第9話「急転」
──煌王暦1185年、4月1日。
エスタール帝国、ザリツブルク領、ヨーハン・ポガウ郡。
「少尉、流石だぜ」
「あそこまでの魔法、そう何度も使えませんが、魔物がそこそこ密集していましたし、それに──」
背後で爆発音にも似た轟音が響き渡る。
それは激しい閃光を伴っていた。
加えて、魔物の肉が焦げる独特の臭いニオイも。
「──お二人とも、大丈夫ですか」
残っていた魔物は、ラインの雷撃でやられたようだ。
彼がいる限り、敗北は考えられない。そう思わせるほど、ラインの表情は普段通りのもので、冷静沈着だった。
「ええ。私は足を少しやっちゃったかもだけど、骨折もしてないから」
「本当ですか? 私が見ます」
「だ、大丈夫だって。
それより、本隊の様子を確認したい」
「そうだな。倒木に挟まっちまってる奴もいるっぽいし、救出してやろう」
被害はかなりのものではあったが、最悪というわけでもない。
進軍できるかどうかは、指揮官によるかもしれないが。
ただ、気がかりなのは、あの魔物たちはどうして群れとも言えるような集団で本隊を襲撃したのだろうか。
魔族に、特に魔物に限ってそんな性質、聞いたことも見たこともない。
やはり、何か見落としが──。
「君、第5から救援に来てくれたのか」
「はい?──あぁ、そうです。第5師兵団・第3独立行動小隊の、ミルニス=ホーライト少尉です」
「第1師兵団・第188歩兵中隊のグスタフ大尉だ。支援感謝する。
君に少し、聞きたいことがあるのだが、構わないかね?」
「もちろんです。私も、この襲撃について気になることが」
「ふむ。流石は銀翼の風使い。鋭感だな。
我々はこの襲撃とほぼ同時に、後方──方角では西方。つまり本国側だ。そちらから帝国兵の反応を確認した。奴らが手引きしている可能性は、いかほどだと思う?」
「後方······では、クロの可能性は高いと思います」
「同意見だな。凄腕の魔術師か、あるいは魔法使いが潜んでいるに違いない。これを見過ごすわけにもいかん」
流石に第1師兵団の士官。
話が早いのはいいことだが、銀翼だのなんだの、称号で呼ばれるのはあまり好きではない。
だが話を進めるためにも、いちいちその程度の些事に突っ込んでいる暇もなく。
「軍曹。部隊の再編を急げ。すぐに追撃を」
「大尉、まさか、ここから後方の敵を叩きに向かわれるのですか?」
「敵もまさか、魔物の襲撃で浮足立っている我々が、逆襲しに来るとは思ってもいまい」
「そうかもしれませんが、先ほどの襲撃はあくまで可能性が高いというだけで、それに前方にも何が潜んでいるか、まだ不明瞭で──」
「そうだ。故に、挟撃されんためにも、どちらかを叩く必要がある」
話が早い、というよりも、戦い急いでいるようだ。
いや、私は部隊指揮の経験なんてないし、大尉の意見が正しいのかもしれない。
だが、ここまで負傷兵を出しておいて、魔物を使役できるかもしれない魔道士にぶつかりにいくのは、自殺行為としか思えない。
魔道士として、それは看過できない。
──中尉には、叱られるだろうし。
みんなには、ホントに申し訳ないけど、でも──。
「私たちが後方を叩きに行きます」
「ほう······小隊で、いや、君たちはただでさえ隊を二分していたはずだが、問題ないのかね?」
「それは──」
「問題ありません」
急に、隣で声がした。
そこには、彼がいた。
しっかりと直立し、似合っていない軍服に身を包み。
光を携えて自然を愛でる彼が、ラインがいた。
彼が積極的に口を開くのは、嬉しくもあるが、傍から見れば彼も魔族。少しひやりともする行動だ。
「──よろしい。少数精鋭による逆襲といこう。本隊に近づけさせるなよ」
「は。必ず」
──正直、間違ったことはしていないと思う。
本隊を無理に動かしても、余計に兵力が削がれていくだけだと思う。
そうなると、我々「独立行動小隊」が動くのが最善じゃないのか。
ただ、カイやアズメルに確認をとらなかったのは、大変申し訳ないことをした。
そのことへの動悸を抱えながら、負傷者手当ての対応中である彼らの方へ向かっていった。
