勇者です。魔王を倒したらしいです。戦った記憶はありません。
「勇者様のお力のおかげです。あなたがいなければ、誰も魔王を倒せなかった」
そう言われるたびに、勇者は答える。
「いや、俺の力じゃないよ」
そしてそう言えばそう言うほどに、勇者の評判は高まっていった。目を輝かせて、皆が皆、勇者は力だけではなく、人格的にも優れているのだと。
その評判を聞けば聞くほど、勇者は、複雑な心境になる。
「(本当に、俺の力じゃないんだよなぁ)」
魔王はどうでしたか、などと聞かれる時が一番辛い。決まって勇者は、
「覚えてません」
と、そう答える。無我夢中だったのだろうと勝手に解釈されてしまうのだが。
彼は、本当に魔王との戦いの記憶がない。いや、もっと言えば――――。
戦闘時の記憶が一切ない。
原因は、分かっている。
勇者は、腰に提げた剣の柄を一度撫でた。
もう、記憶が全くないまま、魔王を倒してから、五年が経とうとしていた。
✴︎
まともに記憶がある最後の戦闘が何かと言われれば、十年前。まだ14歳だった頃ではないかと、勇者は思う。当時を思うと、あまりの無様さに目眩がしてくる。
あの頃。
勇者はまだ、騎士学校に士官する学生だった。その頃は別段、大した強くもなかった。成績は下から数えた方が早いぐらいだったのだから。
勇者は、しがない男爵家の三男坊だ。
長男は家督を継ぎ、次男は有力貴族に婿入りをした。さてこいつにやらせることがないぞ、となった父が、「まあ、剣でも握らせてみるか」と、適当極まりない育成方針を掲げたせいで、勇者は幼少期から剣を振るうハメになった。
勇者たる才能があったかと言われると、全くない。むしろ、"勇者"になると言われていたのは、士官学校の彼のルームメイトの方だった。
ルームメイトは、平民出身だった。
男爵が騎士団長とのコネというろくでもないゲタを履かせた勇者と違って、ルームメイトの彼は、実力だけで入学試験を突破していた。
フィオという名前のそのルームメイトは、明るく、快活で、身分のことなど何も気にしていないように振る舞うのが上手かった。勇者も、所詮は男爵家の三男。平民根性に近いものが染み付いていたので、波長がひどく合った。
「なぁ、アルベール!見てよこれ」
「なんだよ」
「教官の抜けたヒゲ」
「しょうもねえな、見せんなよ、そんなもん!」
フィオはよく、勇者の名前を呼びながら、くだらない話をした。勇者はそれに破顔しながら、その肩をどつくのが好きだった。奴の提案のせいで、勇者は、深夜まで素振りをさせられたこともある。
一応、劣等感らしきものをフィオに抱いた時もあった。だが、そこは質実に、ゆるやかにがモットーの男爵家の三男。毎日のルーティンである鍛錬をただただ粛々とこなしていった。フィオはよく、それに付き合ってくれた。
劣等感よりも、それを上回って、勇者は、フィオのことが好きだった。親友だったのだ。
だが、フィオは死んだ。
たまたま、二人で狩りに出かけたその日、近くの村が、魔物の襲撃に遭ったのだ。戦える人間は、勇者とフィオしか居なかった。実際に目の前にした魔物を前に、凍りついたように動けなかったのを、よく覚えている。
あの時の、腕の中で冷たくなるフィオの体温を忘れたことはない。役立たずだった勇者と違って、フィオは、率先して魔物の矢面に立って、村を守った。
「……戦え……アルベール…」
掠れた声で、息が漏れるように、フィオが言っていた。
「……戦え、戦って、戦え……何も、考えずに…」
フィオが、剣を差し出してきた。
ボロボロのその剣は、彼の愛剣だった。震えた手で、それを受け取った。フィオの手が、がくりと力を失って落ちて。フィオが、息耐えて――――たぶん、勇者は、深い、深い哀哭をして―――その後の記憶は、何もない。気が付けば、魔族の血である紫色の返り血を頭から被って、同じ色の血の海の真ん中に立っていた。
村人も、駆け付けた騎士団も、その戦果に目を見張った。フィオの死を深く嘆きながら、勇者に「君が戦わなければ、村は救われなかった」と、目を潤ませながら、そう言った。
