息を吐き、そっとレンの手を握り返した。
「……正直、まだうまく飲み込めてません。でももし私が、誰かの希望になれるなら、子供たちを笑顔にできるなら……レンさんがそう信じてくれるなら……アイドル、やってみたい……いえ、やりたいです!」
レンは、一瞬だけ目を見開き――そしてふっと笑った。
「……契約成立だな」
それを見てアリスも笑う。
ふたりの間を、夕風が優しくすり抜けた。
アリスの胸に灯った小さな火は、あたたかく、ゆっくりと――けれど確かに、強さを帯びていく。
そして今はまだ頼りないこの火が、いつか世界を照らす**“希望の光”**となることを、この時のふたりはまだ知らなかった。