「アズメル、あの──」
「あ! ミルニス少尉、足怪我したんですか?」
「え?」
開口一番、今後の行動についてきっぱり言い切ってしまおうとしていた勢いが、アズメルの珍しい大声によって止められた。
しかも厳しい顔で迫ってくる。
「そういうことは早めに言ってください。悪化したら笑えませんよ」
「え、ええ。ごめんなさい」
「はい、見せてくださいね」
すると彼女は私の足首に手を当てる。
微かに魔力が集中していくのを感じる。
「これは、治癒魔法?」
「いえ、私のは···治癒というほど優れたものじゃないんです。せいぜい、怪我の進行を抑えたり、痛みを和らげる程度。治療魔法の、さらになりそこないです」
「でも、あなた索敵もしていたけど······」
「ああ、一応、体感魔法も使えます。フルーゲはこれの上位の──」
「ま、まって? 魔法を複数扱えるってこと? それ、空論って言われてた······」
「まあ、確かに、いわゆる二重魔法、複数魔法とかって言われる体質ですけど」
「す、すごい! 歴史上『建国の魔女』一人しかいないって言われてた複数魔法なんて!」
「お、落ち着いてくださいよ少尉。
魔法、好きなんですね」
「······ま、まぁ。好き、ですよ」
気づけば前のめりになっていた。
アズメルの苦笑い寄りの優しい笑顔も相まって、つい顔が熱くなる。
ただ、そんな恥ずかしい私の表情を見せびらかすために来たのではない。
意を決して話を切り出す。
「──アズメル。次の行動なのだけれど···私たちは後方の魔道士を攻撃します」
「後方······ではやはり、先ほどの魔物は帝国が?」
「はい。発見のタイミング的に、偶然とは思えません。ですので──」
「俺たちが行くんだろ?」
私の後ろから自信満々な声がする。
救出の手伝いを終えたのだろうか、カイがいた。
「はい。二人に確認を取らなかったこと、申し訳ありません」
「なぁに、あんたがあの魔術師の前に飛び出したのを考えたら······そんな気がしてたよ。
だってあんな嫌味言ってきやがった奴だぜ? 俺だったら助けたかは分かんないな」
「もう、そんなこと言って。
少尉、出発しますか?」
「ええ。準備でき次第、迅速に」
とは言ったが、私とラインはもう準備万端。
カイとアズメルも、余裕そうな面持ちで立ち上がった。
今は私が彼らを率いる立場だ。
私がしっかり、守ってあげなきゃいけない。
自信はある。ラインだっていてくれるし。
──だから、どんなに困難な状況下でも、私たちなら大丈夫だと信じていた。
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「シュタイナー少佐。敵がこちらを察知したようです。いかがなさいますか」
「ではこちらも進軍再開といこう」
「撤退しないので?」
「なに、少しばかり共和国の兵力を削るだけです。深入りするつもりはない。
──ブラウン大尉。君には申し訳ないが、天使との対面を余儀なくされるやもしれません。できますか?」
「当然であります。魔術師といえど、魔族に対抗するため私は鍛錬をつんできましたから」
「流石にエース。心意気やよし。
ただ功を焦りはしないように。帝国魔道士は人員不足なのですから」
シュタイナーはゆっくりと立ち上がる。準備運動でもするように、首を回してみせる。
そうして、祖国エスタールの領地をまじまじと見つめていると、突如として光の一矢が飛んでくる。
「おっと──」
「なっ!?」
それを片手で弾く。
弾かれた先にあった山陵の頂が、矢を受けて爆発する。
「ずいぶん手厚い歓迎ですね。いや、挨拶というべきでしょうか。ここは我々の領土、土足で入り込んでおいて、なんとも手荒な挨拶をしてくれる。イース人の品位が知れますね」
「言ってる場合ですか少佐! 先ほど観測していた地点より、急速に接近してますよ」
ブラウンがそう告げている間にも、どんどん魔力の塊が接近しつつある。
シュタイナーは、相手が天使であろうが、何とか収集してけしかけた魔物を蹴散らした魔道士であろうが、もしくはその両方が接近していようが、冷静であった。