「…………違う……違う、俺じゃない。俺じゃないんだ。だって、俺は、何も…」
自分は、震えて剣を取り落としそうになりながら、フィオが、切り刻まれていくのを見ているだけの、役立たずだ。何度も勇者はそう主張したが、受け入れられなかった。親友を亡くしたショックで錯乱していると思われたのだ。
親友。親友を亡くしたショック。本当に、そうだろうか。自分が倒したとは到底思えないのに。
勇者は、自分が握っている剣を目を落とした。紫色の返り血を浴びながらも、よく手入れされていることが一目でわかる剣。
ふと、いつか聞いたフィオの言葉が、蘇った。
『この剣は、僕の魂みたいなものだから!』
すとん。
胸の支えの底が抜けるように、勇者は、納得した。ああ、フィオか。
お前が、俺の代わりに、戦ったのか。
✴︎
自分の記憶が無くなるスイッチは分かっている。
「フィオの剣を握った」そのタイミングだ。
勇者は、剣にフィオの魂が宿っていて、剣を握ることで、フィオが自分の意識を乗っ取っているのだと、本気で信じていた。
この馬鹿げた話を知っているのは、一人だけだ。
魔王討伐の勇者パーティに同行した聖女……というか、彼の王国の王女だ。聖女などというから、そういった事情にも少し詳しいのかと期待して、話したことがあるのだ。
だが、勇者パーティなどという命知らず集団に入った王女様は、想像以上にリアリストだった。彼女は、酒場で、その可愛らしい顔に全く似合わないジョッキをテーブルに置いてから、静かに勇者を見た。
「死者は、蘇りませんのよ。死んでしまった後、私たちに、何かを語りかけることはありません」
彼女がその時言ったのはそれだけだった。
そこからは、またすぐにジョッキを傾けて「もう一杯!まだまだ行けますわ〜っ!」などと高笑いをしていたので、勇者もそれ以上を追求する気にはならなかった。
へべれけに酔っ払った王女を宿屋まで運ぶべく、肩を担いでいた時に、彼女は、ぐでんと勇者の肩に頭を預けながら、言った。
「さきほどのぉ、話ぃ、ですけれどお」
「…ちょっと酔っ払うのやめてくんね?」
王女というよりは、気安い仲間としての関係性が、彼らの口調によく現れていた。
王女はうぷ、と一度うめく。口から言葉ではなく、別のものが飛び出しそうである。王女を「負けるな殿下!マジで見たくない瞬間一位になる!」と鼓舞すれば、彼女はなんとかそれを飲み込んだ。
胃液だけはほんの少し飛び出していたが、ギリギリまあ、セーフ寄りのアウトぐらいだろう。
口を手の甲で拭って、王女様は、やけに真剣な目で、勇者を見た。
「あなたは、ちゃんと強いんですのよ。それを忘れないで。死者に引っ張られれば、いつか、あなたも、そちらへ行ってしまいます。私は、それが心配なのです、アルベール」
そこまでは良かったのだが、彼女は結局その後に勇者に"中身"をぶちまけるという惨状を犯した。
最悪な気分になりながら、勇者は、ふと、名前を呼ばれたのは、ずいぶん久しぶりだなと思った。
✴︎
結局、そんな王女の心配も届いたのか、届かなかったのか。勇者には、よく分からない。
だが、例の"憑依"は、魔王を倒すその時まで幾度も幾度も存在した。だから結局、勇者は、十年前にフィオが死んでから、魔王討伐の五年前も、そして今に至るまでも……一度たりとも戦闘の記憶を保持していない。
だが、王女の心配は、当たっている。
勇者が魔王を倒そうと思ったのは、フィオの言葉があったからだ。
「戦え。戦って、戦え」。
戦うべきだと思った。
この生涯を掛けて戦って、戦って、戦い続けることが、あの時戦えなかった自分への罰であり、ふさわしい贖罪であり、それしか存在しないと、そう思ってもいる。
世界が平和になるまでは、戦おうと思った。
だから、魔王を倒した後も、戦いは続けた。残党処理に、荒れた土地に沸いた盗賊に。
はじめの二年は、戦いに困らなかった。その次の二年は、少し、戦いに困った。そして、魔王を倒して五年が経って、あの時の"王女様"が、頭に王冠を被る頃になって、勇者は、戦いの場所を無くした。世界は、確かに平和になった。
