第7話「寄せる信頼」
──煌王暦1185年、3月31日。
エスタール帝国、ザリツブルク領、ヨーハン・ポガウ郡。
「──第5師兵団・第3独立行動小隊クレス中尉、失礼します」
クレスは指揮所に入室していた。
入室、と言ってもそこはエスタール帝国軍のバンカーであり、攻撃の際に砲撃か魔道か、もしくは両方が直撃したようで、一部の壁が見事に崩れ落ち、開放感のある指揮所であった。
「おお、あなたがクレス中尉か。
第1師兵団・第116機甲大隊中佐、アルベルトです」
「同じく、第1・第188歩兵中隊のグスタフ大尉です。よろしく」
敬礼を交わす。
たまたまだろうか、ここに第3師兵団の将校はおらず、クレスは安堵のため息を漏らしそうになる。
もちろん、居たからどうする、という話でもないが、魔法使いと魔術師。この国では水と油以外の何ものでもない。
「部隊合流の挨拶をと思いましたが、第1師兵団の指揮官殿は······」
「ええ。一応、地上部隊はサイラッハ大佐の指揮ですが、武装の補修を手伝うとか言って、大佐は今、外していて······。申し訳ない」
「いえ、こちらとしては大丈夫であります。
本日の作戦では、我が部隊は右翼側に合流することになっていますが、問題ないでしょうか」
「そうですね。参謀部の命令通りの布陣でいいでしょう。
──ただ、その······中尉殿には重ねて申し訳ないのだが······」
アルベルトとグスタフは顔を見合わせる。どうにも歯切れが悪い様子だ。
なにか頭のイかれた作戦でも来たかと思ったが、第3師兵団と合同ならそれもありえなくはないと、クレスは半ば諦めていた。
「実は『協会』からの命令で──」
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──クレス中尉が指揮所に行ってから、すでに十分は過ぎていた。
何か揉め事でも起こしてなければいいけど、先ほどの魔術師とのやり取りを思うと、何もないとは言い切れない。
各部隊も続々と集結し始めており、士官の呼び声が所々から聞こえてくる。
私たちは待ちぼうけをくらったまま、その様子をただ眺めていた。
「おい、随分と重部隊だな~。第1と第3の連合艦隊だなんてよォ」
「そりゃ、この作戦でケリ付けたいんだろうからな。
考えてもみろ、ウチは大戦で勝利したが帝国解体は叶わなかった。それどころか賠償決定だって、同盟国同士で足の引っ張り合いだ。
多分だけどよこの作戦······大陸評議会にも通達してなかったんだろうな。あの反戦・軍縮ムーブメントの中で、まさか戦争なんて許されるかっての」
「──ちょっと、中尉の様子見に行ってきます、私」
おもむろにアズメルが立ち上がる。
「私も行っていいですか」
「ええ、行きましょう」
「ラインも、ついてきてほしい」
私がそう言うと、彼は無言で頷いた。
他の三人は動きそうにもないので──そもそも命令がないので、ある意味彼らの方が正しいとも言えるのだが、流石に時間がかかり過ぎているため、私たちだけで見に行くことにした。
やはり、そろそろ出立なのだろう。兵士たちの動きがより慌ただしくなってきた。
軍艦も移動を再開するようで、魔力炉が稼働し始めている。
「指揮所は···あっちみたいですね」
「──ねぇ、アズメル。あなたに聞くのもなんだけど、カイって···『ユーリヒ』って、名家だったりしますか?」
「どうしたんですか、突然···?」
「いや、初めて名前を聞いたとき、どこかで聞き覚えがある名前だな、と······」
「······そうですね。ユーリヒ家は、代々イース陸軍の上級将校を輩出している家です。しかも新貴族家でもあります」
「なるほど、通りで」
「あと、この話、本人にはしないであげてください。彼、何となくですけど家の話はしたがらないですし、新貴族の人たちはみんな、魔法への不信がありますから。
そんな家に、魔法使いとして生まれてしまったなら······とっても苦しいものだったと思います。
むしろ今、私に聞いてくれて助かりました」
「もちろん彼には言いませんよ。ラインもね」
「少尉なら大丈夫と信じてます。ほんとう、この部隊にまともな方が、しかも魔女でよかったですよ」
アズメルはため息をつきながらそう言ってみせる。
『まとも』か。そう言われると、そうかなと思いつつ、ほんのりと嬉しさが滲む。
「さ、ここが指揮所ですが──」
「まったく、どういう了見で──おい、貴様ら、どうした」
着いた瞬間、クレス中尉が中から出てきた。
何やら厳しい剣幕であったが、いったい。
「いえ、少し時間がかかっているなと思い、様子を」
「そんなに経っていたか、クソ。
急ぎ集合だ。作戦命令の更新を伝える」
「は、はい」
クレスは足早に戻っていく。
せっかくここまで来たのに、しかしひとまず問題なさそうで安心した。
だが、あの表情、また過酷な任務が待っているのではと思うと、先行きに関しては不安である。
慌ててついていくアズメルの、さらに後ろを縫うようにして、私も戻っていった。
「──次の行動だが、小隊を二分することになった」
「え? それは······」
「俺たち独立行動小隊をですか? 天使···ライン入れてたったの7人ですよ?」
作戦、というか、こういうことでクレス中尉は苦そうな表情を見せていたのか。
フルーゲもカイも困惑を隠せずにいるようで。私もアズメルと顔を見合わせる。
「魔道協会が口を出してきているようだ」