しかし、今回ばかりは、研究者としての性故に。
冷静にも勝る好奇心を隠せずにいた。
「来い。イースの魔道士よ」
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──まさかラインの一撃を弾く奴がいるなんて。
帝国技道兵の中でも、かなりの手練れなのだろう。
でも、私とライン、それに戦闘ではカイもいる。アズメルの支援もあれば、余裕とはいかないにしても、勝機はある。
あとはその勝ち馬を引き寄せるだけの、根性。
「敵が見えます。距離、100、90······」
私は全速力で空を駆け、カイは地上を走る。
ラインがアズメルを抱えながらの飛行で、もう敵はすぐそこという距離。
魔物を使役していたことは、確実と見てもいいだろう。とすれば、飛び出した場所には、技道兵だけでなく魔物が待機している可能性もある。それは私が全て駆逐すれば良し。
あとはどれほどいるのだろうか、敵の技道兵が──。
「出ます!──敵は、二人です!!」
予想は大きく外れていた。魔物の巨体は確認できない。流石に周りの森林にもいまい。この距離でアズメルの索敵に引っかからないのだから。
そして肝心の技道兵は、たったの二人だった。
──いや、逆に考えろ。二人で後方から魔物を? だとすれば、手練れなんてものじゃない。
上空から飛び出した私と、目が合う。不気味な笑顔を見せている。
まるでユフト少佐のような、余裕さと理解不能の面皮を合わせた、ある種強者の面持ちだ。
「子ども? 相変わらず、共和国は人を何だと思っているのでしょうか」
「──ッ!」
ちょうど、私に視線が向いている間に、カイも出てきた。
魔物を圧倒した水魔法の剣捌きで魔道士に迫る。私も、風魔法をすかさず繰り出す──。
「良い連携ですが、お世辞にも卓越した、などとは言えませんね」
やっぱり、手練れなんて言葉では収まらないか···!
敵はカイの斬撃を素手で掴んでいる。そして私の攻撃は、いつの間にか打ち消されている。
──いや、敵の足元に着弾している。
この距離を外すほど、緊張していない。となると──。
「カイ、一旦距離を──」
「遅い」
「うわッ──」
まるで弾き飛ばされるように、カイは木に突き飛ばされた。
事実、剣が弾かれるようにして、それに体が持っていかれるような吹き飛ばされ方だった。
もう一度風魔法を、先ほどよりも威力を増して、しかし遅い速度で放つ。
結果は同じ、足元に当たる。
しかし、弾速を変えたおかげでよく見えた。彼に当たるすんでのところで、軌道を変えられている。
「ほう。そこの風使い。ずいぶん良い目をしている。というより、勘がいいのでしょうか。
どうですか、魔道を追い求める同志として、少し会話でも」
「······」
「そう警戒せずとも、互いに人間です。言葉を持つ理性体として──」
その瞬間、必殺の一撃を窺っていたラインが、どこからともなく姿を見せる。
あまりの速度に、魔力の高まりすら感知できなかった。
どれほど強い魔法使いでも、魔術師でも。
魔道の発動が間に合わなければ、意味がない。
彼の攻撃が、敵の顔面を捉えた。
「言ったはずです。『遅い』と」
そう、発動が間に合わなければ、意味がない。
ラインの一撃は防ぐことは不可能なほどの威力で。
しかし、その彼ごと、魔法は跡形もなく消え去った。
いつの間にか、もう一人の敵魔道士が、ラインがいた位置に立っていた。
「なっ······何が···?」
「助かりました、少佐。しかしわざわざ自分から魔法に当たりにいかずとも──」
「そうですね。今のはかなり危なかった。だからこそ、感謝するのは私の方ですよ大尉。よく決めてくれました」
唖然とする私に、技道兵は近づいてくる。
「お初にお目にかかる。帝国軍・第9魔道大隊、大隊長のアルフレッド=シュタイナー少佐です」
「そっ、そんなことは聞いてない! ラインはどこに──」
「落ち着いてください、イースの魔道士。見たところ、君は魔法使いでしょうか?