彼が向かったのは、フィオの出身の村だった。
王都からまともに歩けば数日はかかる、辺境である。そこへ向かうと言った勇者に、女王になった彼女は、馬車と兵を貸すと言ってくれたが、勇者は断った。
「見て歩きたいんだ、平和になった世界を」
納得はしていないようだった。
多分、彼女は、これから彼が"死を選ぼうとしている"のをわかっていて、それを止めるために、監視をつけたかったのだろうなと思った。
数日、ただただ歩いた。道中、敵に出くわすことも期待したが、魔物の一匹はおろか、族にすら会わなかった。本当に世界は平和になった。
フィオの墓に、何を供えるか。ほんの少し迷って、彼は、フィオが好きだった小説を数冊と、酒瓶を備えた。死んだ時のフィオは未成年だったが、「酒〜!酒飲みてえ!飲んでみてえ!」と大騒ぎしていたのを覚えていたからだ。
最後に供えるものは、決まっている。
彼は、ベルトから、鞘ごと剣を外した。女王は勇者の考えを真っ向から否定したが、どうにも、やはり、勇者には、フィオがそこにいるような気がした。でなければ、自分が戦闘時の記憶を失っていることも、ましてや、臆病極まりない自分が戦えていることにも、説明がつかないからだ。
剣をそっと供えようとした時。彼は、悲鳴をひとつ聞いた。一瞬迷ったが、すぐさま駆け出した。どこだ。どこで、誰が何に襲われている。剣に戦闘を任せ続けているとはいえ、状況把握だけは得意だった。
数年ぶりに魔物を見た。
こんな辺境ではあまり見ない、ドラゴン種の魔物だった。魔王の根城ではごろごろと転がっていたが、体の五倍以上の体格はあるであろうそのドラゴンは、士官学校では「見たら逃げろ」と呼ばれるほどの強敵だった。
「ゆ、勇者さま………」
襲われていたのは、少女だった。
バスケットを持って、目に涙を溜めて。木にもたれながら、勇者を見ている。その絶望に染まっていた瞳に、ほんの少しの希望が見えた。その希望に応えねばと思う反面、勇者は、それを向けられるべきは俺ではないのにという気持ちにも駆られる。
剣を抜いた。
ドラゴンはすぐに、それが敬愛する魔王を殺した剣だと気が付いたらしい。あらゆる魔族の血液を浴び続けた剣だ。魔族の嗅覚からすれば、連続殺人鬼を見るような気持ちなのかもしれない。
体が、勝手に動くようだった。剣で、ドラゴンの牙にそれを噛ませるように防いで。
「――――――、フィオ」
剣が、ぽきりと折れた。
夢から醒めるように、勇者は、呆然と折れた剣を見つめた。剣は、中程で折れている。十年、いや、それ以上を使っていた剣だ。手入れには恐ろしいほどに気を遣ってきた。だが、時間には逆らえなかったのだ。
だが、勇者の胸を占めるのは、剣が折れたことへのショックではなかった。
「……フィオ……、だめだ、フィオ……」
フィオが、いなくなる。
いや、いなくなってしまった。剣の柄を握っているかも関わらず、自分は、目の前の景色をはっきり認識できている。そのことが、勇者の脳を揺さぶるようだった。フィオがいない。フィオが本当に死んでしまった。お前がいなくなったら、俺は、どう戦えばいい?フィオ、答えてくれ、教えてくれ。――――返事はない。
『あなたは、ちゃんと強いんですのよ』
なぜかこんな時に、彼女の言葉を思い出した。
だが、それが慰めになることはない。だって、強いのは自分ではなく、フィオなのだ。膝をついた勇者に、ドラゴンは興味を無くしたように尻尾を向けた。少女の方に、首を向ける。ごお、と大きく口を開けた。喉の奥の排熱器官が、光り始める。
「ひ、…や、やだ……いやだ…お母さん、お父さん……た、たすけて……」
死ぬ。
間違いなく、少女は死ぬ。
なのに、体が動かなかった。あの時と同じだ。あの時も、自分は剣を持って、フィオから溢れた血を浴びていた。いや、違う。自分が無様に動けなかったせいで、フィオは、彼を庇って、死んだのだ。
少女を守らなければ。何度も、こんな雑魚とは戦った。戦ったはずなんだ、覚えていないだけで!!