「はぁ!? あいつらは何も政府組織とか軍ってわけじゃないっすよね? 民間組織っすよ、あくまでも魔法管理っていう話で、魔族についてどうのこうのまでは理解できるっすけど、参謀部の作戦にまで口出しできる権限がどこに──」
「落ち着けフルーゲ。その魔法管理という名目で、第3師兵団を抱き込んで、上層部に圧力をかけているようだ」
「それが、なんで隊を分けることに?」
「本隊は魔術中隊の戦力で十分だと。
ただ、こちらの意表をついて逆襲部隊が来ないとも言い切れないから、そもそも右翼側に小隊を回すよう命令が下されていたわけだが······」
「私が、居るからですか?」
つい、思っていたことを、そのまま口から吐き出してしまった。
だが、それしか考えられない。フルーゲの発言的に、今まではなかったことなのだろう。
とすれば、私とラインが在籍したこと以外に、理由はない。
「······〝風隠し〟と天使、両名は魔族警戒のために、左翼側へ派遣しろと命令された」
「本ッ当にどうしようもねーな。上から上から散々言っておいて、魔族に関しちゃ俺たちに頼りっぱなしじゃねーか」
「隊長。ミルニス少尉だけで、ですか?」
「いや、監視役を2人付けろとのことだ。私が行きたかったが、右翼側を率いるよう私には釘を刺された」
「それ警戒任務っていうか、完全に、何か起こってほしいっていう意図が見え見えっすね」
「止むを得まい。正直、貴様らが帝国の魔道士に後れを取るとは思ってない。
だが、魔族が出れば話は変わってくる。何より左翼側、我々も昨日、警戒のため第12と野営した森林地帯はエスタールとの実質的な国境──『言の葉森』だ」
言の葉森──旧イースの時代より、さらに太古の神話の時代から存在しているとすら言われる、魍魎が跋扈する領域。人が易々と踏み入れて良い場所ではない。
それでも人類の征服欲は収まるところを知らない。
幾度となく周辺諸国は足を踏み入れてきたが、その度に尊い人命を失ってきた。
その付近への、少数での派兵。
私たち魔法使いに、うってつけの危険な任務だ。
少なくとも、権力者にとっては。
「私が同行します」
「アズメル···」
「索敵に長けた人がいた方がいいですよね。でしたら私が」
「······じゃあ、俺も行きます。行かせてください」
「分かった。左翼にはアズメルとカイを向かわせる」
「カイぃ、勇み過ぎんなよ~」
「大丈夫ですよ。伍長より、少尉の方が安心できますから」
「おい、おいおい言うじゃねーか。
──ま、そう言うこった、隊長。ミルニスと飼い犬がいりゃ、大丈夫だろうよ」
ハインサイトはそう言って笑うと、私の肩を叩いてくる。
加減てものを知らないのか、義肢の腕で叩かれたらそこそこ痛い。
だが、ある種彼からの信頼ともとれる行為なのかと思うと、嫌ではない。
振り向けば、アズメルとカイが私の方に向いており、敬礼している。
「あの──」
「あなたは少尉ですから」
「これは形式上、当たり前のことだよ。
けど、俺たちは魔法使い。軍から邪険に扱われて、世間じゃ除け者。だからこれは、形式とかじゃなくて、個人的に──あんたを信頼すると決めたからな」
二人は、曇りのない瞳で、真っすぐ私を見つめていた。他の小隊員も、気づけば私に視線を寄せていた。
そして、気づけば──私も、敬礼していた。
そう、これはカイが言ったように、軍隊の形式としての行為ではない。
彼らの期待に、信頼に。
私自身が、応えたいから。
今まで感じたことのない、胸の内からこみ上げるような、熱いものがあった。
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「──少佐。共和国軍は進軍を再開する模様。大群、それも軍団規模です。第6魔道大隊で足止めができるでしょうか」
イースヴィヒが駐留するザリツブルク領、その少し西方。
エスタール帝国軍の部隊が、静かな山陵に身を寄せていた。
「そう焦ることはないですよ、ブラウン大尉。
いくら共和国軍といえど、所詮は人間です。理を外れた存在には敵いようもありませんよ」
その中で、士官がひとり、優雅にティーカップを片手に携え、もう片方は膝に手を当てていた。
どうにも戦場に座している様子ではない。
それが却って、彼の異質さを──余裕を露わにしていた。
「ですが、シュタイナー少佐。共和国軍には······」
「ええ。まさか、ではありますが、共和国のやりそうなことではあります。
魔族···天使を実戦投入するとは、もはや共和国を人類の敵に認定できそうなものですがね。
──と、なんとも耳障りの良い『正道』を語りつつも、我々の軍も同様の決定を下したわけですから。なりふり構ってもいられません」
カップに据えられたスプーンを回す。
──先の大戦、帝国は敗北したとは言え、彼──アルフレッド=シュタイナーはエスタール本国の防衛を達成し、圧倒的に不利とは言えない講和条約を引き出した。
それどころか、イースヴィヒ率いる南西同盟の諸国は講和に際して、己の利権を重視し互いを牽制しあった結果、領土などは据え置く形での終戦を迎えた。
そしてシュタイナーは、その成果もあってか、エスタール帝国における英雄的扱いを受けており、さらには──。
「──ですが、『理外』というのも、凡人の発想です。それを理解しよう、学ぼうと努めぬ怠惰か、諦観が故の言葉です。
未知を開拓するしかなかった我々魔術師に、そんな言葉はありません。そうでしょう、大尉?」
天才という言葉では推し量れないほどの、魔術開発の第一人者であった。
彼の前に、天使も魔法使いも、未だ研究対象としてか映ってはいない。