彼女、ブラウン大尉が考案した、素晴らしい魔術──『転移の魔術』によって、君の魔族にはご退場願っただけです」
「──そんな、ことが······」
「少佐、ばらさないで下さいよ」
「ははは、なに、魔道は人に知らしめてこそですよ大尉。そして私は──」
その瞬間、今度は発砲音が響き渡る。
「少尉!」
アズメルだ。拳銃で敵を撃っているがしかし──。
「うっ、あああッ!!」
銃弾は跳ね返され、彼女の足を撃ち抜いた。
「人の話は最後まで聞きなさい──と、また子どもか。つくづく······。
私の魔術は『指向の魔術』です。銃弾や魔道はもちろん、意識を持たない魔物ならば、その行動すらも私は意のままに操れるのです」
「······カイ、待って」
茂みからこちらを窺っているのだろう。
カイの刺すような殺気が感じ取れる。それは相手も同様だ。
「ふむ、やはり君は聡明ですね。
さて、どうしましょうか。私も、よもや子どもの部隊が攻撃してくるとは思いませんでしたよ。どれだけ戦場に身を置く軍人だとしても、君たちのような年頃の、しかも有望な魔道士を殺生するのは気が引ける」
「少佐」
「分かっていますよ。こんなこと、本来聖人君主のやることだとね。
──そういうわけで、我々は会敵しなかったことにしましょう」
どうだろうか、こいつが言っていることは、全部信じられるだろうか。
アズメルの負傷が気になる。確かに戦闘などしている場合ではない。
だが、彼女に向かった瞬間、背中から撃たれない保証もない。
カイは今にでも飛び出していきそうな殺気だ。
そもそもラインはどこに飛ばされてしまったんだ?
どうしよう、どうしたら······。
呼吸が荒くなる。
頭が痛い。
何も考えられなくなっていく。
「······少佐。あなたがやらないのなら、私がここで始末します」
「大尉、止めなさい。確かに魔法は強力だが、自然を恐れ敬うが故に生まれたもの。
対して人が効率良く社会を回すため──それは時に、人の命を効率良く奪うため、そのために生み出されたのが魔術。
魔道士の戦いで、彼ら魔法使いが私たち魔術師に敵うはずもありません。二度目があるなら、そこで私が始末します」
「······了解です」
彼らは踵を返して、去っていこうとする。
本当か? 本当に、こいつらは······。
久々に全身で感じる恐怖。
呼吸もおぼつかない。
──だが、それでも、私だって魔法使いとしての矜持がある。
そのために、あの暗がりから出てきたんだ。
どれだけ他人に蔑まれようと、醜くもがいて生きようと決めたんだから。
「私は子どもですけど、イースヴィヒの軍人で、そして。
魔法使いですから」
気づけば立ち上がり、魔力を集中させていた。
カイも飛び出して、去っていこうとする二人の前に陣取った。
「──ふ、ふふ、ははは!
これは失礼を働いてしまいましたか。どうにも、君たちは立派な魔道士で、戦士であったようですね」
「少佐、前方の水使いは私が」
「なに、どちらを、などという野暮なことは言うものじゃないですよ大尉。
互いに死力を尽くし、かかってきなさい」
ヒリつく空気。
一秒後には、どちらかが、私が死んでいるかもしれないほどの緊張感。
それでも、ここで逃げ出すわけにはいかない。
二人でこいつらを倒して、ラインもアズメルも一緒に、無事に帰るんだ。
だから──。
「──第5の小隊。良く耐えた」
突然、帝国兵が居た場所に、何かが突っ込んできた。
ラインではない。魔力は感じられない。
舞い上がった砂煙が、だんだん晴れていく。
そこには、イースの灰被りの軍服をまとった兵士がひとり。
しかし、いわゆる一般兵と言っていいのか。肩の階級章は『大佐』を示している。
「第1師兵団・第1突撃隊、アイリス=サイラッハ大佐だ。敵を撃滅する」
時代にそぐわない、大きな銀槍を携えて。
一人の戦士が現れた。