そう思う自分を、すかさず、もう一人の自分が否定する。戦ったのは、お前ではない。フィオだ。そもそも――――『覚えてもいないのに、どう戦う』と、自分が、自分を嘲笑った。
「助けて………たすけて、勇者さまっ……!」
体が、反射的に動いた。
持っていた剣の柄を投げつける。ドラゴンが、勇者を向いた。赤く光る廃熱器官は、しかしそのまま、勇者に向いている。どうする。死ぬのか。俺は、ここで死ぬのか。俺が死んだら、あの子はどうなる。
ぐちゃぐちゃと、頭の中で思考が繰り広げられる。自問自答が終わらない。ひっくり返した玩具箱のようだなと思った。
『――――戦え』
……頭の中で、声がした。
記憶が、まるで昨日のことのように蘇る。フィオの血の生ぬるさ。消える体温の冷たさ。薄く開いて、今にも閉じそうな瞳。
『……戦え、戦って、戦え……何も、考えずに…』
フィオは確かに、そう言っていた。
そして、その今際の顔が。
"とっておきの秘密を打ち明けるように"笑っていたことを、なぜか、今になって思い出した。
✴︎
気がつくと、少女が腰に抱きつきながらわんわんと泣いていた。
ドラゴンの頭には、折れた剣の切先が突き刺さっている。少女が言うには、「勇者さま、ドラゴンを蹴っ飛ばしたと思ったら、あの剣の先っぽで戦って、頭にどすん!ってしたんだよ」との事らしい。
そんなバカなと思ったが、手が確かに痛い。ぱっくりと、口のように右手の掌が裂けていた。控えめに言っても激痛である。意識のない自分が、とんでもない戦い方をしでかしてくれたようだ。
「(……いや、)」
勇者は、目を閉じた。
思い出そうと思えば、思い出せる――――確かに、自分は、あのドラゴンの足を蹴って跳躍をして、その頭に剣を突き刺すという、大立ち回りをしていた。……ような気がする。確証はない。自分の記憶力には自信がなかった。フィオとの事しか、正直あまりよく覚えていないのだ。
『アルベールはさ、ごちゃごちゃ考えすぎなんだよ』
フィオはよく、そう言っていた。
「(……あぁ、なんだ。そういうことか。そういうこと、だったのか)」
話が分かれば、本当に、単純な話だった。
フィオは確かに、自分の中に残っていた。けれど、残っていたのは「フィオの魂」などではない。
勇者の中に残ったのは、フィオの言葉だったのだ。「戦え。戦って、戦え。何も考えずに」という、単純極まりない言葉。まともに恐怖に駆られると、剣を握れない自分に対する、単純極まりないアドバイス。フィオが言いたかったのは、それだけだったのだ。
「……んだよ、……早く、言えよな」
抱きついてきた少女が、首を傾げた。
勇者は笑って、その頭を、傷ついていない左手で撫でた。少女は少し考え込むような仕草をした後、勇者から離れると、ごそごそと、バスケットの中を漁った。
「お礼でしょ!?」
「いや違うけど……いいよ、お礼なんか…何、それ?」
少女は、にっこり笑って、瓶を一本差し出してきた。林檎のジュースのようにも見える。勇者は不思議に思いながらも、それを受け取った。少女がわくわくと勇者を見てくるので、勇者は、それを開けた。一口啜ると、つんとしたアルコールが、口を刺激した。
「酒かよ……!!」
勇者は、酒を飲まない。
突き返そうかと思ったが、少女はどうも、勇者が「いらない」などと言ったら泣きそうな様子である。勇者は、思いついたように、しゃがみ込んで笑いかけた。
「お嬢ちゃん、じゃあ、二つそれをくれよ」
少女は、満面の笑みで酒瓶を差し出した。
もちろん、勇者が二本も瓶を開けるほど酒豪というわけではない。
ただ、酒を異様に飲みたがっていた親友と、酒を飲んで呑まれまくる女王様に、いい土産ができたなと思った。勇者は、瓶を両手で持とうとして、右手に走ったあまりの痛みに、悶絶した。少女が心配そうに、おろおろと勇者を見た。
「ゆ、ゆうしゃさま!大丈夫…?」
全然大丈夫ではない。めちゃくちゃ痛い。
だが、勇者はニッと笑って、右手の人差し指と中指を立ててピースサインを突き出した。
「大丈夫。勇者さま、強いから。――――世界を救えるぐらいには」
どうにも、魔王を倒したのは自分らしい。
まったく記憶にはないが、今度は、五年前には得られなかった、その実感があった。
勇者は、その実感を握りしめるように、掌を握った。右手だった。悶絶する。
ああ、痛い。バカ痛い。
だが、確かにその痛みが、臆病者の青年が、勇者として戦った証明だった。あまりの痛みに、涙が溢れ落ちた。
口に落ちてきた涙は、ひどく塩辛かったが、なぜか、全く不快ではなかった。
「(………ありがとな。ずっと。…またな、フィオ)」
きっと、親友への希望に満ちた決別が混ざっていたからだろうなと、勇者は思った。
ありがとうございました。
面白いと思っていただけたら、↓の評価などポチっといただけると大変励みになります。